第32話
重島さんは、ラガヴーリンも自分のグラスにたっぷりと注ぐ。
だから、高いって。分かってんのか、この人。
注ぐだけで、スモーキーな香りが辺りに立ち込めて、空間が全部ラガヴーリン一色になる。それほどに強い香りだ。
「あとで請求しますから」
「かたいこと言うなって。バレねーよ」
と言いながら、重島さんはラガヴーリンの栓を閉める。
おいおい。ジジイに頭上がらねーんじゃなかったのか。
「それより、まさにお前って感じだろ? これ。お前は自分を分かってんのか分かってねーのか、ほんと罪な男なんだよ」
重島さんは話を強引に戻してから、何でも分かってるみたいな顔して、悪びれもせずラガヴーリンを喉に通す。
呆れながらも、この大雑把な性格に感心する。これで仕事に関してはマメなんだから、どこをどーやってスイッチ切り替えてんのかナゾだ。
「俺のこと、そんな知ってましたっけ?」
「おいおい、4年の付き合いの師匠に向かってそれはねーだろ」
「たった4年とも言えますけど」
「冷てーなぁ。まあ石島に比べたら、知らねぇけどよ」
さっきの顔とは打って変わって、眉を下げたままグラスを傾ける重島さんを見ながら、いつもならしない話を振ってみた。
疲れた体に強い酒が沁み渡って、何となく気分が良い。
「“これと決めた女”って、元奥さんですか?」
重島さんは、ラガヴーリンを一口含んで、味わうように舌で転がした後、ゴクリと飲み干して、グラスを置く。
「あー、まあな」
「逃げられたのに?」
「あれは俺が悪い。あの頃は何も分かっちゃいなかった。でもな、気付いた時には手遅れだったんだ。元嫁さんは、新しい男とさっさと再婚しちまった。女は切り替えが早くて泣けるぜ、ちくしょう」
ほんとに泣いてるのか、重島さんの目が充血してくる。酒は強いはずなのに。
心底、元嫁を手放したことを後悔してるのか。
そう考えてると、ふとルカと付き合ってるあの男を思い出した。
神白とかいう、真面目野郎。
あの男を見ると、無性にイライラする。
『俺とルカの線は交わらない』
そう言っておいて、矛盾してると分かってる。
「大事な女が二度と手に入らなくなってから、本当の後悔が始まるんだ。男ってのは鈍い生き物なんだよ。手遅れにならねーうちに、何とかしなきゃいけなかったんだ」
俺と重島さんでは状況が違うと思いながらも、その横顔が、ラガヴーリンの後味のように後を引いて、いつまでも記憶に残って消えなかった――――。
◇◇◇
――瑠夏Side――
最近、神白くんが少しぎこちない気がする。
家でのことがあったからかな。
大学の帰り道。そんなことを考えながら、最寄り駅で電車を降りる。
何気なくスマホを見て、綾音からメッセージが来ていることに気付いた。
『今日、時間ある?』
『うん、あるよ』
『そっち行っていい?』
『いいよ』
簡潔にやり取りして、綾音が家まで来てくれると言うから、帰宅して待つことにした。
『お待た〜』
しばらくしてからインターホンが鳴って、モニター越しに綾音が手を振っている。
エントランスドアを解錠して、部屋を出た。
迎えに行く途中で綾音に出会って、一緒に部屋に入って早々、驚きの話を聞く。
神白くんとリョウちゃんに会って、それぞれと話したという内容について。
「な、何で勝手にいろいろ話してるの!?」
「彼氏くんとは偶然会ったんだけど、リョウさんのところには行くって言ってたじゃない」
私が抗議すると、綾音は悪びれもせずに反論してくる。
「言ってたけど! 偵察って言ってたじゃない!」
「偵察よ? 別に瑠夏が一緒じゃないんだから、会って話してもいいでしょ?」
綾音の態度に、言っても無駄だと悟る。綾音は昔からこういう性格だ。
諦めて、だから神白くんの様子がおかしかったのかと合点した後、リョウちゃんと話した内容が気になって、詳しく聞いてみる。神白くんとの会話と違って、リョウちゃんとの会話はちょっと濁されたから。
「別に大したこと話してないわよ? ただ、お店の感じと今のリョウさんの雰囲気を見に行っただけ。それが目的だったんだから。あ、そうそう。石島さんって覚えてる? 二メートルくらいありそうな大柄の」
話を逸らされたような気がしながらも、その人名を聞いて、頭が過去に引き戻された。
――――石島さん。
サヤカさんに刺された人。
そしてあの時、私を助けてくれた人。
「石島さんがどうしたの?」
「いたのよ! リョウさんのお店に! コックとして」
「え?」
過去と決別したリョウちゃんと、石島さんが一緒に働いてる!?
それを聞いて、何となくモヤモヤした感覚が体の内に広がってくるような感じがした。
(何もかもを捨てて、東京へ来たんじゃなかったんだ)
捨てられたのは、自分だけ――――。
そんな気がして、無意識に膝に置いた拳をぎゅっと握りしめる。
それから、ウェイターをしていた金髪の男の子から聞いた情報も教えてくれた。
リョウちゃんは、引き取ってくれた養父のおじいさんの介護をしていて、引っ越した今も、毎日おじいさんの元に通っていること。
「介護をしながら、働いてるんだ。それは大変だね」
介護の大変さなど分からないが、漠然と大変そうだというイメージはある。
「新くんから、他にもいろいろ情報を引き出せそうだから、また何か分かったら連絡するね」
いつも思うけど、綾音のコミュニケーション能力は本当にすごい。初対面の人とでも臆せず何でも話すことが出来る。リョウちゃんとだって、ほとんど話したことないのに。
「ねぇ。……瑠夏はさ、リョウさんがもしまだ瑠夏のことが好きで、告白されたとしたらどうする? 彼氏くんと別れて、リョウさんと付き合う?」
少し間を空けて、綾音がいきなりそんなことを言うから、びっくりしてしまった。
そんなこと、あるわけないから。
「『もし』よ、『もし』! 『そんなことあるわけない』っていう答えはなし!」
私の考えを読んだように、綾音が先回りして言う。
リョウちゃんが、告白してきたら……?
それを想像すると、ふと、肌寒いバスケコートを思い出した。
バスケボールのゴムと、土の混ざり合った匂い。
動いて温まる体。
ダムンと地面に弾むボールの音――――。
『バスケ上手くなったじゃん』
可笑しそうに笑うリョウちゃんの声と笑顔。
そう考えたところで、鼻先がつんとして来る。
そして。
すぐ目の前にある、風に靡いたサラサラの前髪。
見たことのないくらい、真剣で真っ直ぐな瞳――――。
それから――――……
「なぁに想像してんの〜? 顔が赤いわよ?」
「わっ」
突然近づいて来た綾音の顔に驚いて、反射的に飛び退く。
「やっぱり、リョウさんの気持ちが決まってたら、受け入れるんだ?」
ハッキリとそう言われて、余計なものを取っ払って、真剣に自分の気持ちを考えた。
――リョウちゃんと、公園のベンチで最初で最後のキスをした。
その光景を、忘れたことなんてない。
リョウちゃんのことが好きで、好きで、ずっと一緒にいられたら、どんなに幸せだったか。
――でも、今のリョウちゃんは、それを望んでない。
背負った過去が重すぎて、生きていくには、それを全て手放すしかなかったリョウちゃん。
何も知らずにぬくぬくと育ってきた私が、リョウちゃんと生きることを望めるわけがない。
それでも、リョウちゃんが告白してきたら?
そんなの――――決まってるじゃない。
私はリョウちゃんのことが好き。
本当は、今でも、ずっと。
リョウちゃんに幸せでいて欲しいし、それを邪魔したくない。
それでもリョウちゃんが私を望んでくれるなら、私は全てを捨ててでも、リョウちゃんと一緒に生きたい――――。




