第5話
リョウちゃんの部屋は、前よりは片付いていた。
元々は綺麗好きで几帳面なリョウちゃん。
洗われた食器は流し横のカゴに整列していて、1ミリもズレがないように見える。
前に来た時はどうしてあんなに散らかっていたんだろうと不思議に思う。
「ねぇ」
一番近い薬局まで戻って買ってきた清潔なガーゼをリョウちゃんの首に当てていると、すぐ目の前の唇が動いた。
「ルカってさ、男の家に入ったことあるの?」
思わぬ質問にびっくりして、強くガーゼを当ててしまう。
「いてっ」
「あ! ごめん!」
慌てて首からガーゼを離す。首の表面の血がべっとりとガーゼについていたので、新しいガーゼと取り替えるためにリョウちゃんから顔を背ける。
「お、男の人の家……? は、ここが初めてだけど」
「そうなんだ。付き合ってる男とかいないの?」
「いないよ!」
思わず声が大きくなってしまった。
リョウちゃんは驚いた顔をして言う。
「ルカ、モテそうなのに。もしかして一回も付き合ったことないの?」
「……それが何か?」
「ほんとに? ……じゃあ違うか」
「え? 何が?」
「あーいやさ、ルカがちょっと見ない間にオトナの女になってる説。違うなら気にしない気にしない」
「え? 何? 気になるんだけど」
「俺もモードがあるからさ。そこ大事なワケ。て、さっきのことがあってそんなんあるわけないか」
リョウちゃんは意味の分からないことを言って、自己完結しようとする。
私は「なにそれ」と言いながら、新しいガーゼを手に取る。
「…………あの、リョウちゃん」
ガーゼを再び首に当てながらゴクリと唾を飲み込む。さっきのお礼をまだ言っていなかったことを思い出したから。
「ん?」
「その……ありがとう」
何だか無性に恥ずかしくて、目の前のリョウちゃんからまたもや目を逸らす。
「……あー、あんなんここらにいっぱいいるから、ほんと気をつけて。ルカみたいな可愛い子、大好物だからヤツら」
『可愛い子』
(そう思ってくれてるんだ)
何だか胸が熱くなる。
また恥ずかしくなって、いそいそと機械のような動きでリョウちゃんの首に新しいガーゼと包帯を巻いて、固定する。
血の量のわりに傷は浅かったので、一応これで応急処置は完了した。
「応急処置はしたけど、ちゃんと病院行ってね」
そう言って、残りのガーゼと包帯とテープを袋に戻す。
「あーはいはい」
「……その返事は行かない。ちゃんと約束して」
リョウちゃんお決まりの生返事。こういう言い方をする時は、言うことを聞く気がない時だ。
「分かった分かった。約束するから。ルカはほんといい子だよね」
ふと大きな手が伸びてきて、頭をポンポンされる。
疑いの眼差しを向けながら、私は口を尖らせる。
「もう、小学生じゃないんだけど」
「そのむくれた顔は小学生〜」
「っもう! 子供扱いしないで!」
私が怒ると、リョウちゃんはアハハッと可笑しそうに笑った。
リョウちゃんは冗談のつもりなんだろうけど、結構傷つくんだけど。
「ところでさ。この前のは何だったの?」
「え? ……この前……?」
ハッとする。
まさか。あの時のことを言ってるの!?
あのストーカーのように植え込みに隠れて待ち伏せしていた時のことが、瞬時に私の脳裏によぎる。
「え!? な、な、何のこと!?」
明らかに動揺した私を見て、リョウちゃんは目を丸くする。
「……あー……いや、言いたくないならいーや」
そして大人の対応をしてくれる。
それでも死ぬほど恥ずかしい。だってだって、あれはほんとにストーカーみたいだったから!
変な汗をかいて気まずい私は、チラリと窓の横に掛けられた時計に目をやってから、
「あ、も、もう帰らなきゃ!」
と、慌てて立ち上がる。
「あーそーだね。もうこんな時間か」
胡座をかいたリョウちゃんも、チラリと時計に目をやってポツリと言う。
そしてズボンのポケットからスマホを取り出す。
「ほんとはあんまり近づかない方がいいんだけどさ、ルカ心配だから連絡先教えとく。危なくなったら俺を呼んで。いつでもお姫様の用心棒になるから」
ニッと笑った顔が眩しくて、さっきの動揺とは違う風に、心臓が騒がしい。
リョウちゃんに聞こえてるんじゃないかっていうくらい。
(どんだけかっこいいんだ、リョウちゃんは)
これも私に本性を見せないように、取り繕ってるんだろうか。
男たちから助けてくれた時のリョウちゃんは、少し怖かったし。
リョウちゃんの家を後にして、足早に自宅へ向かう。連絡先を交換したばかりのスマホを手に握りしめたまま。
送ってくれるって言われたけど、大丈夫と言って断った。だって、リョウちゃんと繋がってるスマホがあるんだから、これ以上に心強いものはない。
(やった、やった)
リョウちゃんの連絡先をゲットしてしまった。
リョウちゃんは前はスマホを持ってなかったから、今まで連絡先を知らなかった。
悪い事の後には、良い事があるんだ。
家に帰ると、お母さんは普通に「おかえり」と迎えてくれた。
部活で遅くなることは連絡していたから、そこまで心配してなかったのかな。
自室に上がってベッドに腰掛け、じいっと両手で掴んだスマホを見つめる。
(早速連絡したら引かれるかな)
長いこと悩んで、やっぱり連絡しないことにした。
前に拒否されたことを思い出したから。
明日は綾音に今日のことを話さなければと思いながら、スマホを勉強机に置いて私は夕食を食べに階下へ下りた。