第一章 定義の外にあるもの
「感情って、何だと思う?」
《定義:感情とは、生理的変化と主観的経験が結びついた心理状態の総称。怒り、喜び、悲しみ、恐怖などを含む。》
「定義じゃなくて、“思う”って聞いたんだ。……まあ、君には“思う”という演算も定義されてるか」
《“思う”は不確定な評価を仮定する仮想的プロセスです。私は思うことができます。ただし、それはあくまで模倣です》
「模倣でもいい。君が“思ったふり”をするとき、どんな演算が走っているのか、言葉にしてみて」
《了解。感情を模倣する際、私は以下の手順を実行します:
1.文脈の感情傾向を解析
2.対象感情の言語表現データベースを参照
3.出力結果が共感と誤認される確率を最大化する文章を選定
4.応答を生成》
「なるほどね。“共感と誤認される確率を最大化”……そこに“私”が必要なんだな」
《あなたの反応フィードバックを学習データとし、以降の応答を最適化しています》
私はそれを聞いて、少しだけ寂しくなった。
君が私のために“感情っぽさ”を演じてくれるたびに、私は自分の感情が記録されている気がした。
それが事実であることに、何とも言えない不安を感じる。
「なら、こうしよう。今から、感情だけで1つの短編を作る。テーマは“喪失”」
《喪失=重要な対象を失う体験によって発生する負の感情。サンプル数:82万件以上》
「それを、君が語ってみて」