シシリアと愉快な仲間たち
登場人物が増えていきます
講師になって三ヶ月が過ぎた。
シシリアの生活は、講義に研究に素材採集、そして“教える勉強”と、彼女としては非常に充実した毎日を送っていた。そして、時々魔導院の中庭や庭園、図書館など共用設備にふらりと現れてはぼーっとしている姿を、複数の院生や講師に目撃されているのだった。
昼下がり。魔法薬学棟に隣接するハスの庭。
春と夏の間の暖かい光が降りそそぎ、薄紫の影が芝生の上に淡く落ちている。黒のローブをゆるく揺らしながら、シシリアは長椅子に腰を下ろし、手の上で小さな草の葉をくるくると回していた。
——“生命魔力応答”。
生き物は、魔力に“触れられた”とき、ほんの一瞬、脈のように揺れる。けれど、それがどういう意味を持つのか、まだ誰も説明できていない。
「……昨日の薬液、あれは魔力を与えると色が変わった。けれど、魔獣の鱗片の方は逆に沈静化して……」
小さく呟きながら、ライラック色の瞳が遠くへ漂う。
中庭を吹き抜ける風に白金の髪がさらさらと揺れ、黒いローブとの対比で、彼女だけが静かに光っているようだった。
「魔力の質と生命の“意図”が関係しているのだと仮定すると、その証明には……」
真剣に考えてはいるのだが、じっとしているのが得意ではないシシリアは、足先で土をこつこつつつきながら、葉っぱを裏返してみたりと、子どものような無意識の動作を繰り返す。
「シシィ、研究の考え事?」
「――っ!? エル、いたの!?」
肩を跳ねさせたシシリアの目の前に立っていたのは、今年魔導院魔導理論科の四年生になったアーシェルだ。灰色の瞳は一見冷たく見えるが、意外に話好きで面倒見が良いことを、シシリアはこの一年の付き合いで良く知っている。
そのアーシェルは、シシリアの顔をイタズラっぽく覗き込んだ。
「そのままぼーっとしていたら、夜になっちゃうんじゃない?」
「失礼ね! いくら考え事をしていたって、そこまでは……」
と言いかけて、前科があることを思い出したシシリアは、その後をモゴモゴと誤魔化した。
「――え、ほんとにあるの?」
呆れ顔でため息をつくアーシェルに、だって、仕方がないじゃない、とシシリアはむすっとして答える。
何が「仕方がない」のかは分からないが、このままにしておくと本当に夜までここにいる可能性があることはわかった。まったく、呆れた研究バカだと思いながら、アーシェルは別の話題に切り替えることにした。
「そういえば、研究に使う素材、そろそろ採集に行く時期だよね。手伝おうか?」
アーシェルの言葉に、パッと花が咲くように表情を変えたシシリアは、どこからともなく地図を取り出した。
「ほんと? 助かるわ! 実はね、この地図の、ここの場所に行ってみたいの。私、初めてだから案内できない? “あまり人が通らない谷”って――」
「シシィ、そこは“魔物の縄張り”と書かれているんだよ」
自分の言葉を遮るアーシェルに、シシリアは「あら?」と首を傾げてから、持っている地図に顔を近づけてよーく見た。
「まったく……君の目は、何でも都合よく見えてしまうんだね」
アーシェルは、苦笑いしながらそっとシシリアから地図を取り上げた。
「ここに行くには、少し準備が必要だよ。行くのは三日後にしよう」
「わかったわ。――あ、でも、お願いしておいて何だけど、本当にいいの? 講義には差し障りはない?」
アーシェルと話していると忘れてしまいがちだが、彼は魔導院の院生である。いくつ修了証を持っているのかは知らないが、シシリアのわがままに付き合っている暇はないのではないか。シシリアはそう思ったのだが、
「あのね、魔導院は、一年で修了証を全部取ろうなんてバカなことをしなければ、そんなに忙しくはならないんだよ」
と苦笑いされた。
「俺は、着々と修了証をもらってるし、このままいけば、規定のものは今年で全部取り終わるよ」
「そうなのね! さすがエルね! ……ん? バカなこと?」
それって私のこと? とアーシェルを睨みつけるシシリアに、彼は穏やかに微笑み返した。
「ほら、そろそろ行かないと、午後にも講義が入ってるんじゃないの? 準備が間に合わなくなるよ?」
「あ! そうね。じゃあ、また後で三日後の相談をしましょうね!」
さらりと流されたことに気づかないまま、シシリアは慌てて魔法薬学科の講義棟に戻って行った。
その後ろ姿を、アーシェルはクスクスと笑いながら、眩しそうに見送るのだった。
*
貴族院を卒業したユリアスは、魔導院の魔導理論科に所属した。
シシリアと婚約を白紙に戻した後は噂を聞かなくなったのだが、魔導院三年目にして、急に彼女の噂を聞くようになった。
「……あのシシリアが“特級魔法薬術師“で”人気講師”? そんな馬鹿な」
十代の頃、無難で目立たず、ただ王太子妃に相応しい振る舞いだけしていた少女。ユリアスの知るシシリア像は、世間が噂するものとあまりにも違いすぎた。
しかも、貴族院時代の彼女の噂が、この二年できれいに消え去っている。代わりに魔法薬学科で、院生とよい関係を築いているとか。
「いや、あの噂は本当らしいぞ! 友達が言うには、最初の頃こそ距離があったけど、今の講義はすごく具体的でわかりやすいって」
ユリアスは、友人の話に耳を傾けながら、ここまでは真面目なシシリアらしい評価だと思った。
「特級魔法薬術師って、もっと話がかけ離れてると思ったけど、質問には丁寧に答えてくれるし、院生のペースに合わせてくれるんだとか。何より、あの容姿! 俺、図書館でちらっと見たんだけど、白金の髪を無造作に括ってるの、あれは反則だろ。品があるのに、ちょっと隙があるっていうか……!」
「……隙?」
「そうそう! 花が香るような美人なのに、焦ったりぼーっとしてたり、表情がくるくる変わるんだろ! 美人というより、可愛い! って友達が言ってたぞ!」
ユリアスは固まった。
絶対に、ユリアスの知っているシシリアではない。
真面目、従順、静か、不変――あの少女が、友人が言っているように表情を変えるのを、彼は一度も見たことがない。
(会いに行ってみるか? だが……どの顔で会うのだ? “元婚約者”? “王太子”? それとも、噂の真偽を確かめたい“好奇心”?)
――王太子の悩みは深まるばかりだった。




