06 次兄カルバネンの死
三年になる前、学院生の自治組織である生徒会に招かれた。留学生を除く、各課程の成績優秀者が誘われるのが慣例だ。
だが複数課程を学ぶと生徒会に時間を割くのが難しい、という事情を説明し、私はお断りした。
コーネリアについては、『生徒会の品位が下がる』とか何とか言われて、誘われなかったそうだ。
随分失礼な話だと思ったが、
「誘われてもお断りする積りでしたから、ルネ様は気にしないでください」
と彼女に宥められた。
因みに、領地経営課程の単課程専攻であるハルトやサスキア嬢は、生徒会に入ったそうだ。
チェンやフェイファは留学生なので対象外だった。
三年次より専門的な学習内容になる。
そして、各自が四年次の卒業試験までに論文を発表する研究テーマを決めなければならない。
私とコーネリアは履修する領地経営、医学薬学のそれぞれの課程で、研究テーマを決めて論文を作らなければならない。
領地経営の場合は、過去の事例研究でも良いという事だったので、私とコーネリアは過去に起きた災害、特に旱魃の対策に関する研究をすることにした。
医学薬学については、コーネリアは外科医学方面ですぐにテーマを決めた。彼女は関節周りの筋肉への治療による、機能障害への対応の研究だと言っていた。
一方私は、薬学方面でのテーマにした。学院で見る医学書では次兄の病気の正体や原因、治療法の手掛かりは見つからなかったので、これをテーマにしたいと考えた。
学院に入学以来、学期を終えて領地に帰る度に、次兄カルバネンの病状は悪化の一途を辿っていた。
困った私は、ハルトにも次兄の病状の相談をしたのだが……彼は真っ青になって、「一度、領地に持ち帰らせてくれ」とだけ言い、二年次の学年末に一度領地へ帰って行った。
そういえば、コーネリアの二歳下の妹リューラは、そろそろ入学する頃のはず。
リューラ嬢の入学祝いをどうしようかと思い、二年次の学年末、領地に帰る前のコーネリアに尋ねると、意外な答えが返ってきた。
「リューラは……王立学院には入学しないのです」
驚いて、コーネリアに理由を訊いてみた。
「私のスペアとしてリューラを学院に入学させた場合……婚約者もまだいませんし、彼女を悪意から守る手立てがありません。それに彼女には、別の役割を担って貰う必要もありましたので、違う学校へ行かせているのです」
言われてみれば、コーネリアを私が守っている以上、リューラが学院に入って来ると、今まで防いできた悪意がリューラ嬢に向いてしまう可能性が高い。
「違う学校って……どこに?」
「留学させていると母からは聞いています」
コーネリアは、伝聞形の曖昧な答えを返した。
学年末に入り、ハルトやコーネリアが領地に帰った後、私も一度帰ろうかと思った矢先。
父から急報が入った。次兄カルバネンが重篤な状態だという。
三年次の始業迄に学院に戻れないかも知れない。
学院長にその旨の届を出し、急いで領地へ帰った。
次兄カルバネンは、これから暖かくなるというこの時期に季節外れの風邪をひき、あれよあれよという間に症状が悪化して行ったそうだ。
私が領地に着いた頃には、『もう今晩が峠だ』とお抱え医師の診断が下り、数名の侍女達が次兄の部屋に詰めている状態だった。
長兄夫妻はまだ王都を離れられないそうだが、王都邸に居た父や家宰、侍女長も領地邸に来ていた。
流石に彼等は次兄の部屋にずっと居る訳では無かったが、お抱え医師から話を聞き、治療に必要な手立てを指揮していた。
私は次兄の苦しみを少しでも和らげたいと思い、学院で医学薬学を学んだ知識を活かすため、次兄の看病に加わる事にした。
父と御祖父様、家宰に侍女長も、代わる代わる次兄の様子を見に来るが、侍女達と私だけになった時、次兄が薄く目を開けて私を見る。
「兄上」
呼びかけると、兄は何かを話そうとするが、喉が枯れて話せない様だ。
水差しに水を入れ、兄の口元に持って行くと、少しだけ飲んだ。
「ファル、耳を」
微かに兄はそう言ったので、兄の口元に耳をやる。
「図書室の奥、『ビューロ医薬辞典』」
私だけに聞こえるようにそれだけを言い、兄はまた気を失った。
そして、夜半が過ぎた頃……意識がそれから戻ることなく、次兄カルバネンは息を引き取った。
兄上の葬儀の準備で家中が慌ただしい最中に、こっそりと邸の図書室に入った。
余り使わない本ほど、奥の棚に置いてある。
このルハーン家は別に医学薬学に強い訳ではなく、必要なら腕の良い医者が呼べるので、医薬辞典などは使わない最たるものだ。
分厚く装丁の良いその辞典はすぐに見つかった。
棚から出して、ページをパラパラとめくっていると、中程に封筒が挟まっていた。
「ファルネウス様、こちらにいらっしゃいますか」
図書室の入口の方から、私を呼ぶ使用人の声が聞こえた。
私はその封筒を懐に仕舞い、辞書を元の棚に戻した。
「今行く」
そう答えて、図書室を出て葬儀の準備へ戻った。
王都から長兄夫妻もやって来て、カルバネン兄上の葬儀を終えた夜、自室に戻り着替えをした後、侍女達を下がらせる。
一人になったところで、肌着に隠していた封筒を取り出した。
封筒の宛名は私になっていて、カルバネン兄上の署名が裏にある。
開けると中には五枚の便箋が折り畳まれていて、兄上のメッセージがびっしりと書いてあった。
次兄の葬儀を終え、学院に戻る前の日の夜、父に執務室に呼び出された。
そこには御祖父様と長兄も来ていた。
「学院では頑張っているそうだな。私の予想以上に優秀な成績を出している」
父はそう褒めてくれたが、葬儀のあとの呼び出しには、何か裏があると思う。
「今までの家での教育と、コーネリアのお陰です」
正直に答えると、父と長兄の眉根が顰められた。
「コーネリアだと? あの流民の娼婦に何ができる」
彼女を蔑む長兄と、それを咎めない父。
御祖父様は二人を睨むが、家督を既に父に譲っている為か、二人には何も言わない。
今の一言で、二人が他の貴族と同様以上にカダイフ伯爵家を良く思っていないこと、そしてこれから何かをしようとしていることを悟った。
「まあいい。ファルネウスには学院卒業後、こちらへ戻って来てもらう。カルバネンの代わりに、彼が担っていた役割をファルネウスに継いでもらう」
何だって⁉
「ですが、コーネリアとの婚約は王命では無いですか」
「そうなのだが……カルバネンが亡くなって、交易を任せられる者が他に居らん。今はいいが、私もいつまでも元気ではないからな」
御祖父様が言う。
次兄に交易を担ってもらう積りで教育を進めていたそうだが、その次兄が亡くなったことで御祖父様もめっきり元気を失っている。一気に老け込んでしまった様子だ。
「タビテに第四子か末子を養子に出す様に頼んだが、断られた。向こうの家でもう役目があるそうだ。それにハーグ大帝国に行ったヴェロニカ姉上には頼みにくい事情がある」
父には姉ヴェロニカと妹タビテが居た。
伯母はハーグ大帝国の貴族に嫁いだ。
ただ、ハーグ大帝国へ嫁ぐとこちらとの連絡は外交ルートを経由しなければならず、伯母とは没交渉になってしまった。帝国に事情が筒抜けになりかねないので頼みにくいのだろう。
叔母は国内のゲール伯爵家に嫁いでいる。
叔母には五人の子供がいた筈だが、養子縁組を断られたという事は、向こうの家に完全に取り込まれてしまったのだろう。五人も子供を育てられる程だから、資産的にも困ってはいないのだろうし。
「フラーベン伯爵家の第四子クラークを提案していたでしょう」
「それはお前の係累かもしれんが、ルハーン公爵家の係累ではない。交易はルハーン家の始祖から続く家業だ。他の家に渡す訳にはいかん」
長兄の言葉を父が強く否定する。
フラーベン伯爵家は、長兄バラントの母ラフィーヌの妹が嫁いだ先だ。
つまり長兄の提案は、交易事業を譲り渡せという発言に等しい。
仮にフラーベン伯爵令息を養子にしたところで、と言う話だ。
「ファルネウスに交易を継いでもらう方針は変えない。王命は撤回してもらうよう働きかけるが、それが上手く行かない場合も考えて、並行して別の者も探す」
父はそう結論付けた。
「王命を撤回してもらうとなると、ファルネウスの次の婚約者が問題だな」
私には、コーネリア以外の事は考えられない。
父の言葉に、思わず不満が顔に出る。
「ファルネウスが学院でコーネリア嬢の立場を守ろうと立ち回っている事は聞いている。それほど入れ込んでいるなら、逆に嫁入りしてもらうか? あそこはもう一人、妹が居たはずだ」
私の表情を見た御祖父様が提案してくる。
「カダイフ家の者を嫁入りに? 社交界で、当家が何と言われるか」
御祖父様の提案に、父が難色を示す。
「遊牧民出身でも、学業は非常に優秀だそうですよ。ファルネウスに分家を興させて、そちらに嫁いできて貰えば良いでしょう。用が済めば縁を切れば良い」
長兄が下品な顔をして笑う。
「コーネリアは嫡子で、王命で私が婿入りする事になっています。そもそも、なぜ王命が覆される事を前提に話しているのです」
私を飛び越して勝手に議論が進む事に苛だって、思わず口を挟む。
「だから、この王命の解消を王家に求めるつもりだと言っている。この王命はともかく、今まで当家の要望は大体王家に通してきた。この要望も王家に通させる。話は以上だ」
父はそう言って、私に退出するよう促した。
自室に戻ったが、父達の勝手な言い分に腹が立っていた。
本来なら家の方針には従うべきなのだろう。
しかし、父達が言っているのは、私達の家の都合の為、王命を覆させるという自分勝手な事だ。
御祖父様や父は、ちゃんと情勢が見えているとは思えない。
そこに、コンコン、と自室の扉がノックされる音がする。
開けて見ると、部屋にやって来たのは御祖父様だった。
「御用件は何でしょうか」
「……お前と腹を割って話したくてな。オラトリオやバラントが居ては話せない事もあろう」
私は溜息を吐き、御祖父様を招き入れる。
椅子を用意し座らせる。
「私等の言い分は、勝手な物だと思っているだろう。だが、交易については利益も大きく、王家としても目の付く所に置いておきたいのだ」
御祖父様も父上も、その点は信じているが……だからと言って、ルハーン公爵家でなければならないという理由にはならない。
「王家の目の届くところであれば……王家にとって、何もルハーン公爵家でなければならない理由にはならないでしょう。例えば、第二王子殿下に事業を引き継がせてもいい」
「……なんだと? この事業は、ルハーン公爵家が、私の父が自ら切り開いたものだぞ!」
御祖父様は、怒気を含めて言う。
「冷静に考えてみてください。初代様、御祖父様の代までは、安全な航路を見つけるのも大変で、交易の収益も安定せず、ルハーン公爵家に注力させた方がよかった。交易がいずれ大きな利益を上げるのは分かっていたので、ルハーン家の多少の我儘も王家は聞き届けて来ました」
何故王家がルハーン公爵家の言い分を聞いて来たか。
御祖父様も父も、そこをもう少し考えて欲しい。
「ですが今は、安全な航路を確保して、安定した収益を上げています。自分が手を出さなくても家としての判断が迫られる事は無いと考えたから、父上は国政の方に手をだしたのでしょう?」
父も長兄も国政の方に行ってしまったのは、当主判断が迫られる程の大事が、交易では起きなくなったから。
「父上も嫡男である長兄も自ら事業を手掛けていないのであれば、交易事業は安定していると王家も判断するでしょう。事業を王家に召し上げる機会を探していると思います」
「だ、だが……それではバラントを、今からでも王宮から引き揚げさせては」
御祖父様は、やはり目が曇っておられる。
私は首を振る。
「そもそもカダイフ家に対する偏見や蔑みがある時点で、父上や長兄は事業に不適格です。カダイフ家相手にあれですから、民族が違う交易相手に何か失礼をしかねません。御祖父様が今も自ら交易事業を見ているのはそれが大きな理由でしょう? 長兄を今から戻したところで、あの偏見が治ると思いますか」
御祖父様は暫く沈黙した後、静かに首を振る。
「……王宮に染まったオラトリオやバラントでは、事業を回すのは無理だろうな」
溜息を吐く御祖父様。
「それに、少なくとも長兄は、御祖父様や父上とは考えを一にしていなさそうです。ラフィーヌ様の係累を交易事業の後継に推す事自体、大方、第二王子殿下かその側近仲間の誰かに唆されたのではないですか……想像ですが」
「な……」
私の指摘に御祖父様は驚く。
だが先ほどの父の執務室での会話……長兄には、違和感を覚えていた。
「王宮で長兄の事を放置しすぎではないですか。長兄が誰と繋がりが深いか、誰の言う事を聞いているのか……もう少し、王宮内での長兄の動きを掴んでおいた方が良いと思います」
「……わかった。それについては、オラトリオとも話しておく」
御祖父様は頷いた。
「あと、私がカダイフ伯爵家へ婿入りすると言う王命は、恐らく余程の事が無い限り撤回はされないでしょう。先程の、王家が事業を狙っていると言うだけではありません」
「なに?」
この予想は、今までコーネリアと接して来た私が覚えた違和感にも拠るところだ。
「御祖父様は、カダイフ家の担う外科医学についてどう思われますか」
「カダイフ家は……確かに外科医学の発展に貢献してきたと思う。王立学院、研究所、医療所……医学関係の要所にカダイフ家の者が携わっているな」
御祖父様の言葉に、私は頷いた。
「カダイフ家が王国に取り込まれて何十年……外科医療に関する要職はカダイフ家の手にありますが、技術自体は、ある程度こちらの国にも伝わっていると言えるでしょう」
「……何が言いたい?」
御祖父様は結論を急かした。
「医療の要職を担っているとはいえ、技術的に未だカダイフ家の存在が必須かと言われると、疑問符が付きます……丁度、交易におけるルハーン家がそう見られている事と同じです。それに、社交界でのカダイフ家の地位は低いままです。にも拘わらず、カダイフ家の存続の為に王命が出された……その意味は、御祖父様は何だと思いますか」
私は、もう少し御祖父様にも考えて頂きたく、敢えて質問で返した。
「……まさか……王家がカダイフ家に望んでいるのは、外科医学だけでは、ない?」
御祖父様の答えに私は頷いた。
「私はそう思います。それが何なのかは分かりませんが、カダイフ家、あるいは母体となるカダイフ氏族に由来するものかと」
「なぜそう思う? お前の存念を聞かせてくれ」
御祖父様に尋ねられ、私は疑問点を挙げる。
「カダイフ家に下賜されたという領地について……場所や領都の名前などは明らかですが、その実態は全く掴めません。学院で調べた限り、その風土や地域性など、領地に関する資料がどこにも無いのです。コーネリアに訊いてもはぐらかされます。王家とカダイフ家が意図的に秘匿しているのかも知れません」
「……密約か。その秘密がカダイフ領にある。お前はそう思うのだな」
御祖父様の言葉に頷く。
コーネリアに領地の具体的な話をそれとなく聞いても、具体的な答えが返って来たことが無い。
何か言えない訳があると思っているのだが、それだけでも、カダイフ家と王家の間になにか密約があるのではと思ってしまう。
「何か秘密があって、王家としては立場の弱いカダイフ家を守る必要がある。ついでにルハーン家からは交易事業を取り上げたい。その為の一手が、私のカダイフ家への婿入りの王命だと思います」
「……ちょっと待て。それは、まさか」
御祖父様が驚愕の表情をする。
「最初から交易事業を取り上げるつもりで狙った王命なのかは分かりません。ですが、カルバネン兄上が亡くなった今となっては、王家はそれを狙って動く。そう予想していても、危惧しすぎという訳ではないでしょう。それに、交易事業を狙っているのは王家だけとは限りません」
次兄を最初から亡き者にするつもりだったのか、それを狙ったのが王家なのか、まだ分からない事が多い。
だが、これから王家が、他に交易事業を狙う者達がどう動くかは予想がつく。
「では、お前はどうすれば良いと思う」
「父上の言う通り、交易事業の引継ぎを私に。私が引継ぎを受けている間に、事業を実質的に司る商会を立ち上げて権限を移管します。王命を撤回されなければ、私の婿入りの餞別として一旦引き取ります。万が一王命が撤回されれば、私が事業を引き継ぎましょう」
「ファルネウス、お前!」
私の提案に、御祖父様は目を見開き、私に怒声を浴びせる。
それはそうだろう。事業の実質の部分を、婿入りの際に持って行くという宣言なのだから。
「話は最後まで聞いてください。これは優先順位の問題です。交易事業を無理にルハーン家に残すか。交易事業を一時他の家に移して、本来あるべき形のまま事業を守るか」
「ルハーン家に残したところで、事業は守れぬとでも?」
御祖父様は私の言葉の意図を理解した。
「御祖父様が亡くなれば、他民族を蔑む父上や長兄が、相手との友好関係を保ったままこの事業を維持できるとでも? 精々、下の者に実務を丸投げして、利益だけを取ろうとするだけでしょう。これは王家や他家に事業を奪われても、同じことです」
「……一度関係が壊れれば、再構築は難しい。そうなると、お前は言うのだな」
私は頷いた。偏見に凝り固まった者がこの事業を継げば、いずれ交易相手との関係が壊れ、国に暮らす民への影響が出て来る。
「私が商会を通じて交易事業の権利を持ってカダイフ家に婿入りすれば、王家は強く出られない筈です。何らかの理由で、王家はカダイフ家を守らなければならないのです」
「……それは、憶測に過ぎんだろう」
しばらく考えて、御祖父様は呟いた。
「憶測にすぎませんが、可能性はあります。それに商会の人員を御祖父様や私の手の者で固めれば、婿入りした所でカダイフ家に手を出させなくすることも可能です」
御祖父様は腕を組み、考え込み始めた。
「この案がどうしても受け入れられないなら、タビテ叔母様の子供なり、寄り子の貴族家の有望な者なりを養子に迎えて事業を任せるしか無いでしょう」
「……考えてみよう。全部は話せないが、オラトリオにも相談する」
そう言って、御祖父様は退室していった。
本当はまだ話したい事があったが……こちらはまだ、裏を取る必要がある。
準備が整ってから、もう一度御祖父様と話をしなければならない。
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