01 カダイフ伯爵家嫡子との婚約
ラームハット王国は、北に接するハーグ大帝国とは友好関係にあり、東部は中央ヒム山脈が人の行き来を阻み、南部は荒涼たるサブラン砂漠が広がっている。
昔は、北側には他にも接する国が二つ程あったが、いずれもハーグ大帝国に吸収されている。
片方は友好的に、もう片方は攻め滅ぼされて。
北側が帝国に統一されて以降、ラームハット王国は大きな戦乱がなく、海路を通じた海の向こうの国々との交易で栄えている。
建国から百四十年ほど経ったこの国はまた、元々薬草の宝庫と言われる土地であり、薬学が盛んだった。そこに南方の遊牧民の氏族から外科医学が伝わり、薬学に加え外科医学も発展している。
ラームハットの王家は、現国王陛下と王妃殿下の下には、三人の王子、二人の王女が居る。
第一王女は第一王子の下、第二王女は第二王子の下。第三王子が末子となる。
丁度、男女が互い違いに生まれた形だ。
私ファルネウス・ルハーンは、ルハーン公爵家の三男として生まれた。
この家は、先々代国王の王弟が臣籍降下して興した、歴史の浅い家である。現当主である父オラトリオは三代目に当たる。
初代当主は海の向こうとの交易に興味を持ち、王族でありながら自ら海を渡って航路を開拓して、交易する国を三つ増やした。初代は末弟であり、いずれ臣籍降下する立場だったのだが、その功あって、元は王領だった港町を含めた領地を下賜された。
現在も海路による交易を主に担う家ではあるが、現当主である父は、交易そのものは先代である御祖父様に任せたまま、交易を通した海の外の国々との外交を担う役として国政へ関わっている。
王家から分かれた公爵家は、他にバーネル家、チャスル家があるが、両家とも興されたのはもっと古い。またチャスル家は四代続けて王家との婚姻が無いため、当代の引退にあわせて侯爵家へ降爵することが決まっているそうだ。
現在のルハーン公爵家当主である父オラトリオは、学院卒業後に建国以来の名門、現宰相であるジョルド侯爵の妹君である、先妻ラフィーヌ様と結婚した。
二人の間には、結婚して三年で長兄バラントが、間が空いて四歳下に次兄カルバネンが生まれた。
次兄の乳母には、当初はラフィーヌ様の要望で、生家ジョルド侯爵家から宛がわれた。しかし何故か次兄はその乳母には全く懐かず、その乳母からは乳を飲まなかったそうだ。
そこで急遽代わりの乳母として宛がわれたのが、後に私の母となるアドラウネだった。
アドラウネはルハーン公爵家を寄り親とする子爵家の出で、この時は既に公爵家の侍女として雇われて、領地邸で働いていた。既に結婚していたが、病により夫は倒れ、そのショックからか初子は次兄の生まれる直前に流れてしまったそうだ。
新たに乳母とされたアドラウネは、急遽王都邸に呼び出された。ラフィーヌ様は結婚後に領地に来ることは無く、そのため長兄も次兄も王都にいた。
次兄は新たな乳母となったアドラウネに懐いたという。
しかし、カルバネンが産まれてラフィーヌ様は体調を崩しがちになり、自室から出られない日々が続き……カルバネンの養育は乳母アドラウネと、ラフィーヌ様付きの侍女達に委ねられた。
カルバネンが一歳の時に、とうとうラフィーヌ様は亡くなってしまった。
父はラフィーヌ様が亡くなった一年後に、後妻として母を迎えた。
次兄の周りには、ラフィーヌ様の生家から派遣されて来た侍女達が幅を利かせ、次兄の世話係の中では母の立ち位置は弱かった。
その為、実家の寄り親でもある父が、アドラウネを後ろ盾するためと言うのが理由だった。
そしてアドラウネは、後妻になった一年後に私ファルネウスを産んだ。
父は国政に関わり、長兄バラントは嫡男教育の為、二人は年の大半を王都の公爵邸で過ごしている。
領地に戻る事はほとんど無い。
ジョルド侯爵家出身の使用人や侍女達が幅を利かせる王都邸は、後妻である母アドラウネは居辛かったらしい。私の首が据わるのを待って、母は父の許可を得て、母に懐く次兄カルバネンも連れて領地邸に移ってきたそうだ。
それ以降、母と次兄、私は公爵領の邸で過ごしていた。
母アドラウネは、彼女に懐く先妻の子であるカルバネンと、母の実子である私とを、分け隔てなく面倒を見ていたらしい。
私が母の事を伝聞形で言うのは、私が四歳になった頃に母アドラウネも病に罹り、あっという間に亡くなってしまったからだ。
その後は父も再び後妻を招くことはせず、次兄と私は、領地邸をとりまとめる執事長と侍女長のもとで使用人達に育てられた。私にとって、王都にいて殆ど顔を見せない長兄より、一緒にいる次兄の方に親しみが湧くのは当然のことだ。
ただ、次兄と私の教育は明確に分けられた。
ルハーン家の家業である交易は、先代当主ラフカディオ御祖父様が領地邸で指揮を執っている。王都にいる父に代わり、御祖父様が私達の教育方針を決めた。
次兄にはラフィーヌ様の実家であるジョルド侯爵家から家庭教師が派遣された他、御祖父様からの直接の御指導があった。
一方後妻の子であり、スペアでもない私には、教師は公爵家の家臣が中心で、彼等が忙しい時は伯爵家以下の家に雇われる家庭教師が担当した。
次兄の四歳下である私には、次兄のような教育は時機尚早と言う事情もあったようだが。
六歳くらいになると、外から来ていた私の家庭教師が代わり、内容がより難しくなった。
後で聞いたが、私が家庭教師達に与えられている課題を難なく熟しているのを見た御祖父様が、私へ教える内容をもっと良い物に変えるべきだと判断したらしい。
社交シーズンではない時期に父から王都へ呼び出されたのは、私が八歳の時だった。
この国の王都は国内の南西に位置する。西海岸沿い、北寄りである公爵領からは比較的近い。
馬車で二日の距離であるその旅程を経て王都の邸に到着すると、邸を預かる家宰によって、そのまま父の執務室へ案内された。
奥の執務机に座る父は、入ってきた私に執務室に設えられた応接卓へ座るように促し、自分もその向かい側に座った。
「今回お前を王都に呼んだのは、私とお前に王宮から招喚状が来た為だ」
そう言って、父は手に持った私宛の招喚状を差し出す。
招喚状には招喚の日時と、王宮の謁見室に来るよう書かれていたが、肝心の招喚理由が書かれていなかった。
「内々に話が来ていたのだが、王命によりお前の婚約が決まった。細かい条件面は既に整えていて、招喚された場で、陛下の仲立ちで両家の婚約を結ぶ」
父がこの招喚の裏事情を説明してくれた。
「相手はどこの家か、お尋ねしても宜しいでしょうか」
「カダイフ伯爵家だ。お前の一歳下、嫡女のコーネリア嬢にお前が婿入りすることになる」
相手の家を訪ねると、父は答えてくれたが……カダイフ伯爵家……確か、数十年前にこの国に取り立てられ、この国の外科医学の発展を担う家。
「カダイフ伯爵家は、入り婿だった当主とその嫡男が、先般事故で亡くなった。血を継いでいる当主夫人が当主となっていて、嫡子も長女になっている。この家の技術を他国に取られる前に、国内の有力貴族家と婚約を結ばせたいというのが陛下の意向で、家柄と年齢から白羽の矢が立ったのがお前だったというわけだ」
言いながら、口元を少し歪めるその表情からして、父はこの王命が不満であるらしい。
領地での教育の中で、家庭教師達がカダイフ家を蔑む様な言葉を発していた記憶にある……遊牧民という出自からだろうか、社交界では爵位に見合った扱いを受けていないようだ。
カダイフ家を蔑むのは父も同じだった。
「王命でなければ、こんな婚約など受けなかった。しかし、奴等の持つ技術はこの国の発展に必要だ。上手くあの家に取り入って、奴等の持つ技術を盗んで来い」
父の横に座る長兄、執務室で控えていた家宰や父付きの侍女達、私につけられた侍女達も……皆その父の言葉に頷いていた。カダイフ家を蔑むのは皆同じなのか。
私達と直に接しないメイド達は平民出身の者が多いが、直接私達の身の周りの世話をする侍女達は皆、子爵家以下の貴族家の出身だ。
結局、この国の貴族達は爵位に関わらず、挙ってカダイフ家を蔑んでいるらしい。
私は子爵家出身の母を持ち、公爵家の子供としては立場が低いとはいえ、そのような家へ婿入りさせなければならない事が父には不満なのだろうか。
肌の色が違うだけで、どうしてそこまで貴族がカダイフ家を蔑むのか……この時の私はまだ、遊牧民出身だからという事以上はわからなかった。
ただ、父や長兄、侍女達に同調して、私までカダイフ家を蔑む気にはなれなかった。
ちなみに八歳上の長兄バラントは、最初は第一王女との婚約が調いそうだったが、第一王女は急遽、ハーグ大帝国内の有力貴族へ嫁ぐことになったそうだ。
長兄は現在、ハーグ大帝国との外交、特に通商交渉を担っているロッペン侯爵家の御令嬢と既に婚約を結んでいる。
次兄カルバネンはまだ婚約はしていないが、祖父や父の方で、それなりの立場を持つ複数の貴族家と話を進めているそうだ。
招喚に応じて父と登城すると、大広間ではなく会議室に案内された。
そこには先客として母娘と思われる、喪服姿の見知らぬ女性達が居た。
恐らくあの方達が、カダイフ伯爵家の現当主ルピア様と、嫡女コーネリア嬢だろう。
暫く待っていると、陛下と王妃殿下、そして恐らく宰相閣下が入室してきた。
上座に陛下と王妃殿下が座り、その横に立ったまま宰相閣下が控える。
「呼び出しに応じて頂き感謝する。我より、両家へ命を伝える」
陛下が宣下した。
「ルハーン公爵家三男ファルネウスと、カダイフ伯爵家長女コーネリアの婚約を締結すべし。尚、コーネリアはカダイフ伯爵家の嫡子であるため、ファルネウスがカダイフ伯爵家へ婿入りするものとする。これは王命である」
命が下ったのは、カダイフ伯爵家の令嬢コーネリアと、私の婚約であった。
既に細かい条件は調整されていたのか、宰相閣下の立ち会いのもと、この場で陛下と父、ルピア様の間で契約書を交わした。
「正式な顔合わせはまた後日としたいが、ファルネウス。コーネリア嬢へ御挨拶しなさい」
父にそう言われて。私はコーネリアに向き直った。
「ルハーン公爵家三男、ファルネウスと申します。宜しくお願いします」
私は立ち上がり、彼女に頭を下げた。
「カダイフ伯爵家長女、コーネリアと申します。こちらこそ、宜しくお願いします」
コーネリアも立ち上がり、精一杯の笑顔で、拙いカーテシーをした。
喪服姿だった理由は気になったけど、黒い瞳に薄紫色の髪を編み上げ、ヴェールの中に隠していたコーネリア。拙いながらも、何とか礼を失しないよう頑張ろうとしている彼女の様子が、私には愛らしく見えた。
有体に言えば……私は、彼女に一目惚れしたのだ。
王都邸に戻る馬車の中で父から聞いたが、喪服だった理由は、カダイフ伯爵家が現在喪に服しているためだったそうだ。
改めての顔合わせは、向こうの喪が明けるまで間を空けることになった。
その間に、カダイフ家の事情について調べたり教師に尋ねたりした。
カダイフ伯爵家は、かつては南方の砂漠に住まう遊牧民の一氏族を束ねる家だったそうだ。
ある時、氏族が住んでいた場所の水が枯渇しそうになり、氏族は移住先を探した。紆余曲折を経て、王国の南東端に辿り着いたという。
彼等の辿り着いたその地域は、当時はまだまだ切り開かれていなかった。
言葉が通じない中、王国の人間と接触した氏族の者達は、移住させて欲しいと頼ってきた。
氏族との交渉は、氏族の者が王国の言葉を習得するのと並行して行われた。
結果として、未開発のまま放置されていた土地に、やって来た氏族二千人程を受け入れることになった。
移住した氏族の者達は、開発を進めると共に、既に開発の進んでいた近隣地域との交流も徐々に始まった。
交流と言っても平和的な物ではなく……境界線を巡る諍いから始まった。
最初は森などが互いを隔てていたが、お互いに開発を進めて生活域を広げる中で、とうとう生活域が接し、境界線争いが始まったのだ。
激しい争いになってきて、人数の少ない氏族側が追いやられ始めた所で王国が仲介し諍いを治めた。
ようやくここで、徐々に平和的な交流が始まったのだ。
そこで明らかになったのが、彼等の持つ医療技術だ。
氏族側が、元々の王国民側の怪我人も分け隔てなく治療していったのだ。
それが徐々に、近隣の元々の王国民の間に知れ渡って行った。彼等に教えを乞う者もいたのだが、生計を立てる手段としての技術を教える事をその氏族は渋ったという。
王都まで噂が伝わるようになると、王国は人を派遣し、どのような技術なのか調査した。
彼等の持つ医療技術はこの国には無い物だった。薬学中心だった当時の王国の医療だが、氏族の医療は麻酔を掛けて怪我を縫合するなど、今でいう外科的処置の技術が優れていたのだ。
そこで数代前の国王陛下が、彼等に我が国の医師達に外科医療の技術の伝授をお願いした。その代わりに、先の様な王国民との間の諍いが起きない様、彼らの代表者に子爵位を授けた。
それが、領地貴族家としてのカダイフ家の始まりだ。
それから年を経て、その後の外科医療の発展に対する貢献が認められ、先代国王によってカダイフ家は伯爵位へと陞爵した。
しかし伯爵家となったものの、実は貴族達は、心の底では遊牧民出身のカダイフ家の事を見下していたようだ。職務で接する事はあっても、家同士の積極的につながりを持とうとする家は殆ど無いそうだ。
「私からしたら、彼等が持ち込んでくれた技術で国が発展したのだから、蔑むのはどうかと思うのだがな。まして、医学という人の命を預かる技術なのだから」
そう言うカルバネン兄上は、私の婚約を祝ってくれた。
「カダイフ家へ婿入りするなら、領地経営の知識も付けなければな。あそこは何かと立場の弱い家ゆえ、何があっても対応できるよう他にも教育を増やす。精進せよ」
御祖父様は、私の教育に今までより力を入れると宣言した。
二人が父や長兄の様に、カダイフ家を殊更蔑む雰囲気が無い事は、私には有難かった。
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