一、皆元隆光と彼ら。
東に広大な土地を有する皆元家は領土拡大を目指し、武力で各地を制圧していた。近年、ようやく東や北の武家を下し、後顧の憂いを断った。
次に目指すは西国。
皆元の西には一色という小さな国がある。その小国を足掛かりに西方へと侵攻。一色は西方侵略の第一歩なのだ。これに失敗すれば、西へ進むことができない。
「つまり、一色攻略は慎重に行わなければならないのだ」
男は己の見解を滔々と語った。
「わかるか? 坂上」
その男は蛇のような目でこちらを見やった。
ここは皆元家現当主である皆元隆光の居城、その一角。八畳ほどの部屋で男が三人座っている。
部屋の端には口元に髭をたくわえた巨漢の男。部屋の真ん中には、おかっぱ頭の男と、痩せ型の男がいた。
立派な髭を持つ大男を熊野熊吉という。
そして、さきほどまで高説を垂れたのは痩せ型の男、碓氷貞道。皆元隆光四天王の一人であり、ひょろ長い背丈で、頬はこけ、目が窪んでいる。不気味な雰囲気を醸し出す男だ。
彼を不愉快そうに眺める男は、貞道とは体格が正反対で筋骨隆々としている。 坂上金吾だ。
「おい坂上、訊いているのか?」
貞道はニヤニヤと笑いながら、金吾に問う。
金吾は貞道を睨みつけた。
「うるせぇ。お前にそんなこと言われなくてもわかってる」
「わかっているのなら、どうしてそうしないのだ?」
「……チッ」
思わず舌打ちが出る。その様子をひやひやしながら熊吉は傍観していた。
貞道はいやらしく口元を歪めた。
「海賊と一色家臣を使ったのはよかったが、詰めが甘かったな」
二十日ほど前。
金吾と熊吉は、皆元家家臣である平井康佑の下、一色家の偵察を命じられた。
するとそのころ、一色領内では『和爾』という海賊が横行していた。金吾たちは海賊と一色家臣の浦島家当主を懐柔し、今後の一色攻略の足掛かりを作った。そして運が良いことに、海賊討伐に向かった一色の跡取りである一色桃太郎が現れたのだ。
これは好機だと金吾は思った。
浦島と海賊どもを利用し、一色の跡取りを暗殺する。
策は成功した。桃太郎とその従者を包囲することができた。もちろん金吾は、浦島も『和爾』も信用していなかった。浦島の動向を警戒し、自らの手で一色桃太郎の首を取るつもりだった。
ゆえに金吾は、浦島家棟梁浦島清海の行動も予想がついていたのだった。
「浦島の、一色への忠を見破れなかったのが失策だな。平井殿がやられるとは……」
貞道が唸る。
あのとき船上で浦島清海が、同じく一色攻略を任されていた平井康佑を討った。それは金吾も熊吉も目にしていた。
「しかしそれぐらいのことで貴様は動揺しないだろ? 貴様なら一色の幹部どもをやれたはずだ」
「……お言葉ですが、沈みゆく船では金吾さんも対応できません」
熊吉が弁解した。康佑が討たれたあと、一色の軍船が迫ったのは事実だ。
金吾は余計なことを、とでも言いたげに熊吉を睨みつける。
すると貞道は顎に手を当てた。
「そうかもしれぬな。しかし……」
彼の表情はすぐに陰湿なそれに戻った。
「失敗したことに変わりない。渡邊さんも隆光様も心底口惜しいだろう」
結局のところ、この男は金吾を責めたいだけなのだ。
ついに、金吾は口を開いた。
「出て行け。クソが」
「そうだな。これ以上負け犬と話していると、いざという時に負けるかもな」
貞道はそれだけ言い捨てて部屋を後にした。
「……あいつ、いつか殺してやる」
静かになった部屋で、金吾は毒づいた。
熊吉が肩を落とした。
「碓氷さんに小言を言われるのも無理はありませんが……」
「そういうことじゃねぇよ」
金吾はがしがしと頭を掻きながら、熊吉を見やった。
「お前は報告したんだろうな、正確に」
「もちろんです」
熊吉は作戦の失敗と、一色家の現状と家臣の実力を報告した。
そこまで聞いて、金吾は口を開く。
「俺たちの失敗はどうでもいい。それよりも、あの男だ」
「……あの男が気になりますか?」
「当然だ、一個の武人として」
熊吉の問いに金吾は即答した。
脳裏に浮かぶのは、あの男。
長身で、筋肉で固められた体躯の二十代の若者。そいつは船上で雄々しく戦闘していた。その様は、まさに一騎当千。
「あの男、何者だ……?」
飛ぶように甲板を駆け、敵兵を薙ぎ倒す力。一色桃太郎の家臣にあのような猛者がいようとは……。
「だが、人間の動きではなかったぞ」
金吾は眉根を寄せた。
いくら力があるとはいえ相手は数十人だ。得物は刀が一振りだけ。片手で刀を操り、叩きつけるような攻撃では身が持たないはずだ。
にもかかわらず、あの男は、たった一人で浦島の兵を斬り捨てた。
「あいつがいなければ、浦島もやれた……!」
金吾は悔しそうに拳を握った。
熊吉も記憶している。浦島清海と金吾が対峙したのをこの目で見た。だが、唐突に強風が吹いたかと思うと、清海は眼前から消えており、金吾の携える鉞の間合いからも外れていた。
その突風を起こしたのがその男だった。
「あの男、もしかすると……」
熊吉が呟く。
「一色に巣くう『鬼』やもしれませんね」
彼の言葉に金吾は目を剥き、嘲笑った。
「つまらん冗談だな。『鬼』などこの世に存在はしない」
「そうですよね」
「まぁ、いずれ戦場で相見えるときがくるだろう。そのときは俺が叩き割ってやる。そう言えば、あの女の行方は?」
「豊玉のことですか? さぁ、今どこにいるやら……」
「必ず借りを返してやる」
金吾はぐっと拳を握り込み、意気込んだ。
そんな彼に肩をすくめ、熊吉を笑った。
* * *
「ふむ。良い品だ」
上座に座る男が言った。
男の手には新品の鉄砲がある。これは輸入品ではなく、皆元領内の産物だ。
この時世、武器はいくらでも欲しい。それは海の向こうから渡ってきた鉄砲も同じ。諸国は鉄砲職人を雇い、職人を育て、鉄砲を生産していく。皆元もやっと鉄砲を生産にこぎつけたのだ。
「東国の職人も中々のものじゃ」
男は鉄砲を構え、ニヤリと笑った。
「は、お褒めいただき光栄に御座います」
男の前で平伏する鍛冶職人が言った。
「――隆光様」
男――皆元隆光は鉄砲を大事そうに見つめる。南蛮ものの服装を身につけ、髷を結わえている。かなり奇抜な格好だ。
彼こそが、東国のほとんどを治める領主である。
隆光は鉄砲を床の布の上に置き、鍛冶職人に命じる。
「近々戦となろう。同じものを鍛えろ」
「はっ」
「これで、皆元も強くなる」
隆光は立ち上がり、鍛冶職人の肩に触れた。平伏する鍛冶職人の顔が強張った。
「一度、都の職人を連れてきたのだが、そいつが使えん奴でのぅ。……思わず斬ってしもうての」
「……」
蒼白になる鍛冶職人の顔色を窺い、隆光は薄く笑った。
「良い物を頼む。下がってよいぞ」
「は、ははっ! し、失礼致しますっ」
彼はつんのめりながらも部屋を出て行った。
隆光はそれを見届け、鉄砲を小姓に預けて口を開いた。
「頼綱」
「ここに」
声は部屋の隅から聞こえた。
歳は三十前半。がっちりとした体格で、顎髭を生やした男だ。名は渡邊頼綱。隆光四天王筆頭である。
頼綱は隆光の正面に座った。
「此度の一色の件だが」
隆光は脇息に肘をついて、煙管を吹かした。彼の言葉に頼綱の表情が暗くなる。
「申し訳ございません。我ら四天王の力不足、如何なる処遇も覚悟しております」
「結果は問わん」
「は?」
隆光の答えに頼光は顔を上げる。
「一色をあれだけで崩せるとは思っておらん。坂上らはよくやったろう」
「ありがたきお言葉、坂上らに申し上げます」
頼綱は安堵したように口にした。
「さて、」
隆光は紫煙を吹かし、薄く笑いながら続けた。
「一色の一枚岩はそう簡単に落ちない。次の策を考えねば」
「戦の準備なら既にできております。いつでも一色へ攻め入ることは可能です」
頼綱は高らかに宣言した。
しかし隆光はそれを返さず、話を変えた。
「一色にも、『鬼』がいるという噂があるようだな」
「は……」
そのため目を丸くする頼綱だったが、隆光は平然と問う。
「頼綱、ぬしは知らぬか?」
「そ、それは……存じ上げますが……しかし、噂は噂。証明することはできませぬ」
真面目くさった解答に隆光は肩をすくめた。
「面白味のない奴じゃ。まあよい。……頼綱、あやつらを使え」
ぽかんとしていた頼綱だったが、隆光が指す『あやつら』に狼狽した。
「な、何を申しますか! あの者たちは危険です、いつ牙を向かれるやも……!」
カン! 隆光は煙管を煙草盆に叩きつけた。
「っ……」
頼綱は口を閉じた。隆光が厳しく目を細めて、こちらを見つめている。頼綱は背筋が凍った。
隆光は冷笑を浮かべた。
「あやつらが、この儂に刃向かうことなどできぬわ」
そう告げ、部屋の隅に目を向けた。
部屋には隆光と頼綱だけではない。
部屋の隅では、まるで置物ように佇んでいる女がいる。鳶色の綺麗な瞳。美しく艶めかしいその女はゆっくりとこちらに顔を向けた。その表情に感情はなく、氷のように冷え切っていた。
「…………」
この女の存在を知る者は少ない。四天王の中でも頼綱しか知らないのだ。何故存在を秘匿するのか。それは、それほどにこの女が重要だからだ。
「わかったか? 頼綱」
「……はっ、直ちにあの者たちを招集します」
頼綱はそう言って、部屋を後にした。
それを隆光は鼻で笑い、女を見つめた。
「近こう寄れ」
女は無言のまま、従う。無表情なのは変わらなかった。
隆光は女の肩を抱き、笑いながら女の顔を覗き込んだ。
「いつ見ても、そちは美しいのぅ」
「……」
「何か答えんか」
隆光はくいっと女の顎を持ち上げた。
女が口を開く。言葉を口にした途端、女の瞳に生気が戻った。
「なら。一つ、」
「なんじゃ?」
「私たちは、あなたたち人間に屈したりはしません」
「……」
強い意志を感じる瞳で、隆光を見つめた。
隆光はそれを無言で受け止め、突然頬をぴしゃりと打った。よろけて、床につく女に隆光は見下ろす。
「儂はそういう目が嫌いじゃ。二度とするな、次はないと思え」
女は唇を噛み締め、床を見つめたまま言う。
「……私に何かあれば、家の者が黙っていません」
「構わん」
隆光は女の襟元を掴み上げ、無理やり起き上がらせた。彼は口元に三日月をつくった。
「そのときは皆元の全勢力を持って、貴様らを潰す」
「……」
女は茫然とした様子だったが、やがて悲しそうに目を伏せた。彼女の表情が可笑しくて隆光は笑う。
「ククク……。そちのような美しい者にも……」
隆光はじろじろと女を眺めた。
「額から角が生えるか? 千早よ」
女――千早は答えるように、隆光と視線を合わせた。そのとき、彼女の瞳が鳶色から鮮やかな金色へと変わった。
隆光は瞳の色を見て、失笑した。
「面白い」
そう一言だけ言うと、隆光は強引に千早の唇を奪った。目を見開く千早だが、諦めたかのように身体を、隆光にゆだねた。
「従順な女は好きじゃ」
「……っ」
隆光は千早を押し倒した。
2015年5月3日:誤字修正・加筆
2015年10月28日:誤字修正
2016年1月5日:誤字修正