04 王立学院での交流
数年経ち、公爵家内の状況も変わってきた。
長兄バラントは王立学院を卒業した。学院では側近として同学年の第二王子殿下に侍っており、卒業後もそのまま殿下の部下として王城で働くことになった。
そして卒業後一年して、かねてより婚約していたロッペン侯爵家の御令嬢カルネラ様と結婚。その一年半後には第一子となる女の子ジョエルが産まれた。
因みにこの間に、既に王族執務に入られていた第一王子殿下が立太子された。
コーネリアとの交際は順調だったが、公爵家内部では、徐々に問題が出て来た。
それは、私の次兄カルバネンだった。
私は他の貴族子弟と比べて優秀な方に入ると祖父からは褒められているが、それでも公爵家の教育は私にはなかなか着いて行くのが大変だった。
しかし次兄は、私よりも上の教育を受けていたが、それでも座学においては私より優秀だと、祖父の期待も大きかったと聞く。
しかし残念ながら、カルバネン兄上は年を経る毎に体の調子を崩す事が多くなっていった。
私がコーネリアと婚約した頃はまだ元気だったのだが、それから次兄が何かの病で寝込む頻度は増えて行った。
実技教育も基礎体術を終えてはいるが、寝込む度に体力と筋力を落とし、なかなか次の段階へ進む事ができない。伏せって回復する度に基礎体術の鍛錬をやり直しているようだ。
次兄が王立学院に通う前の年の冬頃には、臥せっている日が大半になっていた。
寝込む兄を彼の自室に見舞うと、次兄の肌は痩せこけ、肌には吹き出物が多く出ている。
次兄付きの侍女達に症状を確認すると、嘔吐や下痢を繰り返すため、なかなか食事も満足にできず、次兄は大分体力を落としているそうだ。
お抱えの医者に診せても、次兄の病や原因は分からないという。
父は次兄を見舞いに領地邸にも訪れ、祖父や医者たちとも協議していたが……次兄の健康上の問題は解決の目途が立たず、父と祖父は、次兄を学院へ行かせる事を結局断念した。
次兄は治療を受けながら、引き続き領地で教育を受けることになった。
万が一のため、父は私に、今更ながらスペアとしての教育を受けるよう命じた。
これによってコーネリアに会いに行く機会が更に減りそうだ。
一度、手紙でカダイフ伯爵領への訪問を申し出て、父からも依頼を出して貰った。
しかし彼女も領地での教育は忙しいらしく、手紙の返信とカダイフ伯爵家からの返信の両方で正式に断られた。
王立学院に入るまで、コーネリアとの交流は王都で会うか、手紙でやり取りするかしかなかった。
そして私は十四歳になり、コーネリアより先に王立学院に入学する事になった。
王立学院は、貴族子弟がその先の役目に応じて専門知識を学ぶための学校である。
学院の課程は、領地経営、騎士、文官、医学薬学、家政の五課程がある。
こうした貴族子弟の学び舎はどの国にもあるが、ラームハット王国の場合は医学薬学の課程があるのが特徴的で、この課程を目指してハーグ大帝国や海の向こうからの留学生が毎年数人やって来るのだ。
学院の各課程で、前半二年ではその中でも基礎分野を広く学び、後半二年ではより深く専門分野を学び研究を行う様になっている。
学費を賄うのが難しい男爵家や子爵家の子弟は、前半の二年だけ受けて領地に戻ったり、仕事に就いたりすることも多い。
但し、騎士課程や文官課程を経て王城勤務を目指す場合、四年の履修が無ければ、やがて上級職へ昇格することは非常に厳しいものになる。
なので、下位貴族家の子弟でも王家が設定した厳しい基準をクリアすれば、王家が学費を負担する奨学生として四年間学ぶことができる、奨学制度もある。
また難易度は上がり、学費も二重にかかるが、複数の課程を同時に学ぶ事も出来る様になっている。
高位貴族家の子弟の中には、領地経営と文官など、複数の課程を受講し、両方で高い成績を修め卒業する者が偶に現れるという。
私は領地経営課程と、医学薬学課程の両方を受ける事にした。
領地経営課程は、私が婿入りするコーネリアのカダイフ伯爵家を助ける為、そして医学薬学課程を受けるのは次兄を助ける為だ。
次の年に入学するコーネリアも、この二課程のどちらかを受けるのだろう。
学院に入学すると、高位貴族家出身の私には、恐らく家政課程と思われる貴族令嬢達が群がってきた。
「あの遊牧民を妻になど、ファルネウス様には勿体ないですわ」
「あんな卑しい者など捨て置いて、私達と交流を深めては」
等と、カダイフ伯爵家が遊牧民出身であることを論い貶めることで自分をアピールしてくる令嬢が多くうんざりしていた。
コーネリアに私が婿入りする形での、王命による婚約だと公表されているのだが。
「コーネリアとの婚約は王命だ。私に王命を破棄する反逆者になれと?」
あまりに付き纏いが酷くなり行動の自由が阻害されるので、私がそう言うと、群がる令嬢達は目に見えて蒼褪める。
「そ……そんな、つもりはありません。婚約者は婚約者として、それとは別に私達とも交流を深めてはと」
中には、愛人でも構わないと食い下がる勇者も居たが、これも答えを用意している。
「私は婚約者一筋でね。それに、私は既に領地経営と医学薬学の課程を並行していて勉学に忙しい。勉学を疎かにしてまで、君達のアクセサリーになる理由が私には無いのだが」
これを言うと、残る令嬢も引き下がっていく。
群がる令嬢にこの対応を徹底していくと、入学して二カ月経つ頃には周囲は静かになった。
学院では勉学だけではなく、公爵家の一員として広い横のつながりを持つ事も、父からの命題だった。
領地経営課程で特に親しくなったのが、クラーブ侯爵家の嫡男ハルトだった。
クラーブ侯爵家は国の東側、山脈の麓にある薬草の産地を領地に持つ。自ずと薬学に長けた家柄であり、この国で長く薬学の発展に貢献して来た。
私は自主的に選んだ医学薬学課程との二課程履修を、ハルトは家から薦められたそうだ。
だが、彼は領地経営過程だけに絞った。
「私以上に、弟や妹の方が薬学にのめり込んでいてね。私はどちらかと言うと、皆が安心して薬学を追求できるかを、突き詰める方が重要だと思ったのだ」
そうハルトは言う。
ハルトに領地の話を聞くと、話の端々に薬草の詳しい話が出て来る。医薬薬学課程を受けていても、ハルトならばきっと上位に行っただろう。
しかし彼は、医薬薬学課程を同時に受けるよりも、その時間を多くの書物を読み、色々な人と話をし、自分の見聞を広める事に使っている。
その広い見識と豊かな発想には、彼は凄いなと、私は純粋に思った。
「貴族としての柵があっても、身分差や偏見を除いて公平に物事を見られるところが、お前の長所だと思う。お前と話していると、自分がまだまだ偏見を持っている事に気付かされるよ」
彼は私をそのように評するが、そこまでの事なのだろうか。
とはいえ、互いに尊敬できる友人関係と言うのは良いものだと思う。
領地経営課程では一年次の期末試験までハルトは首席を維持し、私は次席のままだった。
医学薬学課程では、留学生のチェンと特に仲良くなった。
彼は海の向こうにあるアジェン帝国からの留学生だ。アジェン帝国からは紅茶などを交易で仕入れており、ルハーン公爵家としても縁がある。
公爵家として、時としてこちらの王国では馴染みの無い物品を、試しに仕入れる事がある。
その中に、ケーキより固くビスケットより柔らかい、微妙にしっとりしたお菓子があった。
アジェン帝国から輸入したそのお菓子の事を、公爵家では誰も良く分からなかった。
「日持ちはするそうなので仕入れてみたが、こちらの国の者には合わないようだ。だが留学生なら、懐かしい味に喜ぶかもしれんな。持って行ってあげなさい」
御祖父様の言葉に従って学院にいくつか持参して見せると、チェンは大喜びした。
彼等の言葉で『ユエビン』というそのお菓子は、毎年決まった時期に先祖へお供えをする他、親しい人やお世話になった人に配る習慣があるそうだ。
「では、この『ユエビン』だったか……持ってきたこれは、チェンへの贈り物にしよう」
「ほ、本当か! 偶には食べたいと思っていた」
チェンがあまりに嬉しそうにするので、これはアジェン帝国人と取引するのに使えそうだと思った。
「ああ、もちろん。家の者にも、時々これを仕入れてくれるよう頼んでおく」
「そうしてくれると嬉しいが、私に何か頼みたい事でもあるのか」
下心があるのかと指摘するチェンは、なかなか鋭い。
だが、私の願いは大したものではない。
「少しずつで良いから、チェンの国の言葉を教えてくれないか。帝国との交易にとても興味があるが、家では帝国語を使える者がいないのだ」
公爵家ではアジェン帝国との交易もしているが、公爵家の教育では、アジェン帝国語を使いこなせる教師が居なかったのだ。
御祖父様も、『発音が難しい』と覚えられなかったらしい。
帝国語が難しいことは帝国側も認識していて、交易の実務では帝国側がこちらの言葉に合わせてくれるそうだ。
持ってきたユエビンも、公爵家の中では『ビン』という名前で分類されていた。
「……この国は、留学生を受け入れている割に保守的だと思っていた。でもお前は、少し毛色が変わっているな。気に入った。友達になって、妹の分もユエビンを融通してくれ」
チェンも大概変わっているように思う。でも気に入られたなら嬉しい。
「妹?」
「来年、妹も医学薬学過程に留学して来る予定だ」
という事は、来年医薬薬学過程にコーネリアが入れば、一緒になる可能性が高いな。
「それでは、来年のために妹さんの分のユエビンも仕入れておこう」
「助かる。だが妹をユエビンで釣ろうと思うなよ」
一瞬意味が分からなかったが、続く言葉でわかった。
「お前を義弟にするつもりはないからな」
私は苦笑した。
「心配するな。私の婚約者も来年入学してくる。妹さんに彼女と親しくなってほしいだけだよ」
「……婚約、というのは結婚の約束という事か。わかった、それならいい」
それ以降、医学薬学過程ではチェンと行動を共にすることが多くなった。
彼からは徐々にアジェン帝国語を習う。
チェンは王国語での日常会話は問題なかったが、専門用語や難しい言い回しについて、私から意味を教えることで、彼も学院での勉強をより深く理解できるようになっていった。
医学薬学課程では、首席を取れるほどの成績は私には難しいが、それでも学年末試験で四十人の学生のうち、なんとか上位の成績を修めることができた。
一年の課程が終了して休暇に入った時、私は領地に帰る前に王都邸を訪れ、年次成績を父に報告した。
父には、領地経営過程で首席を取れなかったことに小言を言われた。
だが、ハルトに負けた事を悔しいとは思わない。
「二課程を同時に受けるから、どちらも中途半端になるのだ」
そう長兄は言うが、すかさず父が口を出す。
「お前は領地経営課程一本だったが、次席でも取った事があったかな。一番調子が良かった時でも六位か七位辺りだった気がするが」
「……私は一般論を述べただけですよ」
父の指摘に、長兄は悔しそうに私を一睨みして、負け惜しみを言った。
『ユエビン』=「月餅」
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