第10話
話し声が聞こえて、埃っぽい空気を鼻が感知する。
ゲホッゲホッ
私はむせたように、腹這いになって咳をして、吸い込んだ空気を吐き出した。
咳が落ち着いたところで、ハッとする。
無数の野良猫の光る目がこちらに向いているような錯覚。
「ひっ」
青ざめて、慌てて上半身を起こし、座ったまま後ろに下がろうとすると、何かが背中にどんとぶつかった。
「お目覚めかい?」
見ると“サヤカさん”が片膝を立てて座っていて、こちらを見ている。
どうやら私は、駐車場で気絶させられて、見知らぬ場所に連れて来られたようだと理解する。
「サ、ヤカ、さん……?」
凝視する私を見て、“サヤカさん”はやや不機嫌気味に言う。
「よく知ってるね、あたしの名前」
冷めた目で見られて、たじろいでしまう。“サヤカさん”は妙に雰囲気があって、逆らってはいけないような威圧感を持っている。
(寒い……)
ひんやりとした空気が頬や首筋を撫でて、思わずぶるっと身を震わす。
長袖のジャージ上下を着ているからまだマシだとは思うけど。
見たところここは倉庫のような場所のようで、積み上げられた大きな木の箱や、土管、鉄パイプなどが床に散在している。
暖房なんかもちろんない。コンクリートの床というのもあって底冷えがひどい。
わりと広さがあって、不良ドラマの乱闘シーンのセットなんかに使われていそうな雰囲気。
高い天井についた照明はところどころ壊れていて薄暗い場所もあるけど、中央付近はまあまあの明るさ。
おかげでここにいる不良たちの顔は一通り見渡せる。
猫の目に見えたのは、よく見ると集まる不良たちの好奇心に満ちた目だった。
数は全部でちょうど十人。私を除いて。
そしてサヤカさんと私以外は、全員男。
先程の赤い髪の“藤田”という人や、スキンヘッドの大男もいる。
木の箱や土管の上に座っていたり、床に胡座をかいていたり、皆それぞれ寛いだような姿勢でこちらを見ている。
「リョウキが話したんだ? あたしのこと」
私の真横にいるサヤカさんが目を細めて、口の端を少し持ち上げながら言う。
私は正直に、リョウちゃんからではなく“りさ”という人から聞いたと答えた。
「やっぱ、りさが会ったやつか」
サヤカさんは私の顎を片手で掴んで、目を見合わせてからふっと笑った。
どうやらあの“りさ”という女の人から、経緯を聞いているらしい。私がリョウちゃんの家へ行ったことも知ってるんだろう。
「残念なお知らせ。リョウキは来ないよ。あたしらは分裂したんだ。今回の抗争でハッキリした。あいつらは敵だ。リョウキに付いてったやつ、全員な」
サヤカさんは他の不良たちを意識しながらなのか、よく通る声でハッキリと言った。
(『分裂した』……? って、どういうこと? リョウちゃんとサヤカさんが別れたから……?)
話が見えない。
不良グループの事情なんて何一つ分からないけど、ただ一つ分かることは、リョウちゃんはここには来ないということ。
「あたしらの仲間が大勢病院送りにされた。リョウキのせいでな。絶対に許さない」
サヤカさんは恨みの籠もったような目で私に言う。
私はゴクリと唾を飲み込む。
リョウちゃんの名前を出したのが愚策だったと気付いたけど、今更どうしようもない。
どうやらサヤカさんは、リョウちゃんに本気で怒っているようだ。
「それにしても、あんた良いとこのお嬢だろ。身代金要求したらたんまり稼げるかな?」
「……」
サヤカさんは薄笑いしながら私の顔をじっと見て言う。
外見で言うならサヤカさんの方がよっぽどお嬢様に見えるけど、今の歪んだ表情からは不幸な身の上を嫌でも感じさせられる。
(サヤカさんもリョウちゃんと同じで、今まで苦労して来たのかな)
初めて会ったにも関わらず、躊躇なく向けられる悪意。
この世の全てを憎んでるような、荒んだ目。
――――とはいえ、両親に身代金を要求するなんて、常識を逸脱しすぎてる。
ただ、ぶつかっただけで――――。
リョウちゃんのせいで大勢が病院送りにされたというワードも引っかかる。
一体何でそんなことになったのか、事情を知りたい。
「まあでも、」
サヤカさんは『イイコトを思いついた』というように、目と口を歪ませる。
「親に身代金要求した方が金になるんだろうけど、リョウキに思い知らせたいからコイツをキズモノにするってのも有りだね」
その一言に、赤髪の男が素早く反応する。
「マジで!? 本郷さんを!? サヤカさんそんなこと言っちゃっていいんスか!?」
サヤカさんと赤髪の男の言葉に私はさっと青ざめた。
何の会話をしているのか、理解したくない。
どうせ逃げられないと思ってなのか、手足を縛られたりはしていない。
どうにか隙を見て逃げたいけど、周りを取り囲まれている今は、どうやっても逃げられそうにない。
「それだけは御法度じゃなかったか? 勝手に方針を変えたのか?」
しんと静まったところに、スキンヘッドの大男の声が静かに響く。
「リョウキに思い知らせるって言っただろ? これっきりだよ。綺麗事ばっかり言ってるとこうなるってことを教えたいんだ」
サヤカさんが土管に座る大男に向かって答える。
大男は、落ち着いた態度で静かに諌めるように言う。
「あんたが守ってきたプライドも捨ててか?」
「……不満ならお前もリョウキのとこに行くんだな」
一瞬でピリついた空気に、この場にいる全員が緊張しているのを感じる。
皆、動かず二人の様子を注視している。
私は、何とか逃れる術はないか考えなければと思いながらも、自分がこの後どうなるのか想像するのが怖くて、思考を放棄したい気持ちも膨らんでくる。
「まあまあ! 仲間同士で喧嘩してもしょうがないし、とりあえず本郷さんと仲良くしてから後のことを考えればいいんじゃないスかぁ?」
「単細胞は黙ってろ」
一人、赤髪の“藤田”が二人の間に躊躇なく割って入った後、スキンヘッドの男に一蹴される。
それでも“藤田”はニコニコとこちらを見てくるのに、ゾクリとする。
「『ウリは許さねぇ』。それ以外は何でもアリ。それがウチの方針だろ? 違ったか?」
大男がサヤカさんに言う。
「そうだ。これは『ウリ』じゃない。だから問題ない」
「そういうことなら俺は抜けさせてもらう」
「簡単に抜けさせると思うか?」
「あんたが言う『綺麗事じゃ生きていけねぇ』ってのには賛成だ。こちとら産まれた時から辛酸舐めてんだ。リョウキのやり方は甘え。それは分かる。だがこれは違えだろ」
「……」
すくっと立ち上がった大男はやっぱり大きくて、二メートルはありそうに見える。その上に体格もいいから迫力がすごい。
「石島さんは過去にトラウマがありますもんね〜。仕方ないか」
空気を読めないのか、“藤田”がふうと息を吐いて軽く言う。
サヤカさんも、心底面倒くさそうに顔を歪め、額に拳を当てて息を吐いた。
「分かったから座れ。ったく、お前は変わんねぇな。石頭」
「アタマ張るなら筋を通せ。未だにあんたがアタマ張れるのはそれがあるからだろ?」
スキンヘッドの“石島”と呼ばれた男は、土管の上に再びどしんと腰掛けた。
ここまでのやり取りを聞いて、ひとまず惨事は避けられたと理解した。
“石島”という人には感謝だ。
――――その時。
ガチャガチャと入り口のドアが鳴る。
次にガンガンと何か硬い物でドアを殴りつけるような音が聞こえる。かと思ったらどんどん音は大きくなって、ズシンズシンと地鳴りのような音に変わる。
「あ?」
「ヤバい。離れろ!」
大男が叫んだ時。
ドガシャーンッ
盛大な音と共に、大きな鉄の土管がドアを蹴破って倉庫の中に突っ込んでくる。そのまま土管はドスンと音を立てて床に転がった。
呆気にとられていた私は、破られたドアから現れた人物を見て思わず両手で口元を押さえた。