二、桃太郎、南へ出かける。
2016年3月26日:誤字、文章修正
「で、あんたの言いたいことはそれか?」
桃太郎は目を眇めて訊いた。
「そうだ」
面と向かって話をしているのは、一色家当主の一色政春。桃太郎の父親だ。城へ帰った途端、政春に呼び出されたのだった。
桃太郎は顔をしかめる。
「オレにそれをしろってか?」
「そう言っている」
政春は髭を撫でて頷く。
桃太郎は呆れたように天井を見上げた。
「何でオレがそんなことしなきゃならない」
「なんだ、乗り気じゃないのか?」
「当たり前だ。海賊の取り締まりなんて……」
政春が桃太郎を呼んだ理由はそれだった。近頃、港町で海賊が出現している。停泊する船や入港する船などを襲っているらしいのだ。
桃太郎がぼやくと政春は肩をすくめる。
「南方は治安が悪い。少し見に行ってくれないか? 浦島の頼みだ」
「いくら家臣の頼みだからってすぐ頷けるわけないだろ」
桃太郎は毒づいた。
浦島とは一色家家臣団の一つだ。長年港町を治め、一色の水軍を率いている一族である。
領地の玄関口とも言える港町を治める彼らにとって、海賊は驚異的なものなのだろう。だからと言って桃太郎は首を縦に振らない。
彼は不服そうにがしがしと頭を掻く。
「鬼退治の次は海賊退治かよ。オレは便利屋じゃないぞ」
すると政春は片眉を上げた。
「わしはそんなつもりで言ったんじゃないんだが……。それに鬼退治は自分から言い出したことだろうに」
「う……」
桃太郎は言葉に詰まった。政春は早口に言う。
「城に籠もっていたところで何もないだろ? 一色家が出張るんだ。浦島も手伝ってくれるだろう」
「……」
しかし桃太郎は頷かない。仏頂面をしたままだ。政春が笑った。
「鬼退治は、良い経験になっただろう?」
「……まぁな」
桃太郎はそっけなく答えると、政春はくつくつと笑う。
「本当に鬼がいるとは思わなんだ」
「やっぱり疑ってたのか?」
「それはそうだろう。鬼などは人間が作った物の怪だろうに」
食えない親父だと桃太郎は思った。
黙っていると政春は続ける。
「それで? 引き受けてくれるか?」
「……まあ。いずれはオレの国だからな。平和が一番だ」
そう言って桃太郎は立ち上がった。そのとき政春の口元が緩んだのを桃太郎は見逃さなかった。……本当に食えない親父だ。
敵わないな……。
桃太郎はそんな父親を眺めて、深々とため息を吐いた。
***
「政春はいつもあんな調子か」
廊下で、千哉は一色父子の話を耳にして、呟いた。
「そうっすねぇ~」
すると隣であぐらをかいて座っている猿田五右衛門が皮肉っぽく笑う。
千哉は声に反応して、彼を眺める。
「お二人は底が見えぬのです」
五右衛門はくいっと眉を上げてそう言う。
「何を考えておられるかわからない。お館様も、モモ様も」
「……まあそうかもしれぬ」
千哉は頷いた。
桃太郎は心底腹の読めぬ男だろう。
我ら『鬼』を受け入れたのだ。その時点で理解不能だ。
言葉を吟味する千哉をお構いなしに五右衛門は続けた。
「お館様は知勇に長けた方でございます。東は皆元、西に竹鳥……両国とも勢い盛ん。我ら領国は狭く、しかしかなりの豊かさを誇ります。この平和と繁栄はまさにお館様のおかげでしょう。お館様なら必ず天下を……」
五右衛門が得意げに笑うのを見て、千哉は顔をしかめた。
「言っておくが人間の戦に関与するつもりはない。もし桃太郎がそのつもりなら俺は縁を切るぞ」
「そう聞こえたのなら、申し訳ございません」
五右衛門はすまなさそうに両手を合わせるが、口は閉じない。
「だけど、お館様はそんなことを考えておりません。もちろん、モモ様もです」
「なに……」
驚いた。
人間は力があれば使う種族だと考えていたからだ。人間は貪欲である。代々そのように教わってきた千哉は驚きを隠せなかった。
五右衛門は顎に手を当てて続ける。
「まぁ隣国とは、何代もの間、つかず離れずの関係ですから。そう簡単には壊れませんよ」
そして千哉の方を見て、ニヤリと笑った。
「人間捨てたもんじゃないでしょ?」
「…………そうだな」
いつのまにか心中が顔に出てしまったのか。千哉は顔を背けて首肯した。
そのとき、ふすまが開けられた。桃太郎と領主の政春が現れる。
出てきた桃太郎が五右衛門に言う。
「サル。忠治と美羽に伝えろ。南に行く」
「承知しました」
五右衛門は頭を下げて、廊下を走って行った。千哉がそれを見届けていると、政春が背中を突いてきた。
「なにか」
「おまえさんだな? 鬼の頭領は」
政春はこちらを見上げて、ニヤッと笑う。当然、親子だから顔が似ている。腹の立つ顔が。
「せがれの家臣になったと聞くが、おまえさんはそれでよいのか?」
どうして彼がそんなことを訊くのか気になった。千哉は質問の意図を考えて答える。
「……こいつは約束してくれた。ならば俺もそれに答えるまで。『鬼』は一度した約束は必ず守る」
そう言うと、一色親子は顔を見合わせて笑った。
「何がおかしいんだ!」
怒鳴ると桃太郎が言った。
「いや、おまえがそこまで言うなんて思わなかったからさ。意外と熱いんだな、千哉」
「せがれにこんな奴はもったいない。面白い男だ」
政春まで肩を揺らして笑っている。
「なっ……」
千哉は羞恥に顔を赤くする。
「まあなんにせよ、おまえがオレに尽くしてくれるんなら百人力だなっ」
桃太郎はからから笑いながら千哉の肩をぽんぽんと叩く。千哉はそれをすぐさま払いのけた。
「そこまでは言ってない! さっき猿田に言ったが人間の戦に手を貸すつもりはないからな!」
「ああ、それでいいぜ」
「……は?」
あっさりとこちらの意見を飲む桃太郎に千哉は目を疑った。
「鬼の力借りてまで戦に勝つつもりねーよ」
桃太郎は不敵に笑った。
「……」
目を丸くする千哉から桃太郎は目を離し、廊下の奥を見やった。
「お、美羽じゃないか」
「若様」
現れたのは美羽。そして彼女の後ろにいるのは千鶴だった。
「政春様。こんにちは」
千鶴は丁寧にお辞儀をする。美羽も深々と頭を下げた。すると政春は柔和な笑みを浮かべた。
「おう。雉野に……千鶴殿であったな。今日も二人は可憐でお美しい」
「あ、ありがとうございます」
政春の挨拶に千鶴は愛想笑いを返した。美羽も同じような笑みを浮かべていた。そして、千哉は政春に睨みを利かせた。
政春はその視線に気づかず、満足したように桃太郎を目にやった。
「さっきの話、頼んだぞ。桃太郎」
そう言って、政春は場を後にした。
「……子が子なら、親も親だな」
政春の後ろ姿を睨みつけながら、千哉は忌々しそうに吐き捨てた。千鶴の隣でも、美羽が疲れたようにため息を吐いていた。
「どうかしたか? 千哉」
桃太郎が首を傾げて彼に訊く。
「似た者同士と思っただけだ」
「なに怒ってんだよ」
不機嫌そうに言うこちらに桃太郎が肩をすくめた。
「あの」
すると千鶴が桃太郎を尋ねた。
「港町へ行くとは本当ですか?」
「ああ……。そうだ」
桃太郎は思い出したように頷き、千哉を見つめた。
「おまえも一緒に来るか?」
仏頂面の彼は桃太郎を見つめ、答えようとしたとき、千鶴が声を上げた。
「わたし、行きたいです!」
「「「えっ?」」」
桃太郎、美羽、千哉、三人が同時に声を上げる。それにびっくりして千鶴は慌てた。
「え、ええ? な、なんですか?」
困った顔をする千鶴に千哉は険しい表情をして言った。
「駄目だ」
「ど、どうしてですか?」
千哉の低い声に、千鶴が怯えるように訊ねる。その表情に胸が痛んだが、千哉は大事な妹のためにぴしゃりと言う。
「危険だ、相手は海賊だぞ? 戦闘になるかもしれない。怪我をしたらどうする?」
「怪我くらいすぐに治ります」
「そういうことじゃなく、俺はお前が心配なんだ」
千哉は腕を組み、断固反対した。
「俺が許さない。お前はここで大人しくしていろ」
「……」
厳しく言及すると、千鶴は黙ってしまった。悔しそうに唇を噛む千鶴。やはり心が痛む。しかしこれも千鶴のためだ。千哉はそう己に言い聞かせた。
「おいおい、千哉」
すると桃太郎が口を挟んだ。彼は千鶴の肩に手を置く。
「頭ごなしに否定するなよ。千鶴だって、理由もなしについて行きたいわけじゃないよな?」
「え……」
桃太郎はにんまり笑って、千鶴を見つめる。それに美羽が賛同した。
「そうね。千鶴さん、理由を聞かせてくれない?」
「美羽さん」
「お前たちは……!」
千哉は眉間にしわを刻み、二人を眺めた。桃太郎が千鶴に寄り添い、言った。
「いいじゃねーか。千鶴はオレが守ってやる」
「桃太郎様っ」
「お前は……!」
千哉は振り上げそうになる拳を必死に抑え込む。
「で? 理由はなんだ?」
「あ……。そ、それは……」
千鶴は質問に戸惑い、目を泳がせる。そんな彼女を桃太郎が頭を撫でる。その光景を見て千哉は、桃太郎の手を千切ってやろうかと本気で思った。
桃太郎は爽やかに笑う。
「どんな理由だっていいさ。オレだって本当は行きたくねぇけど、国のためだからな」
「若様、言葉を選んでください」
隣で美羽がため息を吐く。しかし桃太郎は気にしていない様子。
彼の言葉に自信をもらったのか、千鶴が顔を上げた。ふっと息を吐く。決心がついたようだ。
「そ、そんなたいそうな理由ではないのですが……」
口元を手で覆い、顔を真っ赤にして言った。
「……海を見てみたいんです」