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第26話


「え……?」


 私は、僅かに頬を染めてこちらを見る神白くんの顔を凝視する。


 しばらくその状態で、お互いの顔を見つめ合ったまま、気まずいような、恥ずかしいような、何とも言えない空気の中で時が流れる。


「はぁ〜! もう駄目だ! 緊張する! なんか俺らしくないよな、今日」


 神白くんが突然そう言って、緊張の糸が切れたように目を逸らして自身の額と目を大きな手のひらで覆う。


「あ……ご、ごめん、なんかびっくりしちゃって」

「や、違う。ごめん。本郷さんは悪くないから!」

「……」

「……」


 神白くんは、そのままはぁ~と再び盛大に息を吐いて、その場にしゃがむ。


「俺さ、ほんとはこんな緊張しいじゃないし、もっとスマートに振る舞いたかったんだけど。本郷さんの前ではなんか格好悪いよな、俺」


 神白くんは眉を傾けて、目を伏せる。伏せた瞼から伸びるまつ毛が長くて真っ直ぐだ。


 私は先程の告白の返事をどうしようかと迷う。


    

    °.°『言わないで』°.°

 


 また、リョウちゃんの声が頭の中で響く。


 私の精一杯の告白に対する残酷な返事――――。


 そして、久しぶりの再会で、まるで何事もなかったかのように私の名前を呼ぶ、あの飄々とした姿。


 何だか無性に腹が立ってきて、みるみるうちに私の頭の中はリョウちゃんへの怒りでいっぱいになる。


「やっぱり、駄目……かな?」


 しゃがんだ姿の神白くんが、自信なさげな表情でこちらを見上げてくる。


 私はぐっと拳を握って、一つの決断をしようと覚悟を決める。



 もう、リョウちゃんに振り回されちゃ駄目だ。


 私の中で強い気持ちが芽生える。


 近くにいたとしても、関係ない。


 会えるところにいるからこそ、脱却しなきゃいけない。


 そうじゃないと、いつまで経っても呪縛から逃れられないんだ。


 永遠に――――。



「うん。付き合おう、私たち」



 何かに突き動かされるように出た言葉。

 この言葉の持つ責任が重いことは、分かってる。


 神白くんが、「えっ!?」と驚きの声を上げて、目を見開いている。


 そして、すっくと立ち上がって、一歩近付いてくる。


「ほ、ほんとに!?」


 その顔は紅潮している。


「うん。これからよろしくね。神白くん」


 私は本気だ。

 今度こそ、本気でリョウちゃんのことを忘れてみせる。


 神白くんが、分かりやすく喜んでくれている。


「や、やった! 嬉しい! こちらこそ、よろしく本郷さん!」


 それから少しブラブラして、その日は早めに別れた。


 お互い気恥ずかしかったし、頭を整理する時間も欲しかったから。


 



 ――あれから数日。


 私の日々は大して変わらない。


 変わったことと言えば、毎日神白くんとお昼を食べるようになったことくらい。


 そして、毎日メッセージのやり取りをするようになったこと。


 とはいえ、神白くんも私も勉強が忙しい。


 一緒にするのは何だか効率が悪く感じて、それぞれ自宅ですることにしている。


 神白くんと付き合ったおかげで、リョウちゃんのことを忘れられるような気がする。



「それって付き合ってるの?」


 カヤちゃんに言われた。


 構内を移動中、たまたま会って、神白くんと付き合うことになったと報告したら喜んでくれたんだけど。そう言われると何だか自信がなくなってくる。


「違う、のかな」

「少なくとも神白くんは、もっとプライベートで会いたいんじゃないかな」


 カヤちゃんは彼氏持ちだ。私は経験がなさすぎて、付き合うというのがどんななのか、イマイチよく分かっていないみたいだ。


「そうなのかな」

「大抵の男の人はそう思うと思うよ。いくらあの神白くんでも、そこはそうなんじゃないかな」


 カヤちゃんは冷静に言う。


 そういうものなのか。


 よく分からない。


「神白くんに聞いてみる」

「そうね。たくさん話して、距離を縮めてね」


 カヤちゃんはニッコリ笑うと、じゃあ、私はこっちだからと言って行ってしまった。


 カヤちゃんは綾音とはタイプが違って、いつもとても冷静だ。そして淡白。用件が終わると、いつもさっと行ってしまう。


 この獣医学科に入るのに、とても苦労したと言っていた。だからこそ、時間の使い方にシビアなのだ。

 そのカヤちゃんが言うのだから、おそらく付き合っている人とプライベートの時間を過ごすことはとても大切なことなのだろうと思えた。


(よし。神白くんに連絡しよう)


 そして、週末に再びデートすることになった。



 •

 •

 •


 

 土曜日。


 お台場でデートして、何だか久々に学生らしい青春を満喫したような気がした。


 神白くんはこちらが地元なだけあって、いろんな場所をよく知っていて案内してくれた。


 神白くんも楽しんでくれたようで、思い切って誘って良かったと満足する。



 ――――そして帰り道。



 私の家の最寄り駅まで送ってくれて、一緒に改札を出る。


「ありがとう。ここまでで大丈夫だよ。すぐそこだから」

「そう? でも、心配だから家の前まで送らせて」


 そう言われて、まあ『彼氏』だもんね、と納得して、一緒にアパートまで歩く。


 五階建ての小さなアパート。


 それでもセキュリティはしっかりしていて、家賃も少し高め。


 お父さんが選んでくれたこの物件は、利便性の良い場所にあるからか人気で、部屋が空いてもすぐに次が入る。


 最近も引っ越しのトラックが停まっていたので、誰か越してきたみたいだ。


「じゃあ、神白くん。今日はありがとう」


 アパートの入り口に着いて、私は神白くんに向き直る。


 と、何だか神白くんの様子がおかしい。


 どうしたんだろうと思っていると、神白くんは街灯に照らされた綺麗な顔で言う。その顔はほんのり赤くなっているように見える。


「本郷さん。今日は、本当に楽しかった。ありがとう。君の方から誘ってくれて、すごく嬉しかった。俺は、今までこんな気持ちになったことは本当にないんだ。初めてなんだ。……これからも、よろしくね」


 爽やかに、少しはにかんだように笑った神白くんの笑顔は、確かに今まで見てきた表情と全然違って、まるで少年のようだった。


 そして、ハッとした。


 神白くんの手が、私の手にそっと触れたから。


 優しく触れる手はすごく熱くて、目が合ってドキッとした。


 神白くんの目にも、熱を感じたから。


「……」


 何も言えなくて、ただ神白くんの目を見つめ返していた。


 アパート前の電柱の近く。


 行き交う人は少ない。


 神白くんの顔が段々近付いてきて、一瞬、過去の映像がフラッシュバッグした。


 それは、あの時――――……




「あのー、そーゆーの部屋でやってくれない? 迷惑だから」

 



 突然真横から聞こえた声にギョッとして、私も神白くんも、ピタリと動きを止めた。


 神白くんは、我に返ったように真っ赤な顔をして、手で口元を押さえた。


 私たちから少し距離を取った真横には、まさかの人物が立っていた。


(リョウちゃん――――っ!?)


 びっくりしすぎて、声が出ない。


 私は口をぱかっと開けたまま、リョウちゃんらしき人物を凝視する。


 神白くんもリョウちゃんに目をやる。


「なんで……あなたがここに?」


 神白くんの声には、僅かに非難めいた色が含まれているように感じた。


「ん? ここ、俺んちの前だから。入り口の真ん前でいちゃつかれてたら迷惑じゃん? 違う?」 


 今、何て――――?


「どういうことですか?」


 神白くんがリョウちゃんに向かって言う。


「どーもこーも、俺、数日前からここの住人なの」


 リョウちゃんが、平然とした顔でアパートの方を指差す。


「……え? 失礼ですが、もしかして本郷さんを追いかけて――?」

「や、違う違う。たまたま。ぐーぜん。今の今まで、ここにルカが住んでるなんて知らなかったし。てか、ほんと失礼だねー。今はお客さんじゃないから言わせてもらうけど、俺は今、仕事から一旦帰ったとこで、たまたまここに居合わせただけ。ここは職場から近くていいとこだったから入居しただけ。ストーカー呼ばわりされる筋合い皆無だから。いちゃつくなら他所でどうぞって言っただけ」


 リョウちゃんにしては珍しく饒舌に神白くんに対して言い返すと、「それじゃ」と言ってさっさと私たちの前を通ってアパートに入っていってしまった。


(本当に、ここの住人なの――――?)


 あまりに非現実的な出来事に、私の頭の処理が追いつかない。


 たまたま、同じアパートに住んでるなんてこと、あるの?


 でも確かに、私がここに住んでるなんてリョウちゃんに分かるわけない。


 先週、偶然お店で会ったばかりなのだから。


 呆然とリョウちゃんの入っていったアパートのエントランスを見つめる私に、神白くんは向き直る。


「本郷さん! 図々しいのを承知で言うけど、明日、もう一度ここに来ていいかな!?」

「え!? ここに!?」

「うん……本郷さんの部屋に、入れてくれないかな?」


 …………え?




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