六、鬼柳千哉は出会った。
ある日千哉は一色城下へ顔を出した。目的は先日の村での一件を桃太郎と話し合うため。そして、そのとき桃太郎から依頼された話をきちんと問うために。
「よう千哉。久しぶり」
待ち合わせの茶屋で桃太郎は笑顔でいた。店先の緋毛氈が敷かれた縁台に彼は座っている。
千哉は彼を見つけ、そして驚愕した。
桃太郎がそこにいるのはいい。だがその右隣にいる人物が問題だ。千哉は頭を抱えた。
「どうして千鶴がここにいるのだ?」
そう、桃太郎の隣には千鶴がいた。しかし彼女は平然と言う。
「今日は出かけると申しました」
「それは聞いたが、どこに行くとは聞いておらん」
「そこまで言うことはないと思いまして」
淡々とした口調の千鶴に眩暈がした。これが反抗期か……。
千哉は堪えきれず千鶴から視線を外すと、見知った顔がもう二つ。桃太郎の家臣である雉野美羽と、鬼柳一族の秋那だった。彼女たちはそれぞれ桃太郎と千鶴の背後に立っている。
「雉野はともかく、なぜ秋那まで……?」
「じ、自分はっ、千鶴様の護衛でして……」
なぜか目を泳がせて答える秋那。しかし今の千哉にとってはどうでもよかった。彼は再び桃太郎に目を戻した。
「もう一つ聞くが。どうして城内で話さない? 一々出てくるのは面倒だろ?」
「今は忙しいからな。親父たちの邪魔しちゃあ悪い」
その忙しいときに若君が出払っていいのか?
千哉は首を捻り、眉根を寄せた。こちらの表情を受け取った桃太郎だが、いけしゃあしゃあと言いのけた。
「そっちは忠治に任せてるからいいんだよ」
「そんなことだから後ろ指を指されるのだ」
しかし桃太郎は意に介さず、からからと笑う。団子を片手に彼は言った。
「今、オレに大切なのは千哉との約束だからな」
輝くような笑顔の桃太郎に何も言い返すことができない。千哉は嘆息した。
「能天気なものだな……」
それだけ呟き、空を見上げる。空には灰色の雲が出てきていた。
「降ってきそうですね」
美羽も空を見上げる。
「さっさと済ませようか」
桃太郎は団子を口に放り込み、店の中に入る。千鶴も立ち上がってひょこひょこと彼について行った。
それを見て千哉は深くため息を吐き、ふと往来を見つめた。
視界に入ったのは旅人風情の人間だった。笠を目深に被り、黒い合羽を着ている。湿気の多い季節に暑苦しい格好をしている。
「……」
千哉は不思議とその合羽に目を向けていた。だんだんと近づく合羽はこちらに気づいたのか、軽く笠に触れる。笠で顔は見えなかった。
「…………」
「…………」
二人が交差したそのとき、合羽は千哉へ目を上げた。
千哉は驚き、息を飲む。見上げるそいつの瞳は暗い藍色。しかしそれは瞬く間に、鮮やかな金色へと変化した。
「な……!?」
思わず声を上げて後ずさった。
「どしたぁ? 千哉」
桃太郎の声に千哉は我に返ったそのときには、合羽の姿はなかった。
「……」
見間違うはずもない。
今、確実に瞳の色が変わった。暗い藍色から鮮やかな金色へ。
――まさか……!
千哉の胸が高鳴る。
これには確証がない。しかし今の千哉には不審さよりも感動が大きかった。
「桃太郎、少し外すぞ」
「えっ?」
千哉は振り返りもせず、雑踏へ歩を進める。
「おい、千哉!」
「お兄様っ!」
桃太郎の制止の声は聞こえない。しかし千鶴の声に後ろ髪を引かれる思いだが、 それでも千哉は前へ進んだ。
* * *
見つけた。
千哉はあっという間に合羽の姿を視界に捉えた。千哉は早足でそいつを追いかけた。
恐らく奴は『鬼』だ。
瞳の色が変化する人間などいないだろう。そして金色の瞳は鬼である証だ。
千哉は鬼柳一族の鬼を一人一人把握している。今尾行しているそいつは鬼柳にはいない鬼だ。
ならば、奴はどこから来たのか。
一色領外から来た同族ということになるのだろうか。
疑問は溢れていき、脚は徐々に速くなった。
――初めて会う他家の鬼だ。
興奮を抑えきれない。千哉はこの世に同族はいないと思い、諦めていた。だが、それが覆るかもしれない。
心は感動に満ちた。
すると合羽は路地へ入って行った。
感づかれたか、千哉は急いで路地へ入る。案の定奴の姿はなかった。
巻かれた。千哉は小さく舌打ちする。だがここで諦めるわけにはいかない。二度とない機会なのだ。
千哉は側にあった家屋の屋根へ跳んだ。その上で一度深呼吸をして、意識を集中させた。
鬼の力を、身体の全神経を使って、奴の気配を探る。視覚は映るものすべてを捉え、聴覚は空気の音すら拾った。
「……見つけた」
しばらくして千哉は小さく呟くと、屋根伝いに駆け出した。
***
そこは城下から東へ向かった丘。背後を振り返れば、眼下には一色の城下町が広がっていた。前方へ目を向けると道が続き、その先には峠がある。峠を越えれば隣国との国境となっている。現在、皆元と緊張状態が続く一色は国境に兵を出していると、桃太郎に聞いている。
ここであの合羽の気配は止まった。
千哉は腰の刀に手を置き、丘を見渡した。
雲行きが怪しくなっているためか、あたりは少し暗い。
近くにいるのはわかっている。だが相手も腕が立つようで、うまく察知できなかった。
千哉は眉間にしわを寄せ、無自覚にも瞳を金色に輝かせた。
「やはり、あなたは人ではない」
「誰だ?」
声は右から。千哉は睨むように振り返った。
「ぼくの気配を追ってきたのでしょうが、そんなことが人間にできるはずがない」
木の陰から声は聞こえた。
「出てこい。お前は何者だ?」
「何者? 聞かなくてもわかるでしょうに」
そいつは木陰から現れる。変わらず黒い合羽に笠を被っていた。体格も顔もまったくわからないが、声からして男だろう。
千哉はじっとそいつを観察し、呟く。
「……俺は、確かめたいだけだ」
「ええ。ぼくも確認したいです。あなたが何者か」
男は笠の結び目を緩くした。千哉も刀の鯉口を切る。
急に風が吹き出した。
風は周囲のものを揺らし始める。その中を両者は動じず、互いを見据えていた。
「――ッ!!」
途端に、二人は手を動かした。
千哉は抜刀し、男は笠を投げ捨てた。
その瞬間、時が止まったような感覚を感じる。
目に映る光景が変わった。
まばゆい光が千哉と男を包み、世界が真っ白に染まる。目の前にはふわふわと浮かぶ小さな玉。赤や黄、橙などの鮮やかな色の炎。『鬼火』と呼ばれる火の玉。これは鬼にしか見えないものだ。
そして千哉は本来の鬼の姿に変化していた。燃えるような赤髪。金色の瞳。額には二対の角が。
千哉は己の姿に驚き、相手を見つめた。
「やはり、あなたは鬼なのですね」
青年は目尻に涙を浮かべる。彼は千哉と少し違い、濃い青色の髪。額の角は二本しかなかった。
「鬼……なのか……」
千哉はぼんやりと呟く。
青年は深く頷く。
「ぼくは鬼です。鬼酒一族の茨城稔と申します」
「茨城……鬼酒……」
聞いたことのある名だ。特に鬼酒は鬼柳一族代々の書物に載っていた。数百年前まで交流があった鬼の名だ。千哉は感動のあまり青年を見つめていた。
「……あなたのお名前は?」
青年――稔の問いに千哉は我に返った。毅然とした表情をして名乗る。
「我は鬼柳一族が頭領、鬼柳千哉」
「鬼柳一族、ですか……」
稔は咀嚼するように呟く。
やがて鬼火は消える。輝かしい空間は閉じ、元の丘へと戻った。千哉の姿も同じように元に戻っていった。
『鬼火』の残り火が掌の上で散った。
千哉は厚い雲に覆われた空を見上げる。
「今のは“共鳴”か?」
「ええ、恐らく。ぼくも初めて見ました」
今の現象は、書物で読んだことがあった。
鬼と鬼が互いを認識し、理解したときに発生する現象だ。相手が味方だと確認するときにも使うそうだ。
しかし、今はそんなことを考えている場合ではない。
目の前には、同族である『鬼』がいるのだ。
千哉は胸の中がじんわりと熱くなった。右手にぶら下げたままの刀を鞘に収め、尋ねる。
「……稔と言ったな。お前はどこの生まれだ?」
震える声を抑えたが、それでも震えていた。
すると稔は目を逸らして答える。
「東です」
「東か……鬼酒家にはどれくらいの鬼がいるのだ? 鬼柳は百もいない」
「千哉さん、落ち着いてださい」
「あ、すまない」
いつの間にか稔へと詰め寄っており、彼は眉尻を下げてこちらを見上げていた。稔は苦笑して口を開く。
「ぼくも一族以外の鬼と出会えて嬉しいです。……ですが、ぼくには感動をする余裕はありません」
「どういうことだ?」
訊くと、稔の表情が翳った。
「……そう言えば、千哉さんはさきほど待ち合わせをしていたようで」
「そうだが?」
稔は冷めた視線をこちらにぶつける。さきほどの穏やかな表情はどこへいったのか。千哉が頷くと、彼の顔が歪んだ。
「あれは凡庸な人間ですよね?」
棘がある言い方だったが、鬼にとって人はすべてが凡庸だ。千哉は気にせず頷いた。
「あいつは俺の友人だ。名は――」
「友人? あなたは何をおっしゃっているのですか」
稔の表情はより険しくなり、怒鳴った。
「人間など私欲で動く獣だ! あんたはそれと友人!? ハハッ、笑わせないでくださいよ」
「み、稔?」
突然の激昂に千哉は目を瞬いた。稔は顔を怒りに歪ませ、吐き捨てる。
「あんたは人間を信用しているのか。信用できると思っているのか。寝ぼけたことを……!」
憎悪に震える声。稔の口から怨嗟が吐き捨てられる。
「人間は我々鬼を見下し、蔑み、道具のようにしか扱えない!」
「稔……」
「千哉さん……あなたは何故、人間に仕えるのですか?」
彼は静かに問うた。千哉はすぐさま首を横に振った。
「違う。俺は従っているわけではない。あいつを……桃太郎を認めたのだ。だから――」
「取るに足らない人間を認める!? 我々より脆弱な種族を?」
稔はハッと嘲笑した。
「そんなのはおかしい。鬼が人間にへつらうなどあってはならない!」
――なんなのだ?
どうしてこの者はそんな言葉を言うのだ。
千哉は髪を掻きむしった。
稔がかくんと首をもたげ、生気のない瞳でこちらをぶつけた。
「あなたに、鬼の矜持はないのですか?」
侮蔑する視線に千哉はたじろいだ。
「……残念ですよ、千哉さん」
稔は千哉の答えを待たず、口を開く。
「一色とともに鬼柳も潰さなければならないなんて」
「潰す? どういうことだ!」
「そのままの意味ですよ」
怒鳴るが稔は意に介さない。冷酷めいた視線は変わらなかった。
「堕ちてしまった同族に引導を渡すのは同族の務めでしょう?」
「……」
「わからないですか? ぼくは、鬼酒は東の鬼です」
再び、東という言葉を聞いてハッとなった。
「まさか、お前たちは……」
千哉は血の気が引いた。
一色の東は、皆元という国がほとんどを侵略したと聞いている。そして今までの稔の態度と罵倒。その因果は自然と結びつく。
遠くで雷が聞こえた。
稔はハハッと愉快そうに笑う。
「ええ、そうですよ。我ら鬼酒一族は皆元隆光に――」
――虐げられている。
千哉は絶望した。
そんなこちらにも稔は冷笑を浮かべた。
「いずれ皆元も一色も、すべての人間はぼくたちが殺す!」
言った途端稔と同じような格好をした人――いや鬼たちが現れた。千哉は思わず身構える。しかし稔は笑顔のままで、笠を拾った。
「今日は帰ります。皆元に一色の様子を報告しなければならないので」
失礼します、と礼儀正しくお辞儀をして稔は木へ跳んだ。
「……」
一陣の風が木を揺らす。
その風に乗って稔の言葉が聞こえた。
――人間は滅ぶべきです。
ぽつぽつと雨が肌に当たる。やがて雨の勢いは強くなり、あっという間に千哉はずぶ濡れになった。
「……」
千哉は足元を見つめたまま動かない。
拳は握りしめられ、震えていた。
雨は音を立てて、降り続けた――。
2015年3月23日:誤字修正・加筆
2015年5月3日:誤字修正・加筆
2015年10月28日:誤字修正