第1話 転生と誕生
なに書いたらいいんだろう!
よろしくおねがいします!!!!!!!
意識が遠のいていく。
視界の端で実験装置から白い煙が立ち上り、焦げた臭いと空気を焼く音の中で、皮膚が焼ける感覚さえ薄れていった。
――ああ、これが死か。
痛みも熱さも恐怖も、全部が少しずつ遠のいていく。ぼやけた蛍光灯の白い光だけが最後まで残り、それもやがて闇に溶けた。
意識が途切れる直前、暗闇の奥で「何か」に触れた気がした。形も声もないのに確かに在る、あの感触だけが記憶に残っている。
それが幻覚だったのかどうかは分からない。ただ、三十二年の人生が終わったことだけは分かった。孤独のまま研究にすべてを注ぎ込み、最後は失敗して死んだ。
もしもう一度やり直せるなら、今度は違う人生を生きたい。そんな願いを抱いたまま、意識は闇に沈んだ。
どれくらい時間が経ったのだろう。
一瞬か、永遠か。時間という概念そのものが曖昧になっていた。
闇の中を漂っていた意識にふと何かが触れた。
温かい。柔らかい。
それは優しく、そして確かに「ある」感覚だった。死んだはずの体に再び感覚が戻り、指先から足先へ、全身に温もりが広がっていく。
――生きている?
まさか、死んだはずだ。あの爆発で全身は焼かれ、意識は途切れ、すべてが終わったはずだった。
だがこの感覚は何だ。
体がある。しかも、温かい。
「おめでとうございます、陛下。王妃様。立派な王子様でございます」
誰かの声だ。
言葉は聞こえるのに意味が掴めない。分かりかけては消える感覚のまま頭はぼんやりとして整理できず、日本語でも英語でもないのに、確かに言葉として認識できる――不思議な感覚だった。
視界を開こうとしても瞼は鉛のように重く、薄く開いた先はぼやけて何も見えない。光だけがやけに眩しく、滲んだ涙でさらに歪んだ。
「……小さいが元気そうだな」
低く、威厳のある男の声。
どこか安心感を覚える不思議な声で、厳格さの奥に優しさが滲んでいた。
「はい……我が子です、陛下」
女性の声。
優しく、穏やかで、そして深い愛情を感じさせる声。疲れ切っているようだがそれでも幸福に満ちている。
その声を聞いた瞬間、なぜか安心した。
この声の主は自分を傷つけない。自分を愛している。そう確信できた。
――これは夢か?
いや違う。
これは現実だ。
ぼんやりとした意識の中で、少しずつ理解が進んでいく。パズルのピースが一つ一つ嵌まっていく感覚。
自分は今、生まれたばかりの赤子だ。
転生――そんな馬鹿な。
あれはフィクションの話だ。ライトノベルやアニメの世界の出来事で、現実に起こるはずがない。
だがこの感覚は嘘ではない。
小さな体、握りしめようとしても思うように動かない手、視界を占める巨大な人影――そのすべてが、自分が赤子であることを証明していた。
「アルヴィン……アルヴィン・レオニード・ヴェルディア。それがお前の名だ、我が息子よ」
男の声が再び響く。
アルヴィン。
それが自分の名前――この世界での、新しい名前。
レオニードはミドルネーム? ヴェルディアは姓か。あるいは王家の名前か。
視界がわずかに鮮明になる。涙が引いて、輪郭が見え始める。
そこには銀髪に白髪が混じる、厳格な顔立ちの男性が立っていた。
鋭い金色の瞳。まるで鷹のような、獲物を見据える目。だが今は柔らかな光を宿している。
筋骨隆々とした体格。長い外套の下から覗く腕は鍛え抜かれた戦士のそれだ。
そして頭に載せられた豪華な王冠。金と宝石で飾られた、重厚な冠。
――王? この人は王なのか?
そして自分は王の息子――王子?
混乱する思考。前世の記憶と今の状況が噛み合わない。量子力学の研究者が、中世ヨーロッパ風の異世界に転生? それも王子として?
だが確かなことが一つある。自分は生まれ変わり、二度目の人生が始まったのだ。
「エリザベス、よく頑張ってくれた」
男――王が隣にいる女性に優しく声をかける。
その声音は先ほどとは違う。厳格さが消え、純粋な愛情だけが残っている。
視線を移すとそこには深い蒼色の髪を持つ美しい女性が横たわっていた。
長い髪が汗で額に張り付いている。顔色は青白く、疲れ切った様子。だがその顔には柔らかな笑みが浮かんでいる。蒼色の瞳が自分を見つめている。
「いえ、陛下……この子が無事に生まれてくれて……それだけで……」
女性――母が自分を見つめる。
その瞳には深い愛情が溢れていた。
見返りを求めない、純粋な愛。ただ存在しているだけで愛される、無償の愛。
前世では感じたことのない感情だった。
前世の親は自分を理解しなかった。研究に没頭する息子を奇異な目で見ていた。「普通」ではないことを受け入れられなかった。
だが今、この温かな視線を受けて、初めて理解した。
――ああ、これが母親か。
家族とはこういうものなのか、と。
「父上、弟を見せてください!」
明るく元気な声が響いた。
少年の声。高く、快活で、好奇心に満ちている。
視線を向けると銀髪で蒼色の瞳を持つ少年が駆け寄ってくるのが見えた。外套を翻して、まるで風のように軽やかに。身長から察するに六歳前後だろうか。
「レオナルド、静かにしろ。母上が休まれている」
今度は冷静な声。
抑揚が少なく、だが確かな威厳を持つ声。
もう一人の少年が現れる。銀白色の髪に金色の瞳を持ち、父――王に似た容姿は完璧と言えるほど整っていて、年齢は九歳ほどながら、すでに大人びた雰囲気を纏っていた。
「兄上たちだ。お前には二人の兄がいる」
カール13世と呼ばれた男が説明する。
二人の兄。
前世では一人っ子だった。兄弟というものを持ったことがなかった。
レオナルドと呼ばれた少年が目を輝かせて自分を覗き込んだ。その瞳は純粋な好奇心と喜びに満ちている。
「小さいな! でも可愛い! 俺が守ってやるからな、弟よ!」
その言葉に何か温かいものが胸に広がる。
守る、と言ってくれた。
この少年は自分を家族として受け入れてくれている。
一方、ヴィクトールと思われる少年は、少し離れた場所から冷ややかな視線を送っていた。
金色の瞳は自分を値踏みするように揺れず、表情はほとんど動かない。そこにあるのが嫉妬なのか、警戒なのか、あるいは別の感情なのかは断定できない。ただ、新しい弟を歓迎しきれない空気だけは伝わってきた。
「さて、では儀式を行おう」
カールが厳かに宣言した。
その声が部屋全体に響く。まるで命令のように。
「宮廷魔導師を呼べ。第三王子の魔力測定を行う」
魔力測定。
その言葉にかすかに記憶が蘇る。
この世界には魔法が存在するのか。
――面白い。
前世では物理法則に縛られた世界だった。だが今度は魔法という超常現象が存在する。
研究者としての好奇心が赤子の体の中で蠢いた。
三日後。
豪華な儀式の間に多くの廷臣たちが集まっていた。
高い天井と豪華なタペストリーに囲まれた広間の赤絨毯の両脇には、百人を超える貴族が整列していた。
生まれたばかりの自分は柔らかな絹の布に包まれ、母の腕に抱かれている。
この三日間で、少しずつ状況が理解できるようになってきた。
ここは異世界。魔法が存在し、貴族制度があり、そして自分は王家の第三王子として生まれた。
この三日で侍従たちの会話から拾った断片をつなぐと、ここはヴェルディア王国らしい。大陸中央に位置する強大な魔法国家で、少なくとも表向きは平和を保っている。
前世の記憶はまだぼんやりとしている。夢のように曖昧で、時折断片的に思い出すだけだ。だが確かに別の人生があった。それだけは理解している。
知識も少しずつ戻ってきている。物理学、数学、化学――前世の基礎が頭の奥でまだ息づいていた。
「では始めましょう」
白い長いローブを纏った老人が進み出た。
背は低く、腰が曲がっている。だがその目は鋭く、知性に満ちている。長い白髭が胸元まで垂れている。
宮廷魔導師と呼ばれる者らしい。その手には拳大の透明な水晶球が握られ、光を受けて虹色に輝いている。
「魔力測定の儀式とは新生児が持つ魔力の資質を測るものです」
老魔導師が朗々とした声で説明する。
「この水晶球に触れることで、その子の将来的な魔力ランクを予測できます。水晶球の輝きが強いほど、魔力の資質が高いということです」
周囲の廷臣たちが固唾を呑んで見守っている。
ざわめきが消え、静寂が広間を支配する。
なるほど、魔力測定か。
この世界では重要な儀式なのだろう。貴族の子、ましてや王子ともなれば、その資質は国の命運を左右するのかもしれない。
「第一王子ヴィクトール様はA級の資質。第二王子レオナルド様は、B級の資質でした。さて、第三王子アルヴィン様は――」
老魔導師がゆっくりと近づいてくる。
母の腕の中で、自分は静かにその様子を見ていた。
A級、B級。ランクがあるのか。そして二人の兄は高い資質を持っているらしい。
では自分は?
水晶球が自分の小さな手に触れられる。
冷たい。
滑らかな感触。
そして、その瞬間。
何も起こらなかった。
水晶球は透明なまま。何の反応も示さない。
虹色の輝きも消え、ただの透明な玉になっている。
通常であれば、魔力に応じて光るはずの水晶がまるで死んだように静まり返っている。
「……これは」
老魔導師が目を見開く。
その顔に驚愕の色。
周囲がざわめき始める。小さな波紋が広間全体に広がっていく。
「どういうことだ?」
カールが低い声で問う。
その声にはわずかな緊張が滲んでいた。王としての威厳は保っているが内心では動揺している。
「申し訳ございません、陛下。もう一度測定いたします」
老魔導師が慌てて再度水晶球を触れさせる。
だが結果は同じだった。
何の反応もない。完全に無反応だった。
「まさか……」
老魔導師の手が震えている。
「ゼロ、です」
その言葉が震える声で告げられた。
「第三王子アルヴィン様の魔力資質は――ゼロ。魔力をお持ちでない……」
瞬間、儀式の間が静まり返った。
誰も息をしていないかのような、重苦しい沈黙が広間を満たす。
――ゼロ?
赤子である自分の意識の中で、疑問が浮かぶ。
魔力がゼロ? それは魔法が使えないということか?
この世界で、魔法が使えないということはどれほど致命的なのだろう。貴族として、王子として、それは許されることなのか?
廷臣たちの視線が自分に集中する。
憐れみと軽蔑、そして失望が混ざった視線が向けられる。
それらがまるで針のように突き刺さる。
「そんな……」
母エリザベスが小さく呟く。
その声には悲しみと困惑が混じっていた。抱く腕がわずかに震えている。
「嘘だろ! 弟に魔力がないなんて!」
レオナルドが叫ぶ。
その声には信じられないという思いが込められている。純粋な少年らしい反応だった。
一方、ヴィクトールは何も言わず、少し離れた位置から自分を見つめていた。
金色の瞳は揺れず、表情もほとんど動かない。そこにあるのが安堵なのか警戒なのか、あるいは別の感情なのかは断定できないが、歓迎しきれない空気だけは伝わってきた。
カールはしばらく沈黙していた。
その金色の瞳が自分をじっと見つめている。厳格な王の顔。表情一つ変えない、完璧な仮面。
だがその奥底には何か別の感情が隠されているように見えた。
驚き? いや違う。
まるで――予想していたかのような。
「……そうか」
やがて、カールが静かに呟いた。
その声は不思議なほど穏やかだった。
「陛下、これは……王家の恥辱かと……」
廷臣の一人が恐る恐る言いかけるがカールが手を上げて制した。
その動作は絶対的な権威を示している。
「黙れ」
一言。
だがそれだけで十分だった。
「これは我が息子だ。魔力の有無など関係ない」
その声は絶対的な威厳に満ちていた。
誰も反論できない。王の言葉は法であり、絶対だった。
だが廷臣たちの視線には明らかに失望と軽蔑が混じっている。
王がどう言おうと彼らの心は変わらない。魔力ゼロの王子など、価値がないと思っている。
――ああ、これは厄介なことになったな。
赤子の姿で、しかしその内側では前世の記憶を持つ自分が冷静に状況を分析していた。
魔力ゼロの王子。
前世知識の一般論に照らせば、それは王家にとって深刻な瑕疵になり得る。王位継承から外されるか、最悪の場合は表舞台から消される可能性すらある。
そして自分はこれから、どのような人生を歩むことになるのか。
「預言が……」
誰かが小さく呟いた。
広間の端、貴族たちの中から漏れた声。
「ゼロより生まれし者……まさか……」
その言葉に周囲がざわめく。
「静粛に!」
カールが一喝する。
雷のような声。それだけで、広間が再び静まり返った。
だがその言葉が広間に漣のように広がっていくのは止められなかった。
ゼロより生まれし者――それは何だ?
預言? 自分に関係する何か?
疑問が渦巻く。だが赤子の自分には何もできない。ただ母の腕の中で、この状況を受け入れるしかなかった。
「エリザベス、部屋に戻ろう」
カールが優しく母に告げる。
その声は先ほどの厳格さが消え、夫としての優しさだけが残っている。
母は無言で頷き、自分を抱いたまま儀式の間を後にした。
廷臣たちの視線が背中に突き刺さる。
憐れみと軽蔑、好奇心の入り交じった視線が、退室する母子の背を追いかけてきた。
――これが俺の新しい人生の始まりか。
前世では研究に明け暮れた孤独な人生。誰とも深く関わらず、ただ知識だけを追い求めた。
そして今世では魔力ゼロの王子として生まれた。
何という皮肉だろう。
世界の根源を知りたいと願った研究者が魔法の世界に転生しながら、その魔法が使えないとは。
だが、母の腕の温もりを感じながら自分は思った。
前世とは違う。
今度は孤独ではない。
家族がいる。母がいて、父がいて、兄たちがいる。
たとえ魔力がゼロだとしても、この命を無駄にはしない。
必ず、この世界で生きてみせる。
そしていつか――
世界の真実をもう一度、この手で掴んでみせる。
その夜。
王宮の一室で、カール13世は一人、窓の外を見つめていた。
月明かりがその厳格な顔を照らしている。銀髪が月光を反射して、まるで銀の糸のように輝いている。
外套を脱ぎ、椅子に深く腰掛ける。
疲れた様子はない。だがその表情には深い思索の色があった。
懐から、一枚の古びた羊皮紙を取り出す。
黄ばんで、所々が破れかけている。何百年も前のものだろう。だがそこに記された文字は今も鮮明に残っている。
古代文字。この国でも、今ではほとんど読める者がいない文字。
だがカールは読める。王家に代々伝えられてきた知識として。
『ゼロより生まれし者、虚無を継ぎ、世界の終焉を見届けん。あるいは救わん』
それは数百年前、最後の神託者が残した言葉であり、王家に代々伝えられてきた秘密だった。
カールの金色の瞳がその文字を見つめる。
カールは指先で文字をなぞり、古い羊皮紙の感触と歴史の重みを確かめるように目を細めた。
その手がわずかに震える。雷帝と恐れられ、かつて戦場で千の敵を薙いだ男の手が、今は一枚の紙を前に揺れていた。
「……アルヴィン」
息子の名を小さく呟く。
「お前は一体何者なのだ」
その問いに答えはない。
ただ月明かりが静かに部屋を照らしているだけだった。
あ、あたまいたーーい!




