壊される日常
その日も、魔導院はいつも通りに始まった。
講義室に入ったシシリアは、いつものように院生たちへ視線を巡らせ、軽く微笑む。
空気は少し張っているが、集中の色だ。悪くない。
「では、前回の続きから始めましょう。魔力干渉下における抽出効率の話です」
魔力の流れを図示しながら、言葉を選び、補足を重ねる。
質問も出る。的確だ。
講義は滞りなく進み、終了の鐘が鳴った。
院生たちを見送り、資料をまとめて研究室へ戻る。
午後の講義は、これで終わり。あとは、シシリアの趣味の時間だ。
前回までの記録を読み返して、修正箇所がないかを確認する。
気になる部分が見つかって、さっそく取り掛かった。
メモや器具が散乱する研究台の上で、シシリアは作業に没頭していくのだった。
ふと、目的のものが見当たらなくて、キョロキョロと研究台を見渡した。
すると、すっと目の前に銀の混ぜ棒が差し出される。
「ありがとう」
自然に口から出た言葉だが、はて、一体誰に言ったのかしら、と視線を上げると、灰色の目が温かく微笑んでいた。
「どういたしまして。でも、もう夕方だよ? そろそろ終わらせてね」
そんなに時間が経ったのかと窓を見ると、外は薄暗く澱んでいた。
「天気が悪いのね。教えてくれてありがとう」
アーシェルにお礼を言って、区切りの良いところまで作業を終わらせる。
その間に、いつの間にかいたカディルと何やら言い争いをしながら、アーシェルが研究台を整理してくれている。いや、カディルも口を動かしながら片付けをしている。二人とも器用だ。
アーシェルも高位貴族だけど、カディルに至っては王族ではなかっただろうか。そういえば、村で一緒に薬屋をしていたライルも貴族だ。
みんな、一体どこでお片づけを習うのかしら、と真剣に考えながら、今日の記録が終わった。
窓の外では、風が一段と強くなったような気がするが、研究室の中は相変わらず穏やかだった。
――コン、コン。
硬いノック音。
返事をする前に扉が開く。
「失礼する」
入ってきたのは、見知らぬ男たちだった。
三人。揃いの外套。魔導院の者ではない。
研究室の空気が、一瞬で変わる。
「シシリア・ミラ・リュミエラ特級魔法薬術師」
先頭の男が、事務的な声で言った。
「魔導庁より参りました。ご同行願います」
シシリアが何か言う前に、アーシェルが彼女の前に出た。
「理由は?」
「国家安全保障に関わる案件です」
「説明になっていない」
「我々は、リュミエラ特級魔法薬術師と話している」
男は、アーシェルを見ていない。視線は、あくまでもシシリアに固定されている。
「へえ。この王国の魔導庁って、拉致が仕事なんだ?」
カディルも、いつの間にか壁から離れている。
楽しげだった表情は消え、目が鋭い。
男はカディルの姿を捉え、目を細めた。
「アルナスル王国の第三王子殿下ですか……だとしても、他国の政治には口出しされないことですね」
「――なんだと?」
王族の顔をしたカディルを無視して、男はすぐにシシリアに向き直った。
「すでに決定事項です」
淡々と話す男から、アーシェルがシシリアの姿を隠す。
しかし、シシリアはそれを制して一歩前に出た。
「ずいぶんと物々しい言い分に、わたくし、少し怖くなってしまいました。魔導庁の――」
シシリアは、しっかりと嘘をつきながら、わざと言葉を途中で切り、首を少しだけ傾けた。
――まず、そちらから名乗るように、と。
このまま無視したところで、名乗りもしない魔導庁に、内務省大臣の父が負けるわけがないと思った。
しかし、アーシェルやカディルがいる。もちろん、アーシェルやカディルの家も、後見として魔導庁には負けない。
それでもシシリアは、関係がないのに前に出てくれた彼らを、見過ごすわけにはいかなかった。
感情を乗せず、静かに男を見返すこと数秒、男は軽く息を吐いた。
「私は、魔導庁魔導構築科理論研究部門の部門長、クレスタです。魔導庁の研究部門への協力要請が出ております。至急、ご同行いただきたく参上いたしました」
言葉だけは丁寧になったが、事務的な物言いは変わらない。
シシリアは、困った顔をした。
「クレスタ部門長。魔導庁の要請ということはわかりました。けれども、わたくしは魔導院講師であり、リュミエラ侯爵家の人間です。まずは、魔導院と侯爵家に許可をいただいた上で、内務省の許可の元、国王の玉璽を持って、再度魔導院と侯爵家に協力要請するのが筋なのではありませんか?」
「時間がないのです」
「あなた方の都合でしょう」
男の眉が、わずかに動いた。
「抵抗される場合、強制措置も辞さない」
シシリアは、ピクリと動いたアーシェルの右腕を軽く抑えて男と対峙を続ける。
「それは、どなたのご命令でしょうか」
「一緒にいらしていただければ、自ずとお分かりになることです」
「わたくしが、あなた方とご一緒する理由がございません」
はっきりと言い放つと、男の――男たちの魔力が身体から溢れた。
シシリアは、自分とアーシェル、カディルを囲うように防護障壁を張る。
アーシェルの魔力が、研究室に満ちた。
カディルの身体に、バチっと静電気が這う。
空気がぐっと重くなる。
「一歩でも近づいたら」
アーシェルの低い声。
「その足を、二度と動かせない」
一歩、前に出る。
それだけで、研究室の空気が軋んだ。
クレスタは、わずかに顎を上げる。
背後にいた二人の男が、同時に一歩踏み出した。
瞬間――
研究室の床に、二つの魔法陣が浮かび上がる。
防護障壁の破壊と、拘束。
それを見てとったシシリアは、防護障壁を二重三重に重ねた上で、拘束の魔法陣を裏返しにかかった。
それを見たクレスタは、ほう、と感嘆の声を上げてニヤリと笑った。
アーシェルがクレスタに向けて抑制を展開、クレスタは、最も簡単にそれを跳ね除ける。
カディルの指先で、雷が弾け、後ろの男に当たる瞬間、防護障壁に阻まれる。
「この国は、外交問題を起こすのが得意なのかい?」
笑っているが、声は低い。
「排除しろ」
クレスタの声は、冷たく冷静だった。
「この薬術師さえ、いればよい」
二人の男の魔力が、研究室に溢れた。
魔力が熱を持ち、空気がバチバチと音を立てる。
それが、一瞬で収縮する。
何かが起きる、その瞬間――空気が、断ち切られた。
「――そこまでだ」




