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桃の色香 続章  作者:
第二章 皆元編
24/52

七、千哉、同族を訪ねる。



「……遅いな、千哉」

 雨の降る庭を眺めながら桃太郎は呟いた。

 今日は昼頃から雨が降ってきた。それは日が暮れてもまず、縁側を濡らしている。

 桃太郎は、杯を片手に自室から庭を眺めていた。その瞳は寂しげに輝いている。

「失礼します、若」

 すると忠治が部屋へ入ってきた。桃太郎は振り返り訊ねる。

「千哉は見つかったか?」

「申し訳ございません、何の情報も得られず」

「……そうか」

 桃太郎は軽く息をき、杯を呷った。かなり酒を飲んでいるが一向に酔わない。転がった瓶子が一つ。今は二つ目だ。それを見た忠治が顔をしかめる。

「若、あまり飲まれては体に障ります。ご自重願います」

「忠治も飲むか?」

「え、私は……」

 目を逸らす彼に桃太郎は笑った。

「酒弱いもんな、おまえ」

 忠治は酒が入るとすぐにぶっ倒れる。

「すみません……五右衛門を呼んで来ましょうか」

「いや、今日は一人で飲むさ」

 うなだれる彼を見て桃太郎は笑う。しかしその笑みはすぐに消え、桃太郎は乱暴に杯を揺らした。

「約束放り出してどこ行ったんだよ、あいつ……」

 今日は鬼柳の今後について話すつもりだった。しかし話を聞く前に、彼は何処いずこへと消えた。突然、深刻そうな顔をしていなくなったのだ。何も言わずに。

 それから千哉の姿を見ていない。待ち合わせの茶屋でずっと待っていたが、一向に帰って来なかった。当然一緒にいた秋那は一番取り乱した。彼女を落ち着かせてから、桃太郎たちは城下を探した。だが千哉は見つからない。彼がいなくなったことは、既に鬼柳の鬼全員に伝わっている。今も国中探し回っているだろう。

 桃太郎は忠治へ目を戻した。

「千鶴はどうしてる?」

「彼女は美羽と共に。今日は泊まっていくと聞かないらしくて……」

「いいんじゃねーか、泊まらせてやれ」

「はい」

 忠治が硬い表情のまま頷いた。そんな顔つきを見て、桃太郎は首を傾げる。

「どうした?」

「いえ、なんでもありません」

 忠治は慌てて首を振って部屋を出て行った。

 桃太郎はしばしふすまを眺めていたが、不意に杯を見つめる。注がれた酒に映る己はなんとも情けない顔をしていた。

「はぁ……」

 ごつりと障子窓のへりに頭をぶつけて、桃太郎は呟いた。

「やっぱり、一人で飲むのは寂しいな……」

 不安は拭えなかった。



 * * *



 千哉は闇に紛れて、国を越えた。

 町を見渡せる高台で千哉は風に吹かれている。眼下にはしんと静まり返る町があった。

皆元(みなもと)、か……」

 千哉は皆元領内へ侵入した。

 皆元はこれから桃太郎たちが戦をしようとしている相手だ。千哉にとっても敵国になるだろう国である。加えて千哉の独断だ。里の鬼にも、もちろん桃太郎たちにも言伝はしないない。

 桃太郎はさぞや怒っているだろう。彼は優しいから。

 それを想像すると思わず笑みが零れた。

「桃太郎、心配をかける……」

 千哉は弁解をするように呟く。勝手に行動することへの罪悪感はあった。

「だが、俺にはやるべきことがあるのだ」

 この目で確かめなくてはならない。同族の存在と現状を。

「……すまない」

 脳裏に浮かぶのは愛しい者の姿。

「千鶴、俺は愚かな兄だ」

 彼女も心配しているだろうか。そうだと非常に嬉しい。

 千哉はぐっと顔を上げ、地を蹴った。

 皆元領へ踏み込んだのだった。


 ***


 東の空が明るくなる頃には、千哉は皆元領の中心までやってきた。さすがに城下町を堂々と歩くわけにはいかない。一ヵ月前の海賊騒動が原因で、恐らく千哉の顔は皆元の幹部に割れているだろう。名前は覚えてないが、とにかく目立つ行動は控えるべきだ。

 千哉は路地裏で一度休憩を入れた。

 突然飛び出してきたものだから旅支度はしていない。途中川で汲んだ水を飲み、喉の渇きを潤して大通りを眺めた。

「……」

 別段変わった様子はない。

 皆元の城下も一色のそれと同じように活気に満ちている。規模はケタ違いだ。こちらのほうが賑やかで騒がしかった。

 皆元の領民も主君を信頼している様子で、皆元は暴君ではないようだ。

 だが、それは表向きかもしれない。

 昨日出会った、鬼――茨城稔は領主の皆元隆光に憎悪を滾らせていた。彼が鬼だということもあるだろうが、不満を持つ者は必ずやいるだろう。

 いや、今はそんなことを考えている場合ではない。

 千哉はこれからどうするか迷った。正直言って鬼酒の里がどこにあるかわからない。皆元領は広い。人間が踏み込んでいない未開の地も多くあるだろう。それをしらみつぶしに探していては時間を食ってしまう。

 運良く鬼と思わしき人物に会えればと思い、城下まで来たがそう簡単にはいかないようだった。

「まさか。こんなに早く来ていただけるとは思ってもいませんでした」

 声に千哉は驚く。声は頭上からだ。仰ぎ見ると、屋根の上に人がいた。いや、人ではない。

「……稔か?」

「はい。昨日ぶりですね、千哉さん」

 茨城稔はひょいっと屋根から飛び降り、着地する。彼は昨日と同じような格好で、にこにこと笑顔をしている。そんな彼に千哉は身構えてしまった。

「そんな恐い顔しないでくださいよ。……昨日は失礼しました。感情が高ぶってしまい、ついあのようなことを……」

 稔は己の言動に悔いているのか、地面を向いて口にする。

「ですが、あなたが来てくれたことはすごく感謝しています」

 しかしすぐに顔を上げて笑顔を振りまく。

 千哉は平静を保って口に開いた。

「……俺も同族は気になる。お前と出会えたのは奇跡に近いのだからな。一族以外の鬼とも会ってみたい」

「そうですか。……ではご案内しますね」

 稔はゆっくりとお辞儀した。


 鬼酒(きさか)の里は皆元領の外れにあった。城下からおよそ六里、北東へ上ったところか。千哉は稔に導かれ、鬱蒼とした森の中を歩く。

「元々ここは皆元の領土ではありませんでした」

 稔が口を開いた。

「その頃は人間にも見つからず、我ら鬼酒は鬼の掟に従い、ひっそりと暮らしていました」

 ――皆元が攻めて来るまでは。

 最後に付け加えられた言葉は、ひどく冷めていた。

 それ以降、稔は口を開かなかった。千哉も黙ったまま彼の後を追う。

 二人は黙々と森を歩き、開けた空間へ出た。

 日差しが目に当たり、千哉は目を細める。

「千哉さん。ここが鬼酒です」

 口の端を上げて笑う稔は、前方を指した。

 そこには田畑が広がり、民家が立ち並ぶ。閑散とした空気は鬼柳の里と変わりない。決定的に異なるのは規模で、鬼柳よりも鬼酒は大きかった。

「ここが……鬼酒の里」

 千哉は言葉にできないほどの感激を受けた。

 ここにはたくさんの『鬼』が、鬼柳一族以外の同族がいる。

 千哉は目頭が熱くなった。

「千哉さん、行きましょうか」

「あぁ」

 千哉の声は震えていた。

「……あの屋敷は誰の者だ?」

 千哉は目を拭い、一つの館を指差した。それは遠目でもわかるように、里で一番に大きいものだ。千哉には予想がついていたが、訊ねてみた。

「あれは鬼酒様の屋敷です」

「やはり。鬼酒の頭領と挨拶がしたい。稔、面通しできるか?」

「できません」

 稔は即答し、表情を歪めさせた。千哉は嫌な胸騒ぎがした。

「何かあったのか?」

「ええ、いろいろと……」

 稔の表情が険しく、悲しみを帯びていった。

「稔!」

 そのとき誰かが彼を呼んだ。振り向けば、三十歳前後の男が駆けてくる。温厚な表情をしているが、少し頼りない印象を与えた。

 その男に稔が口を開く。

「……兄さん」

「兄上か?」

 千哉はこちらに寄る男を観察する。視線に気づいた彼は会釈を返した。男の表情は少々、強張っていた。それから稔に尋ねる。

「この方は?」

「鬼柳千哉さん。『鬼』だよ」

「お、鬼……?」

 素っ気なく答える稔に、稔の兄は目を見張った。当然だ。外から来た鬼など彼も見たことないだろう。

「俺は一色に住む鬼。鬼柳一族の頭領だ」

「真にございますか」

「証拠を見せようか?」

 答えると、稔の兄はまじまじとこちらを見つめてやがて首を振った。

「いや。……貴殿は鬼なのですね」

 嬉しさと安堵が混じった声音だった。

 千哉は名乗った。

「鬼柳千哉だ」

「私は、鬼酒千雪(かずゆき)と申します」

「鬼酒?」

 引っかかった。さきほど稔は彼――千雪を兄と呼んだ。しかし名字が異なる。思案顔の千哉に気づいた千雪は柔和な笑みを浮かべた。

「ああ、私は鬼酒様へ婿入りいたしまして」

「なるほど……」

 千哉は納得し、そして閃いた。

「ならばあなたが鬼酒の頭領でよろしいか?」

「……っ」

 そう尋ねると千雪は硬直し、真っ青な顔をして立ち尽くした。稔と同じような反応に、千哉は顎に手を当てて考えた。

「と、とにかく、立ち話もなんです……屋敷へご案内します」

 千雪が震えた声でへこへこと頭を下げた。そのとき稔が口を開く。

「千哉さん、もう予想はついてるでしょう?」

 振り返ると、彼以外にも鬼がたくさんいた。屈強な若い男鬼がざっと三十人。彼らは皆、武装していた。張りつめた空気だったが、千哉は感動してしまった。鬼はまだ存在していると。

「皆……」

 千雪はおどおどと頼りなく目を泳がせる。

 鬼酒の鬼たちは、千哉をじろじろと睨むように見つめた。一同は同じ表情をしている。主に憎悪の感情が顕れていた。

「鬼酒は終わっていますよ、とっくの昔にね」

 稔が吐き捨てるように呟く。その表情は昨日と同じ、憎しみや恨みといった負の感情が混じり合った表情だ。

「現鬼酒一族の頭領はここにはいません」

「どういうことだ、千雪が頭領ではないのか?」

「兄さんはただの婚約者です、祝言もあげていません」

「……婚約者」

 おうむ返しに呟くと、稔は自虐的に笑う。

「我ら鬼酒の頭領、鬼酒千早(ちはや)は皆元の人質となり、城で軟禁されています」

「なんだと!?」

 千哉は雷でも打たれたかような衝撃を受ける。稔はこちらの様子など気にせず続けた。

「言ったはずです。鬼酒は皆元の傀儡……我々は虐げられていると」

 奥歯を噛みしめる稔。

「……ぼくは嬉しかったです」

 稔は言う。

「あなたに会えて、鬼はまだこの世にいることがわかった。我々だけではないことを知った。だけどあなたも、人間に仕える愚者だ」

「それは違う。俺とあいつはただの友人だ」

「人間と付き合って頭がおかしくなりましたか? 人間と我ら鬼は決して相容れない。人間と関わりなく平穏に生きたいだけだ。なのに人間どもはそれを踏みにじり、嘲笑う!」

「稔……」

「それぐらいのこと、あなたにもわかるでしょう」

 彼の苦痛の叫びに千哉は唇を噛む。

 これでは昨日と同じだ。

 千哉は他家の鬼の存在を知りたくてここまで来た。そして鬼酒の現状を知りたかった。しかしそれは確認するまでもなく最悪だった。

「千哉さん、提案があるんですよ。聞いていただけますか?」

 稔は凍り切った笑みを浮かべる。どちらにしろ千哉に選択肢はない。彼は鬼酒の鬼たちに囲まれていた。千哉は目だけで続きを促した。

「手を組みませんか」

「なに?」

 稔は己の両手を合わせる。

「我らで皆元を討ち、『鬼』の国を創るのです!」

「なっ!」

「鬼だけの国ですよ? 人間が決して干渉できない、無敵の国を創りましょう!」

「馬鹿を言うなっ!」

 千哉は間髪容れずに叫んだ。

「そんなことをしては人間と同じだ! 己の欲のために戦うなどあってはならない! 稔、お前たちは人間と同格でいいのか!」

 稔は一瞬無表情になったが、口を三日月に吊り上げた。

「自由のためならなんだってやりますよ。……戦は既に始まっています。千早様を略奪されたときから」

「そうだ、俺たちは戦うぞ!」

「「オオオ――ッ!!」」

 鬼の一人が宣言すると、他の連中も声を上げる。

 千哉は彼らの空気に戦慄した。

 ――無謀だ!

 相手は東国を治める大国。強大な力があるから国を治めているのだ。ほとんどの大名は敵わないと理解しているから追従するのだろう。

 数千、いや数万の大軍を相手に勝てるはずがないのだ。

「千雪!」

 千哉は彼を呼んだ。空気に飲まれていた千雪はビクッと肩を震わせる。

「今はお前が頭領だろ! なぜ止めない!?」

 必死の形相でそう怒鳴るが、千雪には届かなかった。

「千哉殿。確かに貴殿の言う通り、馬鹿な計画なのかもしれない」

 彼は穏やかな表情で笑った。

「だが、私たちの気持ちは変わらない。皆はもう我慢できないのです」

 なぜ笑っていられるのだ?

 疑問に思ったが口に出ない。あまりにも千雪が冷静だったからだ。

「……愚かだ!」

 千哉が口にできたのはそれだけだった。

「千雪さん!」

 そのとき、男鬼が一人転がりこんできた。

「どうした?」

 千雪が尋ねると鬼は焦ったように里の入り口を指差す。

「人間がいるっ、渡邊っていういつもの奴だ!」

「そうか、私が挨拶に行こう。皆、散開!」

 千雪が告げると鬼たちは散り散りに家屋へ引っ込む。千雪はそれを見届け、里の玄関へと向かった。すると稔は千雪に近寄る。

「兄さん、ぼくも行くよ」

「稔は屋敷にいなさい」

「だけど……」

「皆元の侍か?」

 それに千哉が口を挟んだ。

「顔を見てみたい」

「千哉殿?」

 その発言に千雪は目を丸くする。

一月ひとつき前に俺は皆元の侍に会っている。少し見ておきたい」

「えっ。しかし千哉殿、捕まれば何をされるかわかりませんよ」

「そのときは逃げ切って見せる」

 言い切るこちらを千雪は呆然と見つめる。そのとき馬の蹄の音がした。

「出迎えも無しか。失礼な村長むらおさだな、まったく」

 三人して顔を向けると、馬にまたがった二人の男がいた。

 一人は羽織袴をきちんと着て、顎髭を生やしてがっちりとした体格の男。

 もう一人は、痩せ型のひょろ長い背丈の男。蛇のような目をしてこちらを睥睨している。

「……」

 この二人が皆元の侍。

 渡邊頼綱と碓氷貞道だ。




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