十五、一色と浦島。
「はっ!」
亀蔵はいつものゆったりとした動きと違い、勇ましく手槍を振って忠治へと迫った。
忠治は素早く身を低くし、槍を躱す。だが攻撃は終わらない。亀蔵は突き出した槍を斜めに振り下ろした。
「くっ」
忠治は甲板に手をつき、腰を落とした。槍の穂先は忠治の頭すれすれを横切った。
「さすがです」
亀蔵は驚嘆した。槍を手元へ引き寄せ、追撃を加える。さすがに忠治は避けることができず、刀で受け止めた。
目の端で火花が散り、刃が拮抗する。
「ですが、疲れが出ていますよね?」
「……」
問いかけに忠治は答えない。
図星だ。今さっきまで海賊、ならび浦島の兵を斬り進んできた。疲労はある。集中が切れれば、瞬く間に殺されるだろう。
しかし。
――負けるわけにはいかないのだ。
忠治は槍を押し返した。
「うおっ?」
亀蔵が反動で体勢を崩した。
この好機を忠治は見逃さない。屈んでいた状態から肉体を跳ね上げ、刀を袈裟懸けに斬り上げた。
「あまいっ!」
しかし亀蔵は手槍を右手から左手へ流した。手槍を器用に回し、閃く刃を防いだ。
甲高い金属音が鳴り響く。
刀と槍は交差し、互いを弾いた。
「チッ!」
「ぐ、お……っ!」
強引で、全力だった一撃のため、追撃ができない忠治。
衝撃で完全に体勢を崩した亀蔵。
二人は間合いを切った。
「……」
静かな時が流れる。
忠治は少しずつ息を吸った。それを見た亀蔵は笑う。
「やはり疲労が出ていますね。どうですか、降伏しては?」
「馬鹿を言うな」
滴る汗を拭い、刀を構えた。
「あなたは愚直と言っていいほどに真っ直ぐだ。主のために戦うのは、臣下の務めですものねっ!」
亀蔵はかっと目を見開き、踏み込んだ。
忠治は亀蔵を見据えた。刀を正眼に構え、相手の全体を捉えた。そして――。
「え……」
忠治は硬直した。
なんと亀蔵は駆け出して止まった。まだ間合いにも入っていない。亀蔵はニヤリと笑いながら、手槍を振りかぶった。
「なっ……」
忠治は思わず、飛んできた槍を弾いた。しかしそれは失態であった。
弾いた槍の陰から亀蔵は現れる。素早く腰から脇差を抜き、こちらへと迫る。
――しまった!
間合いはすでに刀のそれではない。脇差の間合いだ。刀で防いだところで受け流され、斬られるだけだ。
「判断力が落ちましたね、犬養殿」
誇らしくささやく亀蔵。吊り上がった口が告げた。
「私の、勝ちです!」
***
まるで時が止まったような感覚を覚えた。
浦島の軍船と海賊船を繋ぐ桟橋で、平井康佑は倒れ、動かなくなった。
それを見下ろすのは、たった今康佑を斬った浦島清海だ。彼は返り血の浴びた顔を上げた。
「…………」
この場にいる全員が浦島清海を注視していた。いつの間にか、戦っていた千哉と海賊たちは戦闘を止めている。
あたりは一気に静かに鳴り、冷め切った。
誰もが清海の行動を理解できなかったのだった。
「浦島! 何をした!?」
怒鳴る声は海賊船から響いた。現れたのは筋骨隆々としたおかっぱ頭の若武者だ。彼は驚愕の表情で清海を睨みつける。
その殺気立った視線を清海は受け止めた。
「これは坂上殿、今までどこにおられた?」
「どうでもいいこと言ってんじゃねーよ! 貴様は何がしたいんだ!?」
「……お前の目は節穴か」
清海は顔に飛んだ血を拭い、滔々と語る。
「先代を受け継いだ政春は、とにかく他国との戦を避けるようになった。隣国と同盟を結ぶ――その政策は当時の家臣たちに反感を買った。しかしあいつは小賢しい策を弄し、この国を守ってきた。そのおかげで今の泰平があるのだ……」
「清海!」
彼は語りかけるように言った。
「世は乱世。諸大名は争いを繰り返している。政春には危機感を持ってもらいたかった。敵はすぐそこにいるのだからな」
「割ってやる!!」
おかっぱ頭――坂上金吾は巨大な鉞を振り上げ、突撃した。
「望むところだ」
「父上……!」
背後で聞こえる声は涙に濡れていた。しかし清海は振り返りもせず、自分に振り下ろされる鉞を目に映した。
* * *
誰かの声が頭の中に響く。
その声は様々な感情を抱いていた。
憤怒、怨嗟、悲痛……頭に入ってくる負の感情は止めどなかった。
――死ねない。
桃太郎はおぼろげな意識の中そう思った。
うっすらと目を開けると、五右衛門が必死になって晒しをかき集めている。美羽は涙目になりながらも、桃太郎の左肩を押させていた。同じく叫ぶ千鶴もいる。その千鶴が不意に顔を上げて悲鳴を上げた。それに他の二人も反応した。
「……」
桃太郎は千鶴が見る方角を横目で見つめた。
「…………ちゅうじ?」
そこでは忠治が敵と戦っている。しかし、それは均衡が崩れたあとだった。忠治は槍を弾き飛ばし、隙を作ってしまったのだ。
「――ッ!」
忠治に凶刃が迫る。
しかし彼は何もしなかった。諦めたかのように身を投げ出している。
彼の顔を見て、桃太郎は激怒した。
なにやってんだよ。そんな全部終わったような顔して。そんな晴れやかな顔して……。
――ふざけんなッ!!
そう思うと意識は覚醒し、身体は動いていた。
***
亀蔵が脇差を振りかぶる。
それを見つめ、忠治は悟った。
――あぁ、私はこの程度の『人間』だったのか。
自分の身はおろか、若も守れず。
……死んでいく。
振り下ろされる刃は真っ直ぐとこちらへ向かってくる。
それはやけにゆっくりとしていた。どうしてそう見えたのか不思議だったが、すぐに考えることをやめた。すべてを放棄したのだ。自然に身を任せ、ふわりと宙に浮かぶこの感覚に酔いしれた。
――あとのことは、千哉殿に任せよう……。
忠治は目を閉じた。
……………………。
……………………。
膝が甲板につく。
しかし斬られたという感覚はなかった。
忠治は訝しく思い、目を開け、驚愕した。
「な、何をなされているのですか、あなたは……」
桃太郎が立っていた。
忠治と亀蔵の間。彼はこちらに顔を向けて、忠治をかばうように背中に太刀を回していた。
桃太郎は笑った。
「何って……おまえを助けに来たんだよ、忠治」
「私のことなどどうでもいいではないですか!」
堪えるように言う桃太郎に忠治は怒鳴った。
「あなたが生きてさえいれば! 私は……!」
「いいわけあるかッ!」
桃太郎が怒鳴った。思わず忠治は口を閉じる。
「おまえは、オレの大切な家臣だ。おまえがいなくて……誰がオレを導くんだよ!」
「……」
「おまえがいなきゃあオレは馬鹿やらかすんだ。おまえがちゃんと見張っとかないと駄目だろ……!」
体は震えている。左肩からぽたぽたと血が落ちてきた。体に限界がきている。それでも、辛くても桃太郎は微笑んだ。
「おまえは……、五右衛門にも、美羽にも、千哉にだってできないことをするんだよ」
「……」
「オレにはおまえが必要なんだ、忠治」
「……若」
「だから諦めるな。勝手に死ぬな! 今度こんなことしたら許さねぇぞッ!」
桃太郎は叫んで、太刀を持ち上げた。
「む……!?」
桃太郎の介入に固まっていた亀蔵は簡単に跳ね返された。
「……」
忠治は桃太郎の大きな背中を見つめた。
――私は大馬鹿だ。
忠治は唇を噛みしめる。
幼き頃から共に付き従っているのに、主のことを何もわかっていない。
視界がぼやけるのを、刀を強く握ることで耐えた。
「申し訳ありません、若」
目元を乱暴に拭い、立ち上がった。
「もう焦りも、迷いもしません」
「それでいい。それがおまえだ」
桃太郎はふらふらとしている。それを忠治は支えた。
「これからもあなたを守り、支えていきます」
「頼もしいな」
桃太郎は疲れたように笑った。忠治は彼を支えつつ、刀の切っ先を亀蔵へ向けた。すると亀蔵は遠くを見やり、微笑んでいた。
「あぁ、殿……」
しかしその笑みはすぐに消え、忠治を見つめた。彼の目尻には涙が浮かんでいた。
「私は、最期の最期まで、殿に付き従う所存です」
「亀蔵殿……?」
「犬養殿、この私闘楽しゅうございました」
くるくると手槍を回し、己の胸元へ突きつけた。忠治はそれに目を見張る。しかし止める暇もなく、亀蔵は最後に笑った。
「そなたも最後まで己が忠を貫き通してください」
亀蔵は自身で胸を突き、ゆっくりと甲板へ倒れた。
「父上!」
達海は足をもつれさせつつ、駆け出した。瑠璃たちの制止の声など聞こえず、清海へと走った。
振り下ろされる巨大な鉞。空気を切り裂くそれは、真っ直ぐと清海を壊そうと迫った。達海は懸命に手を伸ばし、清海を救おうとした。
「――千哉ッ!!」
そのとき背後から鋭い声が聞こえた。達海は驚いて足を止めたとき、真横を突風が通り過ぎた。それが人だとわかったときには達海は宙を浮いていた。
「え? わ、わわわっ!?」
脇に抱えられたのだ。視線を上げると、鉞を担いだ若武者が驚愕に目を見張っていた。そして突然地面に落とされた。尻を強かに打ち、抗議の意味も含めて達海が顔を上げた。側には父、清海の姿もあった。
そのとき、達海は千哉に助けられたのだと理解した。
「……」
その千哉は桃太郎に目を向けていた。
桃太郎は忠治に支えられて立っている。ニッと笑ったが、すぐにうずくまった。当然まだ傷は塞がっていない。しかし懸命に顔を上げ、遠くを睨みつけた。
「どこのどいつだ? 土足で人ン家上がる馬鹿は」
桃太郎の視線の先には、坂上金吾があった。
2015年2月22日:誤字修正・加筆