05 充実した学院二年生の生活
二年に進級すると、コーネリアが入学して来た。
彼女は私の予想を超えて、領地経営と医学薬学の二課程並行を選んだ。
「領地経営も、外科医学の発展も、両方とも疎かにしたくないのです」
そう言う彼女の入学試験の成績は、領地経営が五位、医学薬学が首席だったそうだ。
カダイフ伯爵家として、医学で他に負けるわけには行かなかったのだろう。
しかし、薬学はカダイフ伯爵家の専売特許でもない。
それでも首席を取る彼女の、それまでの努力が垣間見えた。
因みにチェンの妹、フェイファも三位で医薬薬学過程に入学したそうだ。
「帝国ではこの国以上に、女が学問に取り組むのは肩身が狭い。俺の補佐という名目でフェイファの留学を捻じ込んだが、本当はフェイファの方が頭も良いんだ。あいつに好きな事をさせるためには、俺が頑張らないといけない」
チェンの話は、コーネリアの現状に似ていると思ってしまう。
私とチェンが仲立ちする前に、コーネリアとフェイファはすぐに仲良くなっていた。
時間が合う限り、私達四人は医薬薬学過程で一緒に過ごすようになっていた。
カダイフ家が蔑まれる現状を考慮して、なるべく私や、私が無理な時はチェンやフェイファがコーネリアに付き添うようにしていた。
しかし、彼女が一人でいる場面はどうしてもできてしまう。
そういう時に限って、家政課程の令嬢達が彼女へ押し寄せるようになった。
ある時、大きな騒ぎになっているのを見て私が駆け付けると、
「遊牧民風情が、公爵家令息に近づかないで頂きたい」
「卑しい女の癖に、どうやってファルネウス様に取り入ったのかしら」
「股を開いて篭絡したのかしらね」
などと、大勢の令嬢が詰め寄り、流石に見過ごせない発言をコーネリアに浴びせていた。
私は令嬢達に駆け寄ろうとしたが、その間にもコーネリアは自ら反論していた。
「ファルネウス様と私と王命による婚約であり、互いに真摯にお付き合いさせて頂いております。貴女がたの発言は、私の伯爵家と、ファルネウス様の公爵家、そして王命を出した陛下の全てを侮辱する言葉だと、御認識でいらっしゃいますか」
しかし、コーネリアを見下す令嬢達は止まらない。
「公爵家と卑しい遊牧民の婚約を、陛下が王命で出す筈がないでしょう」
そういう反論も聞こえたので、私は更に近寄って声を上げた。
「コーネリアの発言は事実だ。私達の婚約は王命によるものである。これ以上続けるなら、学院長と陛下に報告差し上げることになる。誰がコーネリアに詰め寄っているか、家名含めて告発する事になる事を覚悟せよ」
「ファルネウス様! その様なつもりは……ど、どうかご勘弁を!」
私が脅すと、周りの令嬢達は慌て蒼褪める。
「この場を去り、二度と私達を妨げないなら……ファルネウス様、私に免じて一度は御見逃し下さいませ。一度の失敗だけで余りにも多くの退学者を出すのは、本意ではありません」
コーネリアがそう言って、令嬢達を取り成す。
公爵家の権威で蹴散らしても、私が居ない時に再発する恐れがある。
コーネリアの取り成しに多少なりとも恩を感じれば被害は減るとの計算もあるのだろう。
「そうだな、学院は学びの場だ。一度の失敗で全てを失わせるのは本意ではない。私達の婚約の妨げをしないと言うのであれば、今回は報告を見送る。但し、同じことをまた繰り返すなら容赦はしないぞ」
令嬢達は蒼白になりながらも、頭を下げて去っていく。
気になる事があったので、放課後に談話室を借り、コーネリアと二人で入る。
「正式に爵位を与えられた家なのに、社交界のカダイフ伯爵家への差別は酷いものだな。コーネリアも、随分と嫌がらせを受けたのではないか」
そう訊くと、コーネリアは溜息を吐いた。
「確かに母も私も、社交界ではああいった手合いに囲まれます。ですから社交シーズンでも、ファルネウス様と一緒でなければ夜会ひとつ参加するのは難しいのです。そもそも、王家主催以外の招待は、私達を笑いものするために招かれるだけですし」
疲れた顔のコーネリアには、今までの苦労が窺える。
「これからは、周りにもっと仲の良い所を見せつけなければ……。コーネリア、君を愛称で呼んでも構わないだろうか?」
訊いてみると、コーネリアは目を見開き……段々と顔が赤くなる。
「あ……愛称で、ございますか?」
恥ずかしそうにもじもじしながら彼女は答える。
私だけに見せるこういう仕草が可愛い。私も自然に笑顔になる。
「で、では家族と同じように、コーニーと」
愛称を教えてくれたが、どうせならもう一歩踏み込みたい。
「できれば、家族にも呼ばれない、私だけが呼んで良い愛称が良いな」
そう言うと、コーネリアの顔が更に赤くなった。
「お、お戯れを……。ファルネウス様は、逆にどう呼ばれたいのですか」
恥ずかしがりながらも彼女が反撃してくる。
「次兄にはファルと呼ばれているが、貴女には『ルネ』と呼ばれたいな」
そう答えると、コーネリアは真っ赤になりながら小さく「くっ」と呟いた。
私も恥ずかしがらせようとしたのだと思うが、即答したのが悔しかったようだ。
「で、では……私の事は『ネリ』と。ファルネウス様」
私だけが呼べる愛称を教えてくれてとても嬉しい。
しかし、彼女はまだ私の事を名前呼びしている。
「『ルネ』だよ、ネリ」
早速愛称呼びすると、彼女は恥ずかしそうに目を背けてしまう。
「わ、分かりました……ルネ、様」
愛称呼びを提案したのは私だが……恥ずかしいな、これは。
だが……だが、これは良い!
様を取ってもらうのは、もっと後でも良いか。
「有難う、ネリ。とても嬉しいよ」
「こちらこそ、ルネ、様……でも、かなり恥ずかしいですね。慣れるまでは、二人の時だけでも良いですか」
真っ赤になりながら、おずおずとそう訊いて来るネリはとても愛らしい。
「ネリが恥ずかしいならそれでも良いよ。でも私は、人前でもネリって呼ぶからね」
「……が、頑張って慣れます」
私に合わせてくれようとするコーネリアが愛しい。
「しかし、どうしてここまでカダイフ家への差別が酷いのだろうな。女性としてネリを貶める発言は、余りにも酷い」
そうぼやくと、コーネリアは怪訝な顔をした。
「もしかして、ルネ様……カダイフ家に対して社交界で言われている事を、御存じないのでしょうか」
「ネリをエスコートする以外には社交に出ていないから、どんな噂があるのか、具体的な事は分からないな」
何かあらぬ噂を立てられたりしているのだろうか?
「根も葉も無い事なのですが……長年、真しやかに言われている事があります。『遊牧民は、元々ラームハット王国と取引する物が無く……春を売っている』のだと」
「な、何だと!」
余りの内容に怒りを覚える。
「少なくとも、私達にはその様な事実はありません……私達は氏族由来の外科医学の知識や技術を提供しています。それを頼りに、患者が助けを求めて来た事もあります。しかし現状、これらの事実を無視して流言は根強く蔓延っています」
「社交界で、体の良い生贄に使われているのか……」
カダイフ家は歴とした伯爵家なのだが……カダイフ家を侮るのは、叙任した王家への侮辱にもなる筈だ。
王家がわざとこれを放置しているのだろうか。
不満を逸らす為の羊が必要なのか、あるいは、王家にこの噂を打ち消すほどの力が無いのか。それとも……そもそも、打ち消す気が無いのか。
いずれにせよ、王家の力はそれほど強くないようだ。
「公爵家として、伯爵家を守れれば良いのだが。父も兄も、この噂に乗っかっていそうだからなあ……ネリには、私の力不足で迷惑を掛けてしまう」
コーネリアに頭を下げると、彼女は首を振る。
「嫡子でないルネ様に、公爵様や次期様を止めるのは難しいのは分かっています。学院や夜会で私を守って頂けるだけでも、私はとても助かっています」
コーネリアはそう言って私に微笑む。
辛い立場なのは彼女なのに、私が慰められてどうする。
「やはり、なるべくネリと一緒に行動しなければな」
「医学薬学課程では、皆様社交にはそれほど興味もありませんし、何かあっても留学生の皆様が庇って下さっています。領地経営課程さえ何とかなれば、とは思うのですが」
コーネリアの言葉に、唐突に思いついた。そうだ。あれがあった!
「ネリ、領地経営課程の飛び級試験を受けてみないか」
「飛び級、ですか?」
学院には、成績優秀者であれば、試験の結果で飛び級をすることが出来る制度がある。
不利な点として、飛び級によって同級生の横のつながりが薄れてしまい、それまで上級生だったクラスメイト達と改めて繋がりを持つのが難しいと言うのがある。
そう言った点を踏まえて、実際に飛び級試験を受けるのは、学院に入る前に側近を抱える王族が大半だ。そもそもこの制度自体を知らない生徒も多い。
しかしコーネリアの場合は、実質的にこの国の貴族家としては扱われていない。
カダイフ家にまつわるあらぬ噂の為、横のつながりを持つこと自体が困難な状況にある。
領地経営課程を飛び級出来れば、私と一緒の学年になり、私が彼女を守る事が出来る。
彼女に説明すると、コーネリアは考え込んだ。
「……飛び級が出来れば、状況は良くなりそうですね。ただ、私は領地経営課程の席次がそれほど高くありません。成績不足で、試験自体受けられないかも知れません」
首を振るコーネリアに、私は提案する。
「それなら大丈夫だ。放課後、私と一緒に勉強しよう」
「え⁉ でも、それではファ…ルネ様の勉強時間を削ることになってしまいます!」
コーネリアは慌てて私の提案を否定する。
二課程を並行で進める私の勉強時間が減ってしまう事を心配してくれているのか。
「領地経営課程の前期二年間で習う基礎編の内容は、既に家の教育で頭に入っている。一年で次席だったのは、クラスの友人に一人、凄い発想をする奴が居てね。答えのない問題では、あいつに敵わないからだ」
実際、領地経営課程の勉強は、毎日軽く復習するくらいだ。
「で、でも、医学薬学課程の勉強時間が必要ではないのですか?」
「ネリが協力してくれれば、お互いの勉強が効率化できると思う。君は、医学薬学課程の前期二年間の内容は、既に頭に入っていると想像しているが、どうだろう? もしそうなら、お互い協力しないか?」
私の提案を聞いてコーネリアは呆然としていたが……やがて、ふふふ、と笑い出した。
「ルネ様にはお見通しでしたか。分かりました。一方的に受益するだけでは気が引けますが、お互い助けあう事ができる提案であれば、喜んでお受けしますわ。時々でも良いので、フェイファを交えても良いですか?」
「もちろん、チェンとフェイファの兄妹を交えるつもりだが……ネリと二人の時間も欲しいな」
「……そ、そうですね」
それから、放課後に図書館の自習室で会い、互いに勉強を教えあう日々が始まった。
飛び級について私から学院に問い合わせると、『二課程を並行で進めるなら、カリキュラム上、両方を飛び級する事が望ましい』との学院長の回答があった。
そこでコーネリアは領地経営課程と医学薬学課程の両方で飛び級試験を受ける事になった。
コーネリアからフェイファへ飛び級の話をすると、彼女も試験を受けたいと言ったそうだ。
受けるタイミングは、学期末試験の翌日。
二カ月の放課後の勉強が功を奏し、コーネリアは両課程の飛び級試験を無事合格した。
フェイファも医学薬学課程を飛び級して、私達四人は同じ学年になった。
「医学薬学課程との同級生との交流は、大丈夫なのか」
後になってコーネリアに聞いてみると、彼女は笑った。
「医学薬学課程では専門課程に進めばチーム研究がありますし、飛び級しても縁が切れる訳ではありません。それに留学生の皆様も、次の学期末で飛び級試験を受けるそうです。ルネ様、これから医学薬学課程は、成績争いが更に大変になりますよ」
なんと、コーネリア達のいた一学年下のクラスでは、コーネリアとフェイファの飛び級に刺激を受け、留学生たち全員が次の機会に飛び級試験を受けると言っているそうだ。
優秀な留学生たちなら、基礎課程の飛び級試験は難なくクリアしてくるだろう。
つまり大幅に課程の人数が増える。自分より優秀な者が増えると、自分の順位も下がってしまう。
人の心配より、自分の心配をしなければいけない様だ。
「うかうかしていられないな。更に精進しないと」
「私も婚約者としてお助けします。ですから今後とも、放課後の勉強会をお願いしても?」
上目遣いでこちらを見つめる、そんなあざと可愛い彼女のお願いを、断る理由は私には無い。
「勿論だとも。これからも宜しく」
コーネリアは晴れて一緒の学年になったので、彼女とは殆どの時間、行動を共にした。
遠くからコーネリアを睨みつける令嬢はちらほら居るものの、表だって行動に出る事は無く、彼女の学院生活にようやく平穏が訪れた。
チェンやフェイファとも一緒の四人の勉強会は功を奏し、コーネリアもフェイファも、飛び級して以降も頭角を現す。
領地経営課程の次の学期末試験では、友人のハルト・クラーブ侯爵令息を首席に、次席に私。一学年上の第三王子の婿入り候補に名前が挙がるバーネル公爵家嫡女サスキア様と、コーネリアとが三位を争うまでになった。惜しくもコーネリアが敗れたが、それでも四位は上々だ。
医学薬学課程の方は、飛び級していきなりフェイファが首席を奪取。コーネリアもフェイファに次いで次席となった。チェンは四位、私も少し順位を上げて七位になった。
次の学期、五人もの留学生が飛び級してきて、私の医学薬学課程の成績維持に暗雲が立ち込めたのだが、留学生の割合が増加した事で良い影響も出た。
留学生たちの目的は、先進の医学薬学技術を持ち帰る事。お互いの知識を共有する事で、それぞれが目的を達成できると気づいた彼等は、私達四人の勉強会への参加を求めたのだ。
競う事に囚われている王国貴族の生徒は、最初は苦々しくそれを見ていた。だが、私が居る事で声を掛けやすいと思ったのか、徐々に他の生徒が私に声をかけ、彼等も勉強会に加わった。
勉強会の皆の成績が上がる結果になったのだ。
医学薬学課程のその年の学期末試験は、満点の首席四人、そこから十点差以内に二十人が入るという、前代未聞の結果を招いた。
コーネリア、フェイファは勿論首席の四人の中に入った。
私とチェンは首席と四点差で並んだ。首席には入れなかったが、十分満足の結果だった。
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