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Data08 星降る夜に

「どこへ行った便所の吐瀉物!」


 背中で野蛮な声を聞きながら荒い呼吸を整える。


「何とか撒いたな」


 やがて声が遠ざかって行くのを確認すると、俺は隣のティアラに声をかけた。


「あぁ。まだ油断は出来ないが」


 逃げ込んだ辺りの生い茂る木々に加えて夜という時間帯が逃走を大幅に手助けした。

 ガキ一人の追跡なんざ年中社会から雲隠れの俺にとっちゃ温すぎて命懸けだったぜ。


「なぁ、マコト。そろそろ……」


 ティアラは安心したのか何なのか、急に目の前でもじもじしだした。


「何だ。トイレか。見張っててやるからその辺で早く済ませろ」


 もちろんティアラを。


「一回ネルに射抜かれた方がお前の為か」


 物騒な事を言うもんじゃないよ本当にそうなったらどうすんのと、嫌な予感を感じ取った時だった。


「おのれ姫様をこんな暗がりに連れ込みおって単細胞細菌類めがっ!」


「えぇ!?」


 やべぇ、おしっこちょっと漏れたかも。


「ふふふ。選ばせてやるぞ、ゲロ虫。命乞いをしながら全身の風通しを良くされるか、私から逃げようとして背中から人型の蜂の巣になるかどちらが良い?」


 偉そうに勝ち誇りやがって。風通しなんかティアラの家だけで充分すぎる程快適だっつーの。


「来いっ!」


「何をする!?」


 俺は即座にティアラを手元に引き寄せた。ぐひひひとクールでニヒルな勝利の笑みを零す。


「貴様……姫様を人質にっ!?」


 人聞きが悪い。これは世界一可愛い盾だ。


「撃てるもんなら撃ってみなネルさんよぉ!」


 絵面的には俺が悪役みたいだが決してそんなことは無い。あんな絶賛脳内お花畑に殺られてたまるか。俺には野望がある。その為なら何だってする所存なのだ。


「愚か者が。哀れすぎて悪態もつけんな。直線にしか撃てないと私が言ったか?」


「え?……え!?」


 待て待て待て。ここに来てそんなチートみたいなご都合主義あってたまるか。ハッタリに決まってる。


「ふん。貴様ごときに手数を割くのも馬鹿らしい。一撃で葬ってやる」


 そう言うとネルは指先をこちらに向けた。おいおいマジかよ……。


「マコト、死んだら治しようが無いぞ」


 そんなジトッとした目で言われなくても、んなこた分かってんだよ。だから今どうするか考えてんの。


「ティアラ、耳貸せ」


「む?」


 決して作戦なんて呼べる大層な代物じゃないが、即興で思いついたのをティアラに吹き込む。


「つーわけで、頼む」


「うむ。任せろ」


 妙に頼り甲斐のある返事を聞いてから、獲物を狩る獅子の如く俺は駆け出した。


「うおおおっ!!」


「ふん、とち狂ったか馬鹿め。正面から突っ込んでくるなど」


 視界が真っ白になって、俺の身体が消し飛ぶ……ことは無かった。

 すんでのところで身を捻ったおかげで、僅かにネルの放つ屈折した光の軌道から逃れる事が出来た。


「躱しただとっ!?」


 やっぱり頭を狙ってきた。光線だろうが何だろうが、来る一点が分かっていれば反射神経“だけ”は自信がある俺が避けられないはずが無い。


「そしてっ!お前は一度撃つと次までに十秒近くの溜めがある。その間は無防備だっ!」


「こいつ……!」


 ただアホみたいに逃げ回ってただけな訳無いだろ。

 再び勢いを取り戻した俺はそのままネルに抱き着くような格好でタックルを噛ました。


「ところでネル君、高い所は好きかね?」


「はっ!?」


 奴の背後は崖。やけに長く感じる滞空時間。落ちた先でお互い命があるかは分からん。


「何をしているマコトーっ!」


「うぇえええいっ!!」


「きゃーっ!?」


 傾斜に落ちた後、木々の小枝を踏み折りながら、もみくちゃになってゴロゴロ転がり落ちていく俺たち。

 ようやく止まった頃にはネルはとっくに意識を失っていた。まぁ恐らく死んではいないだろう。


「痛てて」


「大丈夫かマコトっ!」


 ちょこちょこと崖を降りて来たティアラが駆け寄ってくる。


「頭がガンガンするけど平気だ。こいつも生きてる」


「多少の無茶をするとは聞いたが、あれでは運が悪ければ死んでしまうぞ」


 ああでもして止めないと、ネルに殺られてましたからね。


「さて、どう処分しますかこいつ」


 一人埋めるくらいの穴ならすぐ掘れる。山の中だし丁度良い。


「馬鹿者っ!」


 ぐはっ。ティアラに脇腹の辺りを小突かれた。


「冗談ですよオホホホ」


「その様子だと傷んだのは頭だけで済んだようだな。連れて帰るぞ」


 はいはい、おんぶね。俺が。

 柔らかい感触を背に感じながら、俺はくたくたの身体を引きずって帰路についた。

 どうでもいいけどこれ、今日だけで一年分くらいの運動量じゃないか。


☆ ☆ ☆ ☆


「ごちそうさま。マコトにしては良い味だった」


 家に帰り、冷めきった飯を残さず律儀に食べ終えたティアラが言った。


「お粗末さんでした。っつーか、無理して食わなくても良かったんだぞ」


「そうか、失敗したな」


「おう、普通に失礼だなお前」


 さて、酷使され過ぎて元から付いてない筋肉ちゃんが上げている悲鳴にそろそろ耳を傾けてやることにするか。


「ところでティアラ、俺はどこで寝ればいい?」


 正直もうどこでもいいから倒れ込みたいんだが。


「うーん、寝室はネルを寝かせているし、ソファは余が使うからなぁ。時にマコト、今夜は星が綺麗だぞ」


「まさかの屋外っ!?」


 こいつ本気で言ってるし。


「マコトは一番大人だから……」


「さっきから似合わない子供アピールやめろ!絶対家ん中で寝てやるからな!」


「おい、マコト」


 野宿なんてアウトドアチックなこと引きこもりの対極じゃねぇか。


「ふかふかベッド万歳!」


 二階に駆け上がり寝室という名の楽園に飛び込む。

 だいぶガタがきてるのか、俺が横になった途端にぎしぎしと重量オーバーの警笛を鳴らすベッド。


「余も混ぜろーっ!」


 そこにティアラが入ってくるものだから、とうとうベッドは踏ん張りが効かずに足が折れてしまった。


「「あぁ……」」


 それを見て俺達二人は揃って地面にくずおれる。


「お前のせいだぞ!」


「マコトが抜け駆けしようとするからだっ!」


「姫……様……」


 気が付けば部屋の隅ですやすやと寝息を立てて毛布にくるまっているネルの姿があった。

 俺とティアラは目を合わせて、それから小声で笑った。何だ、最初からこうすりゃ良かった。

 仲良く床に転がる俺達三人。ちと寝心地は悪いが、居心地は悪くない。


「なんで俺が真ん中?」


「ネルが隣だと抱きついてくるからだ。さすがにこの時期は暑い」


 なるほど一理ある。


「俺は狭いし苦しいんだけど」


「それでマコト、前から言ってみたかったことがあるんだが」


「おう、無視か」


 ひと呼吸置いて、


「お、おやすみ」


「おやすみ」


 当たり前の挨拶を、当たり前に返してやると、すごく嬉しそうに笑うティアラの顔がすぐ横にあった。

 上を見上げると、ぶち抜かれた天井から見える星空は彼女の言う通り、確かにものすごく綺麗だった。

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