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初恋の人に再会した話

作者: るた

とにかく書ききらねば!と書いてみました。

 好きだなぁ、と思ったのはどのタイミングだったのか、いつからなのか、そんなことはさっぱり覚えていない。

 キラキラ光る淡い色の髪に、私に笑いかける顔が眩しくて、苦しくて、もう考えたくないと思うのについ目で追ってしまう。

 隣の席が嬉しくて学校に行くのが毎日楽しかったり。

 口ずさむ鼻歌を覚えてしまって、あの人の前で私も歌ってしまって恥ずかしくなったりして。

 一般的な友人としての距離感が他の人よりも近くて、なんでこんなに仲良くしてくれるんだろうなんてよく思った。

 そんなに仲良くしてくれると勘違いしてしまう。

 気持ちを伝えたいと思ったことは何度もあった。

 初恋だったから恋に恋していたのかもしれない。

 私があの人を好きだってこと、周りにはすっかりバレていて、私も隠そうともしなかった。

 きっとあの人も気づいていたと思う。

 でもあの人には付き合っている女の子がいた。クラスで1番モテる、ふんわりとしていてちょっと天然な可愛い彼女。

 私がもう少し早く好きになっていたらチャンスはあった?

 どうしたら私を彼女にしてくれる?

 そんな事、叶わないのはわかっていた。

 私は絶対に選ばれない。





 夕陽に照らされ、火照る頬に潮風が心地よい。波音を聞きながら浜辺を2人でゆっくり歩く。

 遠くで犬と飼い主らしき人が戯れている。

「めい、また来ような」

 隣で微笑む顔を見上げて、嬉しくなる私。

「うん!」

 あれ、でも「めい」って名前で呼ばれた事あったっけ?

 いつも「佐々木」って呼ばれていなかったかな。

 その時スマートフォンのアラームの音が鳴り響いた。

 耳元で鳴るスマートフォンを掴む。

 目覚ましにかけたアラームを消すと、スッと目が覚めた。

 いつもなら眠気と戦うのに。

 夢。

 浜辺デートの夢。

「なんという夢を見ているんだ私は…」


 そんなことってある? って事が重なることってあるよね。まさにそれがこの日だった。


 今日は婚活イベントで知り合った彼と付き合うことになって初めてのデートだ。少し緊張しているけれど、気合いは十分。

 お気に入りのスカイブルーのワンピースに、友だちから誕生日プレゼントでもらったピアスをつけて行く。もちろん揺れるやつ。1番下にコットンパールの付いたもの。優しい印象に見えれば良いなと思って。

 胸まである髪は毛先だけ巻いて、軽く香水を振った。ふんわりと甘い香りが漂う。

 シュミレーションもばっちり。

 待ち合わせの時間には遅くても10分前には行って、会ったらまず、今日は誘ってくれてありがとうと言おう。

 なのに、夢見がイマイチだった。

 そんなの、今日のデートには関係ないといえば関係ないんだけど。

 初恋の人が夢に出てきて、私と手を繋いで浜辺デートをしていただなんて。

 謎すぎる。

 今までそんな夢見たことなかったのに。

 目が覚めて、もう少し続きが見たかったことは許してほしい。

 だからちょっと罪悪感。ちょっとだけ。

 初恋の人。中学の同じクラスだった男の子。

 もう何年も会っていない。

 思い出すことすら最近は無かったのに。

 こんな夢を見るなんて。

 でも夢だからね、と心の中で言い訳をする。

 気持ちを切り替えて、待ち合わせの駅まで行く。

 婚活イベントは、なるべくお世話になりたくなかった。けれど、私も気がついたら28になり、周りの友だちはどんどん結婚し子どもに恵まれ、結婚していない友だちも彼氏と良い関係を築いていたりして、急に慌ててしまった。

 学生の頃夢見ていた人生設計ではもう結婚して一児の母のはずだったんだけどなぁ。

 恋愛ごとからもだいぶ離れてしまい、好きな人ってどうやって作るんだっけ? というところからのスタート。

 紹介してもらってもなかなか上手くいかなくて、婚活イベントにすがったというわけ。

 でも意外にとても楽しい会だった。だからありがたいことに、今回気が合う人に出会えたというわけだ。

 まだ、好きという感情があるかはわからない。

 だけど、イベント後の初めてのデートがお互いに背伸びもせず、肩肘張らずに過ごせたから、結婚を前提に付き合ってみましょうということになった。本当にありがたいことである。一緒に過ごす時間が楽しいということはとても大事だと思う。

 彼は私よりひとつ上。名前は本田誠さん。名前の通り誠実そうな人。仕事は事務だそうだ。

 私の家の最寄駅である、待ち合わせの駅の北口でスマートフォンを手に、彼を待ちながら、前回までの会話を思い出していた。

 お付き合いをしてみませんか、と彼に言われた時、お互いに同じ気持ちでいられたことも嬉しい事だったなぁと、つい思い出し笑いをしてしまう。

 シュミレーション通り、待ち合わせの時間より早く着いた。一安心。

 スマートフォンを眺めながら待っていると、目の前で立ち止まった人がいた。ふと視線を上げると。

「え、もしかして、佐々木!?」

 驚いた声と表情の男の人。

 見覚えがある。というより、今朝方夢で見た。

 まさか。白昼夢?

「上原くん…」

 私はきっとぽかんとした間抜けな顔をしているだろう。

 顔を見たのは中学校の卒業式以来。

 高校も大学も別だったし、地元で開催された成人式では見かけなかった。

 かなり大人っぽくなってしまった上原くんの顔をまじまじと見つめてしまう。

「うわー、めっちゃ久しぶりじゃん!」

 上原くんは中学生の頃と変わらない明るい声。びっくりして上手く声が出ない私とは大違いである。

 息を大きく吸って、吐いてから返事をする。

「ほんと、久しぶりだね! よく私だってわかったね?」

 スマートフォンを握る手が汗ばんできたのがわかった。

「自分でもよく気づいたなと思うわ! なんとなく似てるなーと思ったら本人でよかった。元気してたか?」

 にこっと笑う顔が中学生の頃と変わらない。

 そのことに、ついどきっとしてしまう。

「うん、まぁね」

「家ここら辺なの? 待ち合わせかなんか?」

「そうなの」

 当たり障りない返事しかできない自分にがっかりする。 

 色々話しかけてくれるのに、緊張で上手く話せない。

 中学生の時はどんなふうに会話していたっけ?

「そうか〜。じゃぁもしかしたらまた会うかもな。またな!」

「う、うん。またね」

 お互いに手を振りあい、挨拶をする。

 はぁぁぁと息を絞り出して、汗ばむ手のひらをワンピースに押し付けた。

「うそでしょ…」

 思わず心の声が漏れてしまった。

 これから久しぶりにできた恋人との初デートだというのに、初恋の人とばったり再会して動揺している状態でいいのだろうか。これは1人で落ち着いた方がいいのではないか。

 タイミングよく、スマホに通知が入る。

『もうすぐ着きます』

 誠さんからだった。

 上原くんとは偶然会っただけで、なんでもない挨拶をしただけじゃない。

 自分にそう言い聞かせて、彼が着くまでに心を落ち着かせた。

 無心で空を眺めるのが一番。

 数分後。

「めいさん、すみません。お待たせしました」

 誠さんがやってきた。

「いえいえ、全然大丈夫です」

 誠さんの声は穏やかで優しい。

「行きますか」

 2人で並んで歩き出す。

 動揺のせいか、誘ってくれたことへの感謝を言いそびれてしまい、結局この日はなんだかソワソワしっぱなしであった。

 恋人としての初デートで緊張気味だと思ってもらえるとありがたいのだけれど。


 そんな始まりの一日も、結局あっという間にすぎてしまった。

 夜。

 海の見えるイタリアンのお店でディナーをいただく。

「めいさん。お付き合いをしていく中で、色々と決めておきたいことがあるのですが」

 そういえば、という感じで誠さんが私を見つめる。

「そうですね、相談しましょう!」

「付き合い始めてすぐにこんな話をするのもどうかと思ったのですが……。決めておいた方が将来のためにもいいかと思って」

 不穏な言葉にどきりとする。

「はい……」

 こわごわと返事をすると、誠さんは困ったように笑った。

「怖がらせてしまってすみません。お付き合いの期間を決めようかと思って。提案なのですが、まず半年お付き合いをする。半年後、お互いにパートナーとしてこのままやっていけそうかどうか確認する。よければ同棲しましょう。そして半年同棲してみて問題がなければ入籍する、というのはどうでしょうか」

 一気に説明してくれる誠さんをポカンと見つめる私。

「僕たちは、お互いに気が合って、結婚を見据えたお付き合いをしようということになりました。なので、まずお互いの人となりをよく知っていきたいと思っています。できれば1週間に一度は会いましょう。お仕事が忙しい時もあるかと思うので、無理しない程度で。同棲する前にはご両親にご挨拶させていただきます。それぞれの保険や年収などは、最終的に結婚を決めてからでもいいかもしれませんね」

 お互いに最終目的は結婚だから、はっきりと期間を設けたほうが効率が良いという事か。なるほど!

 何にも考えずに、結婚に向けて彼氏ができたヤッピー! と思っていた私は、きちんと2人のことを考えてくれている誠さんに頭が上がらない。

「色々考えてくださってありがとうございます」

 頭を下げると、誠さんが恐縮したように右手を手を小さく挙げた。

「この出会いを大切にしたくて、それで、あの、押し付けているようでなんだかすみません」

「いえいえ、嬉しいです。私たちの将来のことですもんね。これからもしっかり話し合っていけるような関係でいたいです」


 それからいただいたワインが美味しくて、ほろ酔い気分でお店を出ると、誠さんが恥ずかしそうに手を差し出した。

 私たち、付き合っているんだもんね。手ぐらい繋ぐよね。

 私も照れながら、誠さんの手を握る。

 駅まで歩いて一緒に電車に乗った。私の最寄駅で降りると、誠さんも一緒に降りてくれる。

「家まで送っていいですか」

「お、お願いします…」

 家まで送ってくれるのか! と、感激してしまう私はチョロいのか…?

 でも家まで来てもらったら、やっぱり寄ってもらった方がいいのかな?

 でもそれって誘ってるって思われるかな?

 まだ私の心の準備ができていない!

 そんなことを考えていたら、あっという間に自宅アパートに着いてしまった。

「ここなんです」

 そう言うと、誠さんは「今日はありがとうございました。たくさん歩いたから、ゆっくり休んでください。じゃぁ」と、繋いでいた手を解く。

「おやすみなさい」

 誠さんがそう言って、手を小さく振ってくれた。

「こちらこそ、ありがとうございました。おやすみなさい」

 私も手を振る。

 くるりと踵を返し、誠さんは去っていった。

 スマートすぎない……?

 あれだけ焦った自分が恥ずかしくなる。

 背中を見送って、なんとも複雑な気持ちになる。

 呼び止めたいような、見送りたいような。

 繋いでいた方の手が寂しくて、その気持ちに気づく。

 そうか、もう少し一緒にいたかったんだ。

 もっとあなたのことを知りたい。そして、私のことも知ってほしい。

 良い信頼関係を築けたらいいなと思っていたけれど、小さな恋の予感に顔が思わず綻ぶ。

 そのうちに、まだ帰りたくない、だとか、もっと一緒にいたいなんてことを言えるようになるんだろうか。

 そう考えると、ちょっとくすぐったい気持ちだ。

 そうして、彼となら、上手くやっていけそうだなと改めて思うのだった。





「あれっ、佐々木じゃん!」

 最近聞いた声が耳元で弾ける。

「ひゃいっ!?」

 驚いて変な声が出てしまった。

 自社の入っているビルのエレベーターを降りた時だった。

 後ろからの声に振り返ると、「なんだよその返事〜!」とカラカラ笑う上原くんがいた。

「え、上原くん…」

「この間もそんな反応だったよな、そんなに驚く?」

「いや、普通に驚く…」

 驚いた声が大きくて、周りの人に迷惑をかけてないかと少し焦りながら。

「佐々木もこのビルのどっかで働いてんの?」

 私の横にいる上原くんはスーツ姿だ。

 先日ばったり会った時の服装は、緊張のせいか良く覚えていない。

 スーツ姿だとますます大人っぽく見える。新鮮だ。

「うん、3階の」

「まじか!オレは7階」

 ひぇー! 7階って大手保険会社じゃなかったっけ?

 そんなことで驚く私も大概である。

「こんなに近くにいたなんてびっくりだな〜」

 ニコニコ笑顔でそんなこと言われると、舞い上がってしまう。中学の頃と変わらない笑顔。

「オレ、これから昼飯なんだけど、佐々木は? よかったら一緒に行かない?」

 めっちゃグイグイ来るのも相変わらずだ。

 急な誘いに戸惑いつつ、内心嬉しくて仕方なくなってしまう。

 すっかり舞い上がっている。

 彼氏がいるから、お断りするべき、かな。でも偶然会った同級生とランチくらい、あとで報告すればいいよね。

「じゃぁご一緒させていただこうかな」

 まさか、上原くんとランチをする日が来るなんて。


 中学生の頃の私へ。

 あなたの大好きな上原くんとランチを食べます。よかったね!

 28歳の私より。


 近くの上原くんのおすすめだという定食屋さんに入る。

 初めて入ったお店。

 時代を感じるお店だけれど、店員さんの接客も丁寧でとても印象がいいお店だ。

「オレはカツ丼」

「私は唐揚げ定食にしようかな」

 それぞれ注文してから、一口水を飲む。

 まだ緊張は抜けないけど、唐揚げ定食が美味しそうで楽しみだ。

「また会うかな? と思ったけど、本当に会うとは思わなかったな〜。いやぁ、びっくり」

 ふぅと息を吐きながら言う上原くんをまじまじと見てしまう。

「私もだよー。会社の近くで上原くんとランチだなんて」

 私は手をどこに置けばいいのかわからなくて、水の入ったグラスを持ったまま話す。

「懐かしいなぁ。佐々木と委員会一緒にやっただろ? 2人でめっちゃ仕事したよな」

「クラスまとめるの大変だったよね」

「あとあの化学の先生、最後まで苦手だったな」

 中学生の頃の話で盛り上がり、唐揚げ定食も楽しく美味しくいただいた。

 最後には緊張もなく自然に会話できていたのでは?

 というか、いつまでも緊張しすぎだよね。同級生に対して。

 支払いを済ませ、「ご馳走様でした」とお店を出る。歩きながら、「こんな偶然ってあるんだな」と上原くんがポツリと言った。

「本当だね」

「なんか嬉しくって、運命とか感じちゃうよな」

「うん…」

 うん…!?

 思わず目をみはる。

 流れでうんと返事をしてしまったが、上原くんの口から運命なんていう言葉が出てくるとは思わなかった。

「上原くんも運命とか言うんだね」

 うんと返事をしてしまったことの照れ隠しに慌ててそう言うと、上原くんは「そりゃそうだろ!」と、おどけてみせた。

「また昼メシとか飲みにでも行こうよ」とスマホを取り出して、ニコッと笑う。

「とりあえず連絡先教えてよ」

 ごめんね誠さん。私、この笑顔に逆らえない…!

 私もスマホを取り出し、連絡先を交換した。

「じゃぁまたな!」

 颯爽と去っていく背中が、中学の時のキラキラした姿に重なって、あの苦しくて切ない気持ちを思い出した。

 私はあの人が初恋の相手だったんだなぁ。

 気持ちが浮ついてしまっているのは、再会の嬉しさだと誤魔化す。

 時間を確認しようとスマホを見ると、誠さんからメッセージがきていた。その返信をしつつ、「同級生とばったり会ってランチしました」と送った。

 彼氏がいるのに男の人と2人でご飯を食べるのは、さすがにいけないことだっただろうか。

 誠さんが嫌ならもうしてはいけないなと、少し罪悪感を感じつつ、でも友だちだからと心の中で言い訳をする。

 その時、スマホの通知が鳴る。

 誠さんからの返事と、先程連絡先を交換したばかりの上原くんからのメッセージだった。

 思わず変な気持ちになってしまった。

 もう昼休みの時間も終わるし、早く会社に戻らなきゃ。

 見たい気持ちをなんとか抑え、始業のチャイムに間に合うように会社へと急いだ。



 それから上原くんはマメに連絡をくれるようになった。

「今会社着いたー」とか、「今日めっちゃ晴れてんね!」とか、なんでもない日常のことを送ってくる。

 誠さんもマメな人だから、朝や仕事の休み時間にも連絡をくれる。

 私も自分のペースで返事をする。

 彼氏がいるのに他の男の人と連絡取り合うのってよくないよね、とわかってはいるけれど、上原くんは友だちだからと言い訳をして。

「オレ今から昼メシだけど、佐々木は?」と、3日に一度くらいのペースで突然連絡が来るものだから、事前に約束などしなくてもタイミングが合えば一緒にランチに行くようになった。

 一緒にいる時間が楽しくて、懐かしい時間を共有して、別れた後に誠さんのことを思い出しては罪悪感に苛まれる。

 それを、上原くんは友だちだからと言い訳して心の黒いところを見ないようにする。

 そんなことの繰り返しが辛くて、でもこんなこと誰にも言えなくて、ひとりで悶々とする。

 別に上原くんのこと、好きってわけじゃないし。

 ふと思い出してしまうけど。

 二股とか最低だと思っているし、不倫なんてもってのほかだ。

 でもそんな人たちもこんな気持ちなのかな。

 二股や不倫なんて自分には関係ない事だと思っていた過去の私よ。気をつけろ。こうなるぞ。

 いや違う、こうなってはいけないのだ。

 区切りを、付けなければ。

 私は恋愛の駆け引きを楽しんでいる暇はないのだ。楽しむ余裕は全くないけれど。

 結婚が!

 結婚がしたいの!

 だからもう上原くんとは会わない。




 土曜日、恒例の誠さんとのデートだ。

 今日は緑と動物に癒されるべく、少し遠出の牧場デート。

 アパートまで車で迎えに来てもらったが、汚れてもいいように、何年振りかのスニーカーを引っ張り出してきた。

 いつもはおろしている髪も、少し高めのポニーテールにしてスカーフをリボン代わりにしてみた。

 白のブラウスにデニムという、いつもよりはボーイッシュなイメージの服装。

 デートでこんな格好をするのは初めてだ。

 もふもふの羊がかわいくて癒され、牧場で搾りたての牛乳をつかったソフトクリームを堪能する。

 深緑の爽やかな風が並んだ2人の間をぬけていく。

 遠くで草を食む牛を眺めながら、2人の間には沈黙。

 かといって、何か話題を探さなきゃと焦る事もなく、沈黙は全く苦痛ではない。

 そんな空気感が心地よく、この人と過ごす時間はとてもいいなぁと思う。

 牧場デートって楽しいんだなぁと、思わず顔が綻んだその時、誠さんが口を開いた。

「週一で会おうなんて偉そうに言っておいてなんですが、ふと、今何してるかなと考えてしまって。仕事終わりに飲みに誘ったりしてもいいですか」

 誠さんを見ると、バチッと合った目を逸らされた。

 耳が真っ赤だ。

 な、な、なんと。

 誠さんってそんな事も言う人だったのね!

 不意打ちの言葉に、心臓がうるさい。

 こんな時くらい、ときめかずしてどうする。

「も、もちろんです」

 ようやく出した声は小さく、届いたか不安だったけれど、誠さんは聞き取ってくれたようで、安心した笑顔で「ありがとう」と答えてくれた。

「今度、よければ家に来てください。めいさんのお家も行ってみたいし」

「いいですね、お家デート」

「あっ! いや、変な意味ではなく!」

「変な意味……?」

 てっきり、どんな生活スタイルか見るつもりなのかと思っていた私はポカンとする。変な意味という言葉が、キス以上のお誘いかと思い至ると、私の顔もつられて赤くなる。

「やだ、私たち中学生みたい」

 あははと笑うと、誠さんも笑い返してくれた。

 暑くなる顔をパタパタと手で仰いで、その手をそのまま誠さんの手に重ねる。

「ごめんなさい、正直に言うと生活スタイルを見たいのかなって思いましたけど。いいんですよ、恋人なんだから」

 視線を手から誠さんに向けると、深刻そうな顔をしている。

 何を考えているのかな。

 私と同じ事だったらいいな。

「2人でしたい事、たくさんやりましょう」

 私がそう言うと、顔が近づいてくる。

 考えている事、一緒だったみたい。

 私はまぶたを閉じて、唇が重なるのを待った。


 3回目のデートでキス!

 という昔のドラマでヒロインが言っていた事を鵜呑みにしている私は、先日のキスを反芻しては赤面するの繰り返しだ。

 正確には3回目ではないけれど、恋人になってから3回目だから、間違ってはいないよね。

 恋人ができるのが何年振りなのか、ということは、キスも何年振りなのか。

 数えたくないので数えないけれど、ご無沙汰だったので、キスごときで思春期並みの動揺の仕方である。

 だって、なんだかものすごく嬉しくて。

 アパートへ帰って、玄関で靴を脱いだらもう会いたくなった。

 この気持ちを確かめたくて。

 結婚のパートナーとして良い信頼関係さえ築ければいいと思っていたけれど。

 浮かれ切った気持ちで、いつもは憂鬱な月曜日も、会社に元気に出社できた。

 素気なく感じてしまう「おはよう」や「おやすみなさい」だけのメッセージも、なんだか甘い雰囲気がある気がする。

 これが恋だとしたら、私は果たして今までこんなキラキラした恋をしていなかったのだろうか。

 両想いって、こういうことなの?



『会わない』という決意はどこへ行くのか、一瞬にして崩れ去る。

 さて帰ろうと思ったら、こういうタイミングで会ってしまうのよね。

「佐々木〜! お疲れ!」

 エレベーターに乗った途端に知った顔が声をかけてくれた。

「お疲れ様。上原くんも今帰り?」

「そう。今日も疲れたなぁ。この後飲み行かない?」

 ランチに誘う感じで、さらっと誘ってくれる上原くんのキラキラ笑顔に私は弱いんだってば〜。

 もう会わないって思ったのに、意志が弱すぎる……。

「いいね〜。ちょうどビール飲みたかったんだ」

 にっこり笑顔で返事をして、心の中では誠さんごめんなさいと謝る私である。

 佐々木くんとよく行く定食屋さんは、夜は居酒屋さんになる。

 なんだか2人の行きつけのお店になってしまって、ランチはだいたいこの定食屋さんだ。

 私は夜の居酒屋さんとしての利用が初めてなので、わくわく。

 女将さんにとりあえずビールと枝豆とサラダと唐揚げと焼き魚を注文する。

 早速ビールが来たところで、「お疲れ様」と乾杯して2人ともジョッキを煽る。

「はぁー、うま。そういや、佐々木って彼氏いんの?」

 突然の質問にどきりとする私。

 今まで聞いてこなかったのに、なぜ今頃聞いてくるのだろう。

「あ、うん。いるよ」

 何事もないかのように装って、ちょうど来た枝豆に手を伸ばす。

「彼氏にオレとメシ行くこととか言ってんの?」

「えっ、もちろん」

 いちいち動揺してしまうの、バレてるかな……。

 上原くんとのランチの話してはいるけど、同級生と話しただけで、男性とは言ってない。

 もう会わないって思っていたから、話すつもりもなかった。

「なんだ〜、ヒミツの逢瀬って感じでドキドキするかと思ったけど違ったか〜」

 上原くんは頬杖をついて、少しむくれて見せる。

 中学生の時もかわいくて好きだった仕草だ。

 そういう仕草、大人になっても似合うってどういう事なの。

「なにそれ、どういうこと」

 あははと冗談っぽく笑いかえす。

「上原くんこそ、彼女さんいないの? 私なんかと飲みにきて大丈夫?」

 そんな質問をしておいて、私は上原くんの顔を見れなかった。枝豆をむにっと押し出す。

「オレは今フリーだから」

 そう言って私の手を掴むと、私の指でつまんでいる枝豆を自分の口へ入れた。

 ゆ、指が! 唇に! 触れた!

 思わず赤面して、固まってしまう。

「でもこれからの事は秘密にしとけば? 佐々木、オレの事好きでしょ?」

 なにか言い返さなければ。

 そう思うのに言葉が出てこず、口をパクパクさせる私。まるで池の鯉のようだろう。

「彼氏にはナイショだよ」

 これからの事って?

 いやマジで何言ってんの?

 どういうことなの?

 頭の中でそんなことばかりぐるぐる回って、全く口には出せないのだから困ったものだ。

「な、なにそれ〜、どういうこと」

 なんとか絞り出した言葉が、先ほどと同じセリフだったのは、もうこれしか冗談っぽく返せなかったからだった。

 その後も何かとスキンシップ多めで、お店を出てから駅に行くまでもなぜか腕を掴まれたまま歩き、電車の中でも隣同士に座ると密着度が増し、私はこのままお持ち帰りされたらどうしようかと気が気ではなかった。

 そんなに飲んでないはずなんだけどな、と、うっすら思いながら、これは酔いなのか、計算なのか、何がしたいのかよくわからなくて、されるがままだった。

 恥ずかしいし戸惑うし混乱するし、次に何が起こるのかわからずどうしようかと思っていたけれど、困ったことに、嫌ではなかったのだ。

 嫌ではないから無理矢理腕も解けなくて。

 とにかく密着度が高くて、ほのかに香る上原くんの香りが私をドギマギさせ、最後は混乱のあまり考えることを放棄した。

 駅に着くと、「家どっち?」と聞かれ、「あっち」と答えると、「オレあっち」と反対方向を示された。

 最寄駅が一緒だからまさかとは思っていたけれど、実家から出たのに本当にご近所さんなのかい!

 と思わず荒いツッコミを心の中でしてしまう。

 じゃぁ、と挨拶しようとすると、上原くんが私の髪を一房手に取る。

 こんなキザなことする人本当にいたの!?

 どこの王子様ですか?

 これから何が起こるのか全く予想がつかず、また固まってしまう私に、上原くんはクスリと笑った。

「めいってかわいいね」

「!?」

 いや待って、今のなに?

 酔ってる?

「そうやってすぐ固まるところとかさ」

 髪を触っていた手が私の頭の上に乗る。

 ポンポンと頭を撫でられ、思わず目をギュッと閉じる。

 心臓がもたない。

「そういう顔されるとたまんないな」

 頬を撫でられる感覚があり、そろそろと目を開くと、上原くんの顔が近くにあった。

 頭が真っ白になって、キスされるのかと思ったけれど、目を見開いてしまう。

 上原くんの瞳の中の自分が見えるくらいには接近していた。

「今度、めいの家に行かせてね」

 耳元でそう囁かれる。耳に息がかかってくすぐったかったけれど、私は動けない。

 頬に柔らかいものが触れ、頬にキスされたと認識した時にはもう上原くんは離れて「じゃ!」と手を振って踵を返していた。

 私は翻弄されたまま、ぼーっとその場に立ち尽くした。

 クラクラしてきて、ハッと息を吸うと、息を止めていたことに気がつき、深く息を吸って慌てて吐く。

 そんなに長い間の出来事ではなかったはずだけれど、とてつもなく長かった気がして、フラフラしながらアパートへ向かう。

 今までの一連のアレはなんだ?

 でも私、中学生の時も含めて過去に一度も上原くんにはっきりと好きと言ったことはないけれど。

 上原くんってもしかして私のこと好きなのかなと勘違いしてしまう。

 期待させないでほしい……。

 アパートに着いて、パンプスを脱いでへたり込む。

 何をされたのか、頭が真っ白ながら思い返す。

 私の指が彼の唇に触れ、彼は私の頭と頬を撫で、彼の唇が私の頬に触れた。

 思い返すだけでも赤面ものである。

 けれど、嫌じゃなかった事だけは確かだ。

 嫌では、なかったのだ。




 あれから、気がつけば上原くんのことを考えている。

 あれはどういう意味なのだろうかと、同じ事をぐるぐる考えてしまう。

 ランチに誘われても気まずくて断ってしまった。

 会ってちゃんと聞いてみればいい事なのに、そんな勇気が出なくて。

 誠さんにも合わす顔がなく、一度飲みに誘ってくれたのに断ってしまったし、週末恒例のデートも体調不良と嘘をついてキャンセルしてしまった。

 風邪なら心配だと看病を申し出てくれたけど、うつしてはいけないからと必死に断った。


 でも、誠さんと同棲するかを決めるまで、なんでもない顔をしてはいられない。

 誠さんがそうであったように、私も誠さんに対してきちんとしなければ。誠さんに対してはそればかり考えてしまっていた。

 仕事に向かうのに、同じビルだと思うとそれだけで緊張してしまう。

 上原くんに会いたいけれど、会いませんようにと思いながら早足で毎日ビルに入り職場へ駆け込むのだ。

 そんなことを3日繰り返したところで、上原くんと遭遇してしまった。

「佐々木、おはよー」

 何事もなくいつものように挨拶をしてくる上原くんに、顔も見ずに「お、おはよー」と挨拶を返し、そそくさと去ろうとしたとき。

 腕を掴まれ、思わずよろめく。気づいたら上原くんの腕の中だった。

「避けるなんてひどいじゃん。オレは毎日でも会いたいのに」

 耳元で囁かれ、思わずびくりとしてしまう。

 小声なのに、ものすごく大きい声に聞こえた。

「だ、だって」

 こんなところを誰かに見られたらどうするのと考えながらも腕を振り解けない。

「昼メシ、ここで待ってるから」

 そう言うと、上原くんはパッと私を解放して、手を振りながら去っていった。

 本当に、あの人は私を振り回す。

 深呼吸をして、バクバクしている心臓をなんとか宥める。

 強制ランチイベントが発生してしまった。

 いや、断りの連絡を入れればいいだけの話なんだけれども。

 でも、勇気を出して行ってみよう。

 そして、上原くんが本当はどう思っているのか、確かめよう。

 自分の、気持ちも。


 仕事に身も入らないまま、昼休みになってしまった。

 上原くんに会うのは気まずいけれど、お腹は空いている。

 気は進まないけれど、腹がへってはなんとやらなので、渋々席を立った。

 朝の場所へ行くと、上原くんが待っていた。

 彼の立ち姿を見ただけで動悸がする。いや、胸が高鳴る。いや、動悸がする。動悸なんだ。

 悪あがきなんだけれど。

 私に気づいた上原くんは、こちらに向かってにこっと笑いかけてくれた。

 相変わらず眩しい笑顔。

 その笑顔を向けられると嬉しくなってしまう私も、相変わらずなのかもしれない。

 覚悟を決めよう。

「来てくれてよかった!」

 無邪気な子どものようにそう言って歩き出す上原くんを追いかける。

「う、上原くんは、なんであんなことしたの」

 ぎゅっと手を握り締め、自分の足元を見つめながら転ばないように歩く。

 全身に力を入れていないと、今すぐ逃げ出しそうだった。

「めいが可愛いからだよ」

 優しい声音に、少し力が抜けそうになる。

「だって、私には彼氏がいるんだよ」

「でもオレと会ってくれるじゃん」

 上原くんは立ち止まった。

 力を入れて歩いていた私も急ブレーキをかける。

「オレのそばにいてよ」

 私を覗き込んで。

 上原くんはそう言った。

 霞んでいた視界が急に晴れて、明るくなったような気がした。

 その言葉への返事もできないまま、いつもの定食屋さんに入り、いつものメニューを頼み、上原くんのとランチに慣れていたせいか、流れ作業のように無事にランチを済ませた。

 ご飯が食べられてよかった。

 食べられなければ午後が辛くなる。

 そんなことを考える余裕ができたことに驚く。

 上原くんは私に対して、特に返事を求めなかった。

 そのおかげで、ランチはいつものように楽しく食べて仕事に戻ることができたのだと思う。

 彼氏がいなければ、真っ直ぐに上原くんに向かっていけた?

 タイミングが悪かっただけ?

 色々と考えてしまうけれど、もうやめにしよう。

 私のこの気持ちだけで充分ではないか。

 会社に戻って仕事をする前に、誠さんに『今夜会えますか』とメッセージを送った。





 待ち合わせ場所の公園の入り口でキョロキョロと誠さんを探す。

 少し離れたところにいた彼はそんな私の元に嬉しそうに微笑んで歩いてきた。

 ツキン、と胸の奥が痛む。

「お待たせしました」と言うと、「待っていませんよ」といつものように優しい言葉をかけれくれる。

「良さそうなお店を見つけたので入りましょう」

 こういうところも、いつも通りスマートだ。

 でもお店に入ってご飯を食べてから辛い話をする勇気を私は持ち合わせていなかった。

 こっちですよと案内してくれる誠さんに対して、私はその場から動けない。

「めいさん、何かありましたか?」

 誠さんの言葉に、体がこわばる。

 返事の代わりに、そっと誠さんの顔を見上げた。

「なんだか元気がないように見えたので。違ったらすみません」

 なんでこの人はこんなに優しいのだろう。

 申し訳ない気持ちで泣きそうになる。でも私が泣くなんてずるい。

「誠さん、あの」

「はい」

「実は、気になる人ができてしまって。本当に、ごめんなさい」

 頭を下げる。

 私は最低だ。そんなことは何度も考えた。

 誠さんには最後まで誠実でいたかった。

 でも彼の顔を見る事はできなかった。

 ただ、なんとなく上原くんのことを好きな人とは言えなかった。

 とことんずるい女だ。

「誠さんとは、本当に楽しい時間を過ごさせてもらって、本気で結婚も考えていきたいと思っていました。だからきちんとしないとって」

 2人の足元を見つめる私。少しの間沈黙が続いた。

「わかりました」

「本当にごめんなさい」

 他に何も言えない私。

 何を言ってもただの言い訳にしかならなくて。

「その人とは、もうお付き合いを?」

「いやいやそんな、私が一方的に気になって、向こうはどう思っているのかとかはわからないんです、けど。初恋の人、なので」

 慌てて、言わなくていいことまで言ってしまった。

「そうですか。じゃぁまだチャンスはありますね」

 間髪入れずに彼はそう言った。

「え!?」

「めいさんのことが好きです。僕もめいさんを諦めきれないので、それだけは忘れないでください」

 誠さんの言葉に驚いて、返事ができないでいる。

 色んな感情が吹っ飛んで、私はきっとポカンとしただらしない顔をしているだろう。

「では、魚介が美味しい居酒屋を見つけたので今度行きましょう。また連絡しますね」

 にこりと笑っていつものように小さく手を振る。

 その笑顔は不敵な笑みというやつなのでは…!

 反応に困っていると、「そんなに困らないでください」と今度は苦笑している。

「お誘いしますので、断るかどうかはめいさんにお任せします。無理強いはしたくないので」

 どこまでスマートなんですか…?

 こんなに良い人、他にも素敵な出会いがありそうなものなのに。

「わかりました…」

 やっと出た言葉は小さくて届いたかどうかわからないけれど、彼は頷いたから、伝わったのだと思う。

 誠さんはどんなに小さな返事でも、きちんと聞き届けてくれる。

 踵を返し去っていく誠さんの背中を見送る。

 誠さんに初めて好きって言われた。

 付き合う時も好きというよりは気が合う、だったし。

 あれ、こんなにグイグイくる人だったのかな?

 まだ私の知らない一面なのかな?

 思わずときめいてしまっている自分を殴りたくなった。



 その後も誠さんは朝晩に連絡をくれる。

 お返事がしたいけれど、それはいけないことだよね。

 誠実でいたいと心に誓ったじゃない!

 私は過去の自分の行動と照らし合わせてみても、決して惚れっぽい性格ではないと自負している。

 今回、どうして誠さんとお付き合いをしているのに上原くんのことを好きになってしまったのか、自分でも不思議に思ってはいる。

 だから余計に誠さんに申し訳ない。

 でも、もしかして本当に、中学生の頃に恋焦がれていた上原くんと、夢にまで見た両想いだなんて。

 それだけで舞い上がってしまう。

 毎日連絡が来るのが楽しみで、今日はランチのお誘いが来るかな、とか、私から誘ってもいいかな、とか、思考が恋する乙女全開なのだ。

 次に会ったら、誠さんとお別れしたことを話して、上原くんのことが好きだと伝えよう。

 そしたらきっと、上原くんも私のことを好きだと言ってくれる、よね?

 そんな脳内お花畑な状態でよくも無事に仕事のヘマもせず、上原くんとのメッセージのやりとりをうきうきソワソワしながら楽しんでいた。

 その週は珍しくランチのお誘いはなかったけれど、金曜日の夜に飲みに行こうと誘われた。

 ランチのお誘いがなかったからちょっと落ち込んだけれど、金曜日の夜なら次の日は仕事も休みだし、恒例の約束も無くなってしまったし、時間を気にせずゆっくりできるなと、お誘いだけでとても嬉しくなってしまった。

 お気に入りのワンピースを着て出社し、同僚に「今日はデートなの?」なんて聞かれて、「そうなんです〜」とうきうき気分で答える。

 明らかに浮かれている私に、同僚の目は生暖かい。

 生暖かく見守ってくれてありがとうございます。

 1日が長く、残業なんて絶対しないんだからねオーラを出しながら今日の分はきっちりやり遂げ、定時で退社した。

 一応ロッカールームでメイクを直し、身だしなみを整えて、におったらごめんなさいと思いながら軽く香水を髪に振る。

 気合いを入れすぎたかな、でもいいよね。

 今日はしっかりゴールを決めてこないと。

 待ち合わせ場所はいつもと同じ、ビルの入り口。

 たどり着くともう上原くんが待っていた。

「お待たせ」

 少し緊張しながら近づくと、上原くんは見ていたスマートフォンから顔を上げ私を見る。

「なんかいつもよりかわいいじゃん」

 にこっと笑ってそう言ってくれた。

 嬉しすぎて天にも登れそうな気持ちだ。

 照れ笑いで返すと、「行こう」と手を取られた。

 ヒェ! もう手を繋ぐのですか!

 慌てる私の腰に手を回し自分の方に引き寄せる。

 まだ会社の前だから、こんなに密着しているところを会社の人に見られたら恥ずかしい。

「香水つけてる?」

「う、うん、気合い入れすぎたかな…」

「いや、いつもと違うなと思って。オレのために気合い入れてくれたんでしょ?」

 はっきりそう言われると、照れくさい。

 こくんと頷いて彼の顔を覗き見ると、にやりと笑った。

「可愛すぎかよ」

 はぁ、息ができない。

 思わず空いている方の手で顔を覆った。

「いやだ、あんまり見ないで…」

「いいじゃん、オレとしては嬉しいし」

 そうしていつものお店に入り、前の時と同じようにまずビールと枝豆を注文し、女将さんが「お待たせしました!」と持ってきてくれたビールを2人で乾杯する。

「仕事終わりのビールはやっぱり最高だなぁ!」

 上原くんは一度に半分くらい飲んでジョッキを机に置いた。私は3分の1くらい。

 いつ別れた話をしようかとタイミングを見計らっていたけれど、私がそんなタイミングを上手く掴めるはずもなく。

 時計は9時を過ぎていた。

 最寄駅まで2人で電車に乗る。

 私はすっかりほろ酔い気分で、少し気持ちが大きくなっていて、電車の中でも上原くんの腕を掴んだりしてしまった。

 なのに彼氏と別れましたという言葉が出てこない。

 改札を出て、言わなければと上原くんの袖を掴むと、上原くんは私を覗き込んだ。

「オレの家に来る?」

 私はただ、こくんと頷くしかできなかった。

 そんな私の手を握って、上原くんは歩き出す。

 コンビニに寄った方がいいのかな、とか色々考えるのに声に出せない。

 私は上原くんの家に行くんだという事実が驚愕すぎて。

 道中の会話は無い。息苦しくてたまらない。

 でも何も発言できず、とうとう上原くんの家に着いた。

「散らかってるけど、どうぞ」

 そう言って玄関の鍵を開け、ドアをあけてくれる。

「おじゃまします」

 うわぁ、上原くんの家だぁ、とドキドキしながら中に入る。

 ワンルームの部屋らしく、こぢんまりとした玄関に、廊下が続く。

 靴を脱いで上がると、「スリッパなくてごめんな」と言うので、「いらないよ」と答えた。

 私の部屋と大きさはそんなに変わらなそうだ。

 廊下でドギマギしていると、腰に手が添えられた。

「入って」

 上原くんを見上げると、熱のこもった視線。

 途端に私は息が苦しくなる。

 導かれるまま部屋に入ると、そのまま噛みつかれるようにキスをされた。

 驚いたけれどついつい答えてしまった。

 情緒も何もあったもんじゃない。

 そんなことを考えている余裕があるのにもびっくりした。

「ちょっと、まって……」

 アメリカのドラマか何かか!?!?

 このまま流されたら事後にお付き合い云々の話になってしまう!

 そしたら自分が後悔するのは目に見えている!

 とにかく誠さんと別れた話をしなくては!

「私、彼氏と別れたの!」

「え、マジで」

 腰に添えられた手が、するりと落ちる。

「うん、上原くんのことが好きだから……」

 その時、上原くんのスマートフォンが鳴った。

 ズボンのポケットからスマートフォンを取り出すと、ちょっと変な顔をしてまたポケットにしまう。

 仕事かな? と思い、慌てて電話に出るように促す。

「電話? 気にせず出ていいんだよ」

 そう言うと、上原くんは廊下に行き通話ボタンを押した。

「はい」

『もしもし、たくー? ねぇ明日午後から式場の見学の予定だったけど、朝からそっちに行くからね。いいー?』

「あー、わかった、おけ」

 会話が聞こえてしまった私の頭の中は『???』でいっぱいになってしまった。

 たく、とは上原くんの下の名前だ。

 式場って、なんだろう。

 会場なら色々あると思うけど、式場といえばお葬式?

 いやまさか結婚式場?

 明日の朝に電話の相手がここにやってくると言うことは、私は今夜中にお暇しなければ。って、結婚式場?

 電話の相手って、もしかして。

「あー、わり」

 電話を切った上原くんは、上着を脱いでベットにぽいっと投げた。皺になってしまうのが気になる。

 余計な事ばかり考えてしまう。

「今の、電話って」

 私は勇気を振り絞って聞いてみた。

 だって今私が一番彼女に近い存在のはず、だよね?

「あぁ、彼女。もうすぐ結婚するんだよね、オレ」

「彼女いないって、言ってたのに」

「結婚前に遊んどこうと思ってさ。なのに佐々木は彼氏と別れたとか言うし」

 私の好きな上原くんのキラキラした笑顔はどこにもなかった。

「まぁいいや。ジャマが入ったけど、続きするか」

 そう言ってネクタイを緩めて私との距離を詰める。

 先程まであんなに昂っていた気持ちが、崖から突き落とされたような。

 指先が冷たくなって、震え始めた。

 言葉にならない想いが涙になって溢れ出た。

 なんでこんなことになってしまったんだろう。

 てっきり彼も私のことを好きなのかと思い込んで。

 未来を考えていた人とお別れまでして。

 覚悟をしてここまで来たのに。

「ごめん、帰る」

 返事も聞かずに慌てて上原くんの家の玄関を飛び出して、走って私の家に向かう。

 駅まであっという間で、立ち止まって息を整えた。

 拭っても拭っても涙は止まらない。

 顔は涙でぐしょぐしょだった。

「う〜」

 息継ぎがうまくできなくて、変な声が出そうになったけど、なんとか堪えながら歩く。

 人通りが少なくてよかった。

 アラサーの女が泣きながら夜道を1人で歩いているだなんて、恥以外のなにものでもない。怖すぎる。

 その時スマートフォンが鳴った。

 もしかして何かの間違いだったと、つい淡い期待をもってカバンからスマートフォンを取り出す。

 誠さんからの着信だった。

「なん、で」

 こんなタイミング良く。

 辛くてつらくて、1人でいることもバカで愚かな自分も辛くて、誠さんの優しさを思い出して、逃げたくて。

 思わず通話ボタンを押してしまった。

『もしもし、めいさん。こんばんは』

「グズっ、うっ」

『めいさん? 泣いてる?』

 誠さんの声が明らかに動揺していた。

「誠さん……、私本当に誠さんに酷いことをしたのに……縋ってごめんなさい」

『どこですか? すぐに行きます』

「もうすぐ私の家、です」

『わかりました』


 あの日みた夢は正夢にはならなかった。


 私は、忘れていたのだ。

 声を聴いたら、誠さんと共有したあの幸せなひと時を思い出して、たまらず誠さんに会いたくなってしまった。

 どうしてあんなに大切にしてくれた人の気持ちを忘れて、ひどい男に走ってしまったのか。

 結局結婚からは遠ざかり、傷つけ傷ついて、優しい彼を失ってしまった。

 失ってから気がつくだなんて、ありきたりな話だ。

 私の人生に降りかかるだなんて、考えたこともなかった。

 もっと上原くんのことを怪しんだ方がよかったんだとか、友だちとして割り切っていればよかったんだ、なんて後悔ばかり繰り返し考えている。

 ようやく家に辿り着く。

 玄関でパンプスを脱いでその場に座り込む。

 苦しくて、ほっと一息もつけない。

 誠さんに会わせる顔もないのに会いたい。

 誠さんと会って私は慰めてほしいのだろうか。

 そんな都合のいい事があるわけがないのに。

 上原くんの事も辛いけれど、それよりも誠さんへの気持ちが苦しくなって、なおさら涙が止まらなかった。

 その時チャイムが鳴った。

 モニターまで這って行くと、誠さんだった。玄関まで戻りドアを開ける。

 誠さんが息を切らして立っていた。

 誠さんの姿を確認すると、また涙が溢れ出す。

「めいさん、大丈夫ですか」

「ま、まことさん〜〜〜」

 抱きつきたい衝動に駆られたけど、私がそんなことをして許されるはずがない。

 泣き止めないまま、誠さんに中に入ってもらう。

 ドアを閉めなければご近所迷惑だ。

 初めてのお宅訪問がこんな事になってしまって申し訳ない限りだ。

 ちゃんとお家デートで我が家に来て欲しかったものだった。

 今では後悔しても遅い話だけれど。

 リビングの座布団を案内して、泣きながらお茶を出そうとキッチンに向かおうとすると、「座ってとにかく落ち着きましょう」と誠さんに座布団をトントンされた。

 ここへ座ってという事だろうか。

 大人しく誠さんの隣に座り込む。

「涙が止まるまでここにいますから」

 そんな事を言われたら、「うわぁーん」と子どものように泣いてしまった。

 涙が落ち着くまでしばらくそのまま、その場で体育座りで膝に突っ伏していた。

 アラサーの女が(何度も言うが)こんな風に泣く姿を誠さんに見られるのも恥ずかしいが、どうにもならない。

 とにかく誠さんがいるということだけで、心持ちがだいぶ良くなり、急いで呼吸を落ち着かせた。

「初恋の人なんですけど」

「はい」

「全然ダメだったんです、結婚するんだって」

「そうですか」

「だったらあんなに気安く話しかけてこないでよって思って」

「はい」

 ぽつりぽつりと、誠さんに話していいものかどうかと悩みながらも結局話してしまう。

 誠さんはきちんと相槌を打ってくれる。

「なんか話してたらだんだんムカついてきた」

 あんなに悲しかったのに、誠さんに打ち明けると気持ちが怒りになってきた。

 自分が悪いのに、自分のことを棚に上げておいて。

「ごめんなさい。こんなことに巻き込んでしまって」

「めいさんが辛い時はそばにいたいので、いいんです。連絡してよかった」

「来てくれて、本当に嬉しいです。ありがとうございます。お別れしたはずなのに、本当に申し訳ないです」

 都合の良すぎる謝罪に、誠さんはなんで怒らないんだろうかと不思議になる。

 けれど。

 誠さんが来てくれたから、悲しい気持ちも楽になったし、すっかり安心してしまった。

 こんなことでは、いけないのに。

「辛い思いをしている時にこんな事は考えられないかもしれませんが、やっぱり僕にしておきませんか。お別れしたわけでもないですし」

「え?」

 あれ?

 私、別れ話をしたはずだったけれど。

 どうなっているんだ?

 思わずキョトンとしてしまった。

 泣き腫らした目をで誠さんを見入る。

「お別れしましょうとは言っていないので」

 誠さんはさらりと答える。

 確かに!!

 別れましょうとは言ってはいないが!!

「そんな都合のいい事、いいんですか」

「めいさんさえよければ。もう一度、付き合ってください。結婚を前提に」

「はい」

 ものすごく脱力してしまった。自然と笑みが溢れる。

 誠さんに許してもらえるなら、ぜひ元の関係に戻りたい。

 先程、誠さんの姿を見てそう思ってしまっていたから。

 この人は私がどん底にいたところから、雲の上まで引っ張ってくれる人なんだなぁ。

「ありがとうございます。では、僕と結婚してくれますか?」

「はい。えっ!?」

 今度は私の表情筋が固まった。

 いや、あれだけ泣いていたからだいぶ凝り固まっていたのだけれど。驚きすぎて。

 プロポーズされるとは思わなかった!

 会話のトーンが同じだったから思わず『はい』と言ってしまった。

 答えはもちろん『はい』でいいのだけれど。

 誠さんと別れた後悔は、さっきあんなにたくさんしたのだもの。

「もうあなたを離したくないんです。結婚してください」

 そんな言葉に、私のおさまった涙腺はまたもや崩壊する。

「うぅ〜〜。こんな私でよければ、よろしくお願いします」

 また泣き始めた私の肩にそっと手を置いて「泣かせるつもりはなかったのに、すみません」と律儀に謝る誠さん。

 その手も優しくて。

 私は、返事の代わりにふるふると頭をふった。

 こんな私のどこを好いてくれているのか全くわからないけれど、誠さんのそばはこんなに安心する。

 ありがたく一緒にいさせてもらいます。

 神様ありがとう。

「すみません、指輪を用意していなくて。サイズが合わないと嫌なので、サイズを確認してから用意しようと思って」

 そんなところが誠さんらしくて、私はふふふと泣き笑い。

「今度、一緒に見に行きましょう」

「はい」

 私は誠さんの肩にそっと頭を預ける。

 誠さんの肩がちょっとこわばった気がした。

「また誠さんとこうしていられるなんて、信じられないくらい感謝してます。私のことを許してくれてありがとうございます」

「許すも何も、その人とはどうにもならなかったわけですし」

 その言葉を聞いて今度は私がこわばった。

 今夜のことは、記憶から抹消しよう。

 ふぅと息を吐く。

「遠回り、しちゃいましたね」

「遠回りじゃないです。僕が焦りすぎただけですよ」

「誠さんは何も悪くないのに、どうしてそんなに優しいんですか」

「めいさんが好きだからですよ」

「なんでぇ〜〜」

 誠さんは本当に私の涙腺を崩壊させる達人らしい。今日はもう本当にだめ。泣く。

「好き」

 涙を拭いながら、想いが溢れてしまった。

 今の私には罪深い言葉だ。

 信じてもらえなくても仕方ないけれど、でもまた信頼されるように頑張りたい。

 結婚するんだもの。

「ありがとう」

 そう言うと、誠さんは私を抱きしめた。


end

お読みいただきありがとうございます。

感想お待ちしております。

そこまででもないかな?と思い、R15タグは外させていただきました。

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