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11/15

灰と光の間

 その日、その瞬間、魔法薬学棟の教室全体が“沈む”ように揺れた。

「……え?」

 床が波打つように震え、カタカタと器具を揺らす。直後――


 ――轟っ!!

 

 表現の仕様のない爆音と共に窓ガラスが高音を立てて砕け散り、講義室の中に弾け飛ぶ。

 シシリアが反射的に防御障壁を展開する。

 光の壁に激突したガラス片が、次々と砕けては弾け飛んでいった。

 講義室にいた院生は、恐ろしく美しいガラスの輝きを茫然と眺めていた。


「な、なに!? 地震……っ!?」


 我に返った院生の誰かの声がした。


(――違う!)


 シシリアは直感していた。

 空気そのものが押し寄せ、胸に重くのしかかる嫌な圧。

 魔力の波動――“爆発的な魔力暴走”の余韻。

 魔法薬学棟に、魔力放送の声が響き渡る。


『全員、歩いて避難せよ! 避難場所は本塔前、正門側! 決して走るな! 歩いて避難せよ!』


 シシリアはすぐに動いた。

 近くで怯えている女性院生の腕を取り、出口の方向へ誘導する。


「大丈夫、落ち着いて! あなたたちは、私が守ります! 放送に従いなさいっ!」


 防護障壁で守られた直後の説得力。そこにいた院生は、全員怯えながらも混乱なく講義室から歩いて出た。

 魔導院の敷地は広大だ。

 窓ガラスが外から中へ弾けたことから、衝撃は魔法薬学棟とは別の場所で起こった。

 一番近くの魔導理論棟でも、歩いて十分かかる。そう考えて、シシリアは、最悪の事態を思い浮かべてしまった。


(――魔導理論棟……エルは無事……!?)


 院生を誘導しながら、猛烈な不安に襲われる。

 アーシェルだけではない。ユリアスやニナ、カディルは? 魔法薬学の講師陣は無事なのか。

 院生たちを誘導しながら、一気に襲いかかる恐怖を、シシリアは気力だけでねじ伏せた。

 魔法薬学棟の玄関を出たとき、待ち侘びた声で呼ばれた。

「シシリア!」

 ニナだった。

 彼女も、シシリア同様に院生を連れている。皆怪我もないようで、シシリアはひとまずホッとした。

 建物の外に出た二人は、院生の中でも比較的落ち着いている数名を名指しして、全員を非難場所へ連れていくよう指示した。

 そうしている間に、魔法薬学棟から院生を誘導する講師立ち職員が次々出てくる。数名の職員は、怪我をした院生と共に、避難場所へと移動した。最後に事務員と魔法薬学科長が出てきて、建物内に院生がいないことを確認したと報告があった。

 薬学科長は職員も全員無事であることを確認し、準薬学科長に学科名簿を渡す。

「ルビウスは、事務員と清掃員を連れて避難場所へ向かえ。先に行った職員と合流し、院生が全員揃っているか確認しつつ、院生の保護と怪我人の救護にあたれ。サリーナは、ルビウスと本塔へ行き、現状把握に努めよ。判明したことは、随時私に報告するように。他は、私と共に魔導院内を移動し、救援活動だ。――行くぞっ!」


「「「――はいっ!」」」


 号令と共に各々の役割を果たすべく、講師たちは散っていく。

 シシリアはニナと共に、魔法薬学科長に従って隣の棟――魔導理論棟に走った。


 走り始めて数分、院生の小集団とすれ違うこと数回、向こうから向かってきた院生の小集団から、青黒色の髪の男性が走り出てきた。

「――シシィ……っ!」

 ――アーシェルだ。

 脇目も振らずシシリアの元に駆けつける。

「怪我はしていないか!? 何があった!?」

「私は大丈夫。エルは、早く避難して!」

 アーシェル無事を確認して安心したが、今は避難が先だとシシリアは言った。

 魔法薬学棟講師たちは、アーシェルと話すシシリアを待たずに魔導理論棟へ走っていく。自分も早く追いかけなければ。

 そう思って走り出そうとしたが、アーシェルがシシリアの腕を掴んで離さない。

「――だめだ……っ! シシィは安全な場所に避難するんだ!」

 アーシェルのこんな表情を、シシリアは見たことがない。

 しかし、シシリアは講師の一員だ。院生を守る義務がある。

 痛いほどに掴まれた腕を振り解き、シシリアはアーシェルにはっきりと告げた。

「私は講師です! 魔導院にいる人を守るのも、私の役目です! あなたは、他の院生と一緒に本塔に向かいなさい!」

 強く言い放って、シシリアは他の講師を追って走り出した。

 アーシェルが心配してくれているのはわかった。自分もアーシェルが心配だ。しかし、お互いの無事を確認した今は、自分がすべきことをするだけだ。

 さらに数分走って、魔法薬学科の講師陣に合流した。

 魔導理論科棟は魔法薬学科棟よりも損傷が激しく、奥の方の屋根が一部崩れている。

「――ニナさん!」

 シシリアの声に振り返ったニナだったが、一瞬シシリアに向けられた視線は、すぐにその後ろへ移り、呆れたように目を見開いた。

 何があったのか、とシシリアも後ろを振り返ると、そこにはアーシェルが必死の形相で立っている。

「エル! 本塔に行くように言ったでしょう!?」

「俺は院生だ。講師の手伝いに行く、それだけで理由は十分なはずだ」

「――そんなわけ……っ」

「はいはい、そこまで!

 ニナが二人の間に割って入った。

「ここで言い争ってもしょうがない。ここの院生も全員避難済み。あとは移動指示を待つだけよ。シシリアは、学科長にロウゲンの行動について確認を。ロウゲンは……魔導理論科長がそこにいるから、許可をもらってきなさい」

 ニナの助言通りに動いた二人は、一人は不満げに、一人は満足げに再度合流したのだった。


 本塔の方から手紙鳥が飛んできて、魔法薬学科長の手に降り立った。

 それを読んで、魔導理論科長と短く言葉を交わした後、二人はそれぞれの学科講師に指示を出した。

「爆心地は研究棟だ。原因は不明。まだ爆発が続いていて、逃げ遅れた連中もいる。他の学科棟は、こちらと同じ状況だ。本塔に集合した院生には、他の講師がついている。我々はこのまま、研究棟の応援に行くぞ!」

 王国最高峰の魔法使いたちが、是の意を示して走り出した。

 連続する爆発音が、先ほどよりも近くで聞こえた。


 *


 応用魔法棟は、その半分以上が崩れ落ちていた。

 崩れた瓦礫が、ガツガツと音を立てて半円状に盛り上がり、次々と崩れ落ちていく。瓦礫の下は空洞になっており、中心では紋章入りの濃紺のローブを羽織った応用魔法科講師数人が、手を上空に掲げている。

 講師の周りには院生が集まり、成り行きを見守っていた。

 瓦礫が完全に退かれ、講師たちは防御障壁の拡大をやめた。

「院生から建物の外に出て、玄関付近で待機しなさい!」

 女性講師が指示を出す。

 怪我をした者は既に治癒魔法がかけられ、動けない者はいない。

 ユリアスは、女性や小柄な院生が崩れた場所を抜けられるよう、次々と手を貸していた。

 だが、その内心は別の奔流にのまれていた。


 (……シシリア、どこにいる……? 無事でいてくれ……っ!)


 喉の奥が焼け付くような焦燥が湧き上がるのを、ユリアスは唇を硬く結んで押し殺し、黙々と院生を助け続けた。


 *


「――エリスっ!」

 レオンは、衝撃の中でとっさにエリスを抱き込むようにかばった。

 その時、応用魔法棟の図書室には院生が数人しかおらず、衝撃に振動する本棚が軋んでいる。

「……っ! レオン!? 大丈夫!?」

 小刻みに振動が続く中、二人は本の山から這い出し、傷の有無を確認する。

 割れたガラスを本が防いでくれたようだ。

「レオン、額が切れてる……っ!」

「大したことはない。エリスも無事だな?」

 エリスは頷きつつ、急いでレオンの額に治癒魔法を施した。

 その時、本の山の奥から苦しげな声が聞こえた。

「――う……っ! たす……け……っ」

 二人は急いで本をかき分け、エリスが院生に治療魔法を施す。

 今度は三人で他の院生を助け出し……それを繰り返して、総勢七人になったエリスたちは、ようやく講師と合流し、急いで図書室を出た。途中、建物が潰れているのを見て震えるエリスを、レオンが支えて外に出る。

 外には、同じく院生が集まっていた。

 崩れた棟の内側で、ユリアスが他の講師たちと一緒に院生が外に出るのを手助けしている。

 その姿を見つけた瞬間、エリスは抑えきれずに駆け寄った。

「――ユリアス殿下!」

 ギリギリ近づけるところまで行って声をかけると、ユリアスが振り向いた。厳しい表情の中で、ユリアスの目が一瞬だけ緩む。

「エリス! レオン! 無事だったか……っ!」

 すぐにユリアスは表情を引き締める。

「ここはまだ時間がかかる! 講師も手を離せない! 外に出や院生をまとめて、本塔に向かってくれないか! 我々の学科は治癒魔法が得意な者が多い。あちらには怪我人がいるはずだ。治療を手伝ってくれ!」

「承知した!」

 レオンが即答する。

「え……ええ……っ!」

 踵を返して走り出すレオンを追うように、エリスも院生をまとめて本塔へ急いだ。


 その背を見送ったユリアスは、一瞬だけ本塔とは別の方角に目を向けると、再び崩壊した建物へと向き直った。

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