二、鬼柳の使者。
2016年7月17日:誤字修正
「せいっ!」
「くっ!」
一色政春の居城の庭で剣を交える影が二つ。
木刀がぶつかる乾いた音が響く。
庭の桃の木はすっかりと緑色の葉に包まれている。少し体を動かすと汗が流れるくらい日中の気温が高くなってきた。
影は間合いを離し、見つめ合った。片方が楽しげに笑う。
「やっぱり忠治とやりあうのはいいな!」
朗らかに言うのは一色の跡取り、一色桃太郎だ。爽やかな笑みを浮かべる彼は中々の美形で、往来を行けば必ず女性が振り向く。
そして桃太郎が見つめるのは己の家臣、犬養忠治。小柄な彼は息を整えて言う。
「若はお強いですね」
「おまえだって強いよ、忠治」
桃太郎は不敵に笑って、駆け出した。
木刀を体の左側面に構え、地面と水平にする。桃太郎は鋭い突きを繰り出した。
それに忠治は素早く対応。迫って来る木刀に自分の木刀をからませ、いなした。すぐそばに桃太郎は現れる。視線が交差した。
「さすが」
桃太郎は感嘆し、すぐさま次の行動に移す。左足を少し前へ出し、右足を回転させ、腰を捻った。刺突からの、豪快な横薙ぎ。
これには忠治も驚いたようで目を見開く。しかし彼は止まらず、その場にしゃがんだ。
「あれっ? 今のは打ち据えたはずなんだけどな……」
桃太郎は忠治の頭上でぼやく。その隙に忠治が距離を取った。彼は驚いた表情でこちらを見つめていた。
「今のは危なかった……。しかし構えも型も歪でしたね」
「文句言うなよ。つかお遊戯じゃないんだ。どうだっていいだろ、そんなこと」
桃太郎は肩に木刀を置いて忠治を見やる。肩をすくめてみせるが、忠治の口は止まらなかった。
「基本は大事です。変な癖がつかないためにも」
「へいへい、わかりましたよ」
忠治の小言に慣れているため、桃太郎は適当にあしらった。
額の汗を拭う。何度打ち合ったか覚えていないが、そろそろ疲れてきた。
「モモ様!」
すると声が掛かった。桃太郎が振り返って声の主を呼び掛けた。
「よう、サル。どうした?」
桃太郎を呼んだのは気さくな表情をした男。猿田五右衛門、彼もまた桃太郎の家臣だ。
「千哉さんの使者がやって参りましたよ」
五右衛門がそう答えると、桃太郎は思い出した。
「そういや、千哉と会う約束してたな」
千哉とは桃太郎の親友である。今回は頼みたいことがあって城へ呼び出した。しかし桃太郎はふと引っかかることがあった。
「ん? 使者ってどういうことだ?」
「おれにもわかりません」
首を捻ると五右衛門も首を横に振って、五右衛門はニヤッと笑った。
「でも、その使者。モモ様はきっと気に入りますよ」
桃太郎は五右衛門の言葉にますます首を捻った。
すると、忠治がため息交じりに言った。
「とにかく、先方を待たせるわけにはいけません。若、参りましょう」
「そうだよな」
桃太郎は腑に落ちない表情をしながら頷いた。
「ほぅ……」
五右衛門の言ったことが理解できた。
客間には同じ忍び装束を着た女性が二人、並んで座っていた。彼女らが鬼柳千哉の使者。つまり鬼柳一族の人間だ。
途端に桃太郎の表情が明るくなった。
彼に気がつくと、二人が頭を下げる。
「あなたが、桃太郎様にございますか?」
一人が口を開く。声は少し上擦っていた。
肩口で切り揃えられた栗色の髪。小顔で可愛らしい彼女は桃太郎を見て、目を輝かせた。その瞳は好奇心に満ちている。
「ああ、オレが桃太郎だ」
桃太郎はにまにましながら二人の前へ座った。それに続き、ついて来た忠治と五右衛門がふすまの前で腰を下ろした。
「人間……」
もう一人の女は固い声で呟く。
桃太郎はちらりとその女を一瞥した。
赤い襟巻をして、長い黒髪を後頭部でまとめている。美人だが厳しく目を細めており、警戒心を剥き出しで桃太郎を眺めていた。
「ちょっと、秋那」
そんな様子の襟巻の女――秋那に、栗色の髪の女が怒ったように横腹を小突く。しかし秋那は意に介さない。
桃太郎は彼女に目を向けた。
「人間を見るのは初めてか?」
「こんなに近くで見るのは初めて」
「言葉遣い」
栗色の髪の女が目を眇める。そんな彼女に桃太郎は首を振った。
「構わないさ。オレは鬼柳を家来にした覚えはない」
笑って告げると、彼女は困ったように眉を下げた。
桃太郎は話を進めた。
「秋那と……君の名前は?」
「香織と申します」
「香織と秋那か……。二人とも美人だ」
それを受けた香織は明るい表情になった。二枚目の彼にそんなことを言われれば、当然の反応だ。
すると部屋の端で、忠治が小さくため息を吐いた。五右衛門に目を向けてささやく。
「お前が言ってたのはこういうことか」
「そういうこと」
五右衛門は満足そうに笑った。
「千哉さんもモモ様のことをよくわかってらっしゃる」
「偶然だろ」
忠治は再びため息を吐き、桃太郎の言葉に耳を傾けた。
「ところで、千哉はどうした。今日はあいつと約束してたんだが」
「あ、それは……」
「……」
香織は気まずそうに目を逸らし、秋那は仏頂面を崩さなかった。
「なんだ……まさか、千哉に何かあったのか!」
「あ、いえ! そういうわけではなく……」
「……あったのは千鶴様ね」
秋那がぼそりと呟いた。桃太郎は目を剥いた。
「千鶴に!?」
「お、落ち着いてください! 秋那、結果だけ言わないでよっ」
香織は焦って首を振った。
「風邪を引いただけですから!」
「その言い方はちょっとおかしいよ、香織」
「秋那のせいでしょっ!」
「なんだ風邪か……。よかった」
言いあっている二人を余所に、桃太郎は安堵の息を吐く。そして、千哉が来ない理由がわかってしまった。
「……あいつ、千鶴のことになると何にも見えてねぇな」
「あはは……」
「……千哉様はそういうお人ですから」
桃太郎がぼやくと、彼女たちも呆れたような表情をした。
桃太郎の親友である千哉には、千鶴という妹がいる。
千哉は千鶴を溺愛している。兄として、家族として見守るのはいいが、傍から見れば、かなりの過保護だ。
「元はと言えば、おまえたちのせいではないか」
呆れていると秋那が睨んできた。
「どういうことだ?」
「やめなよ」
香織が注意するが、秋那は口を閉じなかった。厳しい表情をして桃太郎に言い放った。
「我々を人の戦に巻き込まないでいただきたい」
「おい、誰に向かって物言ってんだよ」
その苛立ちの声は五右衛門のものだ。
「あんた、モモ様がどんな思いで海賊を……」
「やめろサル」
「ですが……!」
五右衛門は食い下がる。忠治がなだめるように彼の肩に手を置いた。
桃太郎は視線を秋那に戻した。
「確かに、千哉に……千鶴まで巻き込んだ。それは反省している」
一ヶ月前。
桃太郎一行は港町へ海賊討伐に向かった。しかしその海賊は、東の隣国皆元と手を結び、そして一色家臣と共謀していた。桃太郎たちは彼らに襲撃されたのだった。
海賊は殲滅したものの、結果は芳しくない。一色家臣が謀反を起こしたことは事実であり、いよいよ皆元が本格的に一色の侵略を画策している証拠なのだ。
この海賊騒動は始まりに過ぎないのだろう。
――それはさておき。
「だけど千哉には許可をもらった。君に指図される謂れはないと思うな」
桃太郎は秋那に微笑を浮かべて言った。しかし言葉に棘があった。彼の物言いに、秋那はむっとしたようでますます眉をひそめる。
「我らは我ら。おまえたち『人間』とは違う」
彼女の言い分に桃太郎は黙り、彼女の視線を受け止めた。
――人間と違う。
その通りだ。目の前にいる二人の女性。そして千哉と千鶴。彼らは人ではない。
「やはり『人間』というのは、私たち、鬼を利用するのだな」
――彼らは『鬼』だ。
古来より、一色領には『鬼』が棲んでいると噂があった。
噂は噂だ。真実ではない。一色家中はそう思っていた。しかし違った。
『鬼』は存在していた。容姿は人と変わらないが、その強靭な肉体を桃太郎は目の当たりにしたのだ。
彼らも家族を守りたいからこそ、山の奥地でひっそりと住んでいた。
それに桃太郎は手を差し伸べたのだった。
「まあ、利用してるのは否定できないな」
桃太郎はふぅと息を吐き、呟く。秋那が口を開く前に、彼は続けた。
「それも千哉公認だ。君が意見するのはおかしい。頭領の命令を訊けないのか?」
「っ……」
秋那はぐっと口を噤んだ。
「も、申し訳ありません! この子、ちょっとバカでして」
香織は冷や汗をかいて、ぺこぺこと頭を下げる。「あんたも!」と呟き、秋那の頭を無理やり下げた。秋那はぶすっとした表情を崩さず、されるがままだった。
「いいさ。秋那の言うことは正しい」
桃太郎は白い歯を見せてニッと笑った。その笑顔は世の女性が見惚れるだろう。秋那はともかく、香織は見惚れていた。
「さて。忠治」
「何でございましょう」
桃太郎は立ち上がって、彼に言う。
「支度だ。千哉に会いに行く」
「は?」
「えっ!?」
忠治と香織は目を剥いた。
「やっぱりあいつと話さないと話が進まない。悪いな、わざわざ来てもらったのに」
彼は秋那と香織に詫び、いたずらっぽい笑みをつくった。
「千鶴の見舞いにも行かないとな」
すぐさま忠治は抗議した。
「若! 無闇に城を開けてはなりません」
「いいじゃん、別に。それに鬼柳の村に行ってみたい。行ったことないじゃん、オレたち」
この前訪れたときは、鬼柳家の入り口だった。草原の上で死闘を繰り広げたのを懐かしく思う。当然、忠治の文句など聞かず、桃太郎は秋那と香織に笑った。
「案内、頼むぜ。二人とも」
「は、はい! お任せ下さい!」
「応! よろしくな香織」
「何言ってんの香織!?」
秋那は目を剥いた。それを気にせず、桃太郎は忠治をなだめに入った。
香織はこそりと言う。
「だって未来のお殿様よ。今仲良くしてかないといつ仲良くしとくの? あとカッコいいし。千鶴様のおっしゃることは正しいよ!」
「…………」
人の影響を受けやすいのが香織だ。呆れてものの言えない秋那。すると、香織は耳元でささやく。
「そ・れ・に♪」
「な、なに……?」
「桃太郎様の真意もわかるんじゃないの?」
「……」
香織の言う通りかもしれない。
秋那は人間をよく思っていない。書物でしか人間の知識はない。それは香織も同じはずだが……。人間と会うのはこれが初めて。勘繰るな、というのは無理だ。
ふむ、と秋那は顎に手を当て、答えた。
「それも一理ある」
「でしょでしょ? だからそうしようよっ」
「いいだろう」
秋那は頷き、忠治と言い合っている桃太郎に言った。
「ご案内致します。桃太郎様」
それに桃太郎は一瞬目を見開き、くすりと笑った。
「……そうか、ありがとう。秋那」
そのとき、秋那は彼の顔をしっかりと見た。それは鬼柳の男鬼でも見たことがない、爽やかな笑顔だった。
「……フン」
秋那は鼻を鳴らして、顔を背けた。
「よっしゃ行くぞ、鬼柳の村に!」
桃太郎は高らかに言った。その隣では忠治が頭を抱え、五右衛門は忠治の肩をぽんぽん叩いて、笑っていた。