帝国の“理由”
五日目
「帝都へ行っても良い。ただし、護衛はつけるし、侍女とも逸れるな。探査魔具も着けてもらう」
朝食後のお茶を飲んでいると、皇帝が来た。
――ここ数日、起きているシシリアに一度も会えていない皇帝が。
シシリアは、お茶を飲もうとコップに口をつけたまま固まった。
(――どこの世界に、朝から許可を伝えに“くる”皇帝がいるの!?)
シシリアだって、貴族としての教育くらいは受けている。これが異常だということは、わかる。室内にいる侍女だって、固まっている。
シシリアは、固まったまま「うーん」と器用に考えた。結果、とりあえず挨拶をすることにした。
手にしたカップを置き、音もなく立ち上がる。
「おはようございます、陛下。お返事をいただきまして、あり――」
一生懸命王太子妃教育を思い出しながら対応するシシリアの言葉を最後まで聞かず、アシュレインは、ムッとした顔でツカツカと歩み寄ってきた。
真正面まで来ると、急に左手をシシリアの腰に回し、ぐいと引き寄せる。シシリアの顔は、強制的に上向かされた。
周りにいた侍女たちは、口元に手を当てて目をうろうろさせている。周囲のパニックを無視して、アシュレインは言った。
「シシリア。名で呼べと命じたはずだが?」
至近距離の金の瞳に、シシリアの頬が紅潮する。
――誤解される。絶対に、侍女たちに誤解される!
シシリアは、焦って否定した。
「へ……陛下……他の方の目があります……ので」
だがしかし、この言葉は、完全に逆効果だった。
侍女たちは、顔を真っ赤にして「そういうことか」と納得し、アシュレインは瞬きをした後、ニヤリと笑った。
「そうか、皆がいなければよいのか?」
「……え……!? そ、その……まあ……」
アシュレインの罠に嵌ったシシリアは、肯定してしまった。
それに気を良くしたアシュレインは、さらに顔を近づけてささやいた。
「起きているお前も、また良いな」
「……っ! 陛下! 何を言って……っ!」
慌てるシシリアをクスクスと笑って、アシュレインはようやく離れた。
――腰に手を回したままで。
シシリアは、アシュレインの胸を両手で少し押した。
「――もう! からかわないでください!」
「そんなつもりはないのだがな」
アシュレインのとても楽しそうな顔を、シシリアが赤い顔で下から睨む。
侍女たちからすれば、朝からもう何を見せてくれているんだろうというのが総意だ。
「まあ、そういうことだ。逸れるなよ」
アシュレインは、そう言いながらようやく退室して行った。
扉が閉まるのを見て、シシリアは「あ、外套のお礼を言うのを忘れていたわ」と、少し残念そうな顔をした。
そのシシリアを見ていた侍女たちは、「お嬢様ってば、素直になれないのね」と、しっかりと誤解した。
扉の向こうでは、機嫌が良い皇帝を見て、宰相が胃の辺りを抑えていた。
外出する前のシシリアの準備には、もちろん一時間かかった。
準備の間中、シシリアはアシュレインとのやりとりを思い出して、王族や皇族は、距離感がおかしいのかしらと考えていた。
ユリアスは、十年の付き合いがあるからか、近くても暖かい感じがする。しかし、アシュレインは――心臓に、悪い。
シシリアは、髪を結われながら盛大なため息をついた。
しかし、知らない場所を見て回れるとなったシシリアは、朝から吹き荒れた大嵐もすっかり忘れ去った。
だって、目の前には帝都が広がっているのだ。
(うわぁ……大きい……)
人の流れ、建物の密度、空気に混じる魔力の匂い。
魔導院の町とも王都とも違う、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた文明。レガリア王国よりも大きな建物が多く立ち並び、人通りもすごい。木製の建物は一つもなく、全てが頑丈なレンガや石で作られている。地面は王都のような石畳ではなく、継ぎ目のない、少しざらっとした石のような素材。道の端には、さらに歩くための道が設けられ、等間隔に魔導灯が設置されていた。
道ゆく人々には活気が、店には物と光が溢れている。
(すごいわ! さすが世界を制する帝国ね! 何か、王国でも使えそうな便利なものはないかしら?)
正直なところ、あまりにも自由なので、シシリアは自分が攫われてきたことを忘れかけていた。
帰るための手掛かりにと始めた探索は、すでに彼女の興味の赴く方へと方向転換している。
帝都の水がとてもきれいだったので、王国でも浄水設備の参考になるかと思い、水道局へ案内してもらうことにした。
巨大な浄水装置を見て、シシリアは瞳を輝かせた。
「すごいわ! ここでお水を綺麗にして、帝都全体に供給しているのね!」
案内役の水道局職員が、嬉しそうに答える。
「帝国では、小さな町や村でも浄水装置を設置しています。これにより、汚染された水で体調を崩す民もいなくなりました。レガリア王国では、そうではないのですか?」
「王国では、家ごとに浄水魔具をつけていますし、お値段も魔具としてはお安く提供していると聞いています。けれども、誰もが気安く買えるほど、お安くはないのです」
シシリアは、以前身を寄せていた辺境の村を思い出す。
お腹を壊して薬をもらいにくる村人は、定期的にいた。
あれがないだけで、どれだけ民の負担が軽くなるか。
「誰もが安全なお水を使える帝国の皆様は、とても幸せですね」
そうですね、と職員も同意した。
シシリアは、水の引き方、全世帯に供給する方法、汚れた水の処理方法などを聞いた後に、浄水装置へ移動した。
それは、植物のツタを模した魔法陣が絡みつく巨大な水槽で、見たことのない規模の常魔法にシシリアの頬が紅潮した。
「すごい……すごいわ……なんて技術なの!」
シシリアは子供のようにはしゃぎ、あちこち走り回った。貴族令嬢のその姿に、水道局職員は目を丸くして驚き、付き添いの侍女はため息をついた。
落ち着かないシシリアは、浄水装置の下を覗き込んだ瞬間に、ピタリと動きが止まった。
「んー?」という声と共に起き上がり、一歩、二歩、三歩と後ろに下がった。巨大な水槽の周りをぐるりと一周する。視線はそれに固定されたままだ。キラキラとした表情は、消えている。
腕を組んで首を左に傾げる。きょろきょろと周りを見渡して見つけた階段に登り、水槽を上から眺めて、また降りてきてそれを一周した後に、指を顎に当てて困った顔をした。
急に様子が変わったシシリアを、困惑した顔で眺めていた人たちのうち、水道局職員が、思い切って声をかけた。
「――あの、いかがされました?」
「…………」
反応しないシシリアと困った職員に、見かねた侍女がシシリアの肩に触れて声をかける。
「――お嬢様? お返事をなさらないと、お困りですよ?」
シシリアは、「えっ!?」と驚いた声を出した。
「どうされましたか? 何か、お気づきのことがありましたか?」
有能な侍女が、水道局職員の言葉を代弁した。
シシリアは、困った顔をして少し下を向いてから、言葉を選んで話し出した。
「――この水槽に描かれた魔法陣は……あの、いつ頃作られたものですか?」
急に振られた魔法陣の話に、水道局職員は驚きながらも答えた。
「詳しくは資料を確認しなければわかりませんが、確か帝国の建国から少ししてのことかと記憶しております」
「ええと、そうすると七百年程前のものということですか?」
「よくご存じですね。その頃から、少しずつ改良されているとは聞きますが」
「では、この浄水装置が作られた経緯などは、ご存じですか?」
それ魔法陣にどんな関係が?と水道局職員は不思議に感じながらも、口を開く。
「はい。帝国は、今では豊富な水源に恵まれた山がありますが、昔は水源の少ない土地だったのです。そこで水を確保するための装置を作ったのですが、飲み水には適さなかったため、その装置に浄水機能を付けたのが、現在の浄水装置の始まりと言われています」
それ聞いて、シシリアは「あ、それで」と納得した表情をした後、すぐにもっと困った顔をしてしまった。
「帝国は、この装置の問題点を解決する術をお持ちなのですね。今の私では、どうしたらよいものか、途方に暮れてしまいました……」
泣きそうなくらい悲しそうなシシリアに、そこにいた全員が「何の話を?」となった。
「あの……問題点とは、いったい……?」
水道局職員は、勇気を出して聞いた。
シシリアは、「え?」と首を傾げる。
「だって、大問題ですよね? この装置、土地の寿命を縮めています」
護衛を含めて全員が、「は?」である。
「いえ、だから……この装置は水がなかった時代に、土地から無理やり水を集めて浄化したんですよね? そのための魔力も、土地から吸収してますし、当時は本当に困っていたんですね」
シシリアの説明に、全員がポカンとしている。
シシリアは続けた。
「当時は、帝都だとかの都市でこれを使っていたのでしょうね。ここで使う分には、生活用水以外は使いませんし、土地が乾いても力がなくなっても、なんとかなるかもしれませんね。けれども、農村部でこれを使い続けると、土地の水は奪われ、大地に眠る力も枯渇していきます。結果として、大地そのものが死にます」
シシリアは、悲しそうに続けた。
「帝国は、大地の枯渇を阻止する技術をお持ちなのですね。もし、この魔法陣を直したとして、では水はどこから持ってくるのかとか、魔力をどうするのかとか……今の私には、わからないことばかりです」
私もまだまだですね、とため息をついた。
その日、水道局長は宰相への顛末書を最速で仕上げた。
⸻
夕方。
宰相は、蒼白な顔で報告書を差し出していた。
「……以上が、本日のリュミエラ嬢です」
アシュレインは、黙って聞いていた。
帝都の探索、浄水装置への関心、そして大地の枯渇。
「それが本当だとすると――」
沈黙が、執務室を満たす。
アシュレインは、目を閉じた。
宰相は、じっと次の言葉を待った。
皇帝が目を開くと、金の瞳は苦しげに曇っていた。
「――帝国は、世界の害悪だな」
吐き出された言葉は、重い。
「俺は……」
言葉が続かない。
宰相は、静かに執務室を退室した。




