十二、桃太郎、目的を達する。
忠治は先陣を切り、浜まで疾走した。
浜では今まさに出航しようとする海賊がいる。
彼は勇猛に敵へ斬り進んでいった。
振り下ろされる刀は見事に敵の肩口を抉った。
悲鳴とともに血飛沫が上がる。
「ぎゃあっ」
「ぐはっ」
刀を受け流し、凄絶に断末魔を響かせた。
白い砂浜に血溜まりを作った忠治は大きく息を吐き、明るくなる空を見上げた。
「さすがですな、犬養殿」
忠治の背中に声が掛かった。そこには達海の従者である亀蔵が柔和な表情を浮かべて立っていた。確か彼も共に浜へ下りてきたのだが、忠治が海賊をすべて討ち取ってしまったのだ。
「申し訳ありません。手柄を取ってしまい……」
「いえいえ。そんなことは気にはしませんよ。……ふむ」
亀蔵は砂浜に倒れる海賊を一瞥してから、口にする。
「あなたという人間は最後の最後まで、主のため、忠を貫くのでしょうね」
「当然です」
忠治は刀を血振りした。
「私の忠は、若の側にあり続け、守り抜くことですから」
これは不変だ。
犬養忠治という男はそういう人間だ。たとえどんなことがあろうとも、自分は死ぬまで桃太郎に付き従う。それが家臣としての務めだ。
忠治の言葉に感銘を受けたのか亀蔵は深く頷き、そして言った。
「しかし、そのような戦い方では身が持ちませんよ?」
「なに……」
「昨夜からのあなたの剣を見て思っただけです。少々焦っているように見えます」
「なんだと?」
忠治は眉をひそめた。
その言葉は船中で主にも言われたことだ。
「私が……焦る……?」
「気を悪くしたのなら申し訳ありません。ですが、ここまでする必要はないかと。あなたも、功をはやる必要はありませんでしょうに」
「……」
忠治は顔をうつむかせた。
目に映るのは血が付着した掌。着物にも返り血が飛んでいた。
「…………」
――何を焦っているというのだ?
自問する。
亀蔵の言う通りだ。別に手柄を立てることが忠治の役目ではない。忠治の生涯は桃太郎に尽くすことにあるのだから。
「………………」
ならば、自分は何に焦っているのか。
何に……。
恐らく、自分は答えを知っている。
ぐっと掌を握りしめた。
「――達海様。制圧、完了にございます」
亀蔵の声に忠治は現実に引き戻された。見やると桃太郎たちがこちらへ向かっていた。忠治も顔を上げ、桃太郎を見つめた。その彼の背後には険しい顔をした千哉があった。
「……私は、一色桃太郎が侍従頭だ」
忠治は確かめるように呟き、血塗れになった刀を鞘に収めた。
***
「あ、ありがとう……ございました」
波に揺られていると謝礼の言葉が突然、耳に入ってきた。びっくりして振り返ると桃太郎は小さな頭を目に入れた。
舟の隅では瑠璃が小さくなって顔をうつむかせている。
憔悴しきった彼女に桃太郎は驚き、励ますつもりで口を開いた。
「どうしたんだよ、改まって」
そんな言葉に瑠璃は戸惑うことなく続けた。
「本当に感謝してます。あなたがいなかったら、私は……。だけど、自分の行いぐらい理解しています。私は……」
その声は段々と小さくなり、聞こえなくなった。
彼女の小さな肩は小刻みに震えていた。
「……」
瑠璃は悔しいのだ。
町のために一生懸命努力するが結局は空回りで終わり、ついには敵に捕まってしまった。たくさんの人に迷惑をかけ、戦という名分を挙げてしまったのだ。
何もできない自分が惨めで情けない。
桃太郎は瑠璃の傍に腰を下ろした。
「言っただろ、瑠璃の想いは間違ってないって。何かに一生懸命な奴をオレは否定しない。立派だと思う。瑠璃のおかげで先手を打てるんだからさ」
「それでも……」
不安に揺れる瞳。いつも気丈に振る舞う瑠璃らしくなかった。今の状況ゆえ、当然といえば当然だが、桃太郎には不思議に見えた。
何か隠しているのだろうか?
「桃太郎様、見えました」
そのとき険のある目つきをした達海が言う。言葉に振り返ると浦島の軍船がすぐそこにあった。桃太郎は仕方なく瑠璃から目を離す。
「任務達成だな、このまま港まで戻る」
「よろしいので?」
美羽が口を挟む。
桃太郎は水平線を見つめながら答えた。
「これ以上突いたら皆元が出てくるかもしれない。親父抜きで戦なんか御免だ」
海の向こう側から太陽が昇り始め、桃太郎の横顔を輝かせた。そのまま彼はいたずらっぽく笑みを浮かべた。
「それに、この出陣は瑠璃たちを助けるものだからな。務めは果たした。後は浦島と親父に任せるさ」
舟に乗る一同を照らす朝日は輝かしいものだった。
* * *
甲板に上がると多くの兵士が桃太郎たちを出迎えた。
喝采と賛美の声が彼らに降り注ぐ。
「ふふん。もっと褒め称えろ、モモ様は偉大だってな」
「あなたって人は……」
五右衛門は偉そうなことを言うのを美羽は呆れ顔で眺める。しかし五右衛門は痛くもかゆくもないらしく、胸を張って笑った。
「今回はこの五右衛門さまの活躍もあったこと忘れないでほしいな。そうだろ? 忠治」
ニヤニヤと笑いながら忠治に言う。挑発的な態度を取る五右衛門は、いつもみたく忠治が噛みつてくるのを期待したのだった。
「そうだな。お前はよくやった」
「……はっ?」
「え?」
しかし忠治の答えはあっさりとしたものだった。五右衛門と美羽は目を点にし、顔を見合わせた。
「何かあったのか、あいつ」
「別に、何もなかったはず……」
当の忠治は不思議そうな顔をして、首を傾げていた。
「御無事でなりよりです、若様」
甲板で待っていた清海が桃太郎に跪いた。すると背後にいた達海も同じように片膝をついた。達海はぼーっと突っ立っている妹を叱咤した。
「瑠璃……!」
「いいよ、姫は疲れてる。いろいろとあったからな。早く休ませてやれ」
そう言うと清海はじっと瑠璃を見つめ、息を吐いた。
「この恩は必ず。殿にお伝え申し上げていただけますか」
桃太郎が頷くと清海は立ち上がり、兵士たちに命じた。
「この海域から離れる。碇を上げろ」
甲板は騒がしくなる。兵士たちが動き回り、桃太郎の傍には忠治たちと千哉と千鶴、そして達海と瑠璃、亀蔵の九人となった。
喧騒の中、一同の存在はこの場から消えていく。それを見越してか、桃太郎は大きく息を吐いた。
「一件落着だな……疲れた」
気だるそうに呟き、首をコキコキと鳴らした。すると瑠璃が袖を引っぱった。
「どうした?」
「……」
ぎゅっと袖を握って、悔しそうに唇を噛み締めている。隣で達海が我慢ならないように拳を震わせている。彼を怒らせないために桃太郎は瑠璃の顔を覗き込み、言葉を失った。
瑠璃は目に涙をいっぱい溜めていた。
やがて――。
「ごめん……なさい……っ」
その謝罪はなんだったのか。
桃太郎はわけがわからず首を捻ったそのとき。
「海賊船だ!!」
見張りの兵が叫んだ。
慌てて海に振り返る。島の北側から船が二隻接近していた。舳には『和爾』と刺繍された旗があった。
それを見て桃太郎は髪を掻き上げる。
「まだいるのかよ……」
げんなりする桃太郎に達海は慌しく兵たちに下知し、こちらを振り返った。
「桃太郎様、ここは危険です。直ちに船内へ……」
「何言ってんだよ、達海」
「はい?」
桃太郎は目を点にする彼に笑った。傍で忠治が頭を抱えているが気にしなかった。そして桃太郎は告げた。
「海賊は一色の敵、すなわちオレの敵だ。オレが戦わなくてどうする?」
「あなたという人は……まったく……」
忠治がこめかみを押さえながら呟く。
「一色の長子が前線で戦うなど言語道断です。あなたは総大将ですよ」
「わかりましたぁー。大人しくしておきますぅー」
桃太郎は忠治の文句を適当にあしらい、次に千哉を見やった。
「手伝ってくれるか? 嫌ならいいけど」
千哉はしばし考えるように目を千鶴にやり、答えた。
「……借りはここで返させてもらおう」
「頼りにしてるぜ。――さて、」
桃太郎は真剣な表情で己の従者へ一言告げた。
「最後の大仕事だ。頼むぞ、おまえたち」
彼の表情に忠治の渋面も消えた。彼の隣で五右衛門が力いっぱい拳を握る。やる気満々の様子だ。そのまた隣で美羽が背筋を伸ばして立っている。
彼らは強く頷いた。
「……はっ」
「やってやりますよ」
「お任せを」
答えを聞いた後、桃太郎は達海を見つめた。
「つーわけだ。浦島の力も頼りにしてるからな」
「は、ははっ。我ら一族、力の限り戦い抜きます」
彼はお辞儀をし、清海のほうへ歩み出した。亀蔵もそれへ続く。桃太郎は見届けてから、千鶴と瑠璃に声を掛けた。
「二人のことは美羽と五右衛門と任せる。大人しくしといてくれよ。忠治と千哉、そしてオレで海賊の鼻っ面をへし折ってやろうぜ」
「若も大人しくしてください……」
忠治の文句は止まらなかったが、桃太郎は無視して海を睨みつけた。
「……」
その後ろで、浦島清海が見つめているとも知らずに。
「弓兵! 構え!」
甲板の端には弓を構えた兵が隙間なく整列していた。
海賊船は二隻。片や、浦島の軍船は四隻ある。充分すぎる戦力だ。海賊を壊滅させるのは時間の問題だろう。
船隊の最前を航行する軍船は攻撃準備を開始していた。
まだ、弓の射程距離に届いていない。きりり、と弓を引く音。無数の鋭利な矢が睨みを利かせている。
海賊船はどんどんと大きくなり、敵兵がぼんやりと見えた。もう、そう遠くはない。
「今だ! 射てぇぇ――っ!!」
掛け声と同時にいくつもの弓がしなる。
弧を描きながら、敵船へ向かう矢。
海賊と浦島。
その全面戦争が始まった。
2015年2月22日:誤字修正・加筆
2015年5月3日:誤字修正・加筆
2015年10月2日:誤字修正