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魔法縛りのLv99悪役令嬢。レベルダウンの呪いをかけた聖女様を相手に、呪いのアイテムで反撃を始めたら、聖女様の人生が詰みそうになってるんだけど!

掲載日:2026/10/04

雨の街道で、今夜も刺客に囲まれている。


それでも私は、杖に手もかけない。


魔法を一発でも撃てば、経験値をごっそり持っていかれる呪いを食らっているからだ。


「エリス、囲まれてる。ぜんぶ」


胸元で、銀のドクロのペンダントが早口になった。親指くらいの骸骨で、しゃべるたびに顎がかたかた鳴る。


「前も後ろも林の中も。しかも足運びが揃いすぎてる。これ、騎士団長クラスが束で来てるよ」


「知ってる。罠の位置は?」


「完璧。ずれてるのはエリスだけ。あと三歩、左」


無言で左へ寄った。ブーツが、くるぶしまで泥に沈んだ。


ドクロの目の穴が青く光った。


「右の木の上、来る!」


首を傾けた。耳の横を、ひゅっと風が抜ける。帽子の羽根飾りが一本、くるくる落ちていった。


「……これ、高かったのに」


「そこ?」


ドクロは、木の上へ向かって声を張った。こいつは、うまいものを見ると敵でも褒めずにいられない。


「待って、いま羽根だけ狙った? この雨で? うま……。弓の人、あとで握手して!」


黒外套たちは、乗ってこなかった。先頭の男が片手を上げると、輪がぴたりと止まった。


「足元を見ろ。仕込みがある」


男が剣を抜くと、刀身が白く光った。雨粒が刃に触れて、じゅっと湯気になる。聖なる加護つきの剣だ。


男はそれを、迷いなく泥へ突き立てた。ぶつり、と鈍い音がして、私が埋めておいた鎖が一本、断ち切られて浮いてきた。


「いったぁ!」


ちりん、と右の袖口が鳴った。


手首に巻きついた黒い鎖の腕輪、縛鎖の呪環だ。この子は喋るたびに鎖を鳴らす。


「は? 聖水くさい剣で触んないで。鎖、荒れるんだけど。しかもあの人、顔ふつうだし」


「顔は関係ないでしょ」


「あるよ。縛るのアタシだよ? どうせなら顔がいい人がいい」


縛る基準、そこなんだ。


それでも男は動じなかった。仲間に手で合図を送る。泥の深いところは避けろ。踏み固められた道の上だけを進め。


いい判断だ。強い相手ほど、ちゃんと固い地面を選んでくれる。


本命の鎖はそっちに埋めてある。


「見えてる罠はね」


私は言った。


「見せてる罠よ」


先頭の男の靴の下で、固い地面が、じゃらりと鳴った。


「はい踏んだ!」


ドクロが叫ぶのと同時に、呪環がちりんと笑う。


「縛ったげる。結び目まできれいにね」


道の下の鎖が、跳ね起きた。先頭の男の足首に巻きつき、隣の男の膝に絡み、後ろの男の腰をすくう。黒い外套が、ひとつながりのまま尻もちをついた。


それでも男たちは、転がったまま光る剣を鎖に当てた。ぎち、ぎち、と鎖の輪が悲鳴を上げる。


右手首で、呪環がきしんだ。


「エリス、長くはムリ! この人たち、切るのうまい!」


胸元ではドクロが別の方向を見ていた。


「左の茂み、増援!」


腰の後ろで、かたん、と小さな音がした。


ベルトに提げた、こぶし大の素焼きの壺。業火の呪壺だ。ふたが少しだけ浮いて、隙間から低い声が漏れる。


「……エリス。まだ?」


「まだ」


「……ひとまとめになってるよ。いま押したら、ぜんぶいい音になるよ。ねえ」


ふだんは黙っているくせに、爆発の前だけはよく喋る。


壺の口を、手のひらでふさいだ。手のひらの下で、くぐもった声が「あと少し……」と続く。


茂みから飛び出した男たちが、鎖の団子を助け起こそうと駆け寄ってくる。全員が、小壺を埋めた一帯に足を踏み入れた。


手を離した。


「どうぞ」


「……いただきます」


足元の泥から、仕込んでおいた小壺が次々と炎を噴いた。ぼん、ぼん、と連鎖して、黒い外套がまとめて宙を舞い、沢へぼちゃぼちゃと落ちていく。


「……はぁ。いい音」


壺がうっとりとふたを鳴らした。この子は爆発を、耳で味わう。


杖を抜く必要さえなかった。


胸元で、ドクロが顎を鳴らした。


「エリス、今日もケチ」


「節約と言いなさい」


その雨の中で、白い光が起き上がった。


先頭の男だ。爆発の瞬間、加護の剣を盾にして耐えたらしい。外套は焼け、片膝は泥に埋まったまま、それでも目だけは冷えている。


その目が、私ではなく、私の腰の壺を見た。


あの男、わかっている。罠を張るのは私でも、罠そのものはこの子たちだと。


男が跳んだ。白い切っ先が、まっすぐ壺へ落ちてくる。


「……あ。私、割れる」


壺がひとごとみたいに呟いた。


「罠、ぜんぶ向きが逆!」


ドクロが叫ぶ。右手首で、呪環が鎖をばたつかせた。


「アタシ届かない!」


舌打ちが出た。胸の紋が、熱くなる。


「うちの子に、聖水くさい剣を向けないで!!」


右手を振り抜いた。


街道が、白くなった。音が遅れてやってきて、林の梢がまとめて倒れた。男は加護の剣ごと、はるか向こうの沢まで吹っ飛んで、水柱を上げた。


「……いまの、私が出したかった音」


壺が心底うらやましそうに言った。


そして。


ぽち。


胸の奥で、押しボタンを押したみたいな、軽い音がした。


視界の端に、金色のゲージが浮かぶ。経験値のゲージだ。縁までなみなみと満たしてある。


その金色がすうっと引いた。


栓を抜いた湯船みたいに、どこかへ流れていく。止まらない。止まらない。ようやく止まったときには、ゲージの底に、薄い金色がひと筋残っているだけだった。


【経験値が減少しました】


私は膝から、ぬかるみに崩れた。


公爵家の娘として持っていたものは、ぜんぶ与えられたものだった。家の名前も、ドレスも、王太子との婚約も。十五の春、学院の断罪の場で、そのぜんぶを失った。罪状は、同級生を罠にかけたこと。身に覚えはなかった。それでもその日から、私は『蜘蛛姫』と呼ばれた。蜘蛛令嬢とも。陰では、ただ『蜘蛛』とも。


でもLv99だけは、あの日から自分の足で上げてきたものだ。


「……一発で、これ」


ドクロがなぐさめるように顎を鳴らした。


「でもまだLv99。セーフ」


「『まだ』って言わないで」


次に撃てば、Lv99ではいられない。


泥の中に、男の剣の鞘が落ちていた。拾い上げると、金の紋章が刻んである。百合と光輪。


聖女マリアの紋だ。


胸元から、ドクロが聞いた。


「エリス。吸われた経験値って、どこ行ってんの?」


「知らない」


私は鞘を握りしめて、立ち上がった。


「でも、請求先は決まったわ」




◇◇◇◇




王都の大聖堂前の広場は、人で埋まっていた。


聖女様の公開祝福の日だ。みんな、手のひら大の聖印を握っている。私の手にもひとつある。振ると白く光る。


私はフードを深くかぶって、その中に立っていた。


右手首の呪環に、白い傷がひとすじ残っていた。街道で、加護の剣に切られた跡だ。袖の内側で、指の腹でそっとなでる。


「……なでても治んないよ」


呪環が小さく鳴った。


「知ってる」


ちりん、と、もう一度。


「でも、もうちょっとやって」


私は三つとも、順番になでた。この子たちは、私が自分の足で拾い集めたものだ。Lv99と同じで、誰にも与えられていない。


「待ってる間に、仲間の近況チェックしとく?」


ドクロが言った。こいつには、各地の遺物同士でつながる噂の網がある。


聖女とは、王命で同じパーティになった。旅のあいだ、あの子は誰にでも優しかった。魔王を倒した夜、その子が配った祝杯は、甘くて、あとから少しだけ苦かった。目が覚めたら、パーティは散り散りだった。みんな、ひどい目に遭っているはずだった。


「……お願い」


「了解。重騎士ガイ、北の流刑地」


息を止めた。


「パン屋やってる。行列のせいで、町の地図が描き変わったって」


「は?」


「大魔導士ルイス、裏通りの鑑定屋。暗殺者シェル、歌劇団のトップスター」


「……待って」


私は額を押さえた。


「惨劇やってるの、私だけ?」


「あと、勇者アレン」


ドクロの声が少しだけ落ちた。


「どこにもいない。噂の網に、ぜんぜん引っかかんない。王都の掲示板には、処刑済みの告示が出てる」


聖印を握る手に、力が入った。


あの夜、床に倒れながら、あいつは私に手を伸ばしていた。


私はその手を掴めなかった。


広場がわっと沸いた。


大聖堂のバルコニーに、純白の法衣の聖女マリアが現れた。両手を広げると、白い光の粒がはらはらと降りてくる。


学院の断罪の場で、証人席に立って泣いていた同級生だ。あの日も、みんなこの子の涙を信じた。


「みなさんに、祝福を」


その声は、私の手の中の聖印からも聞こえた。広場じゅうの聖印が、同じ声で、同じ言葉をささやいた。


胸元で、ドクロの目が青く光った。


「エリス。大聖堂の下、魔力の気配がすごい。底なしに溜まってる」


「……私の経験値?」


「たぶん。流れ込んでる先、あの真下。……あと、聖女のまわり。魔力が、半年前の倍は濃い。太い糸みたいなのが、広場じゅうに伸びてる」


あの女、足の下に溜めた私の経験値を、糸で吸い上げて肥えてるんだ。


「……行くわ」


ドクロの顎ががちっと鳴った。


「え、ここで? 魔法なしで?」


「なしで」


右手首を振った。ちりん、と鳴って、呪環の鎖がバルコニーの手すりまで伸びる。


「えっ待って、アタシ今日、ロープ担当?」


「担当」


鎖を引いて、私は群衆の頭の上を跳んだ。


バルコニーの両脇から、聖騎士が駆け寄ってくる。白銀の鎧に、長いマント。


「縛って」


「マントの結び方、ださ……。結び直してあげる」


呪環が、二人の騎士のマントの裾を、きれいな蝶結びでひとつにした。騎士たちは互いを引っぱり合って、ぐるりと回って、手すりの向こうへ二人そろって落ちていった。


腰の壺がふたを小さく鳴らした。


「……ちょっとだけ、いい?」


「ちょっとだけね」


ぽん、と私の足元で、小さな花火が弾けた。


広場がひときわ大きく沸いた。


「演出だ!」


「新しい聖女様の演出だ!」


聖印の光が私に向かって振られている。


私はバルコニーに降り立った。目の前に、聖女がいた。


国じゅうが拝む、慈悲の微笑み。


「請求に来たわ。私の経験値」


聖女は少しも驚かなかった。


それどころか、嬉しそうに目を細めた。胸もとの聖印を手のひらで覆って、私の耳もとに唇を寄せる。広場には届かない声で、囁いた。吐息から、焼き菓子みたいな甘い匂いがした。


「よかった。来てくれたのね」


「……は?」


「ねえ。もっと撃って?」


聖女の頬がうっすら赤かった。


聖女は手のひらをどけて、群衆に向き直った。声を震わせる。


「みなさん、お下がりください。その女は、呪われた魔女です」


「蜘蛛姫だ」「蜘蛛だ」と、声が上がった。


聖印の光が、一斉に私へ向けられた。さっきとは、ぜんぜん違う意味で。


大聖堂の正面の扉が開いて、白銀の鎧が、石段を埋めながら駆け下りてきた。


その先頭に、白銀ではない色がひとつ混じっていた。ずぶ濡れの黒外套。街道で、沢に沈めたはずの男だ。




◇◇◇◇




聖騎士に追われて、大聖堂の中へ飛び込んだ。


「エリス、これ撃ったら負けのやつだよ」


走りながら、ドクロが言った。


「わかってる」


聖女は、私に撃たせたがっている。撃つほど、大聖堂の下に私の経験値が溜まる。


だったら、意地でも撃ってやらない。


壺が、天井の鐘の綱を焼き切った。落ちてきた鐘が、ごおん、と鳴り響き、追ってきた騎士たちが兜を押さえてうずくまる。


「……あ。この響き、いい。ずっと聞いてたい」


「浸ってないで、走って」


「私、走れない。壺だから」


ドクロの目が青く光った。


「祭壇の裏。隠し階段。気配、この下」


階段を駆け下りた先に、扉がひとつあった。


押した。


広い部屋だった。


床には毛足の長い絨毯と、クッションの山。銀のワゴンには、焼き菓子が段になって積まれている。部屋の奥には、天蓋つきの大きな寝台があって、厚い帳がぴったりと閉じていた。


帳の向こうに、影が丸まっていた。人の倍はある、ぶ厚い影だ。それがゆっくりとふくらんで、しぼんだ。またふくらんで、しぼむ。


眠っている。私の経験値を吸って、あんなに大きくなったものが。


扉の前で、足が動かなくなった。


「静かに。起こさないで」


背後で、声がした。


「やっと、ここまで育ったの」


聖女が、階段の上に立っていた。胸もとの聖印が、白く灯っている。その後ろに、広場で見た黒外套がひとり。


聖女がすっと指を差した。


「その呪具を、焼いて。静かにね」


男が階段を駆け下りてきた。速い。私の横へ回りこみながら、剣が白く燃え上がる。


切っ先が触れた瞬間、呪環が悲鳴を上げた。


「熱っ、ムリムリムリ! 鎖、溶ける!」


右の手首から、じゅう、と煙が上がる。


胸の紋が熱くなった。


撃てば、ゲージは割れる。レベルがひとつ下がって、Lv98になる。


聖女はそれを待っている。


「エリス」


ドクロが言った。いつもの早口じゃなかった。


「撃たなくていいよ。うちら、溶けても割れても、ただの遺物だし」


「……は?」


私は右手を上げた。


「あなたたちを見つけるのに、私がどれだけ歩いたと思ってるの」


振り抜いた。


閃光が地下を埋めた。男は燃える剣ごと横へ吹き飛んで、石の壁にめり込んだ。呪環の鎖から、すうっと赤みが引いていく。


ぽち。


金色のゲージの、最後のひと筋が流れていく。その行き先が、はじめて見えた。細い金色の糸が、私の胸から帳の向こうへ伸びている。ゲージが、ぱりんと割れた。


【Lv99 ➔ Lv98】


わかってて撃ったのに、膝から力が抜けた。


そのとき、帳の向こうから、気の抜けた声がした。


「あ、上がった」


帳が内側からめくれた。


クッションと毛布の山に埋もれて、ぶかぶかの部屋着の男が、あぐらをかいていた。片手にマカロン。頭の上に、金色の文字。


【Lv98 ➔ Lv99】


勇者アレンだった。


会うたびに私のゲージを覗き込んで、「次は追いつくから」と言っていた男。自分の頭の上の数字を、ぽかんと見上げている。


「なんかさ、ここに来てから、たまに経験値入るんだよね。寝てるだけで」


部屋じゅうがしんとした。


吸われた経験値の行き先は、この寝台だった。


アレンが、私の割れたゲージと、自分の頭の上を見比べた。それから、マカロンを皿に戻した。


「……え。これ、エリスのだったの?」


「そうよ」


「ごめん。知らなかった。起きたら、みんな処刑されたって聞かされて、ここなら安全だって。……返し方は、わかんないけど」


寝ているあいだに、私の十代をひと口ずつ食べて、追いついたわけだ。


怒る気力も出ないまま、聖女の胸もとに目をやった。


聖印が、まだ白く灯っていた。広場で、あの女が手のひらで覆っていたもの。覆わなければ、声が広場じゅうに届くもの。


「ねえ、聖女様。どうして、こんなことをしたの?」


聖女は、頬を染めた。両手を胸の前で組む。覆うのを忘れた聖印の、すぐ上で。


「だって、アレン様が二位なんて、おかしいでしょう? アレン様は、なにもしなくていいの。強さは、私がよそから持ってきてあげる。あなたたちを遠ざけたのもね、アレン様が私以外の人に、あんなに楽しそうに笑うから。見てると、胃が痛くて。いまはね、毎朝アレン様の寝言を書き留めてるの。昨日なんて、『マカロン』って言ったのよ。かわいいでしょう?」


ドクロがひそひそと言った。


「エリス。そいつ、魔法で殴る必要ある?」


「ないわね」


私は、聖女に向かって歩いた。一歩ごとに、膝に力が戻っていった。


「経験値の減ったあなたに、なにができるの? もう一発撃ったら、Lv97よ?」


聖女が、慈悲の微笑みで首をかしげる。私が撃つのを、まだ待っている。


撃たない。右手は、魔法のためには使わない。


「レベルが1下がろうが98あろうが、あなたをぶん殴るには十分すぎるのよ!!」


ちりん、と袖口が鳴った。冷めたばかりの鎖が、聖女の足首に絡みつく。


「待って、近くで見たら顔がいい……合格。縛ったげる」


私は聖女の額に、中指を一本だけ弾いた。


ぺちん。


聖女マリアは鎖ごと後ろへひっくり返って、クッションの山に頭から埋まった。Lv98のでこぴんは、それで足りた。


壺がふたをかたかた鳴らした。


「……いい音。今日いちばん」


右手首で、呪環がちりんと鳴った。


「ねえエリス。その金色の糸、結び目がださい」


私の胸から伸びる糸の根元を、鎖の先がたどっていく。もうひとつの結び目は、クッションに埋まった聖女の、胸の前で組んだままの両手の中にあった。


「結び直してあげる。払うのは、こっちの人ね」


鎖が糸をすくって、くるりと回った。きゅっ、と結び目の締まる音がした。


聖女の手の中で、糸の向きが変わった。


それから、ドクロがぽつりと言った。


「ねえ。上、静かすぎない?」




◇◇◇◇




聖女をバルコニーへ連れて戻ると、広場は、静まり返っていた。


広場を埋めた人たちが、黙ってこちらを見上げていた。


ぜんぶ、聞こえていた。


聖女のまわりの濃い魔力は、広場じゅうの聖印をつないで声を届ける術だった。


アレン様が二位なんて、おかしい。それから、勇者の気の抜けた声。寝てるだけで経験値入るんだよね。


聖女の口が、微笑みの形のまま止まった。目だけが、広場の端から端までを、何度も往復した。


あっという間に、目に涙がたまった。泣き慣れている。


「どうして……あの日は、泣いたらみんな信じてくれたのに。アレン様が、あなたのレベルばかり見てたから……」


聖印は、まだ白く灯っていた。


学院のあの日と、同じ形だった。違うのは、壇の上で青ざめているのが、聖女のほうだということだけだ。


私の後ろで、アレンが小さく言った。


「……おれのも、聞こえてた?」


聞こえていた。最前列で、子どもが聖印を耳に当てたまま、勇者を指さしていた。


聖女が、震える手を胸の前で組んだ。いつもの、祝福の形だ。


「みなさん、どうか落ち着いて。祝福を……」


ぽち。


聞き慣れた軽い音が、今度は聖女の胸から鳴った。


聖女の頭の上に、金色の文字が浮かんだ。広場の誰からも見える高さに。


【Lv62 ➔ Lv61】


ぽち、ぽち、ぽち。音が止まらない。数字が、目で追えない速さで書き換わっていく。


【Lv1】


その下に、赤い文字が一行。


【返済残高あり】


私の割れたゲージの底へ、金色が流れ込んできた。指一本ぶんだけ。


聖女が一生かけて稼いだ経験値で、指一本ぶん。


「Lv99の経験値って、そういう量なのよ」


聖女は、自分の両手を見た。祈りの形には、もう戻らなかった。


「呪いを……解いて」


「解き方、書いてなかったんでしょう?」


聖女は、口を開けて、閉じた。


「教会の禁書庫の祈りを、唱えただけなの。唱えたのは、あなたにだけ……」


私は羽根ペンを、聖女の震える指に握らせた。告発の撤回。私財での賠償。一枚ずつ差し出して、名前が最後まで書かれるのを見下ろした。にじんだ字は、書き直させた。


返済は終わっていない。聖女がこれから稼ぐ経験値は、ぜんぶ私に流れてくる。Lv99に戻るまで、あの子の人生が何回いるのかは知らない。それまで、取り立てる相手は手元に置いておく。


アレンの手に、一瞬だけ目が行った。


私はその手から、マカロンの皿を取り上げた。


「あなたは担保よ。私のLv99が戻ってくるまで、きっちり働きなさい」


「……うん。返せるまで、手伝う」


アレンは素直にうなずいた。


その後ろで、Lv1になった聖女が、法衣の裾をつまんで駆けだした。


「待って勇者様ぁぁぁ! 私も行く!」


「あなたも来るのよ。働いて、経験値を稼いでもらうから」


アレンを置いておけば、あの子は逃げない。好きな男のそばで、一生ただ働きだ。


聖女の私財で、王都の外れに小さな事務所を借りた。


看板には『取り立て・罠・呪具相談 エリス商会』。


開店祝いに、北からパンが山ほど届いた。添えられた紙には一行だけ。『広場の声、北まで届いた』。


元婚約者の王太子からは、分厚い謝罪の手紙が届いた。封も切らずに、壺のふたを開けて入れた。


「……紙は、音がつまんない」


勇者は雑用係になった。王都での呼び名は『寝てるだけの勇者』。


看板の釘を打たせたら、金づちの一振りで、釘と看板と壁が、まとめて隣の空き地まで抜けた。


「うわ、力加減わかんない」


「それ、私の経験値で抜いてるのよ」


「ごめん、加減する」


聖女は、その横で壁の破片を拾っていた。Lv1の腕には、破片ひとつが重いらしい。拾ったぶんのわずかな経験値も、ちゃんと私のゲージに流れてくる。


最初の客は、沢からも壁からも這い出してきた黒外套の男だった。聖女に未払いの給金を取り立ててほしいらしい。


その夜、事務所の裏で、指先に小さな火を灯してみた。


ぽち。


ゲージの底の金色が、ひと筋減った。流れていく先は、見えなかった。


結び直せたのは、聖女が勝手に繋いだ一本だけだった。私の呪いの根は、別の場所にある。


胸元で、ドクロの目が青く光った。


「エリス。噂の網に、気になるの引っかかった」


「なに」


「南の港町で、魔法を撃つたびに経験値が抜けるって騒いでる冒険者がいる」


聖女が唱えたのは私にだけだ。


「……禁書庫の祈り、だったわね」


腰の壺がそわそわとふたを鳴らした。


「……燃やす? 燃やしていい?」


「まだ」


ちりん、と袖口が鳴る。


「アタシは、その祈りを書いた人の顔しだいかな」


私は、割れたゲージを見上げた。Lv98の表示の横で、割れた金色の器の底に、指一本ぶんに少し足りない金色が溜まっている。


レベルはひとつ減った。代わりに、うるさいのがやたらと増えた。


差し引きで言えば、たぶんまだ私の大赤字だ。


「行くわよ。一滴残らず、回収するんだから」


作品を読んでいただき、ありがとうございました。少しでも楽しんでいただけましたら、ブクマ・評価で応援していただけると嬉しいです!

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