十一、桃太郎、再会を果たす。
「清海様に、お会いしたくないかしら?」
牢の前で放たれた言葉。
それに瑠璃は硬直し、その言葉を投げかけた女を見上げた。
すらりと高い背丈。端正な顔立ち。にこりと微笑むその美女は、恐らく海賊の仲間。二人の男が控えるところを見ると上の身分の女だろう。
美女――豊玉は瑠璃の頬から手を離し、あやしげに笑った。
「ご一緒していただけるかしら? 瑠璃姫様」
瑠璃の顔は真っ青だった。
「な、なんで、あんたがお父様のことを、知ってるの?」
声は震えていた。痛いぐらいに胸が締めつけられる。
瑠璃はぐっと拳を握って切に願った。
「知ってるも何も清海様とは何度か会っているわよ」
しかしその願いは叶わず。
一番聞きたくない答えが返ってきた。
この女は肯定したのだった。
瑠璃は頭の中が真っ白になった。
父は海賊と会っていた。父は海賊と面識があった。これが何を示すのか考えなくてもわかることだ。
すると豊玉は愉快そうに肩を揺らし、瑠璃に顔を近づけた。豊玉は口の端をいやらしく吊り上げ、そっと瑠璃の耳元でささやいた。
「貴女はお父上の考えを何も知らず、首を突っ込んで、挙句敵に捕まってしまう。浦島のお姫様はなんて愚かなのかしら」
「や、やめて……っ」
瑠璃は耳を塞いだ。これ以上何も聞きたくない。父が、浦島一族棟梁が、主家である一色を……。
「そんな……」
千鶴も呟く。彼女もすべてを理解したようだ。
それに豊玉は答えた。
「ええ、清海様は本気よ。あぁ、そう言えば……浦島家は一色の若様を戴いて、兵を上げたの。既にこの島の沖に停泊してるわ」
「え?」
桃太郎たちが助けに来てくれる。嬉しい情報だがまったく喜ばしいことでない。青ざめるこちらが可笑しいのか、豊玉はますます笑みを深めた。
「貴女のせいで、浦島も一色も、お終いよ?」
当然だ、海賊の裏には東の皆元がいるのだから。
「ふざけないでよ……っ」
瑠璃は蒼白のまま、顔をうつむかせて呟いた。
目頭が熱くなり、視界がぼやける。口元も震えていた。
しかし決して悲しいわけではない。
この感情はまさしく怒りだった。
自分の父親がこの国を危機に陥れようとしているのだ。
普段ならこの目まぐるしい情勢に絶望するだろう。しかし今は違う。
つい先刻誓ったのだ。
浦島家の人間として胸を張る、と。自分の信念は曲げない、と。
泣いてばかりでは千鶴や桃太郎に顔向けができない。
父の真意はわからない。浦島清海は最後まで熟考し、行動に移す男だ。その結果がこんな結末だとは思いたくない。そして浦島清海と現一色家当主一色政春は、親しい間柄だと聞いている。
ただそれだけのことだった。だけど、自分の父を信じたかった。そして何より、この女の物言いに腹が立ったのだ。
「ふざけないでよ」
瑠璃は啖呵を切った。
「あんたの言葉なんか信用できない。お父様が国を潰そうとしている? 馬鹿言わないで。……もしそれが本当でもあんたについて行く気なんかない。あんたに連れて行かれるくらいなら、自分の目で確かめてやるわ!」
吐き出すと、どっと汗が流れた。心臓がうるさいほど音を立てて息が荒かった。
やがて、黙って聞いていた豊玉が息を吐く。
「……聞き分けのないお姫様ね」
その瞳は冷酷に輝き、微笑みは消えていた。
瑠璃の背中に悪寒が走った。
「ここまで状況のわからない娘だとは思わなかったわ」
豊玉はついっと目を背後にやった。
「連れて行きなさい」
と、男たちに命じた。彼らは頷き、牢の中へ入る。瑠璃は後退った。しかしそれは遅く、強い力で腕を握られた。痛みが走り顔をしかめる。
「……ッ」
「る、瑠璃さん!」
千鶴の声が聞こえる。
「この子は関係ないでしょ! 私だけ連れて行きなさいよ!」
「ああ、その娘は私がもらおうかしら。坂上様には了承を得ているし。肉付きもいいから抱き心地が良さそう」
豊玉はにたにた笑いながら千鶴を視姦した。瑠璃は羽交い絞めにあいながらも叫んだ。
「そんなことしたら私が許さないんだからっ!」
「あなたはもう何もできないわ。一色はあなたの家に滅ぼされるのよ」
美女は非情に微笑んだ。そして千鶴の肩に手を回し、くいっと顎に手を当てた。恐怖で動けないのか、千鶴はされるがままだ。
瑠璃は怒鳴り散らすが、拘束から逃れられない。
「侍女にしては綺麗な顔してる。楽しめそうね♡」
「やめてッ!」
瑠璃が叫んだそのとき、牢の向こう側から爆音が聞こえた。
「なに!?」
豊玉は千鶴から手を離し、牢から顔を出した。上へ続く通路からはもくもくと煙が立ち込めている。それに目を奪われた豊玉を見て、瑠璃は好機だと思った。
瑠璃は自分を捕まえている男の腕を咬み、拘束を解く。そして千鶴の手を掴んで、豊玉の横をすり抜けた。
「るっ、瑠璃さん!」
「話はあと! 逃げるわよ!」
階段がある通路は煙がある。煙を利用してうまく逃げることができるはずだ。豊玉の様子からすると、これは海賊の仕業ではない。だとすればこの爆発は絶好の好機だ。誰かが、あの人が助けに来てくれたのかもしれない。
そして、瑠璃の勘は当たった。
「……うわぁ、調合間違えたわー。ちょっと爆発しすぎ。むせる」
「この声……!」
千鶴が反応した。煙の中から聞き覚えのある声がした。
「五右衛門様っ!」
「えっ、千鶴ちゃん!?」
黒い影は段々と大きくなり、やがてそれははっきりと現れた。
――猿田五右衛門だ。
「やった、会えた!」
喜悦に満ちた表情で彼は近づいてくる。彼はニッと白い歯を見せて笑う。
「助けに来たぜ、二人とも!」
瑠璃は知っている人が現れて、腰が抜けそうになった。
「早く捕まえなさい! ったく上の連中は何をしてたの!」
背後で聞こえる怒号。五右衛門が鉄砲を構えて二人を促す。
「さ、逃げるぞ! 先行け!」
「先行けってどこに行けばいいの!」
「とにかく行けって!」
瑠璃に答えながら五右衛門は鉄砲の引き金を引いた。炸裂音に千鶴と瑠璃は首を縮める。五右衛門は振り返り、走り出した。
「行くぞ!」
「今の当たってんの?」
瑠璃が口を挟む。彼女は五右衛門が現れて少し心に余裕ができた。いつもの口調に戻っている。しかし状況が状況。五右衛門としては瑠璃の言葉はやかましい。
「うるさいな、あんなの威嚇だ。煙ん中に的確に当てられるのは美羽ぐらいだって」
「なっ、そんな言い方ないんじゃないの」
「だったら黙って走ってくれ」
五右衛門たちは階段を駆け上がった。
階段の先は通路が左右に分かれている。五右衛門は迷いなく左を進んだ。千鶴も瑠璃の手を取って彼に続いた。
「あのっ、桃太郎様たちは?」
黙って走れと言われても、千鶴は我慢できなかった。それは一番聞きたかったことだ。五右衛門がここにいるのなら、桃太郎たちもすぐそこにいるはずだから。
すると五右衛門は振り返ることなく答えた。
「悪い千鶴ちゃん。おれがここに来たのは千鶴ちゃんたちが連れ去られたとき。だからモモ様が今何してるか知らないんだ」
「そ、そうなんですか」
千鶴は目を瞬かせた。従者というものは主に付き従うものだと思っていた。ましてや五右衛門が桃太郎から離れるとは思わなかったのだ。
「でも、モモ様なら必ず動いてくれてるさ!」
五右衛門の声は弾んでいた。
千鶴は強く返事をした。その後ろで瑠璃は顔をしかめていた。
「なんか、私と千鶴の扱いが違う気がする」
「いたぞ、捕えろ!」
後方から怒鳴り声が聞こえた。
「足早いな。さすがにあれだけじゃあ駄目か」
五右衛門は振り返りながら、懐に手を入れた。出てきたのは焙烙玉だった。五右衛門はそれに火を点け、背後へ投げ入れた。
途端に爆発。その爆発は屋内を揺らした。
爆風と破片がこちらまで追って来、三人とも真っ黒になった。
「……火薬多すぎたわ」
「なにやってんのよ! もっと上手に作りなさいよ!」
「仕方ねーだろ、即席なんだからさ!」
「二人とも喧嘩しないでください」
千鶴の仲介で言い合いは終わり、五右衛門は煤けた顔を拭って叫ぶ。
「もうすぐ出口だ。屋敷出て、真っ直ぐ行けば浜まで出られる!」
「あ、ありがとうございます」
「礼なんかいらない。千鶴ちゃんはモモ様の大事な人なんだ。助けて当然だ」
その言葉に千鶴は場違いにどきりとしてしまった。
「ともかく。二人は必ず連れて帰るから」
「五右衛門様」
「あんた……」
彼の真剣な声音に千鶴と瑠璃は顔を見合わせてしまった。
やがて屋敷の玄関へ押し開ける。しかしそこには屈強な海賊たちが待ち構えていた。
「やっぱり、そう上手くはいかねーよな」
「囲まれた……」
まさに万事休す。
相手は数えて二十はいる。五右衛門ひとりでどうにかできる数ではない。
「どこかほかに道を探しましょう」
千鶴は提案するが五右衛門は首を縦に振らない。彼は覚悟を決めたように長ドスを握り締めた。
「こんな夜更けに、男なんか相手したくないがね」
気がつけば、空が白み始めている。
小舟を出すには海賊たちを乗り越えなくてはならない。
「おれが海賊を引きつける。その隙に包囲を突破しろ。そのうちモモ様たちもいらっしゃる」
「で、でも!」
言い返そうとしたが、五右衛門に遮られた。
「二人のことは必ず守る。絶対だ!」
五右衛門が力強く言い放ったそのとき。
「千鶴!!」
それは懐かしいあの人の声だった。
***
桃太郎はそこにいた。
あれ以来海賊の強襲はなく、急ぎ足で島の中心に建つ屋敷へと向かっていた。
空が紺色に明るくなっている。もう夜も明けるのだ。千鶴と瑠璃が誘拐されて二日が経つ。急がないと二人の命が危ない。
そんなとき、爆音が屋敷の方向から聞こえたのだ。
一行の足取りはますます速くなり、やがて目の前に屋敷が見えた。そこからは一本道が伸びている。
そして屋敷の玄関には探していた二人がいた。
彼女たちを見つけた桃太郎はすぐさま駆け出した。
「千鶴!」
名を呼ぶと、彼女は振り返り涙が溜まった瞳をこちらへ向けた。その表情に桃太郎は今まで以上に感情が昂った。
桃太郎は勢いよく森から道に抜け、地面を踏み締める。右半身に流した太刀を握り込み、眼前にいる海賊の背中を斬り裂いた。
「モモ様!?」
倒れ伏す海賊の向こうから、これまた久しい顔が映った。桃太郎は驚いて目を瞬く。
「五右衛門? なんでこんなところに……」
「千鶴ッ!」
桃太郎の言葉を遮り、背後から現れたのは千哉だ。千哉は千鶴の姿を捉えると桃太郎を押しのけ、千鶴を抱きしめた。敵に囲まれた状況にも関わらず、千哉は力強く最愛の妹を抱く。
「お、お兄様……ご心配をかけました」
「構わん。お前が無事ならそれでいい」
「……あの、苦しいです」
「千哉さん! そんなことよりこの状況をどうにかしてくださいよ!」
五右衛門が喚くと隣いた瑠璃も必死に頷いていた。その瑠璃は桃太郎とその従者二人、そして達海の姿に気がついた。
「た、達海兄様」
呟くと達海は刀を構えつつ、瑠璃のほうへ歩み寄る。彼は振り返りもせず言った。
「無事か?」
「は、はい……」
「心配をかけるな。父上や某にとってお前は大切なのだ」
「……?」
兄の言葉にはいつもの棘がなく、瑠璃は少し首を捻った。状況が状況だからか、それとも千哉のように安心してくれているのだろうか。
――それなら少し嬉しい。
「若様!」
美羽の声が聞こえた。彼女は弓を引き絞り、海賊に向けて矢を放っていた。忠治も自ら道を切り開き、桃太郎の隣に控えた。
「一旦退きましょう」
「そうだな。後は清海殿に任せようか」
桃太郎は答え、呆ける五右衛門を振り返った。
「サル。大義だった。よく千鶴と瑠璃を連れて帰ってくれた」
「モモ様……!」
感動のあまり五右衛門は目に涙を浮かべた。桃太郎はそれに苦笑し、太刀を振りかぶる。海賊たちは奇襲のおかげか、ほとんどが忠治と亀蔵にやられていた。これなら正面突破が可能だ。この島から脱出して軍船へ引き返す。これで桃太郎の任務は終わりだ。
「……まったく。本当に貴方が出てくるとは思いませんでしたわ」
その声に桃太郎は振り返った。屋敷から出てきたのは女だった。
美しい女は桃太郎を捉え、目を細めた。
「貴方が噂の、一色桃太郎様ですか。……なるほど。噂通りの眉目秀麗なお方です」
「そりゃどうも」
桃太郎は訝しく美女を見つめた。
「悪いがこっちも急いでんだ。女の相手なら大歓迎だが、これが終わってからにしてくれないか?」
「それは残念。貴方様が相手ならいくらでもご奉仕は差し上げるのに……」
美女はうっとりとして、細くしなやかな指で口元を撫でた。桃太郎は肩をすくめて五右衛門を一瞥してから、告げる。
「ともかく二人は返してもらうぞっ」
途端に白い煙が桃太郎の側から吹き出した。五右衛門が投げた煙玉だ。
目を見開く美女が煙の向こうへ消えていく。桃太郎は一同に命じた。
「退くぞ!」
忠治が殿を務め、迫る海賊を斬り伏せた。桃太郎はそんな彼から目を離し、苦虫を噛み潰したような顔の千哉を眺めた。
「早く行くぞ」
「……わかっている」
吐き捨てる千哉はゆっくりと進んだ。
「……」
千哉の気持ちはかわる。家族思いの彼は今すぐにでも海賊を蹴散らしたいだろう。怒りはぶつけるのは当然だ。
――だが、今は駄目だ。
桃太郎は千哉の背中を叩いた。
「ケリはつけるから、今は我慢してくれ」
「……わかってるわ」
千哉は拳を握りしめ、真っ直ぐと浜へ向かった。
「……本当に騒がしいお方」
煙が晴れたあと、人気のない道を眺めて豊玉は呟いた。
「海賊稼業もおしまいね」
少し残念そうに彼女は肩をすくめた。
世の情勢を左右する気はさらさらない。一色が滅ぼうが、皆元が衰えようが知ったことではない。誰が天下を治めようと、民衆の生活に影響はないのだから。あとは戦なりなんなり勝手にやってほしい。
皆元の若武者から報酬はもらった。そろそろずらかってもいいだろう。
豊玉は生きている男たちを集めて逃走計画を練った。
2015年2月22日:誤字修正・加筆