動きは静かに、確実に
軍事会議が終わった会議室は、異様なほどに静まり返っていた。
会議室には、ユリアス一人が残っている。
——納得できない。
帝国は、王国を併合しようとしている。
王国は、国民の安寧のためにそれを阻止するだけだ。
そのために王国軍は動くし、決して帝国を倒すためではない。退ければ、それでよいのだ。
しかし、それをよしとしない勢力がいるのも確かだ。
世界でも類を見ないほどに魔法が発展している王国が、世界を先導すべきだと考える者たち――多くは、魔導庁に所属している。
魔法の王国、武力の帝国。
この二つの大国は、確かに世界に大きな影響力がある。
しかし、だからといって、他を支配して良い理由にならない。これが王国の考え方で、帝国とは大きく違う部分だ。
その帝国を退けるための軍事会議。
最終盤に、魔導庁の代表が口にした言葉が、どうしても引っかかっていた。
「特級魔法薬術師リュミエラ講師については、すでに協力が得られるものとして準備を進めております」
まるで、本人の意思など最初から考慮に入っていない言い方だった。
(……決定事項、だと?)
ユリアスが歯を食いしばった、その時だった。
「ユリアス」
柔らかな、だが決して軽くはない声。
振り返ると、そこには王が立っていた。
いつものように穏やかな表情。だが、目はよく冴えている。
「父上……」
「今の会議、どう思った?」
試すような問いだった。
ユリアスは一瞬言葉を選び、それでも正直に答える。
「……拙速です。特に、魔導庁の進め方は」
王は、わずかに頷いた。
「そうだな。あれは“要請”ではない」
ユリアスの胸が、どくりと脈打つ。
「ユリアス。王太子として覚えておきなさい。非常時ほど、“正しい手続き”を軽んじる者が現れる」
王は、声を低く落とした。
「そして……その手続きが破られた時、誰が守られ、誰が犠牲にされるのか。よく見ておくことだ」
それは、忠告だった。
「……わかりました」
「――怒るな、とは言わん」
王は、ほんのわずかに微笑んだ。
「だが、怒りは武器だ。時には己も、周りも傷つける。振り回すな。使え」
その言葉を胸に刻み、ユリアスは深く一礼した。
——止める。
王太子として、必ず。
*
同じ頃、ルーファスは、王宮にある父の執務室で書類から視線を上げた。
重厚な机を挟んだ向かいには、内務大臣である父リュミエラ侯爵が座っている。
その表情は険しく、机上に置かれた一枚の報告書から、まだ目を離していなかった。
彼らは、ともに文官だ。
軍事会議に出席する立場ではない。
——それでも。
今、二人の手元には、軍事会議で扱われた議題の要点が揃っていた。
魔導庁内部での、非公式決定。
「特級魔法薬術師リュミエラ講師を、帝国との戦局研究に協力させる」
そして——
すでに「迎え」を出しているという事実。
時刻、経路、担当部署まで。
「……軍事会議で、決まったことになっている、か」
父が、低く言った。
その声には、怒りよりも先に、失望が滲んでいる。
「正式な王命は?」
「ないな」
「王宮への上奏は?」
「それも、ない」
一つずつ、確認するようなやり取り。
すべて、予想通りの答えだった。
ルーファスは、静かに息を吐いた。
「つまりこれは——」
「越権行為だな」
リュミエラ侯爵が、即座に言い切った。
「安全確保だの、協力要請だの、言葉はいくらでも飾れる。だがな」
書類を指で叩く。
「これは、個人の意思を無視した強制動員だ。しかも、対象は——」
「魔導院所属の、特級魔法薬術師」
ルーファスが引き取る。
「王国の重要資産であり、同時に——私の妹です」
一瞬、沈黙が落ちた。
父は、ルーファスをじっと見つめた。
政治家としてではなく、父として。
「……感情で動くな、とは言わん」
それは、意外な言葉だった。
「――感情だけで動くな」
父は、ゆっくりと椅子に背を預ける。
「今回の件、魔導庁は一線を越えている。これは、内務の問題だ。軍事ではない」
ルーファスの瞳が、わずかに鋭くなる。
「では」
「こちらが、正面から止める」
父は、きっぱりと言った。
「魔導庁の権限行使に、内務として異議を申し立てる。手続き違反、権限逸脱、王権軽視。理由はいくらでもある」
「殿下は?」
「王太子殿下は、殿下の立場で動くだろう」
父は、静かに微笑んだ。
「お前はな、ルーファス。“兄”として動けばいい」
その言葉に、ルーファスは一瞬だけ目を伏せた。
「……迎えは、すでに出ています」
「承知している」
「良いのですか?」
――自分が、″兄として″出ていっても。
シシリアの兄の瞳は、全てを呑み込む深い海の色をしていた。
「何のために、私がいると思っている」
父の言葉に、ルーファスは立ち上がり、深く一礼する。
「ありがとうございます、父上」
「礼を言うのは、すべてが終わってからにしろ」
父は、再び書類に視線を戻した。
「——王国はな、国を守るために、子どもを差し出す国ではない」
その言葉を背に、ルーファスは執務室を後にした。
怒りはある。
だが、それはすでに、冷静な判断へと変わっていた。




