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桃の色香 続章  作者:
第二章 皆元編
25/52

八、千哉、人と刃を交える。


 2016年1月5日:誤字修正



「……ったく。どうしてこんな田舎の村を偵察しなきゃならんのですか」

 馬にまたがる男がぼやいた。そいつはひょろ長い背丈で、頬はこけ、目が窪んでいる。恰好も異様で、着物には袖がなく、筋肉のついた腕をさらけ出していた。

 名前は碓氷貞道。皆元隆光四天王のひとりだ。

「悪いな碓氷。付き合わせて」

 隣で栗毛の馬に乗る男がそう言う。彼はしっかりとした正装だった。別に怪しいところはない。問いただすとすれば、男は腰に大小を差しておらず、本差しが一本だけだった。

 彼は隆光四天王筆頭の渡邊頼綱である。

「いえいえ、だんなの頼みなら断れませんよ」

 ニヤニヤ笑って言う貞道。それからやっと彼は、こちら――千哉と稔、そして千雪を睥睨した。

村長むらおさはあんたか?」

 馬上から口にする貞道。その視線は千雪を捉えていた。千雪はかしこまった様子で礼をする。

「そうです。出迎えに参ることができず申し訳ございません」

「殊勝な返答だな。そんなに命が惜しいか?」

 貞道はいやらしく笑みを浮かべた。稔の表情が険しくなる。今にも飛びかかる勢いの彼を千哉は腕を出して制した。そのとき頼綱がこちらへ目を動かした。

「待て。碓氷」

「はい?」

 頼綱の声に貞道は胡乱な目を向ける。

「そこの者、見ない顔だな」

 早々に疑いを掛けられたが恐れることはない。千哉は真っ直ぐと睨み返した。

「そうなんですか、まあだんなが言うんなら信じますけど?」

 すると貞道がニヤリと笑い、馬から下りた。

 何度見ても奇妙な男だ。袖のない着物に半袴。手足に晒し。腰には鎖が巻かれ、腰の左右に鎌が見えた。あれが奴の得物――鎖鎌のようだ。

 貞道は小馬鹿にしたような顔をして、千哉に訊く。

「よそ者。貴様はどこから来た?」

「どこ、と言われても俺は諸国を回っている牢人だ。偶然ここを通りかかったまでだ」

「こんな山奥まで足を運ぶとは……。けっこうな道楽者だな」

 口を挟む頼綱に千哉は唇を噛んだ。すぐにばれると思っていたが即答されるとは。この頼綱という男、中々鋭い。

「貴様ら、変なこと考えてんじゃねーよな? あ、今回の偵察ってこういうことですか? 渡邊さん」

「ん? まあそうだな」

 貞道の質問に、頼綱は曖昧に返した。

 それに、千哉は引っかかった。貞道はここを鬼の里だと知らないのか。だとしたら、本当に反抗勢力の取り締まりなのだろうか。

 いや違う。

 千哉は確信した。

 碓氷貞道は鬼の存在を知らないのだ。逆に渡邊頼綱は知っている。だからこそ言葉を濁した。そしてさきほど鬼酒の鬼が「渡邊っていういつもの奴だ」と言っていた。いつものということは度々ここを訪れているのだろう。

 皆元の中にも、『鬼』の存在を知る者と知らない者がいるのだろう。

「そうですか。だったら捕縛しましょう」

 何も知らない貞道は腰の鎌に触れた。ジャラリと鎖が鳴る。

「どこかの間者かもしれない。拷問して吐かせましょう」

 陰湿な笑みを浮かべて、こちらを見やる彼は楽しそうだった。貞道は頼綱の判断を待つが、闘えるのが楽しみといった様子であった。

 上役の頼綱はじっと千哉を見つめている。何かを思案する表情だった。

「……いいだろう。碓氷、時間をかけるなよ」

「三分で終わらせますよ」

 碓氷貞道は腰の鎖鎌を手にした。

「か、千哉殿」

 背後で、千雪が不安げな視線を送る。

「彼は隆光四天王のひとり、碓氷貞道です」

「そうか」

 ならば一月ひとつきほど前に会った若武者もそれに該当するのか。しかし四天王と称させるならば、この碓氷貞道は相当の手練れだろう。

 千雪は蒼白の顔色で早口に言う。

「は、早くお逃げを……!」

「兄さん……!」

 その隣で稔が声を上げ、弱腰の兄に叱咤した。

 そんな二人を千哉は無視して、貞道に目をやった。

「皆元の幹部か。どれほどの力か気になる」

「え……」

「千哉さん」

 唖然とこちらを見つめる兄弟。それでも千哉は貞道を睨みつけて宣言した。

「俺が、人間如きに捕まることはない」

 それは千雪と稔に向けての言葉だった。鬼が人を相手に臆する理由などない。力の差は歴然である。そして皆元四天王の実力を確かめるのも、桃太郎への良い土産になるだろう。

「なんだと?」

 しかし千哉の言葉は貞道にとって、ただの挑発だ。彼の顔が怒りに満ちた。

「俺が誰かとわかってて、そんな口を利くのか」

 貞道は鎌を振り上げ、怒鳴った。

「後悔するぞ、貴様」

 碓氷貞道の得物は鎖鎌であった。

 しかしそれは一般のものとは様子が異なる。貞道の鎖鎌は両端に鎌が取り付けられており、分銅がなかった。殺傷力は上がるが扱いにくそうな武器だと千哉は思う。

 貞道はニタニタ笑いながら手首を回す。片方の鎌がぶんぶんと回転し始めた。

回転する白刃を目にして、千哉も鞘から刀を抜き、中段へ構えた――と同時に、貞道は片方の鎌を投げ飛ばした。

「先手必勝ってな!」

 露骨な不意打ちに千哉は眉をひそめる。

 ジャラジャラと音を立てて鎌が襲いかかるが、千哉は冷静に鎌を刀で払った。鎌は弾かれ、固い地面に突き刺さる。

 その隙に貞道は千哉へと駆け出した。空になった左手で鎖を握り締め、引っ張る。すると地面に刺さった鎌が土を掘削して、宙に浮き、のたうつように跳ね上がった。このままでは足を斬り裂かれる。視界の端でそれを確認した千哉は小さく舌打ちし、足を後退させた。

「敵の前で足元ばかり見んなよッ!」

 声に反応。眼前には貞道の陰湿な笑みがあった。彼は引き戻された鎌を掠め取り、右手にある鎌を振り上げた。

「死ねよ!」

 凶刃が首筋に振り下ろさせる。千哉は体をのけぞらせて一歩退き、紙一重の差で躱してみせた。

「チィッ!」

 貞道は悔しそうに歯噛みするが、攻撃は終わらない。一歩踏み出して今度は左の鎌を振り下ろす。千哉は引き寄せた刀で防御し、鎌を絡めたまま払い落とした。反動で貞道の体勢を崩れる。千哉は追撃しようと刀を構えたとき、視界の端から鈍い銀色が光った。

「っ!」

 ジャラジャラと唸りながら現れるそれは貞道の右手にあった鎌である。千哉は上半身を仰け反ってけるが、鼻の頭を薄く切り裂かれて舌打ちを漏らす。後退する彼に対し、貞道は鎖を引き戻して、嗤った。

「俺の得物はこいつらだぜ!」

 そして、鎌は踊る。

 さながら毒牙を剥く蛇。空間を這う二頭の蛇は容赦なく千哉に襲いかかる。千哉は紙一重ですべて躱すが、貞道の攻撃は止むことを知らない。彼は鎖鎌の間合いを保って千哉を追い詰める。

「くそ……!」

 やはり、鎖鎌を相手にするのは少々()が悪い。貞道の鎖鎌の間合いは予想以上に広く、つけ入る隙が無い。武器の特徴にも要因するだろうが、それだけこの男が鎖鎌の扱いに長けているということだ。

 ――面白い。

 千哉は心の内で笑った。

 人間にもこのような猛者がいる。人間と戦うなどもう二度と無いと思っていた。しかし思わぬ出会いで今ここに至る。こういう貴重な経験が出来たことは、あの男に感謝しなければならない。

 しかし感心してはいられない。この絶え間なく降り注ぐ凶刃をどうにかしなければいけない。

 そんなこちらを貞道は舌なめずりした。

「この程度か? もっと踊れよ!」

 振り回される鎌が横合いに薙ぎ払われた。

 これを千哉は好機だと直感した。今まで貞道は鎖鎌を器用に、素早く切りかえして攻撃を繰り出していた。しかしこの横薙ぎは大振りで、力任せな剣技であった。

 千哉はわずかに腰を落とし身構えた。大気を斬り裂き、こちらに向かってくる鎌を見据えた。鎌の速度は変わらないがどうということはない。鬼の動体視力を持てば捉えることは可能だ。

 そして、鎌は吸い込まれるように刀にぶつかった。

 甲高い金属音と弾ける火花。衝突の際に、鎌は身悶えるようにわずかに跳ね上がった。

 千哉は貞道を一瞥した。もう一つの鎌は貞道の手元にあり、鎖は伸びきっている。まずは宙に浮く厄介な鎖を断ち切ろうと腕を上げたそのとき、貞道の喜色に満ちた面が目に入った。

「バッカじゃねーの? お前」

 同時に貞道は鎖を引っ張る。すると千哉の側で鎖が鳴った。視界の端で鎌が首をもたげ、千哉の刀に引っかかったのだ。

「な……っ」

 千哉は硬直する。その一瞬の隙で柄から手がすっぽ抜け、刀が地面に転がっていく。

 貞道の哄笑が耳に届いた。

「言ったろ? 後悔するってよ!」

 再び鎖が唸り声を上げる。真っ直ぐと千哉へ向かう鎌は彼の頬を掠めて円弧を描くように曲がる。そして千哉の背中へ回り、拘束を開始した。鎖はぐるぐると呆ける千哉の周囲を回転した。

「これで終わりっ!」

 貞道がぐいっと鎖を引き、千哉の首を狙った。千哉はとっさに左手を差し込んで首が締まるのを防いだが、もう遅い。

 鎌が地面に落ちる。

 千哉は完全に拘束された。

「つ~かまえた、っと……」

 貞道は口を吊り上げた。手にある鎌を地面に突き刺し、抜けないように足で深く沈める。

「ぐっ……!」

 ぎちぎちと鎖が千哉の体を縛る。

「ふははっ! 無様なものだな!」

 貞道は千哉を嘲笑い、振り返った。

「捕縛完了です。渡邊さん」

「ご苦労」

 二人の戦闘をずっと馬上で傍観していた頼綱が馬を下りた。彼はゆっくりと千哉へ近づく。彼の手は用心深く刀に触れていた。

「くそっ……」

 千哉は拘束を逃れようと体を揺さぶるが、鎖は微動だにしない。

「大人しくしろっての。……ったく」

 貞道は千哉の背後に回り、落ちた鎌を地面に突き刺した。その上に足を置き、余裕綽々と腕を組んで頼綱に言った。

「さっさと片付けてしまいましょうよ。どこかの間者かもしれないですぜ。もしかしたら、この村も手を貸してるやもしれない……」

 閑散とした村を睥睨して、貞道は唇を三日月のように歪める。

 しかし頼綱は聞いていない様子で、冷酷な視線が千哉を見つめる。

「……お前、本当に何者だ」

「答えると思っているか」

 千哉は首にかませている左手を握りしめて鼻で笑った。

「お前たちのような人間に捕まるわけにはいかない」

 自分は生きなければならない。故郷が、家族が、友が待ってくれている。あの、太陽のように輝く愛らしい笑顔を拝まずに死んでなるものか。

 ――千鶴。俺は生きて帰るぞ。

 不敵な笑みを浮かべると、背後から貞道の忌々しそうな舌打ちが聞こえた。

「負け惜しみを」

 言っているがいい。

 千哉は大きく息を吸って、獣のように腹の底から唸った。途端に左腕の筋肉が膨れ上がり、太い血管が肌に浮き、こめかみに青筋を立ててこれでもかと目を剥く。鎖と首の隙間は徐々に広がり、鎖が悲鳴を上げた。

「な……」

 頼綱と貞道の気色ばむ様子が手に取るようにわかる。千哉は鼻息を荒くし、目を血走らして狂ったように笑った。その異常さはまさしく鬼神であった。

「フ、フフフ、フハッ!」

「ふざけんなよッ!!」

 貞道の絶叫が聞こえた瞬間、千哉を拘束していた鎖は音を立てて砕けた。ばらばらになった鎖は地面に落ちていき、千哉はその中心で雄々しく二本の足で立っていた。

「――ヤロウ、ぶっ殺してやる!!」

 貞道の怒鳴り声が響く。

 彼は腰の後ろに手を回した。出てきたのはまたもや鎌だ。刃の部分が半円を描くように曲がった鎌――月鎌と呼ばれるものだ。

「オラァッ!」

 貞道は怒りに顔を真っ赤にして千哉に突撃した。しかし千哉は振り返りもしない。振り下ろされる鎌を見もせずに彼は躱した。

「あぁっ!?」

 驚愕に目を見張る貞道。その隣で千哉は腰に差したままの鞘を抜いて、振りかぶった。繰り出した一撃は、貞道の鼻面に見事必中した。

「ぶはっ!!」

 汚い悲鳴を上げて貞道は宙を舞った。地面に二、三度叩きつけられた彼は鼻血を垂らして首だけをこちらに向けた。

「ぶ……ぶっ、ころ……す……」

 うわ言を呟いたまま、身体を震わせる。精神は強靭なようでまだ意識があるようだ。気持ち悪いからさっさと気絶してほしい。

 千哉は小さくため息をいて、落ちている刀を回収した。

「…………」

 稔も千雪も、そして頼綱も茫然としてこちらを見つめていた。そんな視線を意にも介さず、千哉は頼綱を睨みつけた。

「次はお前か?」

 頼綱は地面で悶える貞道を一瞥し、瞼を閉じて開いた。彼は眉間にしわを寄せて何かを呟く。

「そうか。やはりお前は……」

 頼綱から漂う空気が変わった。

 冷たく研ぎ澄まされた刃のような雰囲気を纏う彼に、千哉は目を細めた。

「貴様は危険だ、ここで処理する」

 頼綱は腰帯から鞘ごと刀を抜いた。

 その理由はわからない。それを考えるよりも先に違う疑問が浮かんだ。

 ――なんだ、あの刀は。

 頼綱の刀は奇妙だった。

 刀は定寸より少し長く、刀身は細い。柄と鞘の鍔元はしっかりと柄巻がされているが、他は樫の木が剥き出しで、漆すら塗られていなかった。元々鍔がある場所には、申し訳ない程度に小さな突起がある。あれが鍔の役割をしているのだろうか。

 気づくと、頼綱は千哉から数歩離れた場所で止まった。

「兵は拙速を尊ぶ、と言う」

 頼綱は右半身を前に、腰を落とし、左手は鞘の鯉口に添えられ、右手は柄を柔らかく握った。

 千哉はその構えに瞠目した。

「何事も速さは重要だ。如何に素早く、確実に、相手を仕留めることができるか。……そう思わないか」

 張りつめた空気と頼綱の威圧的な眼光に、千哉は息を呑んだ。

「安心しろ、痛みは感じさせない。一瞬で楽にしてやる」

 その瞬間、光が走った。

 閃く光線が二筋。千哉が目にしたのはそれだけで、まったく動けなかった。

「……すまないな、手加減が出来ず」

 気がつくと、頼綱は納刀を開始していた。

 カチリとはばきが鳴る。

 赤い液体が飛び散った。肩と脇腹。両方から噴き上がる鮮血。

 声も上げられず、千哉は地面に倒れた。

 意識が途切れるとき、頼綱の呟きが微かに聞こえた。

「所詮『鬼』も、この程度か」




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