13 お嬢様の家出
「……エイラ?」
朝、いつも通りの時間に食堂に入ると、違和感に気づいた。
テーブルの上には、人数分より1つ少ないコップ。いつもなら先に来て紅茶を飲んでいるはずの姿が、どこにもない。
「珍しいな、寝坊?」
そう思って彼女の部屋をノックしても、返事はない。鍵は開いていて、部屋の中に人の気配はなかった。
綺麗に整えられたベッドの上に、1つの巾着。
中にはこれまでの宿の滞在費と思われる大量の金貨が入っていて、簡潔な手紙が添えられていた。
『お世話になりました。少し外の空気を吸ってきます。エイラ』
「……なんで、何も言わずに」
わずかに手が震えた。
***
それから、1ヶ月が経った。
宿屋ミレナはいつも通りに営業を続けていた。
エルさんは相変わらずのんびりと、カイルは時折寂しそうにしながらも、元気を取り繕っていた。
けれど、やっぱり。
「足りないんだよな。あいつの文句とか、気取った口調とか」
俺がふとこぼすと、カイルがぽつりと呟いた。
「……朝ごはん、誰かに文句言われないと、落ち着かないよね」
2人とも、笑おうとして、うまく笑えなかった。
「探しに行かないのか、って言いたいんでしょう?」
その夜、エルさんが静かに口を開いた。
「でも、これは彼女の意志です。尊重してあげるのが、我々にできることです」
「でもさ、言ってくれたら――」
「だからこそ、言わなかったのでしょう。言ったら、止められると分かっていたから」
誰も悪くなかった。
それでも、置いていかれるのは、こんなにも寂しいんだと思った。
ふと、ぬいぐるみが飾られた窓を見た。
エイラが作った、騎士風のサモエドのぬいぐるみが、今もそこにある。
よく考えたら、数か月一緒に過ごしていたのに、俺はエイラのことを何も知らない。突然馬車でやってきたお嬢様、という程度だ。
何か事情があってここにいるんだろうから、聞くのも野暮だと思っていた。
もう、帰って来ないんだろうか。二度と会えないんだろうか。
「……せめて、無事でいてくれよな」
夜風がカーテンを揺らす音だけが、静かに返事をした。
***
そしてその頃。
とある街の路地裏で、フードをかぶった少女が、ひとり立っていた。
「……ほんと、何やってるのかしらね、わたくし」
それでも、迷いなく前を向くその背中は、どこか頼もしかった。
少女は、路地裏の小さな扉の前で、深く息を吐く。
「……よし」
そのまま扉を押し開けると、狭い空間に所狭しと並ぶ丸いテーブルと、年季の入ったカウンター。
内装に反して、香ばしいパンの匂いや甘いフルーツの香りが漂うその場所で、彼女はエプロンを締めなおした。
「遅いぞ。昼の仕込み、始まってる」
カウンターの奥から顔を出したのは、髭面の中年店主。
「すみません。すぐに取り掛かります」
「おう、慌てずにな」
少女――エイラは慣れた手つきで、パンの耳を切り落とし始めた。




