10 小さな王子様の秘密
その夜、空には厚い雲がかかり、静かに雨が降っていた。宿屋の灯りが、濡れた石畳をぼんやり照らしている。
「おや、こんな夜にお客様かな?」
エルさんが耳をぴくりと動かし、ドアの方を見た。
トントントン。
控えめなノックの音がフロントに響く。
玄関を開けると、そこにはフードを被った男が立っていた。腰には大きな剣を携えている。そして、その胸元には、王宮の紋章が刻まれていた。
「突然失礼します。このあたりで、小さな少年をご覧になりませんでしたか? 銀髪で、左目に泣きぼくろのある、7歳くらいの子です」
心臓が、ドクンと鳴った。
それは、どう考えてもカイルのことだ。
「……いえ、お役に立てず申し訳ありません」
「そうですか。ご協力、感謝します」
使者は丁寧に頭を下げ、雨の中に消えていった。
扉を閉めたとたん、背後から小さな声が聞こえた。
「……やっぱり、ぼくのこと、探してるんだね」
カイルが、階段の影から顔をのぞかせていた。しょんぼりと俯いたその肩は、小さく震えている。
その夜、カイルの姿が宿から消えた――と思われたが、あっさりと見つかった。
裏庭の薪小屋の前で、びしょ濡れのまま膝を抱えてうずくまっていたのだ。
「バカじゃないの、風邪ひくわよ」
エイラがそう言いながらも、カイルの肩に自分のケープをかけた。
「カイル。話してくれないか?」
俺の問いに、カイルは小さく頷いた。
「ぼく、王族なんだ。王様が旅先でつくった隠し子。ずっと息が詰まるような生活で、逃げ出してきたんだ」
王の隠し子……
7歳のカイルにとって、過酷な環境であったことは想像に容易かった。
カイルによると、国王は王妃との間に跡継ぎを産むことができず、旅先でつくったカイルのことを思い出したらしい。それからすぐにカイルの母を側室として迎え、カイルを皇太子として王宮に引き入れたのだ。
それまでも金銭的な支援はあったものの、父親に会ったのは6歳になった、その時が初めてだった。
「お城では、何をしていてもずっと誰かに監視されていて、息が詰まった。でもここでは、みんながぼくのことをただのカイルとして見てくれた」
エイラは静かに、彼の髪をなでた。
「知ってたわよ、あなたが王族だって。トースター、転移させたでしょ。転移魔法は、王族にしか使えないものね」
そうだったのか。
エルさんもうんうんと頷いている。気づいてないのは俺だけだったのか。
エイラが続ける。
「けど、自分で話すまで黙ってた。だって、それがあなたの選んだ居場所だから」
「……ありがとう、エイラ」
「うわ、ちゃんとお礼言えるじゃない。王子様のくせに」
「のくせにって何だよ!?」
雨はもう止んでいた。空を見上げると、月が雲の隙間から顔を出している。
「カイル、ここでは王族だろうが何だろうが関係ないよ」
俺がそう言うと、エルさんも同意して言葉を引き取った。
「この宿では、誰もが“ただの旅人”です。大切なのは、どこから来たかではなく、どんな気持ちでここにいるかですよ」
カイルはしばらく黙っていたが、やがて、ぽつりとつぶやいた。
「……もう少し、ここにいてもいいかな」
「もちろん。歓迎しますよ、カイル様」
「様はやめてよー!」
笑い声がこだました。
こうして、小さな王子様は「ただのカイル」として、あらためて宿屋ミレナの一員となったのだった。




