第7話
「へー。キャバ嬢ねぇ」
次の日の休み時間。
綾音が校舎裏の階段に座って、ポッキーを咥えながら言う。
昨日の出来事を綾音に話した直後のことだ。
「強敵現るって感じだねー。その“りさ”とかいう人は雑魚キャラだったわけだ」
「雑魚キャラって」
「だってそうじゃん? リョウさんに全く相手にされてないから、可愛い瑠夏を見てイジワルしたくなっちゃったんでしょ? そして瑠夏に対抗出来る相手の名前を出して、ダメージを受けた瑠夏を見てスッキリしたと。典型的なモブだね」
「……よく分からない。あの人もリョウちゃんのことが好きなんじゃないのかな」
「だから、相手にされてないのが気に食わないのよ。リョウさんは瑠夏を優先したんでしょ? そりゃあ面白くないよね〜」
まあその女のことは気にしない気にしない、と言って、綾音は新しいポッキーを取り出す。
「問題はそのキャバ嬢だよね〜」
綾音の表情が妙に真剣味を帯びる。目の端がキランと光っているように見える。
「元ブライツのリーダー、って言ってたんでしょ? てことは、不良たちの中のカリスマ。只者じゃないよね〜」
綾音はうーんと顎に手をやって考える素振りを見せる。
「りさとかいう女が嘘ついた可能性もあるけど、嘘なら瑠夏にダメージ与えられないし、ほんとだと考えて対策した方がいーよね」
「ありがと、綾音。真剣に相談乗ってくれて」
「なーに言ってんの! 私の使命は瑠夏とリョウさんをゴールインさせることなんだから、大船に乗った気でいてよねー! で、早速土曜日空いてる?」
「え?」と目を点にしていると、綾音はむにっと私の両頬をつねる。
「偵察よ、て・い・さ・つ!」
「偵察? ……何の?」
私が言うと、綾音はふぅと息をついて、私の頬から手を放し、やれやれというアメリカンなジェスチャーをする。
「キャバ嬢のいるキャバクラに決まってんでしょうが」
「え? で、でも、未成年は入れないんじゃ……」
「誰も入るなんて言ってないでしょー? ネットで顔調べて、店の近くで張るってことよ!」
「ええっ!?」
「ご丁寧に店の名前まで教えてくれてるんだから、行かないわけにはいかないっしょ」
綾音の大胆さにはいつもながら驚愕する。
結局、週末の土曜日に偵察に出かけることを約束させられてしまった。
そして土曜日。
今日は土曜講座がないので、昼間から綾音と待ち合わせしている。
ネットで調べたところ、A《エース》という名前のキャバクラは地元から少し離れた繁華街にあった。なので今はその近くの駅前にいる。
店のホームページに載っていたリストの中に『サヤカ』という名前の女がいたので、たぶんその人だ。でも残念ながら写真はなかった。
綾音が言うには、ネットに載っていなくても店の前の看板か何かに載っているはずらしい。何でそんなこと知ってるんだろう。
「よっ。瑠夏!」
ヒラヒラのピンク色のチュニックにジーンズ、その上に綺麗めなグレーのロングコートを羽織った綾音が、待ち合わせの駅前に現れた。ちょっと化粧をしてるみたい。
そのせいかいつもより大人っぽくて、大学生くらいに見える。
モデルみたいに綺麗な綾音を、道行く人々が見てる。
「わっ。瑠夏、可愛い〜」
対する私は、ドット柄のミニワンピにジーンズ、ダッフルコート姿。なんか子どもっぽい。
綾音は可愛いと言ってくれるけど、なんだかなぁと思いながら、綺麗な友人を持って誇らしい気持ちにもなる。
学校以外で綾音と会うことはあまりない。高校で出会ってまだ半年だし、休日はお互い何かと忙しいから。
早速、ファミレスでランチする。
ひさしぶりに出てきた繁華街。普段は地元と高校を行き来するだけなので、こんなに遠くまで来ることは滅多にない。
お金のない私たちは、一番安いドリアとドリンクバーを注文する。
簡単に食事を済ませた後、綾音に連れられてちょっと高級そうなブティックに入る。値札を見て目の玉が飛び出そうになった。
「ちょ、ちょっと綾音! ここ絶対私たちが来る店じゃないよ」
「いーのいーの、試着まではタダだから。ウィンドウショッピング♪」
綾音はそう言って、上機嫌で綺麗な服を次々と店員に渡す。
「これ全部、試着で」
「かしこまりました」
何故か、店員さんも全く疑ってない。
ファッションショーさながらに、綾音は次々といろんなファッションで試着室のカーテンから登場する。
それをヒヤヒヤしながら見る私。
いや、綺麗だけど。買わないのにそんな何着も試着するって、どうなの!?
結局、一着も買わずに店を後にする私たち。
綾音は試着後、店員に「ここのボタンの色がなぁ」とか「襟の形が〜」とか、もっともらしい事を言って服を全て返却し、「瑠夏の服も選んだげる」とか言い出すので、襟首を引っ掴んで出てきたのだ。
それなのに、「瑠夏も着とけば良かったのに〜」と言うので、「いい加減にしなさい!」と喝を入れると何やらブツクサと小声で文句を言う。
「瑠夏は真面目すぎるのよ〜そんなだからリョウさんと距離が出来ちゃったんでしょぉ〜?」
綾音の言葉にちょっとだけぐさっと来たけど、すぐに言い返す。
「リョウちゃんのことは関係ない! 悪いことは悪いことでしょ?」
「頭でっかち〜。鬼キャプテン」
「今はキャプテンじゃないから」
なんだかんだ言いながら人の多い街を歩いていると、有名なアイスクリームショップを見つけた。ここらは有名店が多く入っている人気のエリアだ。
周囲を歩く人達もお洒落に気を使っているように見える。
「ちょっと入ってみようよ」と綾音に手を引かれて、この寒いのにアイス? と思いながらも店内に連れ去られてしまう。
ほんとに綾音は気分屋だ。そんなところも綾音の魅力ではあるんだけど。彼氏はさぞ振り回されていることだろうと想像してしまう。
結局綾音に乗せられて注文してしまった抹茶クリームのアイス。この寒いのに、と思っていたけど、食べてみるとすごく美味しい。
何とか店内の席が取れて、二人で笑いながらアイスを食べた。
「瑠夏は甘いモノで機嫌が直る、と。リョウさんは知ってるかな」
上唇についたアイスをペロリと舌で舐め取りながら、綾音が言う。
さては確信犯だったなと気付くけど、もう遅い。
「知ってるよ。リョウちゃんはそういうの使うの上手いから」
『綾音と同じで』と付け加えたかったけど、言わないでおいた。何となく、綾音とリョウちゃんは同じような匂いがする。私が無意識にそういう人に惹かれているのかもしれない。
「何かエピソードがありほうね?」
再び大きく口を開けてアイスを頬張った綾音は、モグモグと口を動かしながら聞いてくる。
「うん……いろいろあるけど、一番覚えてるのはあれかな。私が獣医を目指すきっかけになったやつ」
「なにそれ、聞きたい聞きたい」
綾音はアイスを片手に、丸テーブルに身を乗り出す。
私は幼稚園の頃、公園に捨てられた子犬をリョウちゃんと二人で見つけた話をした。
ゴールデンレトリバーの可愛い顔をした子犬。
色は白に近くて、オスだったけど穏やかな優しい顔をしていた。
飼いたいとお母さんに言ったけど、駄目だと一蹴されて泣いて頼んだのを覚えてる。
「病気を持ってる可能性があるから、近付いちゃ駄目よ」とも言われた。
リョウちゃんに言うと、リョウちゃんの家でも駄目だと言われたから、ここで飼おうと言って、二人で子犬を飼うことになった。
リョウちゃんが近所の人からドッグフードを分けてもらって、それを毎日公園であげた。私も何か出来ないかなと思って、タオルをこっそり家から持ち出して、子犬に掛けてあげた。
公園の植え込みの木の下の段ボール。そこが子犬の家で、私たちの秘密基地だった。
名前は“シロ”と名付けた。
体の色が名前の由来。
でもシロはいつまで経っても、走ることが出来なかった。脚が悪かったんだろう。よたよたと歩いてはべチャリとスライムみたいに地面にへばり付いていた。あまり段ボールからも出たがらなかった。
そんなある日、公園へ行くとシロが死んでいた。
ドッグフードは食べていたのに。
「病気だったのかも」
リョウちゃんが言った。
私は泣いて泣いて、家に帰れなくなって、その時にリョウちゃんが飴玉をくれた。
美味しいみかん味の飴玉。
『ルカが泣いてると、シロも悲しむ』
と言って。
少し落ち着いて、私はリョウちゃんと一緒にシロを土に埋めてあげた。
天国で幸せになっていますように。
そう二人で祈った。
私はそれから、なんとも単純に“どうぶつのおいしゃさんになりたい”って思うようになったんだ。
「で、もさ、それを今の今までずっと思い続けてる瑠夏はすごいよ」
グスッと鼻をすすりながら、綾音は言う。溶けたアイスがコーンを伝ってぼとぼととテーブルに溢れてる。
「アイス溶けてるよ」
「うん……分かってる」
綾音はテーブルに置いてあるペーパーで溢れたアイスを拭く。綾音は(意外と)涙脆いらしく、映画やドラマを観ると泣くことがよくあるらしい。それにしても、そこまで泣くような内容だったかな。
それを見ながら、頭の中で私はあの時の光景を思い出す。
十年前の、あの時の――――。
動かないシロの体を見ている目の前のリョウちゃん。
その背中は震えていた。
(リョウちゃんもシロが死んで悲しかったはずなのに、私の前では泣かずに、飴をくれて慰めてくれたんだよね。リョウちゃんは、あの時のこと覚えてるかな)
綾音がアイスを食べ終えるのを待って、私たちは店を出た。
「リョウさんは瑠夏がその出来事がきっかけで獣医を目指してるって知ってるの?」
大通りを歩きながら綾音が聞いてきた。私はシロが死んだ後、リョウちゃんに『どうぶつのおいしゃさんになりたい』と言ったことを思い出す。リョウちゃんは賛成してくれた。
「うーん、たぶん。今もそうだとは思ってないと思うけど。あ」
そういえば、首を怪我したリョウちゃんを説得する時に獣医学部を目指してるのを言ってしまったことを思い出した。
『リョウちゃんがその怪我が原因で高熱出して寝込んだら、私罪悪感で獣医学部に進めなくなっちゃうから!』
今思い出すとめちゃくちゃ恥ずかしい。
リョウちゃんは、そんなことは忘れてしまっているだろうか。
「瑠夏はさ、その時すでにリョウさんのことが好きだったの?」
不意に聞かれた質問に、私は思い出すように目線を上に向ける。
「……う、うん。でも、好きは好きでも、恋愛の好き……っていうのはまだよく分かってなかったと思う。幼稚園児だったし」
「まーそりゃそうか。じゃあ今の『好き』は、当時の『好き』とは違うってこと?」
う……となって、言葉に詰まってしまう。当時の『好き』とは違う……? のか。
よく分からない。
「『好き』って何だろう」
結局答えに困って、哲学的な言葉を発してしまう。そもそも今の私も、恋愛のことなんて何一つ分かってないんじゃないかと自覚する。
私が分かるのは、小説や漫画で読んだ恋愛モノのストーリーのような綺麗なものだけ。
そんな私を前に、綾音は迷わず答える。
「触れたいかどうかじゃない?」
「え? 触れる?」
予想外の答えに驚く。
「うん。キスしたいとか、体に触れたいとか。リョウさんとそうなりたいと思う?」
「……」
いきなりハードルの高い話になって、私は黙り込んでしまう。
いや、そんな。私はただ、リョウちゃんとずっと一緒にいたいとしか。
そんなことしか考えてなくて――。
そんな私に綾音は追い打ちをかけるように言う。
「だってそれなしじゃ、付き合うって言わないでしょ? 小学生じゃないんだから。まさかそういうこと、全く考えてなかったわけじゃないよね?」
「……考えてなかった」
「ウッソ!」
綾音が大げさに驚いた素振りを見せる。『信じられない』というような表情の綾音を見ながら、私はしどろもどろに言う。
「だってだって、リョウちゃんとそんなこと、出来ないよ」
ちょっと想像しただけで、顔が茹でダコみたいに赤くなってしまう。
「あのねぇ、瑠夏。付き合うっていうのは、結婚の練習みたいなものなの。リョウさんと結婚したいっていうなら、それを乗り越えないと」
何だか急に綾音が大人に見えて、私は恥ずかしくなってしまった。常識的なことが分かっていない子ども。そんな風に見られているようで。
「ま、でもさ、そういうとこが瑠夏の可愛いところなんだけど。まずはリョウさんと付き合ってから、そういうことを勉強しなさいね」
綾音はニカッと笑って、私の頭をよしよしと撫でた。
私は胸にモヤモヤを抱えたまま、綾音と二人、雑多な繁華街を歩いた。