26 カダイフ氏族の隠れ里
当話以降最終話まで、以下のルールで会話を記載しています。
御承知ください。
「」: 王国語での会話
『』: カダイフ氏族語での会話
森の端で馬を降り、木に馬を繋ぎながら、ふと気づいた。
「そうだ、ヘリン。ここに馬を置いて行った場合、この馬たちは回収されるのか?」
「それは心配ない。だが、馬をここに置いて、彼等も放置して、私達はどこに行くと?」
ヘリンに聞くと、馬は問題ないとの事だったが、これからの方針を訊き返された。
「まずは、向こう側の邸だな」
私は、ヘリンに答えた。
森を抜けて、追いやられた旧カダイフ伯爵邸に出る。
そこは以前より砂に埋もれているが、邸の扉の前だけは砂が避けられていた。
「依頼された通り砂をどけて、中に寝具と水、食料は入れておいた。ここを拠点に砂漠を渡るのか?」
予めヘリンを通じて、邸の扉の前から砂をどけて、邸の中にベッドや水、食料を入れておくよう頼んでいたのだ。向こうの連中に気付かれないようにと言う依頼は聞き届けてくれたようだ。
ここを、砂漠を渡る拠点にもするつもりだが、今はまだだ。
「以前、ルピア様……カダイフ女伯爵だった方に、あの方達がこの邸に追いやられた時、他の氏族の方々はどうしているのか聞いた事がある。その時、あの方はこう答えた。『周辺の森に隠れ住む者も僅かにいるが、大半は砂漠のオアシスに帰った』と」
ヘリンは考え込んだ。
「周辺の森……そうか、あの向こうの奴等とは別に、この砂漠を隔てる森の中に、隠れ住んでいる者達がいるのか。彼等を探すために、ここを拠点に?」
私はヘリンの言葉に頷いた。
「あの方が知っていたという事は、その隠れ住む者達はルピア様達、旧カダイフ伯爵家に近しい立場の者達だろう。できれば彼等を通じて、ルピア様やコーネリアと接触したい。氏族長と言われる人達に会う前にな」
装備を整え、邸から左右に分かれて捜索する。
私は四人を連れて森に沿って左側に。ヘリンは四人を連れて右側に。二人は、この邸で待機して貰う。荷物番と、万一向こう側の者が来た時の対応の為だ。
森の外れを、邸から二時間程歩いた頃だろうか。
下草の中を、砂の付いた足跡が森の奥へ続いているのを見つけた。
音を立てない様に、その足跡を慎重に辿っていく。
そうして暫く森の中を入って行くと、先の方に開けた空間が見えた。
更に近づいて行くと、そこには何軒か家が建っていて、周りは広めに畑が耕されている。
それに馬小屋の様な建屋が幾つか見えるが、王国で見る馬小屋よりも若干大きい様に見える。
この開かれた土地の真ん中には池があり、そこには馬の様な、でも見たことも無い動物が七、八頭水を飲んでいた。大きさ的に、この動物が建屋で飼われているのだろう。
見渡すと、畑の中で農作業をしている人、動物の毛をブラッシングしている人など、何人かの人影が見える。肌の色も服装も王国のものと異なる所をみると、隠れ住んでいるカダイフ氏族だろうか。
ついて来ている者達にここで待っているように指示し、一人だけ連れてその里に入る。
歩いて行くと、農作業をしている若者が私達に気付いたようだ。
『誰だ!』
王国のものではない言葉で、誰何の声を掛けられた。
やはり、カダイフ氏族の者の様だ。
『私達は、王国から来た。ルピア様に会いに来たのだ』
私は彼等の言葉で答える。
後ろを付いて来ている彼は、自分の知らない言葉で私が会話をしている事に驚いた。
『ルピア様だと⁉ あの方に何の用だ。それに何故、私達の言葉を知っている』
また別の、水を飲む動物たちをブラッシングしていた年配の者が近づいてきて私に訊いた。
『ルピア様の娘、コーネリアから言葉を教わった。ルピア様と、コーネリアに会いたい』
そう言うと、彼等は黙って、お互いに目配せをした。
『俺達の言葉を話し、姫様の事をコーネリアと呼ぶお前……ひょっとして、姫様の婚約者という男か』
『そうだ』
『その証拠を出せ』
ブラッシングをしていた者が言った。
私は、懐からその証を出す。
これは……コーネリアが学院から帰る前、私に預けた物だ。
「ルネ様。これを、預かって貰えますか」
彼女が帰る日、そう言って何かを私に手渡した。
「……これは?」
「これは昔、御祖母様……お母様のお母様が、御祖父様から贈られたものです。御祖父様はこの国の貴族ではなく、氏族の者でした」
コーネリアは、それを私の手に渡しながら言う。
「御祖母様もカダイフ伯爵として、氏族の皆の為に働いていました。そんな御祖母様の気持ちを尊重して……氏族に伝わる技術と、この国に伝わる技術。二つを織り合わせて作られた物を御祖父様は贈ってくれたのです」
そう言って、コーネリアは受け取った私の手を、両の手で私の手を握り締める。
「高い物では無いのですが……カダイフ氏族とこの国の方々との交流が、上手く行って欲しいという願いの込められたこれは、御祖母様からお母様、私へと引き継がれた、とても大事な物なのです」
私の手を、両手で包みながら、目を伏せるコーネリア。
「そんな大事な物……私が持っていても良いのか」
コーネリアは、頷いた。
「私を、私達カダイフ氏族の事を受け入れ、尊重して下さるルネ様だからこそ、持っていて頂きたいのです。……私は帰ってから、しばらく集中して取り組むべき事があります。ルネ様がこれを預かって下さるだけで……私は、心強いのです。どうか、お願いします」
コーネリアは、私の目を見ながらそう言った。
「……わかった。そんなネリの真摯な願い、どうして断れよう」
私が頷くと、コーネリアの私を見る瞳に、涙が溜まっていく。
「ありがとう、ございます……」
「では……私からも、これを」
私は、左手首に着けていた……女物の、宝石も何もついていないシンプルな細いブレスレットを外す。
「ルネ様……これって、もしかして、以前仰っていた」
私は頷いて、彼女の手に取らせる。
「ああ、母の形見だ。大事なものを預けてくれたネリに、これを預かって欲しい」
「……いいの、ですか? ルネ様が大切にしていた物ですのに」
私の母の形見であるブレスレットを、コーネリアが大事そうに両手で包む。
死期を悟った母が、まだ幼い私でも身につけられるようにと遺してくれた、唯一の物。
「あの……私達の氏族では、大事にしている物をお互いに預け合う時。同性の間では、信頼の証。そして男女の間では、あの、その……」
恥ずかしいのか、コーネリアが真っ赤になりながら、言い淀む。
だが言いたい事は、判った。
「私は、そのつもりでネリに預けた。ネリは?」
私は彼女の目を真っ直ぐに見て言う。
「……私の答えは……あの、帰って来てからで、良いでしょうか……ごめんなさい……」
真っ赤になるコーネリアの様子に、そう言う答えを期待してしまうが。
彼女はそのまま、目を伏せてしまう。
「いいよ。答えはその時の為に取っておこう。待っているよ、ネリ」
「……すいません……では、ありませんね。有難うございます、ルネ様」
そう言って、真っ赤のまま顔を上げて微笑むコーネリアは……どこか、寂し気だった。
……渡された時の、そんな経緯を思い出しながら。
私が懐から取り出した物は、ヘンプリボン。
カダイフ氏族が大麻草の繊維で編み込んだヘンプ織のリボンの真ん中に、王国で作られたコットンレースが編み込まれている。
それを小さく巻いて、紐で結んで止めてある。
ブラッシングをしていた者は、リボンを見て目を見開く。
『おお……すまない、よく見せてくれないか』
そう言う男にリボンを渡す。
男は、リボンを大事そうに受け取り、まじまじと眺める。
『ああ……アーリシア様やルピア様が、姫様も大事にしていた、あれだ……』
そして男は……涙を流す。
『姫様が、これを預けたって事は……これは、返しておこう』
涙を流す男は、リボンを私の手に返してくれた。
『おおい、皆、ちょっと来い! 姫様の大事な方が来られたぞ!』
男は振り返り、その集落に大声で呼びかける。
『ほ、本当か!』
『分かった!』
あちこちから声が挙がり、ぞろぞろと人が集まって来る。
その間に、男はまたこちらを向く。
『後ろの男達は、お前の従者か』
隠れて待機して貰っている者達のことも、バレているらしい。
『そうだ。よく見つかったな』
『儂等は砂漠の民だ。遠くまでよく見える』
男はそう言って振り返る。
『この男が、姫様の大事な方だ。あのリボンを姫様から預かっている』
『おお!』
『まあ、姫様が!』
集まってきた男達も女達も、男の言葉に喜ぶ。
ざっと見た所、総勢二十人くらいだ。子供も数人いる。
『あの、貴方達は一体』
そう訊くと、年配の男は振り返った。
『儂等はアーリシア様の頃から、大事なお役目の方に仕えている者だ。アーリシア様の頃から残っているのは儂だけだが、皆もルピア様や今の姫様に変わらず仕えている。儂は、ここの村の代表をしているガンドだ』
アーリシア様というのは、恐らくルピア様の御母堂様、先々代のカダイフ女子爵だった方だろうと思う。その頃から、あの家に仕えていた者達なのか。
『私はファルネウスと言う。呼び難ければ、ファルと呼んでくれ。ところで大事なお役目というのは、氏族を運営する役目の事か?』
そう問うと、ガンドは首を振る。
『お前の言うのが氏族長のことなら、違う。アーリシア様の御祖父様はこっち側の纏め役ではあったし、アーリシア様もルピア様も、氏族の相談役でもあったのだが……追い立てられてからは、ルピア様は相談役も降ろされた。あの方々の大事な役目とは、それとは別だ』
相談役……氏族を治めはしないが、氏族の運営に対して助言を出せる立場だったのか。
『我々はみんな、ファルを歓迎する。姫様の大事な方に会えて嬉しい』
『ありがとう。ところで、姫様……コーネリアは、今、どこに?』
そう言うと、途端にガンドの顔が曇る。
『……氏族長達が、オアシスへ連れ帰った』
ここには居ないのか。だが、彼等はコーネリア達に仕えていた立場の筈だ。
ではなぜ、彼等はオアシスではなくここにいるのだ?
『コーネリアに会いたいが、私達はその場所も行き方も知らない。案内を頼めるか』
ガンドは、しかし首を振った。
『……姫様の大事な方の頼みだ。叶えてやりたいが……念のため確かめるが、多分、今日は駄目だ。バダフ、オアシスの方角の様子を見て来てくれ』
ガンドは後ろを向き、若者の一人に呼びかける。
その若者は頷いて、私達が来た方向、つまり私達の後ろへ向けて駆け出して行った。
『儂が今朝見た感じでは、砂嵐の予兆が起きていた。もしそれが進んでいたら、今行くと巻き込まれる。砂嵐が収まるまで待っても、昼を過ぎてここを出ると、中継地に着く前に夜を迎えてしまう。砂漠は昼も危険だが、夜はもっと危険だ』
ガンドは今日行けない理由を説明した。
オアシスへ向かうには、中継地で夜を過ごしてから更に向こうへ行くのか。
『砂嵐が何かも知らないが、それほど危険なのか』
『ああ。物凄い突風が吹き荒れ、巻き上げられた砂が全てを覆い隠す。自分がどこに居るかも分からなくなるし、砂が目に入って来るから目を開けていられない。酷いものになると、荷物も、自分自身も吹き飛ばされる。そうなったら命は無い』
雨風が吹き荒れるこちらの嵐も危険だが、砂漠の嵐は雨が無い代わりに砂が吹き荒れるのか。
遮る物が無いから、避けることも出来ない。
『やっぱり、大きな砂嵐のようだ』
バダフが戻ってきたようだ。
『やはりそうか。ありがとう、バダフ』
ガンドは、若者に礼を述べていた。今日はオアシスへ出発できないようだ。
『明日の事は、明日見てみなければわからん。連続して砂嵐が起きる事は少ないから、今日がそうなら明日は大丈夫だと思うがな。ともあれ、我々はファルを歓迎する。全部で五人か?』
私は首を振った。
『ルピア様の住んでいた邸に二人、あと五人は邸の反対側の森を探している。全部で十二人だ』
『そうか。だが、十二人は多いな……動ける駱駝は、ここにいる八頭しかいない。邸の向こう側にも王国に馴染んだ者達が何人か住んでいるが、あいつ等は駱駝を飼っていない』
駱駝というのは、今そこで水を飲んでいる大きな動物のことか。
『案内を合わせて八人が限度という事か』
ガンドは首を振った。
『全部出すわけにもいかん。駱駝は、ここに住む者達の間の連絡にも使うのだ。案内一人としても、お前さん達からは六人……いや、五人が限度だ』
五人か。誰を連れて行くか、ヘリンとも話さなければならない。
『どの道今日は出られないから、今夜はフェル達と宴だな。他の村の者も呼ぼう。お前さん達も、夕方までに仲間をここに連れてくると良い。まだ、昼にもなっていないからな』
ガンドはそう言って笑う。宴と聞いて、他の者達も笑顔になる。
『邸の所の、森の向こう、王国側に居る者達は?』
念のため、バダウェイ氏達の事も聞いてみる。
『あいつ等は儂等とは別だ。呼びたいなら呼ぶが、儂等はあまり会いたくない』
『それならいい。私も奴等は嫌いだ』
私がそう言うと、ガンドも周りの者も笑った。
『私を除いて、氏族の言葉は誰も話せないが、いいのか?』
『構わんさ。邸の向こう側の者達も呼ぶ。あちらは王国の言葉を話せる者も多いし、ここも片言だが若い奴は話せる。儂は、とうとう覚えられんかったがな』
ガンドはそう言ってニッコリ笑った。
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