薬屋の美人薬術師
魔導院を修了したシシリアは、家族の勧めもあり、王都から離れた国境付近の小さな村へ移り住んだ。
静かで、空気もよく、そして何より――。
「ここなら、一般種も魔法種も、素材が揃うわ……!」
この村には、近隣の森に魔力濃度の高い区域があり、希少な魔法動植物が数多く生息している。研究素材の収集にはうってつけだ。シシリアを知る者もいない。これ以上の環境はないと言ってよかった。
シシリアは村外れの小屋を改装し、小さな薬屋を開いた。
看板には簡素に「エレール薬店」。
緩く束ねた白金の髪はふわりふわりと腰まで流れ落ち(邪魔だけど縛り方がわからないから括っているだけ)、好奇心に満ちたライラックの瞳は、いつもやんわりと微笑んでいる(研究が楽しくてしょうがない)。
――たった一年で魔導院を修了し、終了とともにニ級魔法薬術師になった人物だとは、村人は夢にも思わない。
「最近、薬屋にすごい美人が来たらしいぞ」
「森の毒虫に刺された兵隊さんが、一晩で治ったって」
そんな噂が、静かな村に静かに浸透していく。
シシリア本人は、そういった噂には我関せず。黙々と薬草を干し、抽出し、配合し、ひたすら研究ノートに書き込むばかりだ。もっと研究を深めるためには、一級の制約すらあってはならない。
そんな自己中心的な思いから、禁忌素材以外は制約がつかない特急魔法薬術師をシシリアが取得するのは翌年の春の話だが、もちろん前例のないスピードでの取得だった。
*
それは、久しぶりの秋晴れの日だった。
魔導院三年になったアーシェルが王都から数日のその村に立ち寄ったのは、全くの偶然だった。
村の近くの森に魔力濃度の調査に来ていたアーシェルは、騎獣であるアオランパスの後ろ足が腫れてしまったために村に避難したのだ。
アオランパスは、魔法動物である。魔法動物の中でも、飼い慣らすことができるものがいる。本来は人が扱うことのできない魔法動物だが、騎獣商が特殊な呪で縛って騎獣にするのだ。このアオランパスは青い馬形の騎獣で、馬より一回り大きく、額に二本の短い角がある。この角から出る電撃は、ワイバーンくらいなら一撃で撃ち落とす程度の威力がある。
小さな村に騎獣を治せる獣医師はいないと思ったが、脚が腫れては無理もさせられない。休ませてやっている間に策を考えよう。
アオランパスを村の宿に預けて飼葉をやり、気休めになるのであればと考えて薬屋へ向かった。
「……失礼します。こちらが、エレール薬店で間違いありませんか?」
店の扉が控えめに開いて問いかけた。
アーシェルを出迎えたのは、少し背の低い茶髪の青年。
「こんにちは。今日はどうなさいました?」
青年は、人好きのする笑顔でにっこりと答えた。
「腫れ止めと痛み止めはありますか。実は、騎獣が怪我をしまして、専門外ということはわかっているのですが……」
アーシェルが簡単に事情を話すと、薬屋の青年はちょっと困った顔をしながらも「それは大変でしたね」と親切だ。
正直なところ、アーシェルは「無理だ」の一言で追い返されると思っていたから、この後どう断られても諦めがつくな、と感じた。だから、次の一言に驚いたのだった。
「僕には無理だけど、もう一人ならできるかも? 呼んでくるので、少しお待ちくださいねっ」
そう言って、店の奥へ入って行った。
アーシェルは、聞き間違いかと思った。
魔法薬術師は、人間の薬を作っている。なのに、騎獣の薬も調合できるかも? いや、きっと獣医師に師事したことがあるとか、獣医師の免許も取って魔法薬術師なったとか、そういうことだろう。いや、そもそもこんな小さな村に、貴重な魔法薬術師が二人? ないない。魔法薬術師は、地味な作業の割に認定試験が難しいというのが、もっぱらの評価だ。きっと獣医師が老後の娯楽で薬屋を開業したのだろう。
などと考えていること数分、店の奥から先ほどの店員が戻ってきた。
続いて現れたのは、白金髪の若い女性だったため、アーシェルは戸惑った。
「あの、もうお一人、連れてくるって……?」
「はい、もう一人の魔法薬術師です! こう見えて腕は確かですよ!」
茶髪の青年は、元気に答えた。
ということは、やはりこの茶髪の青年も含めて魔法薬術師が二人いるのか、とアーシェルは驚いた後、もう一人の女性をまじまじと見た。
年は自分と同じくらいか。光がなくても輝きそうな白金の髪を後ろでひとまとめにしている――が、どう見ても「とりあえず括っただけ」で、細い毛先があちこちに逃げている。ライラック色の瞳は好奇心に溢れて美しく、スッと通った鼻筋や小さな口も紛れもなく整っている――のに、その目の下のクマが全てを台無しにしている。魔法薬術師のローブは着ておらず(それは茶髪の青年もだが)、シンプルなブラウスとスカート(と思ったが、よく見るとパンツらしい)は、彼女の品の良さを際立たせている――はずなのに、裾になぜか乾いた魔法草の葉が一枚ペタリとくっついて、しかもうっすら光っている。
――綺麗なのに、なぜこうも外してくる?
なんだか脱力していまうアーシェルだった。
「初めまして、魔法薬術師のシシリア・エレールです」
残念な女性は、アーシェルに礼儀正しく頭を下げて挨拶をした。
「あ、自己紹介が遅れました。僕はライルです。同じく魔法薬術師です」
続いて茶髪の青年も頭を下げるので、アーシェルも気を取り直して言った。
「アーシェル・ヴァルド・ロウゲンです。魔導院の院生で、この辺りの森で調査をしていたのですが、騎獣の脚が腫れてしまいまして……お力添えをいただければと思い相談に来ました。でも、お断りいただいても――」
「騎獣は初めてなので、ぜひ見せてください! まずは様子を見に行きましょう!」
アーシェルが言い終わるのを待たずに、シシリアは勢いよく言った。
……というか、既に鞄を持っている。
ワクワクが漏れ出しているシシリアに反応できないアーシェルと、苦笑いで受け流すライル。
「シシィ、暴走しないように注意するんだよ」
「大丈夫よ! ほどほどにしておくわ! じゃあ、お店は任せたわよ!」
「はいはい。いつもしっかり任されてるよ」
……こんな軽い魔法薬術師がいていいのだろうか? アーシェルの知っている薬術師は、たいてい部屋に篭って魔法薬を作っていたり、一人の世界で考え事をしていたり、研究と向き合うことこそ至高という人ばかりだ。
戸惑う間に、アーシェルはシシリアに半ば引きずられるように宿屋へ連行されて行ったのだった。
数時間後――
「それでですね、魔法抽出液を沸点以下で相転移させるには、『魔力を加える方向』より『抜く方向』のほうが安定しやすいんです」
「なるほど……加えるより抜く方が、媒質の揺らぎが減るんですね。それであれば――」
シシリアとアーシェルは、魔導理論の話で盛り上がっていた。
宿屋で騎獣を解析したシシリアは、鼻歌を歌いながらその場で魔法薬を調合した。それを騎獣の腫れた後ろ脚に振りかける――いや、ぶっかけると、見事に治ってしまったのだ。
「魔力が脚に溜まっちゃって、炎症を起こしたみたいですね。騎獣って、こんなことがあるんですねえ」
シシリアの、あまりにも軽い口調。しかし、アーシェルは知っている。
――まず魔法薬術師は対象者を“解析”しない。
まして相手は人ではない。
そして、彼女の魔法薬術師の身分を証明する魔法紋は手袋で隠れている。
(いや、そもそも魔法薬って鼻歌まじりに作るものなのか? 何がどうなったら魔法薬をかけて虹が出るんだ……?)
理解が追いつかないアーシェルは、ひとまず残念美女の正体を暴こうと魔導理論の話を切り出した。
――そして、それは傍目から見れば明らかな悪手だった。
薬屋に戻ってからも議論は続き、かれこれ二時間である。
「二人とも……夕食の時間だからね? ちゃんと話を片付けてね?」
疲れ切ったライルの声で、シシリアとアーシェルは、ようやく夕暮れに気づくのだった。
彼がその後、週に一度は薬屋を訪れ、魔導の話をし、時に素材収拾を手伝うようになったのは、自然な流れだった。




