三、桃太郎、鬼柳の里へ向かう。
桃太郎はすぐさま、忠治と五右衛門、そして美羽を呼び寄せて支度をした。
城下から大きな通りに出る。南北に繋ぐそれは一色領を貫く街道だ。それを北へと上っていく。
鬼柳の村は一色領の、北の山中にあるのだ。人が立ち入ることができないような所に村はある。
香織はそんな話をしながら、山を登る。
やがて、霧が濃くなった。
「お、今回もか……」
以前、鬼退治と称し、この山に踏み込んだときと同じだ。
「この霧は人を惑わします」
「惑わす?」
「はい。この霧の中では、人は方向感覚を失い、いつの間にか麓へ帰ってしまうのです」
香織は笑いながら語る。
「香織、そんなことまで教えていいの?」
秋那が文句を言った。
「いいじゃない。千哉様は承諾してるし」
「そういう問題じゃなく……」
「それに賢い乙女はモテるよ?」
「……そんなことは訊いてない」
「ならば何故、私たちは迷わなかったんだ?」
忠治が訊いた。秋那が振り返る。
「あれはおまえたちが武装していたからだ。麓へ戻してもどうせ戻って来るだろ? だから迎え撃ったのだ」
そこで言葉を切り、彼女は憎々しげに顔をしかめた。
「だが、おまえたちは包囲を破った」
「すごいだろ」
「こちらにとっては忌々しいことこの上ないが」
桃太郎が得意げに笑うと、秋那はますます顔をしかめた。前を行く香織も苦笑を漏らす。
「それにしても、こんなところに住んでよく食っていけるな」
五右衛門がきょろきょろしながら訊いた。
「もちろん田を耕すのは骨がいる。しかし人とそれなりに関わりを持つ鬼もいるのだ。その者たちが食料や人の世の情報をくれる。それに近頃は金も見つかり、里は潤っている」
「あぁ、親父が言ってた金山な」
桃太郎は父の言葉を思い出した。
あれは三月の終わり。政春から北の山で金脈が見つかったと聞いた。それがきっかけで“鬼退治”に向かい、千哉と出会ったのだ。
北の金山は政春の管理の下、鬼柳一族が金採掘を手伝っている。その役目は鬼柳の経済源にもなっているらしい。
秋那の淡々とした説明に、五右衛門は「へぇ」と唸る。
「さすがに我々だけで生きていくのは難しいです。人間を頼るのはそういうときですね」
香織は朗らかに言った。それに秋那はむっとした様子だったが。
「だったら、」
桃太郎は口を開いた。
「これからはもっと頼ったらいい。こんな山ン中で暮らすんじゃなくて、麓に下りて来ればいい。もっと人と接すればいいんじゃねーか?」
笑って告げると、香織は苦笑いを浮かべて、秋那は心底呆れたようだ。
「それが出来るのなら、とっくの昔にやっている」
「人に限らず、身内にも問題がありますからね」
「……」
桃太郎は黙ってしまった。すると、桃太郎の後ろに控えていた美羽が声を上げた。
「鬼とは気難しいのですか?」
「風習があるのだ。『鬼と人間は相容れない。人と関わる鬼は鬼ではない』。掟のようなものだ」
再び秋那が淡々と言い、ジロリと桃太郎を睨んだ。
「おまえのせいで、我らは道を違えるかもしれないのだ」
「そんなこと言われてもな……」
桃太郎は肩をすくめて己の従者を眺めた。
「一色は当主政春様、そして若が『鬼』を認めました」
すると忠治が言う。
「話は戻りますが、それは千哉殿もご承知かと」
「……ふん」
秋那は鼻を鳴らして襟巻を翻し、前を向く。彼女は心から人間を認めたくないらしい。
そんな彼女に桃太郎は息を吐いた。
「ま、おまえがなんと言おうとオレは変わらないから」
「変わらないだと? 信じられないな」
「秋那っ」
香織が叱咤する。眉間にしわを寄せる彼女に、秋那はばつが悪そうに顔を背けた。それでもその仏頂面は崩れなかった。
「……こりゃダメだな」
五右衛門が呟く。美羽も呆れた様子でため息を吐く。
桃太郎ががしがしと髪を掻いていると、忠治がささやく。
「やはり、我々を認める者は少ないようですね」
「そうだな。そのあたりも千哉と話さないとな」
「……若は、あれでよろしいのですか?」
「あ? そりゃあよくな……あぁ、あっちの話か」
忠治の聞きたいことがわかった桃太郎はふと考え込んだ。忘れていたが、もう一つ大切な話があった。
「おい、何をしている。さっさと歩け」
足を止めると秋那がこちらへ怒鳴った。秋那と香織は既に森の奥へと行ってしまっている。彼女たちの姿を見て、桃太郎は感心した。
「足速いな。……まぁ、あっちのことは考えとくわ」
「は……」
難しい顔で頷く忠治に、桃太郎はくすっと笑った。
「あっ!」
二人に追いつくと、香織が頭上を見上げた。彼女の声に桃太郎も上を見上げるが、霧が深くて何も見えない。しかし香織の瞳には何かが映っているのだろう。
「乱丸?」
同じく見上げる秋那が呟いた。
それに応えるように空から高い声が聞こえた。
「……鳥?」
すると、霧を裂いて羽ばたく影が飛来した。
「やっぱり乱丸だ!」
香織は嬉しそうな声を上げてその鳥に近づく。鳥は降り立ち、器用に香織の肩に止まった。香織の顔より大きい、その鳥は甘えた声で鳴く。それを見届けた秋那は、ばっと霧の奥に振り返った。
桃太郎が不思議で首を傾げたそのとき。
「本当に桃太郎か?」
「……千哉?」
霧の奥で聞こえた声は間違えなく彼だった。すると香織の肩に止まっていた鳥が声の方へ飛ぶ。
そして千哉は霧から現れた。
短い黒髪。鋭い目つき。引き締まった肉体をしており、それは着物の上からでもわかる。鬼柳一族が頭領鬼柳千哉。一色に住む鬼の頭領だ。
「良い子だ、乱丸」
千哉は鳥に優しく笑った。
「鷹か? それ?」
くすんだ白い羽毛をぶるっと震わせ、鷹は桃太郎のほうを見つめる。
「ああ」
千哉は頷き、右腕に止まる鷹の首元を撫でる。鷹は嬉しそうに目を細めた。
「乱丸がお前たちのことを教えてくれた」
「……そうか」
乱丸というのは鷹の名前だろう。教えてくれた、という不思議な文言だったが、桃太郎は千哉が迎えに来てくれたことを嬉しく思った。
「おまえが出迎えてくれるなんて思わなかった。素直に嬉しい」
「俺も、まさかお前たちがここに来ているとは思わなかった」
千哉は嘆息する。視線を鷹から桃太郎、そして秋那と香織を一瞥した。冷めた視線に、二人はビクッと肩を震わせる。
「それで。なんの用だ? 桃太郎」
「観光と見舞い」
「見舞いだと?」
笑って答えると、千哉はピクリと眉を動かせた。すると鷹が逃げるように千哉の右腕から飛び立った。
「……あ」
不穏な空気を感じ取ったのは動物だけでない。
桃太郎は自分の発言を反芻した。これは不味いのではないのだろうか? 怪我はしたくない。身体は大事にしなくては。桃太郎はすぐさま弁解を開始した。
「い、いやほら! 今日は会う約束してたろ。だから来たんだって。千鶴の見舞いは、その……ついで! そう、ついでだ! 別に千鶴が心配で来たんじゃ……」
「貴様は千鶴が心配ではないのかぁ!?」
「もうわかんねーよっ!!」
泣き叫んだところで、桃太郎の意識は途切れた。
* * *
――千鶴。
その声に、千鶴は布団から飛び起きた。
ふすまの向こうには細身で長身の影がある。それをまじまじと見つめて、千鶴は目を剥いて硬直した。すると柔らかい声が再び外から聞こえた。
「入っていいか?」
「……え、あ、はいっ!」
千鶴は素早く帯を締め直して乱れた襟元を正す。
桃太郎が来てくれた。
具合が悪いことを知って駆けつけてくれた。
すごく嬉しい。嬉しすぎて心臓が壊れそうだった。
――でも……。
どうして彼が鬼柳の里にいるのだろうか。
ここは千鶴の部屋で、鬼柳家の屋敷だ。桃太郎は里に訪れたことはないはずだ。初めて会ったときは里の入り口の一つである草原だった。
大方、熱にあてられて夢でも見ているのだろう。
「千鶴? 大丈夫か?」
「ひゃっ。だ、大丈夫です」
考えていると目の前に桃太郎の顔が現れた。
千鶴はびっくりして後ずさる。眼前には彼の整った顔。桃太郎が不思議そうな表情をしてこちらを見つめている。彼の頬には青い痣があったが、千鶴は気がつかなかった。
千鶴はびっくりして後ずさる。
どちらかが動けば、肌が触れ合いそうな距離。自然と頬が熱くなった。目線が徐々に、彼の口元に移ってしまう。
「熱、大丈夫か?」
「は、はい……」
その唇から落とされる言葉。千鶴の心臓がトクンと鳴った。
夢でもいい。
これほど胸が熱くなることなんてない。彼がここにいるだけで幸せだ。
桃太郎は心配そうに眉を下げた。こちらの顔色を、彼は違う意味で受け取ったみたいだ。
ゆっくりと上がる彼の右腕。腕は千鶴の額に触れた。
(――えっ!?)
千鶴の顔はますます赤くなって、頭が沸騰しそうだった。
桃太郎はすまなそうに呟いた。
「やっぱりまだ……」
「この変質者がッ!!」
「どふぅっ!!」
「きゃあっ!!」
そのとき赤い襟巻が翻り、桃太郎の側頭部に絶妙な蹴りが入れられた。彼は部屋の隅まで転がって、ひっくり返った。
千鶴が恐る恐る見上げるとそこには険しい表情をした秋那がいた。
「あ、秋那さん……?」
呆けた状態で彼女の名前を呼ぶと、秋那は慌てた様子でこちらに駆け寄る。
「ご無事ですか!? 千鶴様!」
「へ?」
「マジ痛い。もう勘弁しろよ……」
呻き声を上げる桃太郎を秋那はキッと睨みつける。
「千哉様の分は同情するが……今のは自業自得だ!」
「あ、秋那さん、落ち着いて……」
「お下がりください! この獣は私が始末します」
怒鳴り散らす秋那を千鶴は止めることはできない。
それから、一つ悟った。
――夢じゃない、絶対。
「病人の前で何をやっているのですか!」
五右衛門と美羽がやって来て、なんとか事はおさまった。
美羽は千鶴に謝罪して桃太郎を睨んだ。
「これ以上無闇にお怪我をなさらないでください! ……千哉さんのは仕方ありませんが、今のはあなたが悪いのでしょう?」
「そう怒るなよ、美羽」
「私も怒りたくて怒っていません! これでは代々の領主様に示しがつきません……」
嘆く美羽に桃太郎は肩をすくめた。それから隣にいる五右衛門にささやく。
「……今日は一段とカリカリしてんな」
「そうですね」
「どうしてだよ?」
「さぁ、おれにもわかりません」
「ほんとか、サル?」
「嘘吐いてませんから」
五右衛門は含み笑いを浮かべて首を振った。そんな彼を半目で睨むが、五右衛門は明後日の方向を向いて口笛を吹いた。
「はぁ……」
どうでもよくなった桃太郎はため息を吐いた。
「それよりも忠治は?」
まだ何か文句を言っている美羽に訊ねる。すると彼女は口を閉ざし、首を傾げた。五右衛門も同じような仕草をする。
「香織もいない」
千鶴を庇うように座る秋那も呟く。
桃太郎はふむと頷き、ふと部屋から顔を出す。廊下から縁側を見渡すと庭がある。鬼柳一族の頭領が住む家屋だからか、村で一番大きく、そして庭もあった。
桃太郎は庭を見渡して長い廊下に目を戻した。
「あ、いた」
桃太郎は忠治を見つけた。声に反応して五右衛門と美羽も顔を出す。すると美羽が声を上げる。
「隣にいるのは香織さん?」
「なんだと?」
その言葉に秋那も出て、桃太郎の真横に顔を出す。さきほどまで警戒心を顕わにしていたのに、ためらいがなかった。
桃太郎は薄く笑った。
肩を並べて歩く忠治と香織は親しげであった。
そんな二人を五右衛門はニヤニヤして見つめる。しかし秋那は眉をひそめて友人を見つめていた。
すると忠治が桃太郎に気づき、早足でこちらへと向かう。
「若、千鶴殿へのお見舞いは済みましたか?」
「あぁ、バッチシ」
「では早々に話を終わらせましょう、千哉殿が探しておりましたので。そして城へ戻りますよ」
「わかってるって」
淡々とした言葉に桃太郎は頷く。
「何の話をするのだ?」
振り返ると秋那は目と鼻の先にいた。そう言えばさっきから真横にいたのだ。
ぐぐっと眉根を寄せてこちらを見上げる秋那。端正な顔立ちには似合わない表情に、桃太郎はくすっと笑った。
「何が可笑しい?」
「いや、笑顔の秋那も見てみたいなって思って」
「はっ?」
目を点にした彼女を尻目に桃太郎は立ち上がった。ぐっと伸びをして今度は千鶴に振り返った。
「帰るときまた寄るから」
「はい!」
笑顔の千鶴を見て、桃太郎は頬を緩ます。
「モモ様。お供させてください!」
五右衛門が床に手をついて進言する。しかし桃太郎は首を振った。
「いや、千哉と二人で話し合いたい」
瞠目する彼に桃太郎は笑う。
「悪いサル。暇持て余すかもしんねーけど……まぁ、みんなと楽しくしてくれ」
「承知しました」
桃太郎は一同に軽く手を振り、部屋を出て行った。
視界の端では顔を真っ赤にした秋那がいたが、桃太郎は気がつかなかった。




