静かに始まる終わり
婚約白紙撤回から始まる話を書いてみたくて始めました!
週一くらいで投稿目標です。
王宮の奥、重厚な扉に囲まれた応接室は、やけに静かだった。
陽光が磨き上げられた大理石の床で跳ね、白い壁を淡く照らしている。
二人は、その真ん中にあるソファーに、向かい合わせに座っていた。
二人の間に漂う空気はちぐはぐだ。一方は緊張に顔を強張らせ、もう一方は何を考えているのかわからない。
緊張している彼――王太子ユリアス・フォード・ディルクハイトは、一枚の書類を丁寧に机に置いた。
「……以上の理由で、君との婚約を解消したい」
声は淡々と、感情を抑えている。
まるで決議案を読み上げるかのような響きだった。
向かいに座る少女――シシリア・フロース・エヴァレット は、一瞬まばたきをしただけで、ほとんど表情を動かさなかった。
「……婚約解消、ですか」
抑揚のない声で、静かに繰り返す。
少しの間を置いて、シシリアはふっと視線を落とした。
その動作にユリアスは胸が痛んだが、意を決して続ける。
「君は、王太子妃に向いていない。魔力量は平均値、学業も目立った成果はない。貴族院での振る舞いも……控えめすぎる」
シシリアの脳裏に、子供の頃から王宮の家庭教師に言われ続けた言葉が蘇る。
――目立つな。
――問題を起こすな。
――王太子妃として無難に。
目立つ成績は残さなかった。魔力を制御する術を磨いた。
行動は常に影のように、誰の記憶にも残らないように。
ユリアスが輝いて見えるように、自分はくすんで見えるように。
それは決して自己犠牲などではなく、常に決して抜きん出ることのないように行動したことの結果に過ぎなかった。
ユリアスは、シシリアの沈黙に少したじろぎながらも言葉を継いだ。
「君は温和で、争いを嫌い……誰かが君の悪口を言っても、反論しない。だが、王太子妃がその態度では務まらない」
(だって目立つなって……)
「……どうか、サインを」
机の上に置かれた「婚約白紙撤回に関する同意書」。
ユリアスの手は微かに震えていた。彼なりに悩んだのだ。婚約者であっ期間は長い。これを撤回すと、シシリアの地位が危ういこともわかっている。しかし、周囲は彼女が王太子妃に相応しくないと判断した。仕方のないことなのだ。せめて、撤回後は彼女をできるだけ守っていこう。
手に力を入れて震えを止めたユリアスは、視線を下げたままのシシリアを見て、ペンを彼女の前にコトリと置いた。
シシリアは今も変わらず、自分の感情を出さない“静かな少女”そのままだった。
「――畏まりました」
シシリアの手がスッと動き、視線が書類に移ったかと思うと、本当にあっさりとペン先が走る。
花が散るように軽やかに。
「……君は、本当に取り乱さないんだな」
ユリアスは、複雑な顔をした。少し肩の力を抜きながら尋ねる。
「……怒っていないのか?」
「――まさか」
シシリアはきっぱりと否定して、静かに立ち上がった。
その場で深く、頭を下げる。
「全ては王太子殿下の仰せのままに」
ユリアスは息を呑んだ。
シシリアの言葉はいつもの通りだ。口調も、仕草もいつもの通り。
ただ、彼女の口の端が少しだけ――ほんの微かに上がっていた。
初めて見る表情を、ユリアスは瞬きもせず凝視した。
「これで終わりでしたら、わたくしはここで失礼致しますが」
ユリアスは、「ああ……」としか言えなかった。それを退室の許可ととらえて、シシリアは静かに退室していった。
*
(……自由! もう我慢なんてしなくていい……!)
シシリアは、王宮からの帰り道、馬車の中で一人歓喜に震えていた。
王宮を出て馬車に乗った瞬間、シシリアの表情は激変した。無表情は一気に崩れ、雪解けの頃の暖かな陽の光のように幸せを噛み締めていた。
「はあぁ……終わった……! 現実だわ……っ!」
胸の奥から込み上げる感情は、もう抑えない。
足をバタバタさせるのは、貴族の娘として自制したが、ライラック色の目がキラキラと輝きを増すのは抑えきれなかった。
(待っててね、私の研究! 覚悟しておいて、魔導院!)
これまで固く結ばれていた唇が、柔らかくほころんでいく。
――自由だ。自由にしていい。
隠れてしていた研究も、夜陰に紛れた素材採集も、秘匿された魔術の練習も、全て、思うままにできるのだ!
こうして、少女の人生は静かに大きく舵を切った。
誰も知らない。
この“静かすぎる婚約白紙撤回”の瞬間が、後に王国も帝国も巻き込む大波の始まりだったことを。




