07 垣間見える不穏な影
学院に戻ってくると、ハルトも領地から戻って来ていた。
「カルバネン殿の事、お悔やみ申し上げる。休暇前に聞いた事で、話がしたい」
そう言うハルトに付いて行って、ハルトが借りていた談話室に入る。
「休暇前に聞いたカルバネン殿の症状だが、最近私の領地で似た病で倒れた者が居た。その者は薬草の精製技術を持つ、侯爵家の抱える商人の後継候補の護衛達だったが……彼等も最近亡くなった。遺体を徹底的に調べた結果……毒殺だと判明したのだ」
やはり、そうなのか。
次兄カルバネンも、恐らく毒殺されたのだ。
そして以前からの体調不良も、毒を盛られていた可能性があるという事だ。
「その、商人の後継候補は?」
私がそう言うと、ハルトは溜息を吐いた。
「商人同士の会合に呼ばれ、護衛達も店の周りに待機していた。そこは馴染みの店で、待機中の護衛達にも酒は無いが食事が振る舞われたそうだ。その食事に盛られた様だ。会合に参加していた者達も、酒に混ぜられた睡眠薬で眠らされて、後継候補だけが行方不明だ。だが……今のところ、手がかりが無い」
ハルトの事だ。領地の総力を挙げて捜索していることだろう。
であれば、次兄の毒殺についても……最悪の予想が頭を過る。
「しかしカルバネン殿は、領地から出ていなかったと聞く。それがどうして毒殺されるのだ」
ハルトの疑問は当然だが、全てを話す訳にも行かない。
「次兄は当家の事業を手伝っていた。その事業を狙った物の可能性がある」
「交易事業……そうか、なら、お前も気を付けねばならんな」
ハルトはすぐに可能性に気付いたようだ。
「恐らくな」
「うちも毒殺相手が見つかれば良いが……使われた毒が毒だ。最悪の事態も考えなければ」
ハルトも、その最悪の可能性は頭にあるようだ。
「ということは、その毒が何かは判ったのか」
ハルトは頷いた。
「鉱物由来の毒だ。昔からあちら……ハーグ大帝国の鉱山のある地域で鼠捕りとして使われている物だ。銀にこの毒が反応すると黒ずむから、銀食器を使うのが予防策だそうだ」
植物系の毒であれば、種類によっては中和剤もある。だから毒の対処の為には毒見役を置いて、先に食べてもらうのが一般的だ。少量なら症状だけが現れ、死に至る事も少ない。
しかし鉱物系の毒なら中和剤と言う物は無く、すぐに吐き出すしかない。
次兄にも当然毒見役が居たが……これは、すぐに御祖父様に伝えなければ。
そして今度は私が毒殺を気にしなければならない。
だが私が銀食器を手に入れようとしたら、絶対に向こうに勘付かれる。
「先に少し食べて、違和感があれば吐き出すしかないか」
私の言葉にハルトは頷いた。
「そうだな。胃洗浄の方法も覚えておくと良い。医学薬学課程に、アジェン帝国人の留学生が居ると言っていただろう。そちらにも聞いてみると良いと思う」
そうか。大きい国なら、そう言った闇の部分もあるだろう。
チェンにも聞いてみよう。
「鼠捕りか……それは、解毒剤のない奴だ。銀で確かめるしか無いだろう」
チェンに訊いても、答えはハルトと同じだった。
「学院の食堂で出される食事に盛られる事は無いと思う。人の目の多い所で毒を盛るのは難しいだろう。ただ、学生寮の食事とか、人の目の少ない所では気を付けた方が良いな。ファルネウスは、何か毒を盛られる危険があるのか」
チェンは心配そうな目でこちらを見る。
「先日亡くなった兄が、盛られていた可能性がある」
「それなら……これを貸してやる。ユエビンの礼だ」
チェンは、懐から細長い包みを取り出し、私に押し付ける。
中を見ると、銀色の細い物が二本。
「……銀箸か。いいのか、こんな貴重な物」
チェンもフェイファも、アジェン帝国からの留学生であり、帝国にとっても要人なのだ。
毒殺されない様、国から持たされていることが推測できた。
「国から支給されている物だから、貸すだけだ。予備も持っているし、使っても構わないが、俺が国に帰る時には返してほしい」
「わかった、感謝する。何か仕入れて欲しいものが有ったら教えてほしい」
チェンに頭を下げて礼を言う。
「なら、ユエビンに合うチンチャが欲しい」
「チンチャ?」
この国やハーグなどでは貴族の間で紅茶が好まれるが、紅茶は茶葉を発酵させて作る。
しかしアジェン帝国では発酵させない緑茶や、途中で発酵を止める青茶――これを、アジェンの発音ではチンチャと言う様だ――の方が好まれるという。
茶葉が青みを帯びた濃い褐色なので、青茶と呼ばれるそうだ。
「わかった。家に確認してみよう」
領地で御祖父様と話した内容は、御祖父様と父の間で検討されたようだ。
私を交易事業の後継に任命する、と連絡があった。
早速、家の交易実務の担当者に、青茶について確認してみる。
彼の返事では、茶葉で数種類の等級を仕入れてみたものの、こちらで売れず倉庫に眠っているという。
試しに少量を学院の学生寮宛てに送ってもらうよう手配した。
数日後、届いた青茶をチェンに譲る。
チェンは喜んで、すぐに紅茶ポットで青茶を淹れはじめる。
そこにコーネリアとフェイファも呼んで、四人で即席の茶会となった。
飲んでみると、紅茶ほどの香りは立たないものの、すっきりとして飲みやすい。
「初めて飲みますが、美味しいです」
コーネリアも、このお茶が気に入ったらしい。
「このお茶は、故郷で飲むのより良い葉を使っているな。寒くない時期なら、紅茶よりこっちが良い」
チェンは口元を緩ませながら、青茶をチビチビと飲んでいる。
「故郷は、もっと暑いのか」
「そんなに変わらないですから、過ごしやすいですよ」
フェイファが疑問に答えてくれた。彼女も、うっとりしながら青茶を飲んでいる。
「でも、こっちでは年中紅茶しかない。紅茶は寒い時に飲むものだ。暑い場所ならチンチャや緑茶の方が体には良い」
言われてみれば、この国の貴族は、女性は特に、暑い時期でも紅茶を嗜んでいる。
暑い寒いで飲むお茶を変えるって考え方は、こっちには無いな。
「こっちの女性は薄着が多いから、体が冷えやすい。体の冷えている女性は、年中紅茶を飲んでも良いと思う。逆に男性は体を使うから、ずっと座って仕事をしている者以外は、あまり体の冷えている人はいない」
考えている事を読んだのか、チェンが補足した。
「なら、この青茶は男性相手の方が売れそうか」
チェンは頷いた。
「青茶は、暑い寒い関係なく飲みやすい。貴族相手よりも、身体を使う平民男性の方が売れるかもしれない。……この茶葉は、平民には高級過ぎるかもしれないが」
今淹れたのは二級品だが、交易で仕入れたのは一番下が三級品、上は一級品、特級品がある。
アジェン帝国で平民が飲むのは、もっと下の四級品や五級品らしい。
だが、その辺りの等級は安すぎて、運ぶ費用の方が高くつく。交易には割が合わない。
それなら……騎士団に売り込んでみるか。
これからも四人で飲む用に、少しは私が自費で買って確保しておこう。
「ネリの領地は暑いと思うが、向こうではどんなお茶を?」
「そうですね……レモングラスという葉を刻んでお湯で煮出すと爽やかな香りがするので、時々飲みます」
コーネリアは少し考えて答えた。
「それって、ひょっとしてシャンマオかしら」
「そうだろうな」
フェイファとチェンは、自国に思い当たるものがあるらしい。
「シャンマオって?」
「ああ、うちの国でも、南方産の香りの良い草を煮出したお茶が飲まれることがある。多分、同じ物だと思う」
コーネリアの疑問にチェンが答える。
「暑い時期に、偶に飲みたくなるの。コーネリア、お願いして良い?」
「え⁉ で、でも、このお茶みたいに美味しい物では……」
フェイファがコーネリアに、レモングラスティーが飲みたいと強請る。
コーネリアは驚いて固まっている。そんなに美味しい物ではないのか?
「ネリが持って来てくれたら、一度飲んでみたいな」
「ルネ様まで……。わ、わかったわ。領地に訊いてみる」
私もお願いしてみると、コーネリアは確認してくれるようだ。
実際にシャンマオ……レモングラスティーを飲ませて貰えたのは、大分後になってからだったが。
確かに、薄っすらと爽やかな香りがした。
『シャンマオ』=「香茅」
中国語でのレモングラスの呼び方は他にもある(柠檬草とか)そうですが、こちらを採用しました。
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