10 卒業論文、そして捜査の進展
医学薬学課程の研究は、鉱物系の毒の解毒に関するテーマにしようとしたが、断念した。
何故なら、毒の現物は……この国では、鼠捕りとしての薬剤は出回っていないのだ。
それに輸入しようとすると使用目的を問われ、最悪拘束される事になる。
鉱物毒の解毒のテーマは諦めて、コーネリアの研究テーマを私との共同研究にしてもらった。
但し、コーネリアは外科医学的なアプローチを研究するのに対し、私の研究は筋肉治療に対する薬学的なアプローチを主とした。
筋肉の損傷の治療に特化した薬は今まで無く、私は古今の薬草学辞典を読み漁り、成分抽出しては患者に試す日々が続いた。
三年次の間は、特に効果がある治療薬は見つからず、血行を促進する事で、治りを早くする事が出来る、というくらいが成果だった。
教師陣は論文を書いても良いと言ってくれたが、私はこの程度で良いのだろうか、と思った。
「医学とか薬学の進歩って、そんなに簡単な物じゃない」
チェンに相談すると、そう返された。
「専門的な事を数年だけ学んだ学生が、テーマを決めて一年研究したからって、大きな発見が出来る方がおかしい。お前の研究テーマだって、一年治験してこういう結果になりました。別の人がそれを元にちょっと違うアプローチで研究したらこうなりました、そういう物が沢山集まって、比較検証して、初めて大きな発見が得られる……そういう物だと思え」
地道な研究の積み重ねが無いと、大きな進歩は生まれないって事か。
「大体、俺達留学生がここに来るのは、そう言う積み重ねがここには沢山あるからだ。それがあるだけで、他の場所で学ぶより一歩先に行ける」
「成程、よく分かった。ありがとう」
大事な事を教えてくれたチェンに、私は感謝した。
領地経営の研究テーマは、一定の成果が挙がった。
過去の旱魃被害の資料を辿ってみたが、それだけでは原因が掴めなかった。
そこで、旱魃が起きた地域とその周辺地域について、起きた年から過去二十年の資料をかき集め、二人で分析したのだ。
その結果、全てのケースでは無いが、ある年にいきなり発生するのではなく、何年も前から徐々に兆候が表れている事が分かったのだ。
溜め池に水を貯めている地域の場合、見かけ上は溜め池に前年と同じ様に水が溜まっていても、周辺地域の植生から徐々に草木が伸びなくなってくるとか、土の水分量が減り始めるなどの兆候が出る事がある。
あるいは、雨の量が年々減り始める、と言った傾向が出る事もある。
地面の高さが、徐々に低くなっていくという傾向が出る事もある。
つまり、何らかの原因で徐々に土地の水分量が減っていくという傾向があって、ある時一気にそれが加速し旱魃になる、という傾向が多く見られたのだ。
ではどうするか、と言われると対処は難しいが、長く傾向を見ていくとある程度の予測が出来ることは発見だった。
教師陣からは、これを論文化して、四年次は領地で実際に確認して実務をベースに届け出れば良いと言われ、二人で論文に仕上げた。
実際はそれほど大した発見では無いのだろうとは思うが、こうやって過去の実績を積み重ねて見る視点は領地経営には必要な事で、その為の研究課題なのだと私は理解した。
医学薬学にしろ、領地経営にしろ……先人の知恵の積み重ねなのだな。
しかし論文を書き上げて、気になる事が一つ出て来た。
カダイフ伯爵家は国の南側に領地がある。場所や、ダーウェンという領都の名前などは分かっているのだが、そのカダイフ領についての具体的な資料、例えば人口はどのくらいだとか、そう言った資料は学院にもほとんど無いのだ。
コーネリアにも訊いてみた。
「カダイフ領は、収入も外科医学に関する人材の派遣の方が大きいですし、それほど大した場所では無いのです」
資料を残す程のものが無いと彼女は言うが……そう言う彼女の目の奥は、暗く沈んでいたのだ。
婚約してから、領地の話はずっとはぐらかされて来た。
重大な秘密とか、私に言えない理由があるのだろう。
無理に聞き出したい訳では無いが、彼女が暗い表情をするのは気になる。
結婚すれば教えてくれるのだろうか。
そちらは置いておき、論文の事をどうするか話し合うために、コーネリアと談話室で話す。
彼女と話した結果、どちらの課程も論文を仕上げて提出することにした。
私としては研究を続けても良かったのだが。
「学院に入学以来、まとまった期間領地に帰ることが無かったので……この機会に、三カ月ほど領地に戻れと言われています。往復の期間を含めて、四、五カ月ほど王都を離れます」
「……そうか、わかった。学院でずっと一緒に居たから、ネリにそれだけ会えないのは寂しいな」
私はそう言って、コーネリアの手を取る。
「また、戻ってまいりますから……。帰っている間も、お手紙は出しますわ」
彼女は顔を赤らめながら、私の手の上にもう一方の手を重ねて言う。
「ルネ様は、どのようにお過ごしになられるのですか?」
「家業の交易の手伝いをして欲しいと言われている。時々は、チェンとフェイファの顔を見に、学院にも顔を出すよ」
青茶の方も、お客様への挨拶周りをしないといけないし、取扱量が増えてきて、そろそろクレイ一人に実務を任せるのは難しくなってきた。
そろそろ、商会を実体のあるものにもしていかなければならない。
その際に、長兄に付け込まれない様にしなければ。
「私も、フェイファやチェン様に会えないのは寂しいですわ。あの方達にも、宜しくお伝えください」
私の目を見て、微笑んでコーネリアは言う。
でも出て来る言葉がフェイファとチェンの事か。ちょっと妬けるな。
「私に会えなくて寂しいとは、言ってくれないのかな」
「……言えば、本当に寂しくなってしまいます」
コーネリアは恥ずかし気に目線を逸らす。
私は、彼女の顎を摘まんで、コーネリアの顔をこちらに向ける。
「人目もあるし、今まで節度のある対応をしてきたが……そろそろ、私の本気度を教えても良いかと思ってね。ネリも、満更では無さそうだし」
「ル、ルネ様、お戯れを!」
真っ赤になったコーネリアは、恥ずかしいのか顔を尚も逸らそうとし、顎に当てた私の手を両手で外そうとする。
でも私は、彼女の目線が私から逸れない様、手を外さない。
「もう一度聞こうか。ネリは、私に会えなくて寂しくない?」
「……さ、寂しいです」
既にコーネリアの顔は真っ赤だが、目尻に涙が浮かび始める。
私は彼女の顎から手を離し、コーネリアを優しく抱きしめる。
「ごめん。泣かせるつもりじゃなかった……でも、正面から気持ちを言ってくれないのも、寂しいと思って」
「本当は……私も、ルネ様に、会えないのが……寂しい……」
彼女は抱きしめられたまま、私の胸に顔を埋め……涙声になりながら、そう呟いた。
「貴方の、ルネ様の傍は……本当に、心地よくて。でも、……役目があって……帰らないと、いけないのです……ごめんなさい……」
「謝らなくていいよ。王都に領地が近い私と違って、ネリの家は領地が遠いからね。ゆっくりしておいで」
「ルネ様……ごめんなさい……ごめんなさい……」
私の胸で泣きながら謝る彼女の背中を、私はゆっくりと撫で続けた。
コーネリアが領地へ帰って行き、私は交易事業の拡大に精を出した。
商会に実体を持たせるため、公爵家の寄り子の家でも下位の子や、公爵領の港町で働く平民達の中で見所のある者達を採用していくと、クレイが商会に入りたいと申し出た。
クレイの父親も御祖父様の側近として長く勤めていて、クレイも長じて交易事業に携わっている。
カダイフ伯爵家への婿入り予定の私が交易事業に精を出し、商会を大きくしようとしているのを見て、私が商会を通して婿入り後も交易事業に関わる事を察したらしい。
「ラフカディオ様の後継ぎはファルネウス様になるだろうから、私は貴方様に付いて行くべきだと思いました。父からも、内密にはラフカディオ様からも了承されております」
クレイは事業の内情を良く知っているし、御祖父様の薦めもあるとあっては、クレイを受け入れないという選択肢は無い。
他にも、職位的には目立たないが事業内部の事情を良く知る者達も、商会に招き入れた。
毎週は難しいが、二週に一度は学院へ行き、チェンやフェイファ、ハルト達に会った。
チェンとフェイファは、医学薬学課程で共同研究を進めていた。
差し入れとして青茶とユエビンを持ってくると、二人は研究の手を止めて、そのまま三人での茶会となった。兄妹は自国に持ち帰ってもそのまま使える、外科医療の研究課題に取り組んでいる。
卒業研究に薬学を選択する帝国の留学生はほぼ居ない。
何故なら我が国と帝国では、共通する植物はあるが、基本的に生えている植物が違うそうだ。
この国で薬学を研究しても、帝国に帰るとこちらの薬草と同じものがあるとは限らず、無い場合は同じ薬効のものを探さなくてはならない。
探しても無ければ、帝国に生えている別の薬草でアプローチをしなければならない。
それなら最初から、帝国の国内で研究をした方が良いということだ。
そう言う訳で、チェンとフェイファは、初めから外科医学を学ぶ目的で留学している。実は我が国と帝国とでは身体へのアプローチの仕方が違うらしく、彼等曰くそれぞれ得手不得手があるという。
「この国の外科医療は、修復が難しい損傷を、如何に回復傾向に乗せるまで持って行くか、という考え方だな。悪くなった所を見つけ、取り除き、場合によっては代替物を付ける」
「帝国の医療は、違うのか?」
疑問に思って問うと、フェイファが答えてくれた。
「帝国での考え方は、本当に悪くなる前に、調子の悪い状態があります。この調子の悪い状態を放って置くと、大きな病気や怪我に繋がりますから、体を傷つけずに調子の悪い状態をどうやって元に戻していくか、というのが帝国の医療の中心です」
「怪我をして初めて治すのがこの国、その前にどうやって予防するかを考えるのが帝国」
チェンが分かり易く纏めてくれた。
「どちらも必要だよな」
「だから、帝国から外科医療を学びに来ている」
ごもっともだ。
「ところで、コーネリアは元気?」
「彼女から来る便りでは、元気そうだ」
フェイファの問いにはそう返した。
「しかしまあ、往復の距離が遠いとはいえ、半年近く帰らなければならない用事って何だろうな」
「さあ……そこは、私にも教えてくれなかった」
チェンの疑問も尤もだが、彼女が話したくない、もしくは話せないなら、私は無理に聞きたくなかった。
それに、これは一連の問題の核心に迫るものだという予感がした。
ならば……いずれ、自分の目で確かめたい。
ハルトは、私やコーネリアと同様に既に論文を提出していて、本来は学院に来なくても領地で論文の実地研究の成果をレポートすれば良い立場だ。
しかし彼は王都にいる間に人脈と見聞を広めるため、変わらず学生寮にいる。
私からは、交易事業で得た販路の人脈から得た情報を、ハルトからは彼が得た人脈からの情報を出し、それらを付き合わせて、お互いの領地で起きた毒殺事件についての背後関係の考察を深めていく。
「店で毒や睡眠薬を盛ったと思われる実行指示役は特定した。その指示役は、一緒になって宴席に居て、睡眠薬入りの食事を口にしていた。だから容疑者側ではなく被害者側として取り調べをしたのだ。だが、その後逃亡を図った」
ハルトの側の事件は、その後の捜査で進展はあったようだ。
「その実行役の裏を突き止めたか?」
ハルトは頷いた。
「わざと逃がして泳がせると、北……帝国方面へ逃亡した。国境を越えられる前に捕まえようと追ったところ、国境付近でその者を刺客が襲った。刺客は私の追手が返り討ちにし、逃げた男を本格的に尋問した所……帝国ではない、別の線が出て来た」
「別の線?」
ハルトは頷いた。
「実行役が元々依頼された内容は、件の後継候補を攫ってルエルへ連れて行くことだったそうだ。依頼相手は帝国出身を示唆し、万一の際は帝国へ逃げる様指示したそうだが、これは欺瞞の可能性が高い」
ルエルというのはルハーン公爵家からもそれほど遠くない、バジット伯爵領の領都だ。
バジット伯爵自体は、その領地周辺の下級貴族を上手く取り纏めている穏健派の貴族だ。それよりも、ルエルという街自体が、国内各地へ続く街道の交わる中継地として重要な場所である。
「つまり、ルエルからまた、別の場所へと連れ去られている可能性が高いのか」
「ああ。お前の所でなければ、国内の可能性は高い」
つまり、後継候補の知識が国内のどこかで、恐らくそれは違法な物の製造に必要とされているのか。
「交易に不法な者が紛れ込まないよう、検査は厳重にしている。となれば国内だろうな」
「こちらも、ルエルに人を遣って調査する積りだ。ところで、お前の方はどうだ」
私の方、ということは、次兄の毒殺の件だな。
「使用人をもう一度洗い直して、不適格な下級使用人を追放したが……彼等には、次兄と接する機会など無かった。長期間に渡って毒を混入させている点も含めて、上級使用人の中に実行犯が居ると思っている。だが……上級使用人の調査は、なかなか進んでいない」
「どうしてだ?」
ハルトは不思議そうな顔をした。
「公爵家に古くから仕える者達は問題なかった。だが、父の先妻付きだった者やその縁者、長兄の妻について来た使用人は……元の家との関係が崩れると、父や長兄が調査に反対してな」
私の言葉に、ハルトは頷いた。
「成程……先妻様は、現宰相閣下の妹君だったか」
「父は、ジョルド侯爵に以前世話になったこともあるらしい。長兄も義姉との関係は良好で、子供も生まれた今、刺激をしたくないと」
ハルトは眉間に皺を寄せ、私に忠告する。
「それは分かるが、本当に次兄が毒を盛られたと仮定した場合……不味く無いか」
ハルトの言いたい事は分かる。
その可能性は……私としても、考えたくなかったのだが。
「これが合っていない事を願っていたが……可能性は、低く無いな」
それは、宰相であるジョルド侯爵による次兄の暗殺であった可能性。
証拠はないが、決して低くないものであることに頭を痛めた。
確証は無いが、次兄の暗殺とハルトの追っている事件が、もし繋がっていたら。
裏には、もっと大きな策謀が薦められていることは否定できない。
「これは……これから、この国は荒れるな」
ハルトは、彼も同じ想像をしたのか、この国に長く続いた平穏が終わる事を示唆した。
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