表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
桃の色香 続章  作者:
第一章 海賊編
1/52

一、一色桃太郎と鬼柳千哉。

2016年5月27日:文章修正



 日に日に暖かくなる季節。

 梅の季節は終わり、今は桜が見ごろ。一色(いっしき)家は平和な時を過ごしている。

 城下はいつものように賑わい、領民も笑顔を浮かべていた。

「……」

 その中で、領主一色家長子の一色桃太郎(ももたろう)は茶屋でぼんやりと通りを眺めていた。着流しに羽織だけとだらしない格好だが、精悍な顔立ちをしており、中々美形だ。

 そのような恰好だからか、桃太郎は目立った。そして一色家の若殿と気づくと、ひそひそと話し出すのだ。しかし彼は慣れている。だから気にはしない。

「……」

 だいたい今はそんなことを気にしている暇もないのだ。桃太郎は真剣な表情で通りを見つめていた。余談だが、男前の彼がそんな顔をしていると、余計に目立つ。

 桃太郎は今何を見ているのか。彼の視線の先にあるのは。

「女、どこを見て歩いているんだ?」

「ぶつかっておいて謝罪の一つもなしか?」

「そ、それはさきほども申し上げました……」

 ついさっきから道の真ん中で男女がもめている。

 二人の男――おそらく牢人だろう――が女に何かを言っている。女は怯えたように釈明をしているが、牢人たちは聞く耳を持っていなかった。

「謝罪ではなく、あんたの誠意を見せろと言っているんだ」

 牢人が下卑た笑みを浮かべて女の体を眺める。

「そうだな。少し相手をしてもらおうか」

 もう一人が女の腕を捕まえた。

「いや! 助けて!」

 悲鳴を上げるが、誰も助けようとしない。当然だ、誰も厄介事に巻き込まれたくないのだかた。

「…………」

 そして、桃太郎も動かない。騒動をじっと眺めているだけだった。

「さあ来い」

「いやっ、離してください!」

「――白昼の往来の中、よくやります」

 女が叫んだとき、穏やかな声音とともに風を切る音が鳴る。牢人ふたりの間に出現したのは鞘に収まった打刀。黒漆塗りだけされた頑丈な鞘はまさしく実戦で使う代物である。牢人たちは鼻白み、鞘を持つ闖入者を睨んだ。

 小柄な若者である。凛々しい眉をひそめ、冷たく力強い眼光が牢人を見つめている。身なりからしてどこかの家に仕える武士か。

「なんだ小僧、偉そうにしやがって」

 予想よりも小さな乱入に牢人たちは安心したように笑う。牢人も余裕そうに腰の刀に手を置き、若者に見下ろして言った。

「お前みたいなチビが出てくる場じゃねぇんだよ。血を見たくなけりゃあとっとと失せろ」

 刀の鯉口を切りながら牢人は脅すが、若者は静かに切り替えした。

「……その言葉、そのまま返す。血を見たくなかったら立ち去れ」

「ああ!?」

「もっぺん言ってみろ! 小僧!」

「小さくなければ相手をするのか? 人間」

 牢人が怒鳴ると、今度は彼らの背後から低い声が届く。牢人たちが振り返った先には、長身の男。引き締まった体躯は着物の上からでもわかる。牢人たちより目線が高い男は、牢人を軽蔑した瞳で見下ろした。

 ――それを見た桃太郎は薄く笑った。

「……うっ」

 男の、嫌悪と侮蔑に光る瞳とその体躯に気圧されたのか、牢人たちは押し黙ってしまう。背後にいる小柄な若者が一瞬顔をしかめたが、誰も気がつかなかった。

「だったら、俺が相手してやろう。人間」

 男も腰の刀に手を掛ける。

 牢人たちは生唾を飲み込んだ。物事の分別はついているようだ。この男に自分たちは敵わないと理解しているのだ。

「く、くそ、覚えてやがれっ」

 捨て台詞を吐くと、牢人たちは引き上げていった。


 それを見届け、桃太郎は立ち上がろうとして、腰を軽く上げたまま停止した。途端に端正な顔を曇らす。

「あの、助けていただきありがとうございます」

「いえ。民を守るのが我々の役目です」

「助けたつもりはない」

 女とそれを助けた二人の男が会話をしている。小柄な若者――犬養(いぬかい)忠治(ちゅうじ)は口元を緩めるも、慇懃に言葉を並べ、長身の男――鬼柳(きりゅう)千哉(かずなり)は冷めた表情でつまらなそうに女に答えた。

 それは良い。問題は女の表情がやけに明るいところだ。女は千哉を見つめて、はにかむ。

「剣の腕も立って、それにお顔も凛々しくて」

「なんのことだ」

 千哉はわからないと言った風に首を捻り、隣で忠治が小さく苦笑した。

 なおも続く会話に、桃太郎は段々と腹が立ってきた。

「なぁ、美羽(みわ)

「どうかされましたか」

 隣に座っている雉野(きじの)美羽に声を掛ける。端麗な横顔は見目麗しく、高い位置で結わえた黒髪は今日もあでやかで美しい。彼女は切れ長の目をついってこちらへやった。

「なんで千哉がもてんだよ?」

「は?」

 美羽は目を丸くして、すぐに柳眉をひそめる。桃太郎は彼女の顔に気づかないまま、千哉を指差した。

「この前だってそうだったぞ。遊郭に行ったらあいつのほうがもてたんだ。おかしいと思わねぇか?」

「何を仰っているんですか、あなたは」

 美羽は冷ややかな視線を主に送った。

「なんだよその目。オレが悪いの?」

 不満で頬を膨らますと、美羽は茶で喉を潤してから荒い声で言う。

「何度も申しますように、そのように現を抜かれてはいけません。あなたは一色の大事な跡取りなんですから」

「むー、美羽のいけず」

「そ、そんな顔してもいけないものはいけませんっ」

 すると美羽はびくっと肩を震わせ、上擦って答えた。若干頬の赤い彼女を見て、桃太郎は楽しくてますます不満の表情を近づける。美羽は嫌そうに身をよじった。

「ちょ、なんですか……」

「いやー、美羽の困った顔もいいなって」

「怒っていいですか」

「おっと……」

 怖い声に桃太郎はひょいっと体を戻した。拳骨は勘弁願いたい。

「兄は格好いいですからね」

 そう口を挟むのは鬼柳千鶴(ちづる)だ。小柄な少女で、くせのない黒髪を自然と流し、花柄の小袖を着ていた。今彼女が言ったように、千哉と千鶴は兄妹である。

「千鶴はそう思うのか」

 桃太郎はずいっと顔を千鶴に近づける。それにびっくりしたように千鶴は身を引き、顔をうつむかせた。

「い、いえ。決して桃太郎様が恰好悪いのでなく、兄には兄の恰好良さがあり、桃太郎様にも桃太郎様の恰好良さがあるのでは……」

 ぼそぼそと話す千鶴。

 桃太郎はニヤッと笑う。

「だったら千鶴はオレと千哉どっちが格好いいと思う?」

「えっ」

 桃太郎の問いに、美羽が驚愕した様子でぐるんと首を回した。

「千鶴は、どう思うんだ?」

 千鶴は困って目を泳がし始める。それがとても可愛らしくて、桃太郎はニヤニヤと笑った。視界の端で美羽が目を剥いているがどうだっていい。

「そ、それは……」

 こくりと息を飲む。

「それは?」

 桃太郎は良い笑顔を浮かべて促し、千鶴は決意めいた顔つきをそのとき。

「おい、桃太郎」

 地獄の底から響くような声音。千鶴がビクッと肩を震わせ、桃太郎はめんどくさそうに首を回した。

 そこには笑顔の鬼柳千哉。しかしその笑みは尋常でないほど凍えていた。

「お前は何度言えば、理解できるんだ?」

「あっ……ちっともやましい気持ちはありませんよ? お兄さん」

「貴様に兄と呼ばれる筋合いはないッ!!」

「ぐふっ!!」

 千哉の鉄拳が桃太郎を打ち据えた。


「お兄様、なんてことをするんですか!」

「ち、千鶴……」

 茶屋の店先の緋毛氈に寝かされている桃太郎はそんな会話を耳にする。

 目の前では眉を逆立てて怒っている千鶴と、困ったように眉をひそめる千哉が言い合っていた。

「桃太郎は何も悪くないのに……いきなりぶつなんてひどいですよ!

「ま、待て、千鶴……これはお前のためでもあって……」

「お兄様ぁ~……」

「す、済まない」

 千鶴は腰に手を当てて憤然としていた。桃太郎は笑いながら上体を起こして言う。

「もういいよ、千鶴」

「桃太郎様……申し訳ございません、兄がご無礼を」

「これぐらいどうってことないって。気にすんな」

 うつむく千鶴の頭を撫でようとして、ふと千哉の視線に気づき止めた。目を合わせると千哉は眉間にしわを刻んでいた。

「しかし。そこらの人間とは比べものにならないな、『鬼』の力ってのは」

「若。声は小さく。誰かに聞かれては厄介です」

 隣に控える忠治が小声でそう言う。

「わかってるさ」

 桃太郎は頷き、千哉と千鶴を眺めた。


 この一色家領地には、昔から『鬼』が住んでいると言われていた。

 つい先日。その事実を確かめに行こうと、桃太郎とその家臣は鬼退治へ向かった。

 そこで出会ったのが、千哉が頭領の鬼柳という名の『鬼』たちだった。

 彼らは人間とは違う。『鬼』という種族だ。

『鬼』は人間以上の力を持っている。それゆえ、人間とは干渉せず、山の奥でひっそりと住んでいたのだ。

 人間は会ったこともない『鬼』を卑しい存在と決めつけていた。


 だが、会ってみればどうだ。

『鬼』は人間と同じで大切なものを守りたい。救いたい。そういう想いがあった。

 だからこそ、桃太郎は彼らを城下へと招き入れたのだった。


「今でも信じられないな、おまえたちが鬼なんて」

 桃太郎は苦笑する。

「お前には見せたはずだ。俺は鬼だ」

 千哉は腕組みをして深く頷いた。

 彼の容姿は普通の人間である。額に角が生えていて肌が赤いわけでもない。そう、人間なのだ。

「まっ。なんでもいいわ」

 桃太郎はすくっと立ち上がって千哉に言った。

「千哉。忠治を助けてくれてありがとう。できたら、これからもよろしく頼みたいな」

 それはさきほどの一件の、労いの言葉。忠治ひとりだけでも場は治まっただろうが、千哉の介入は大きな成果だったろう。

「……気が向けばな」

 爽やかな笑顔を向けると千哉はふんと鼻を鳴らして答えた。それから、彼は千鶴を目に入れ、少し怒った口調で彼女に言う。

「とにかく、桃太郎にあまり近づくな」

「どうしてですか?」

 千鶴はきょとんとして小首を傾げる。

「それは……こいつは阿呆だからだ」

「適当だな、おい」

 桃太郎が大げさに肩をすくめるが気にしていない様子で、千鶴に話し掛けた。

「今日は団子食べに行く約束だったもんな?」

「そうなんです!」

 千鶴がにこにこと天真爛漫な笑顔を桃太郎に見せる。もはや兄の機嫌など意に介していない。それに千哉が思いっきり顔を歪めた。

「桃太郎様の言う通り、美味しかったですっ」

「千鶴がそう言ってくれるのは嬉しいな。次は蕎麦にするか」

「はいっ!」

「いつの間に仲良くなったんだ……」

 忌々しそうに呟く千哉を見やり、忠治と美羽が顔を見合わせて肩をすくめた。


 * * *


「そう言えば」

「なんだ?」

 城へ戻る途中、桃太郎は千哉に声を掛けた。

 千哉は真っ直ぐと前を向いたまま答える。視線の先には忠治と千鶴がいる。町に目移りする千鶴を忠治が目を離さないように見張っているのだ。千哉がどちらを見ているかはいわずもがなだ。

「おまえの家は大丈夫なの?」

「いきなりなんだ」

 千哉が怪訝そうに顔を向ける。桃太郎は続けた。

「いや、人里に下りるのは禁忌だろ? おまえは何も言われてないのか?」

「……鬼柳家は俺が仕切っている。文句は言わせない。それでも文句を言うのは、古老の鬼たちだな」

 少し暗くなる面影。桃太郎は少し不安になって顔をしかめた。しかし千哉は自信に満ちた表情で返す。

「だが、俺を慕ってくれる奴らも多い。いずれ消えるだろう。何かあればこちらで解決する」

 その顔つきは彼が里の者に認められている証拠である。同じ上に立つ者として嬉しく思い、桃太郎は笑う。そしてふと思った。

「鬼柳以外に『鬼』の一族はいるのか?」

 訊くと、千哉の顔は強張り、目を逸らされる。桃太郎ははっとなって素早く謝った。

「悪い。嫌なら答えなくていい」

「いや、構わない」

 千哉は首を横に振り、立ち止まった。桃太郎も足を止める。

 彼は空を見上げた。

「はっきりと言うと、わからんのだ」

「わからない?」

「ああ。二百年ほど前までは交流があったらしいが、今はわからない。どこに同族がいるのかも。……もう滅んでいるやもしれない」

 悲しそうに目を閉じる千哉。桃太郎は気まずくなって地面に目を落とした。

「悪かった。嫌なこと訊いて」

「構わんと言っただろ。それに今となってはどうでもいいことだ」

 桃太郎は顔を上げる。千哉は遠くを眺めていた。

「俺にとっては、今が大切だ」

 彼はゆっくりと視線を下げて、千鶴を見つめた。

「家を、家族を守ることが、今の俺の使命。それを全うしてこその頭領だ。――それにお前は言った」

「え?」

 千哉がいきなりこちらを見やる。きょとんとするこちらに彼は笑った。

「すべて背負う、すべて守る、と。俺たち鬼も背負ってもらうぞ、桃太郎」

「そうだったな」

 桃太郎は頷くと千哉はふっと鼻で笑う。

「お前がうつけでないことを祈っている」

「任せろ」

 桃太郎も笑って、歩き出した。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ