7 パン泥棒とエイラ
翌朝、食堂で焼きたてのパンをテーブルに並べながら、俺はふと思った。
「……あれ? 数、足りなくない?」
昨日の夜、ちゃんと仕込んだはずのパン生地。数が合わない。焦げたのを落とした記憶もない。なのに、3つほど消えている。
エルさんに相談しようと思ったが、今日は予約がない(エイラを除いて)からと、また買い出しで朝から街へ出ていたのだった。
エイラは、相変わらず当然のようにすまし顔でテーブルに座っている。
「何よ、その顔。パンが足りないの?」
「いや、まあ、ちょっと数が……」
「どっかに落としたんじゃないの?」
「……だといいんだけど」
そのとき、カタッと窓の外で音がした。
ふと目をやると、影が庭のほうへと消えていく。
「……泥棒!?」
「ちょっ、ちょっと、どこ行くのよ!」
エイラの声を背中に受けながら、俺はそのまま庭に飛び出した。
***
慌てて影を追いかけると、裏庭の木陰に、小さな銀髪の男の子がうずくまっていた。
「……おい」
声をかけると、ビクリと震える。
小さな体。ボロボロの服。手には、かじりかけのパン。
「ご、ごめんなさいっ! お腹が空いてて……!」
しゃがみこんでいるのは、7歳くらいの男の子。大きな目に涙を浮かべて、パンを抱えるようにしている。
「……そっか。お腹すいてたんだな」
事情を察した俺は、しゃがみ込んでにこっと笑った。
「じゃあさ、ちゃんと“ごはんください”って言ってくれたら、今度はもっとあったかいやつ出してあげるよ」
「……ほんとに?」
「うん。こっち、来なよ」
***
エイラが、なぜか入口で仁王立ちしていた。
「盗みはダメよ。反省なさい」
「はい……」
小さな男の子は、ぺこりと頭を下げた。
でもエイラは、くるりと振り返ると、さっさとキッチンに歩いていった。
「……紅茶、あと一杯分はあるわよね? あと、スープも」
「あ、うん」
「早く運びなさいよ。お客さんなんだから」
「……優しいな」
ちょっとニヤける俺に、エイラが小声で言う。
「あの子、普通じゃないわ……」
「え?」
「……なんでもない」
エイラが口を閉ざす。
***
エイラは目の前の男の子の存在が、理解できなかった。
宿屋「ミレナ」のあるこの場所は、秘境の中の秘境。近くに人里なんてない。
私が王都から馬車で来た時だって、道は悪いし途中で休憩できる場所はないしで、従者は次々と離脱して帰っていった。最後は1人になり、自ら馬に乗って馬車を引かせたのだ。
エルさんはふだん簡単に街に買い物に行くと言うが、1番近い街へは普通の人間が歩けば片道3日はかかるような道のりだ。魔法で加速するかなにかして行っているんだろう。だとしたら相当な使い手であることは間違いない。
たぶん裕也のアホはそれを知らないので、近くに街があると思い込んでいる。たしか裕也は、異世界からここに転生してきたと話していた。
そう、こんなところに、7歳の男の子などいるはずがないのだ。
あり得るとしたら、王族にしか使えない転移魔法……いや、さすがにそれはないか。転移魔法でわざわざここに来たのなら、あんなにボロボロの姿になっているのは意味がわからないし。
でも、何かややこしい事情がある気がする。エイラは頭を悩ませた。
まだ料金は請求されていないが、持ってきたお金でここに居られるのは、長くてもあと2週間くらいだろう。
せめてその間に、男の子の正体を突き止めよう。
それが、当然やってきた私になんの事情も聞かず、宿に置いてくれている2人――正確には1人とサモエドだが――への恩返しだと思った。