シシリアの帝国生活
翌朝。
シシリアは――暇だった。
行動に制限もないし、何をしろとも言われていない。
皇宮から出たとして、何をどうすれば王国に帰れるのかも、わからない。
そこで、シシリアがしたことは、離宮の地図を広げることだった。
「……広いわね」
侍女が恐る恐る答える。
「はい。陛下の離宮ですので……」
「じゃあ、探検しがいがあるわね」
その一言で決まった。
シシリアは、滞在している階から始めることにした。
たくさんの部屋が並んだこの階は、客間が集中している階のようだった。どの部屋も趣味の良い家具が置いてあり、中庭がよく見えるようになっていた。
廊下の途中で、シシリアは気がついた。
「この柱、装飾紋が左右で違うのね。……ここ、昔増築したの?」
着いてきた数人の侍女は、誰も答えられなかった。
曰く――装飾“紋”て、何?
離宮の主要な部屋を回ると、すでにお昼になっていた。
シシリアは一度部屋へ戻り、昼食を軽く食べた後に庭に出ることにした。
美しい庭園の中央にある噴水で、シシリアは足をとめた。
「この噴水、すてきね! 魔力循環が二重になっているのね!」
侍女たちは、首をひねった。
このご令嬢は、侯爵家のご令嬢ではなかったか。
今、“噴水が”すてき、ではなく、“魔力循環が”すてき、と聞こえた気がしたが、気のせいだっただろうか?
「……あら? でも、魔力の流れが少し乱れているのね。修正しなくてもいいの?」
侍女たちは、顔を見合わせた。
「ほら、あそこの――」
シシリアは、言いながら噴水の水が上がる皿のあたりを指さした。
「あそこに刻まれている模様、あれ、魔法陣よね? あの、“繰り返し”っていう印が少し薄れてしまっているわ。だから水が綺麗に上がらないのね」
侍女たちは懸命に目を凝らしたが、結局何が違うのかはわからなかった。
次の日、侍女頭から指示を受けた庭師が、魔法使いにシシリアが言っていた魔法陣の修正を頼んだところ、中庭の噴水は倍以上の高さまで水飛沫を上げて虹を作り上げる、美しい噴水に生まれ変わった。
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二日目
「お嬢様、魔導研究区画への立ち入り許可がでました」
侍女頭が、皇帝の許可をシシリアに伝えた。
朝食後、お茶を飲んでいたシシリアは目を輝かせ、すぐに立ち上がった。――が、当然のように侍女に止めらる。
「お嬢様、お着替えを」
「お髪も整えませんと」
「お化粧も……」
一時間近くかかった身支度に時間に、シシリアは少しだけしょんぼりした。
そこは、本来、見学用の回廊だった。
「……どうしてこの配置にしたのですか?」
シシリアが立ち止まり、案内役の研究員に聞いた。
「魔力干渉を避けるためです」
「え? 魔力を集めているのに、干渉を避けられるのですか?」
「――は?」
シシリアは、床を見下ろす。
「これ……魔素が混乱して、爆発……」
シシリアの困った声に、研究員が苦笑した。
「さすがに、そこまで致命的では――」
「爆発――していないのならいいのですけれど……」
言葉が途切れ、研究員はだまりこむ。
シシリアも、眉を下げて考え込む。
どうしよう。言うべきなのか。しかし、ここは研究機関。知っていてこの配置になっているはずだ。何か意図があるはずだが、王国の人間である自分には、理解ができないのだ。でなければ、こんな危険な配置にするわけがない。
シシリアは納得した。納得したが、やはり言うことにした。
「あの……ご存知かとは思うのですが……やっぱり、危険です。今は小さい爆発だけだと思いますが……」
「――何を根拠に」
ムッとする研究員に、少し声が小さくなる。
「あの、けれど……あと数ヶ月で、ここの魔素の補充が……完了して……」
「え、完了?」
「そうすると、大きな爆発が……」
研究員は、「え、爆発?」と目を丸くした。
「あ、いえ、出過ぎたことを言っているのはわかっています! 対策をしていますよね! ただ、あそこと、あとあちらの位相の折り返しを一箇所ずらせばいいだけですし……起きてしまうことの対策よりも、起きないようにすることの方が……いえ、申し訳ありません!」
黙ってしまった研究員に頭を下げて、シシリアは急いで見学を終えた。
その日の夕方。
魔導研究区画の小規模爆発事故は、目に見えて減少したと報告があがった。
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三日目
その日シシリアは、豊かな白髭を胸まで垂らした考古学者トビアス・グレイと一緒に皇宮の書庫にいた。
「この棚、使われてないんですか?」
「旧ルーンティカ王国から見つかった古文書です。まだ翻訳が終わっておらんので、翻訳班しか使っておりませんな」
「じゃあ、翻訳したものがあるんですね。あの……見てもいいですか?」
「ええ、どうぞどうぞ。まだ少ないですが、レガリア王国にはないものではないですか?」
「そうなんです。とても珍しいものですので、是非!」
ということで、読み始めたシシリアだったが――
「トビアスおじいさま、ここは”反復“と読めませんか?」
「ふむ、そう読むのならこの文字は”繰越し“かのう」
「あ、なるほど! だったら、”呼び起こし“ではなくて”繰越して揺らす“なのではありませんか?」
シシリアは声を弾ませ頬を紅潮させている。いつも眉間に皺を寄せているトビアスは、今は目尻に皺を寄せて孫を見る目をしていた。
朝から古文書を読み始めて、すでにティータイムである。
「では、ここはこのように訳すのがよかろうな」
「はい、とても自然になりましたね!」
ここで、侍女はようやく声をかけることができた。
「お嬢様、グレイ先生もお誘いして、軽食を摂られてはいかがですか?」
この提案にシシリアは大層喜んだが、侍女は大層後悔した。
なぜなら、軽食の後も、それこそ夕方になるまで、シシリアが書庫に籠ってしまったからだ。
その日以降、シシリアは度々書庫に現れるようになった。
夜。
アシュレインは、やっと時間を作って離宮を訪れた。
――が。
寝室。
床一面に、地図、写本、図面。
その中心で、シシリアが力尽きて眠っている。
「……三日で、ここまで散らかすか」
呆れたように言いながら、そっと外套をかける。
散らばった紙を避けるように、丁寧に。
「自由にしろとは言ったが……」
唇が、僅かに緩んだ。
「引っ掻き回せとは言っていないぞ」
白金の髪をさらりと撫でて扉の外に出ると、宰相が報告書を抱えて立っていた。
「陛下」
「どうした」
「……三日目です」
その一言に、すべてが詰まっていた。
宰相は、深く息を吐く。
「このままでは……皇宮を中心に、学術と魔導の両面に大きな変化が起こります」
アシュレインは、シシリアに与えた客間のドアをチラリと見てから、静かに答えた。
「それの、何が問題だ?」
宰相は、何も言えなかった。




