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零域の第三王子 〜命の使い道をひとつしか知らなかった俺へ〜  作者: 雲雲く
第一部:幼少期編

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第9話 秘密の修行

【雲雲く】は予約投稿を覚えた!


 記憶が完全に戻ってから一週間が経った。外見上は普通の三歳児として振る舞い、母に甘え、絵本を読み、庭で遊ぶ。だが内面は別人のように変わっていた。


 数学、物理学、量子力学。研究者として培った論理的思考。前世三十二年分の全てがこの小さな頭の中に収まっている。


 ――今の俺は実質三十五歳だ。


 片言しか話せない体で複雑な理論を組み立て、走り回りたい衝動と静かに本を読みたい欲求が絶えず衝突する。甘えたい子供の感情と独立したい大人の意識が混在するこの不一致は、慣れるしかなかった。


 そんな日々の中、ある夜。


 深夜二時。王宮は静まり返り、窓から月明かりだけが差し込んでいる。時計の針がカチ、カチ、と刻む音と、遠くの夜警の足音だけが暗闇に溶けていた。


 ――今なら、誰にも見られない。


 そっとベッドから降りると、裸足に冷たい床がひやりと伝わった。部屋の隅に座り、目を閉じる。


 記憶が戻ってからずっと理論を組み立て、方法論を構築してきた。魔力制御の訓練を、今夜から実行する。

 目標は三つ。感知、核への接触、循環の安定化だ。


 ――魔法はこの世界のエネルギー操作技術だ。


 絵本で学んだ基礎理論と科学知識を融合させれば、魔力の正体が見えてくる。魔力は未知のエネルギー、魔法陣はその変換装置、詠唱は発動トリガー。全てを分解し、理解する。


 冷たい空気を肺に満たし、ゆっくりと吐き出す。意識を内側へ向けた。


 ――魔力は体の中にある。


 母がそう教えてくれた。ならばまずはそれを感じ取らなければならない。


 背筋を伸ばし、手を膝の上に置いて瞑想に入る。研究室で実験前に必ず行っていた十分間の瞑想と同じ手順だ。

 心拍が落ち着くまで十呼吸、雑念が浮いたら数え直す。単純だが、再現性のある手順にしなければ訓練にならない。


 心臓の鼓動を捉える。血液が体を巡る温かさ、筋肉の微かな緊張。それらを順に感じ取りながら少しずつ力を抜き、さらに深く、体の奥底へ意識を沈めていった。


「……!」


 何かを感じた。胸の中心あたりに、確かに何かが「ある」。


 温かいのに少し冷たく、流れているようで静止しているようでもある。光のようで闇のようでもある不思議な感覚が、言葉にならないまま全身を包んだ。


 ――これが魔力?


 心臓が速く打ち始める。興奮と恐怖と期待が同時に押し寄せ、呼吸が乱れかけた。意識的に鎮め、その「何か」を観察し続ける。


 すると、視覚ではなく第六感に近い感覚で、自分の中を光のようなものが巡っているのが捉えられた。血管とは別の経路だ。魔力の通り道が細く複雑に入り組み、神経のネットワークのように全身を網羅している。


 ――魔力の流れだ。


 電気が回路を流れるように、魔力が体を巡っている。経絡、気、チャクラ。東洋医学の概念に似ているが、これは比喩ではなく実在するエネルギーだった。


 そしてその中心、心臓の少し下、みぞおちの奥に「核」がある。


 光の塊。エネルギーの集積点。そこから魔力が湧き出し、体中を巡っていた。


 ――魔力核。


 エンジンであり、発電機でもある、すべての魔力の源だ。まずは接触時間を一拍だけに制限し、慎重にその核へ意識だけで触れてみる。そっと、優しく。


 しかし次の瞬間、


 ぶわっ、と魔力が溢れ出した。


「うっ!」


 思わず声が漏れる。エネルギーが一気に体を満たし、魔力は出口を求めるように暴れ始めた。皮膚がピリピリと痺れ、周囲の空気が震える。


 ――落ち着け。パニックになるな。観察して理解しろ。


 深呼吸で意識を整え、暴走する魔力の流れを追った。一見無秩序に見えるが、一定の経路を高速で循環している規則性がある。つまり魔力核は非常に敏感で、わずかな刺激にも大量の魔力で反応するのだ。

 暴走が始まってから三秒以内に呼吸を整えられるかどうかが、制御の分岐になる。


 今度は撫でるように、囁くように意識を寄り添わせる。


 すると魔力がゆっくりと、穏やかに動いた。核から湧き出し、体を巡り、再び核へ戻る。美しい循環だった。


 ――やった。


 心の中で小さく叫ぶ。


 一時間ほど、同じ操作を何度も繰り返した。強く意識を向ければ魔力は激しく流れ、優しく向ければ穏やかに流れる。

 成功と呼べる安定循環はわずか数回だったが、失敗の条件ははっきり掴めた。まだ魔法は使えないし、魔力を体外に出すこともできない。だがこれは確かな第一歩だった。


 「ゼロ」判定だったはずの自分に、魔力は確かに存在している。測定器が反応しなかった理由はまだ分からない。


 ――おそらく、俺の魔力は特殊なんだ。


 虚無。ゼロポイント。その繋がりを考える前に、疲労が押し寄せた。


「……ふぅ」


 大きく息を吐き、ベッドに戻る。冷たくなったシーツに体を滑り込ませると、達成感が静かに胸を満たした。


 ――できる。俺は魔法が使えるようになる。


 その確信を抱いて目を閉じると、自然と笑みが浮かんだ。




 翌朝。窓から差し込む金色の陽光の中で、母の声が聞こえた。


「おはよう、アルヴィン」


「おはよう、お母様」


 いつも通りの笑顔を返す。だが母の蒼色の瞳が、一瞬だけ息子の顔に留まった。


「……昨夜はよく眠れた?」


「うん」


 嘘だった。訓練を終えたのが午前三時、眠りについて起きたのが六時。だが研究に没頭していた前世の習慣で、短時間睡眠には慣れている。


「そう……」


 母は心配そうに息子の目の下を見ている。わずかな隈ができていたのだろう。それでもそれ以上は聞かず、手を差し伸べてくれた。


「さあ、朝ごはんにしましょう」


 その温かく柔らかい手を取りながら、心の中で謝る。


 ――ごめんね、お母様。いつか全てを話せる日まで。


 午後、図書館へ向かった。


 天井の高い静かな空間に、古い紙とインクの匂いが満ちている。窓から差す柔らかい陽光の下、机には魔法に関する高度な本が積まれていた。


 『魔力理論概説』『魔法陣構造学』『属性相性表』『上級魔導原理』


 三歳児には到底読めない本ばかりだ。遠くから見守る侍女たちが小さく囁き合う声が聞こえる。


「王子様、本当に賢いですね」「こんな難しい本を……まだ三歳なのに」「やはり王家の血筋ですわ」


 気にせずページをめくる。魔力の理論、魔法陣の構造、属性の相性。全てを吸収していく。


 夜は実践、昼は理論。研究者だった自分にとって、それが最も効率的な成長の道筋だと分かっていた。


 複雑な幾何学模様の魔法陣が目に入る。円と線と記号が織りなす精緻な図。


 ――電子回路に似ている。


 入力部、処理部、出力部。魔力の流れを制御し、望む形へ変換する仕組み。本質はプログラミングと同じだ。


 ふと、本から顔を上げる。


 この理解を共有できる相手はどこにもいない。転生者であることも、大人の精神がこの体に宿っていることも、明かせば異端として迫害されかねない。


 ――だから今は、母にも父にも兄たちにも話せない。


 愛する家族が近くにいるほど、その沈黙は重くなる。胸の奥に沈む孤独を、ただ抱えて進むしかなかった。


「……はぁ」


 小さくため息をつき、窓の外を見る。青い空と白い雲、美しい庭園。穏やかな世界だ。だが、あの夜に触れた虚無の気配が、いつかこの静けさを破るのではないかという予感だけは消えなかった。


 ため息をついている暇はない。学び、鍛え、結果で示す。いつか家族を守れる強さに届けば、この沈黙にも意味があったと思えるはずだ。


 本を開き直し、再び読み始めた。


 その夜も深夜二時に起き出して訓練した。もう昨夜ほどの苦労はない。すぐに魔力核を捉え、穏やかに魔力を流すことができる。


 二日目にして、魔力を意図した方向へ送り込めるようになっていた。右腕へ、左腕へ、足へ、頭へ。左右の腕を往復させる操作も崩れず続く。

 体外への放出はまだできないが、体内循環の精度は確実に上がっている。


 ――もう少しだ。焦らず、着実に。


 一時間の訓練を終えてベッドに戻り、疲れた体をシーツに沈めた。夢の中で魔法を使う自分を見ながら、眠りに落ちていく。


 一方その頃、エリザベスは夫カールと寝室で向かい合っていた。月明かりが窓から差し込む夜更け、声を潜めて話す。


「アルヴィンの様子、やっぱり変わったわ」


「……ああ。だが、今は問い詰めるな」


「それでも心配なの」


 カールは窓の外へ目を向けたまま、短く答えた。


「分かっている。だからこそ見守るべきだ」


 エリザベスは小さく頷く。母としての不安は消えない。それでも、焦って壊すより待つべきだと分かっていた。


 二人はしばらく黙って月を見つめていた。その明かりの下で、息子が一人で訓練を続けていることを、まだ知らない。


魔力を理解するためには、コツコツとね。

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