秋
「明けましておめでとうございます!」
「えっ?!」
僕は後ろを振り向いた。
バスローブを着て満面の笑顔で羽子板をフルスイングしている見知らぬオッサンがいた。
「明けましておめでとうございます!」
「えっ?! だ、誰ですか? どちらさんですか?」
「明けましておめでとうございます!」
「いやいや、今ね、9月28日ですよ。来月にはハロウィンです」
「明けましておめでとうございます!」
「いやいや、ちょっと意味が判らない」
「なんだと? テメェこの野郎! 江戸っ子をナメてんのか!」と見知らぬオッサンは殺気づいて言うと僕の胸ぐらを掴んだ。オッサンの口から茶碗蒸しの匂いがした。子孫繁栄を願って正月に必ず食べる日本料理の完成形の1つ茶碗蒸し。僕は茶碗蒸しが好きなんだよね。
「なんですか突然。は、は、離してくださいよ」
僕は見知らぬオッサンの手を解こうとした。
「明けましておめでとうございますと言われたら明けましておめでとうございますと返すのが日本男児なんじゃないのかい?」
「いやいや、今、9月28日ですってば」
「明けましておめでとうございますと言われたら明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いしますと返すのが大和魂なんじゃないのかい? えコラ!!」
「今9月28日ですってば!」
「君には毎日明けましておめでとうございますと言える男になってほしいんだよう」
「いやいや、ちょっと離してくださいよ」
「明けましておめでとうございまーす!」
「やめてください! オッサン、大きな声を出しますよ!」
「明けまして明けまして明けましておめでとうございます!! ほら、青年。明けましておめでとうございますって言ってごらん?」
「言ったら手を離してくれますかね?」
「さ〜あね。ピィーピィー」と見知らぬオッサンは言って顔を背けると口笛を吹いて誤魔化した。
「さあ、青年。明けましておめでとうございます!」見知らぬオッサンの目に涙が浮かんでいた。
「明けましておめでとうございますぅ」と僕はやむおえずに正月の挨拶を返した。締め上げられた首元がかなり痛い。
「そうだ。やればできるじゃないかよう! その意気だ。僕らは皆、明けましておめでとうございますだ!」と見知らぬオッサンは言うと地面に片膝を着いて嗚咽しながら号泣し出した。
「ど、どうしたんですか? 急に泣いて」
「青年の錯覚だよ。青年よ、元旦から錯覚だなんてナウいな。俺は泣いてなんかいないさ。明けましておめでとうございますって言葉は素敵だよね!」と見知らぬオッサンは空を見上げながら言うと涙を拭いて太陽に向かって一礼した。
「いやいや、今は9月28日だから」と僕は言ったあと、面倒くさくなったので走って逃げた。
「待て! この野郎!」明けましておめでとうございますのオッサンは足が速かった。後ろからスライディングをしてきて、一気に倒してきたのだった。僕は前に転がった。
「なんですか! もう関わらないでくださいよ!」と僕は明けましておめでとうございますのオッサンに怒鳴った。
「明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします!」と明けましておめでとうございますのオッサンは僕の手を掴んで丁寧に挨拶をしてきた。
「おい、その手を離せよ!!」と突然、左の方向から声がした。
僕と明けましておめでとうございますのオッサンは横を振り向いた。
電柱に寄りかかっているオッサンがいた。赤い革ジャンに赤いジーンズを履いて赤い鉢巻を頭に巻いたオッサンが焼き芋を食べて睨み付けていた。
つづく