帰国する
帝都を発つまでの流れは、驚くほどスムーズだった。
技術協力に関する書面は数日のうちに取り交わされた。
王国は魔法を、帝国は建築技術を互いに差し出すことを仮合意とし、レガリア王国に持ち帰ることになった。
それまで難航していた帝国に滞在する資格持ちの魔法薬術師についても、その他多くの魔法使い同様に技術協力の内に含めることになった。
署名の最後、アシュレインは当然のように一文を付け足した。
――帝国は、シシリア・ミラ・リュミエラ侯爵令嬢を中心とした魔法使いを、技術協力の助言者として迎える。
「あの。帝国の皆様は、私が薬術師であることを、お忘れではありませんか?」
仮合意の内容を離宮で聞いたシシリアが、ぼそっと呟いた。
その場にいるのは、滞在先を離宮に移動したユリアス、ルーファス、カレド、そして、なぜかアシュレインとヴァルディス。
シシリアの正面のソファに座ったアシュレインは、機嫌良く笑った。
「帝国の弱点を晒した魔法使いが、何を言うか」
後ろに立つヴァルディスも頷く。
「その後も、陛下にご助言を頂いていましたな。シシリア嬢、ぜひ今後もご協力を」
なんなら、と宰相は続けた。
「リュミエラ侯爵家皆様で、帝国に移り住みますか?」
ヴァルディスは、この数日でルーファスを気に入ったらしい。
度々引き抜きを持ちかけられるルーファスは、いつも笑顔で躱していた。
「私も妹も、まだレガリア王国で役割がありますからね」
「機会があれば、ぜひ」
宰相が一歩も引かないのは、いつもの話だ。
シシリアの隣では、ユリアスがため息をついている。
「だいたい、シシリアは帝国でやらかしすぎだよ。幽閉の塔の破壊に、古文書の解析に、兵器見直し、転移魔法の復活、治水の改善? なんなの? ここまでされたら、技術協力も断りきれないだろ」
王太子が、珍しく素に戻っている。
ユリアスに文句を言われ、シシリアも素で反論してしまった。
「ええ? 私だって、帰国するために色々と見て回っていたんだよ? 皇宮の隠し通路だって見つけたんだから!」
「……それは初耳だ」
「ますます帰す訳にはいかなくなってきましたな」
「――秘密は厳守させます」
アシュレインが呆れた顔をし、ヴァルディスは清々しい笑顔、ユリアスは顔を引き攣らせた。
「シシィ。秘密は女性の武器の一つと言うけれどね。お前のそれは、もはや凶器だよ?」
ため息をつきながら言うルーファスに、隣からシシリアが反論する。
「お兄様、私、凶器なんて持っていないですよ?」
「自覚のない凶器は、攻撃魔法の比じゃないほど危険だよ。まだ隠していることがあれば、私に全て話してごらん」
「お兄様は、私のことが大好きですよね。何でも知りたがって……」
「そうだよ。ため息が出るほどお前のことが大好きだ。いつも言っているだろう?」
「はい、知っています。だから、大好きな妹を、信じてくださいな」
「信じているからこそだよ。お茶を飲みながら、二人でゆっくり話そうか」
「まったく。お兄様は、いつもそうやって、私とお茶をする時間を作りますよね」
「そうでもしないと、有象無象が散らないからね」
「何ですか、それは。私はいつも、少数精鋭ですよ」
「お前、言っている意味がわかっているのかい?」
「え? 優秀なことでしょう?」
「そうではなくてね。――ああ、そういうことで、失礼しますよ」
「皆様、ごきげんよう」
パタン、とドアが閉まったあとは、沈黙が場を満たした。
しばらくして、この沈黙を破ったのは、皇帝だった。
「おい、ユリアスよ」
シシリアが間に入ったことで、アシュレインとレガリア王国の使者たちは、かなり打ち解けた雰囲気で話すようになっていた。
――というか、リュミエラ兄妹がいつも場を壊すものだから、堅苦しい雰囲気が続かないのだ。
「いつもそうだが、あの兄妹は何とかならないのか?」
「あれに口を挟むと、巻き込まれます。どちらかが止める必要性を感じている時以外は、触れない方が身のためかと……」
「特に、兄が問題ではないか。シシリアと少しも距離が縮まらん。優秀にも程があるだろう」
「……陛下。私に言うのは、ひどい誤りです」
アシュレインとユリアスは、同時にため息をついた。
少し離れたところで、ヴァルディスがカレドの愚痴を聞いている。
「――私、影が薄くないですか? 私も使者なんですが……」
この離宮において、アウレリア帝国とレガリア王国を隔てるものは、何もなかった。
――
レガリア王国に戻ったその日、エリス・バンデールは拘束されたまま、王国軍に引き渡された。
帝国でも、シシリアたちと話した後、ユリアスの意向により貴族牢に入れられていた。
エリスは、王国を守ろうとしただけだ。
帝国でも、聖女として多くの人を癒してきた。
確かに、帝国に王国の情報を流したし、シシリアの誘拐にも手を貸した。
けれども、それが牢に入れられるだけのことだろうか。
根底には、王国を守りたい、救いたいという思いがあっただけなのに……
そもそも、実際にシシリアを攫って利用しようとしたのは帝国だ。
それなのに、なぜエリスだけが悪者になっているのか。
エリスは、ユリアスやアシュレインに訴えたかった。
しかし、帰国の日まで、その願いすら叶わなかった。
王都の転移門を抜けた直後、彼女の両腕は、無言の憲兵に取られた。
声を上げる暇も与えられない。
白衣の上から、拘束用の魔具が装着され、魔力の流れが遮断される。
いつもなら、誰かが止めたはずだった。
聖女、と呼ばれる立場なら。
だが――誰も動かなかった。
視線を上げると、そこにいたのは王国魔導庁の職員たちだった。
見覚えのある顔も、ない顔も混じっている。
その中に、かつて情報をくれた人物がいた。
目が合ったが、すぐに逸らされた。
「……どういう、こと……?」
エリスの問いに答えたのは、淡々とした宣告だった。
「エリス・バンデール。王国法ならびに魔導規約違反の疑いにより、身柄を確保する」
その言葉で、ようやく理解する。
話し合いの段階では、ない。
彼女は、護送された。
王都の一角、魔導庁の地下。
尋問と裁定のためだけに使われる、窓のない区画へ。
⸻
正式な裁きは、驚くほど早く行われた。
魔法薬術師だけではなく、高位の国家資格を持つ魔法職が、帝国に勧誘された。その数は、少なくはない。王国の動きは迅速だった。
エリスが帝国にいた間に魔導庁内部で進められていた調査は、最終段階に入っていた。
召喚された小会議室には、魔導庁長官、法務官、そして王太子ユリアスがいた。
彼は、エリスを見なかった。
それだけで、胸の奥が冷える。
「エリス・バンデール」
長官が、記録を読み上げる。
「王国魔導院院生の身分でありながら、帝国と非公式に接触し、王国の魔法薬術および転移魔法に関する技術情報を流出させた件」
紙をめくる音。
「また、王国貴族シシリア・ミラ・リュミエラの誘拐に関与し、転移魔法の成立条件および実行補助を行った件」
エリスは、思わず叫びそうになった。
――違う。
私は、王国を救おうとしただけだ。
だが、声は出なかった。
「さらに、他国勢力による魔法職者の勧誘・引き抜きに関与。魔導庁職員数名と共謀し、情報提供を行っていた事実が確認されている」
その名前が、次々と読み上げられる。
知っている人も、知らない人も。
エリスは、身体が震えるのを自覚した。
法務官が文書を読み上げる声が、耳に響く。
その内容は、エリスが行なってきたことを正確に捉えてはいるが、その目的――王国を救いたかったという思いは一切含まれていなかった。
どうでもいいのだ、ということを、理解した。
エリスがその時何を考えていたのか、とか、なぜその行動に出たのか、とかいうことは、この一連の事案検討するのに不要な情報なのだ。
それらは全て、「自己中心的な思想」の一言で、片付けられた。
法務官の言葉が終わると、ユリアスが静かに口を開いた。
「エリス。君の行為は、結果として王国と帝国の関係を著しく損なう危険を孕んでいた」
感情のない声だった。
優しかった彼の目が、今は怖くて見ることができない。
エリスは、下を向いたまま、自分の“事情”を知る王太子の言葉を聞いていた。
「たとえ、君自身が“未来”を信じていたとしても、それを理由に、他者の人生を操作し、陥れることは許されない」
エリスは、唇を噛みしめた。
「……私は……王国を……」
小さな声だった。
「君は、間違ったんだ」
ユリアスは、静かに言った。
「王国を守りたい、という思いは伝わっている」
だったら、とエリスは顔を上げると、ユリアスの、冷たい視線とぶつかった。
「だが、それと、他者を陥れることは、イコールにはならないことを自覚してほしい」
それきり、ユリアスと目が合うことは、なかった。
エリスも、再び顔を下げ、拘束された両手を見つめた。
長官が、最後の宣告を読み上げる。
「以上をもって、エリス・バンデールは、王国に対する重度の背信行為を行った者として裁かれる」
刑罰内容は、淡々と告げられた。
魔導院からの永久除籍。
研究・教育活動への従事禁止。
魔力使用の制限。
そこで、長官は一つ息を吸った。
「ただし、アウレリア帝国における救援活動については、一定の評価をしている」
事務的な声に、エリスは、ハッと顔を上げた。
「よって、他の刑罰対象者とは区別し、帝国での救援活動に生涯奉仕すること。レガリア王国へは、今後一切入国を禁止することとする」
エリスは、長官を見た。
その表情に、感情は伺えなかった。
次にユリアスを見たが、目が合わない。
最後に下を向くと、瞳からパタパタと涙が落ちた。
喉に何かが詰まって、息も苦しい。
「…………はい……」
声が出せたのは、それだけだった。




