十三、桃太郎、海賊と戦う。
「浦島の船は四隻。さすがにこの二隻でも攻めるのは無理がないかい?」
こちらは海賊船のその一隻。
悠々と甲板を歩くのは平井康佑だ。陣羽織に着て、扇子をパタパタと煽いでいる。彼の背後には金吾と熊吉が控えていた。
「まぁ、清海殿を入れると十分すぎるかな?」
「おっしゃる通りです。平井殿」
熊吉が相槌を打った。
それに康佑は満足そうに笑い、床几に腰かけた。
「これで、私も安心して本国へ帰れる。君たちのおかげだ、感謝しているよ」
パタパタと扇子を煽ぎながらそんなことを言う。それを熊吉が愛想笑いで受け、後ろの金吾は眉間にしわを寄せた。
「……気に食わん奴だ、まったく」
「聞こえますよ、金吾さん」
物陰のところで金吾は吐き捨てた。熊吉の咎めに、金吾はますます顔をしかめる。
「国へ帰っても手柄は平井に回るんだぞ。悔しくないのか、お前は」
すると熊吉は困ったように眉を下げた。
「それは、そうですが……」
「だいたい、無能な奴は皆元にはいらない」
金吾が康佑の背中を睨む。熊吉は淡々と尋ねた。
「奪い取りますか」
「考えて置く」
金吾はニヤリと笑った。
既に考えはまとまっているようだ。
熊吉は小さくため息を吐き、無事に一色桃太郎の首を取れることを祈った。
* * *
海戦は生まれて初めてだ。
どのように戦うのか桃太郎にはわからない。
こういうときは、把握している人間に従うのが基本だ。
浦島一族は一色の水軍を担っている。作戦は海を知り尽くしている彼らに任させておけばいい。桃太郎はそれに従うまでだ。
船隊から放たれた矢は真っ直ぐと海賊船へと降り注いだ。
先手は取った。
誰もがそう思った。しかし――。
「モモ様!」
遠眼鏡を覗いていた五右衛門が叫ぶ。
「ご覧ください!」
桃太郎は遠眼鏡を覗き込み、息を飲んだ。敵船の外装に当たった矢はすべて海に落ちている。目を凝らしてよく見ると、海賊船の外装が太陽に反射している。あれはおそらく鉄だ。木に鉄板を張っているみたいだった。
「おい、なんで海賊があんなもん持ってんだ!」
気色ばむ桃太郎は叫ぶが何もできない。
既に方にある軍船から悲鳴が聞こえた。敵船から矢が降ってきたのだ。こちらの弓が届く範囲なら、当然向こうの弓も届く。そしてその矢の中には火が点いている矢もあり、船は瞬く間に赤く燃え盛った。
「援護する、舵を切れッ!」
清海の怒鳴り声が響く中、桃太郎は手すりから顔を覗かせ、燃える船を見つめた。
「ヤバいぞ……達海、弓は駄目だ。鉄砲用意させろ」
「承知しました」
冷や汗を垂らす達海はすぐさま兵たちに命じた。
戦闘前とは違う慌しさが船内を満たした。
眼前の光景は頭に焼きついた。優位に立っていた浦島軍の士気は一気に下がりきってしまった。
「怯むなッ!」
清海は刀を甲板に打ちつけた。
「浦島の誇りに懸けて、この船は沈ませるわけにいかない! 我らの力を、意地を、若様にお見せするのだ! 海上を征するは、浦島に他はない」
その一喝に、兵の瞳に火が点いた。
「ほう。抗うか、面白いな」
千哉が薄く笑い、桃太郎を振り返る。
「あの様子だと当分は落ちないな」
「清海殿は親父とともに、先代当主からの家臣だからな。親父に似て強情だぜ?」
「ということは、お前より政春を知ってるやもな?」
「はは、それはあるかも……」
桃太郎は笑って、太刀を掲げた。
「浦島の底力、この桃太郎が、しかと目に焼きつけてやるさ!」
「「オオオ――ッ!!」」
それに応えるかたちで、兵たちが雄叫びを上げた。
ぐんぐんと海賊船の一隻が近づいてくる。こちらの船を大将がいると察したようだ。残りの一隻は他の浦島軍船と戦闘を開始した。
「乱戦になるな……」
千哉は静かに抜刀する。
「斬り込みは俺が引き受ける。犬養、行くぞ」
「な……っ」
忠治はその言葉に目を剥き、思わず吐き捨てそうになった。
――命令するな、と。
言葉をぐっと飲み込んだ彼は千哉を見つめて言う。
「……それは私がやる。私は、若の侍従頭だからだ」
吐き捨てるような答えに千哉は目を細める。ややあって口を開いた。
「いいだろう。我らで道を切り開こう」
「……承知した」
忠治は乱暴に刀を抜き放った。
「よし。やるぞ!」
桃太郎の声に忠治はびっくりして振り返った。
「何をおっしゃっているのですか! あなたはここで――ッ!」
そのとき、船が揺れた。今までの揺れと比ではないそれの原因は一目瞭然。
海賊船が衝突してきたのだ。
「「うわぁ――っ!?」」
兵たちが甲板に打ち付けられる。忠治たちも膝をついたり、尻餅をついた。桃太郎も太刀を床に突きつけ、顔を上げた。
船の横っ腹に突進してきた海賊船。手すりは吹き飛び、海賊船の船首はへしゃげていた。その向こう側から敵はやって来た。
「突撃だぁっ!」
武器を掲げて、下卑た笑みを浮かべる屈強な海賊たち。それを迎え撃つ浦島の兵。
「一人足りとも討ちもらすな、すべて斬り捨てろ!」
「御上の連中なんかに負けるな! 押し通れ!」
甲板はあっという間に、血煙る戦場へと化した。
***
自然と、一番槍を務めた忠治は猛然と敵へ斬り進んでいく。
振り下ろされる刀の切っ先は、見事に敵の胸元を斬り裂いた。
悲鳴とともに血飛沫が上がる。
忠治は返り血を浴びた顔を上げて、怒鳴った。
「我は一色桃太郎が一の家臣、犬養忠治! 我が主の首が欲しくば私を討ってみろ!」
彼の言葉に耳を貸さない海賊たちは突撃する。しかし、瞬く間に忠治に斬り伏せられた。
「つ、強い……!」
海賊たちは彼の剣に竦み上がり、忠治を囲んで動けなくなった。
「ぼさっとするな。人間」
声とともに包囲を崩したのは千哉だ。片手で刀を振るい、海賊を薙ぎ倒した。甲板に倒れる賊たちをつまらなそうに彼は眺めていた。
「助けは不要です」
そんな千哉に聞こえた言葉はあまりにも冷たかった。声の主である忠治を見つめると、返り血を浴びた顔を拭っていた。彼の眼光は貪欲に輝いていた。
「……」
千哉はなんと声を掛けていいかわからなかった。
――やはり、俺のせいだろうか。
犬養忠治は人間らしく、鬼柳千哉に嫉妬している。
『鬼』と人間の力量は比べられないほどに異なる。それは賢い忠治なら理解できるはずだ。比べる方がおかしい、と。
しかし、だからこそ、嫉妬するのだろうか。
「――千哉殿、来ますよ」
ぼんやりとそんなことを考えていると、忠治が走り出した。
彼は鬼神の如く、前線を押し上げ、その度に血溜まりを作り上げた。
「……まぁ、それでこそ人間だが」
千哉は呟き、背後に迫る賊を斬り伏せた。
桃太郎たちは突撃する機会を失った。
傍では美羽と五右衛門、そして達海は船の端で立ちすくんでいる。
「亀蔵殿はどちらへ?」
美羽が達海に尋ねると、彼は誇らしくに笑みを浮かべ、前方を指差した。そこには亀蔵が得物である手槍を携え、浦島兵とともに海賊を戦っていた。その戦いぶりは一般兵とは一線を画していた。
「我が従者も中々の手練れでしょう」
「腕は一流だな」
「ありがとうございます、亀蔵に伝えておきます」
「……おっかねぇの」
五右衛門が失礼なことを呟くが仕方ない。
亀蔵が「鬼」なら、前線の忠治と千哉は「夜叉」だろうか。千哉はまさしく『鬼』なのだが。
すると美羽が忠治の背中をじっと見つめていた。
「……若様」
「どうした?」
美羽は不安げな表情をしていた。
「忠治の様子が気になります」
「忠治が? まあ今日は一段と張りきってるな」
「そうではなく、ただ……」
「ただ?」
聞き返すが、美羽は困惑したように顔を伏せた。
「……」
まあわからないまでもない。
忠次の様子がおかしいのは桃太郎も感づいている。口うるさいのはいつももことだが、それにしてはつっかかってくる。大抵は諦めて何も言わないのだが。
それと、千哉に冷たい態度を取っている。
だけど今はそんなことを考えている暇はない。
桃太郎は立ち上がって、肩にトンと太刀を置く。それを見た達海が口を挟んだ。
「やはり、大将であるあなたが前線に出られるのは……」
「なんだよ、達海までそんなこと言うのか」
「いえ、あなたの身に何かあっては……」
「桃太郎様っ」
そのとき、船内からひょっこりと千鶴が現れた。彼女の後ろには瑠璃も一緒だ。二人の登場に桃太郎は気色ばんだ。
「おっ、おまえら、なにやってんだ。危ないから戻れって!」
「何か手伝えることがあればおっしゃってください! なんでもしますっ!」
「ちょっ、千鶴、困ってるから……。早く戻ろ」
瑠璃が困惑した顔で言う。真っ青だった顔も少しは血色が戻っており、元気そうだった。桃太郎が見つめていると瑠璃は目を見開いた。
「わ、私は止めたんだから! でも千鶴が……!」
「わかったから。さっさと戻れ」
達海が苛々して瑠璃を押し戻すが、千鶴が引かなかった。
「わたしだって、お役に立ちたいです」
「……」
懸命に訴える千鶴に達海も黙り込み、桃太郎に目をやった。こちらに促されても困るだけだが。桃太郎はがしがしと頭を掻いて考えているふりをした。
すると。
「モモ様。船の背後に船が」
「あん?」
五右衛門の声に振り返る。そこには確かに船がある。しかしあれは浦島の軍船であるため、別に警戒はない。その軍船はゆっくりとこちらの船の横へつけた。
「父上のご意向か?」
達海は呟いた。清海は横づけされた船の兵と話している。
「……恐らく、本陣を移すのでしょう」
達海が言った。
なるほど。この船は既に戦場と化している。そんな場所で今さら、大将が堂々と陣取るわけにはいかないだろう。味方の船と合流して戦力の増強し、要人を守護するのだ。
「だったら、瑠璃と千鶴も連れて行こう」
「わかりました」
五右衛門が頷き、二人を連れ出って先を行く。そのとき、清海がこちらへと近寄った。桃太郎は訊ねる。
「移動か?」
「は。若様にはあちらの船で浦島の勝利を見届けてください」
「悪いけどそれはできない。オレの従者とダチが戦ってんだ。あいつらを見守ってやらないとな」
「……そういうところも、政春と似ているな」
「え?」
声質が変わった。
清海は厳しく目を細めた。
「若様。あなたが一番、政春のことをご理解していると思います」
「……な、何言ってんだ?」
「この清海、たとえ不義と罵られようとも政春のためなら、死んでも構わない」
パァン――ッ!!
銃声。
衝撃で体が軽く浮く。
目の前で赤い液体が舞った。
「若ッ!!」
五右衛門や美羽がそう叫ぶのが聞こえた。
握力が抜け、太刀を落とす。
体が甲板に打ち付けられたときようやく理解した。
桃太郎は撃たれたのだ。
薄らぐ意識の中で聞こえたのは、自分を呼ぶ悲鳴。
そして。
誰かの哄笑だった。
2015年2月22日:誤字修正・加筆
2015年10月2日:誤字修正