14 あの日のわたくしへ
エイラ視点です!
父と母は、いつも完璧だった。
笑顔で社交をこなして周囲には惜しみない気配りを見せ、家族の時間も大切にする。名門、ライラック侯爵家に相応しい行動をとることに、一切の妥協がなかった。
当然私も幼い頃から礼儀作法、社交界での振る舞い方を叩き込まれ、両親の存在は自慢でありながら、息苦しさも感じていた。
「姿勢が崩れているわよ」
「その敬語では下品に聞こえるぞ」
「あなたにはすでに、立派な婚約者がいるのだから」
私には7歳の時から、両親に決められた婚約者がいた。相手は王国でも名の知れた伯爵家の嫡男で、年齢は6つ上。
優しく、穏やかで、そして器用な人だった。
政略結婚とはいえ、私たちは頻繁に食事を共にしたり、誕生日には贈り物をしあったりと、円満な関係を築けていた――はずだった。
ちょうど去年の今頃だろうか。
私は知ってしまった。
彼が密かに別の女性と関係を持っていたことを。
相手は、伯爵家の侍女だった。歳は彼よりふたつ上だという。彼女が仕え始めてから、もう5年は経っている。いつから関係があったのかなんて、考えたくもなかった。
知らなければよかった。
いや、知らなかったふりをしていれば、私たちは円満のまま、未来も決まっていたのかもしれない。
けれど、私はすぐに母に申し出た。
「婚約を破棄したく、ご相談にあがりました。浮気だなんて最低ですわ」
「……愚かな真似はおやめなさい」
味方をしてくれると信じて疑わなかった母は、私の言葉を遮り、静かに言った。
「女は多少のことには目をつぶるものよ。あなたのためにどれだけの人が動いてきたと思って?」
「お母さま? わたくしは浮気されて――」
「その程度のことで、すべてを壊す気?」
母は本気だった。私は驚いて、何も言い返すことができなかった。
そして、母の言葉は、まるで自分に言い聞かせているかのようでもあった。
父の帰宅後、無垢だった私は夕食の場でもう一度説得を試みた。
お母さまも気が動転しただけだわ。3人で話せばきっとわかってもらえる。
夕食の場でまっ先に口を開いたのは父だった。
「ライラック家の令嬢であるお前が、侍女ごときに負けたというような噂がまわっているが」
「そうなんです! なので婚約破棄を――」
「恥ずかしいと思え、ライラック家の面汚しが。こんなところだけ母親とそっくりだ」
この日の父は、珍しく深酒をして酔っていた。
完璧な父が初めて見せた姿に怯え、すがるような思いで母を見たが、母は私と目を合わせようとはせずに沈黙を貫いた。
父と3人で過ごしてきた完璧な親子の日々が、崩れていくような音がした。
それからは、私の両親が何も言ってこないことを悟った婚約者が、堂々と侍女を側に置きはじめた。
ブスだの役立たずだのとあちらこちらで吹聴し、私から婚約破棄をするのを待っていたのだろう。なかなか妻の座を譲らない私に不満を募らせた2人は、隠れて私に暴力を振るうようになった。
あざを作って帰っても、血でドレスを汚して帰っても、両親は何も言わなかった。
そして私は、ひとりで逃げた。
金で買った数人の従者とありったけの現金を持って、馬車に乗りこんだ。
「なるべく遠くへ」
従者にはそれだけの指示を出し、馬車は行ったこともない山道へと進んだ。
しかし、途方もない道のりに、従者は1人ずつ逃げ出していき、最後には1人になった。
途中で何度も倒れかけて、足が震えて、空腹に泣いた。
そんなときだった。
白銀の雪に覆われた山道で、ポツリと浮かぶひとつの灯りを見つけた。
ありったけの力を込めて、ドアを叩く。
ドンドン!
反応がない。
「ちょっと! 開けなさいよ、お金ならあるわ!」
お願い。誰か、出てきて。
すると、宿のドアが開き、中から暖かい光が漏れ出した。ドアの向こうには、気弱そうで、でも人の良さそうな青年が立っている。
もしこの宿を逃せば、私の命はないだろう。お金はある。強気に出るしかない。
「泊めてくださるわよね? お金ならあるわ!」
「えっと、ご予約とかは……?」
「してたら言ってるわよ。さっき山道で馬車が故障したの。こんな田舎に宿なんて期待していなかったけれど、まあまあね」
「……」
黙り込む青年を見て出方を間違えたかもしれないと不安になったが、後戻りはできないので勢いで畳み掛ける。
「空いてる部屋は? 私は埃と虫がダメなの。
それと、ベッドはふかふかでお願い」
青年が怪訝な顔をしている。だめか……
よく考えたら、土下座をしてでも泊めてもらわなければならない立場なのに、なぜ上から目線でいけると思ってしまったのか。私は路頭に迷う覚悟を決めた。
「とりあえずお荷物を、お持ちしてもよろしいですか?」
「……え? いいの!? ありがとう」
まさか案内してもらえるとは思わず、思わず素っ頓狂な声をあげてしまう。
そしてそのまま、ミレナでの生活が始まったのだった。
最初は警戒していた。
世間を知らない箱入り令嬢の私を、名前も聞かず、前払いで料金を精算させることもなく置いてくれる宿屋。ありがたく思いながらも、何か裏があるのかもしれないと思わずにはいられなかった。
けれど、エルさんは毎日温かい紅茶を差し出してくれた。
裕也はドジを踏みながら、笑って迎えてくれた。
カイルは無邪気に、名前を呼んでくれた。
知らなかった。
家族がこんなにも、あたたかいなんて。
でも、それでも。
このままではいけないと、胸の奥の焦りが私を突き動かした。
家の問題も解決しないまま逃げて、ミレナのみんなの優しさに甘えて、このあたたかさに溺れてしまいそうだった。
だから、出た。
もし相談したら裕也たちならきっと止めてくれると思ったから、何も言わずにそっと立ち去った。
「でも、わたくし、ちゃんと生きてるのよ」
カフェの厨房で、1人つぶやいた。
私は、私の力で進む。今はまだちっぽけでも、胸を張ってあの場所で笑えるように。




