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仔ネコの秘密①





 わたしがレリウスさまのお屋敷にやって来て五日が経った。

 レリウスさまのペットになって、わたしの生活はかつての野良暮らしから一変した。

 お部屋の中はいつでもあったかいし、ごはんに出されるミルクやちゃんと焼かれたお肉はすっごくおいしい。言わずもがな、おやつのペロルは頬っぺたが落っこちちゃうくらい、とびっきりにおいしい♪

 なにより飼い主であるレリウスさまはわたしに甘くて優しい上に、前世のパパを彷彿とさせる彼のガチムチマッチョな見た目は、なにを隠そうわたしのタイプのど真ん中。見ているだけでも眼福なのだが、彼のグローブみたいな大きな手で体をなでられると、もうイチコロ。わたしは一瞬でとろんと夢心地なってしまう。

 こんなふうに、今の暮らしは「ここは天国!?」ってくらいに、とーっても快適だった。

 ……だけどひとつ、困っていることもある。

 レリウスさまと一緒に過ごす夜、わたしはいつもヒヤヒヤだ――。


 この日も、わたしは帰宅したレリウスさまと一緒に夕飯を食べ、パンパンに膨れたお腹をさすっていた。


《ふみ~ゃ(ぷはぁ、おいしかったぁ。もう食べれな~い)》


 お腹がくちいって、なんて幸せ♪


「はははっ、満足したか」


 空っぽになったわたしのお皿を見たレリウスさまは、笑みをこぼして席を立った。

 ん? レリウスさま、どこに行くの?

 レリウスさまはスタスタと広い食堂と間続きになっている居間に向かい、棚からブラシとグルーミングスプレーを取り上げてわたしを振り返った。


「さぁ、ルーナ。次はブラシをかけてやろう」


 目にした瞬間、わたしはピョンと椅子から跳び下りる。


《ふみゃっ(ブラッシング!? やったぁ~っ!)》


 テテテッと駆けていき、レリウスさまの足にバフンッとダイブする。ただし、できるだけ爪を立てないように慎重に。


「よしよし。ルーナはブラッシングがよほど気に入ったようだな」


 レリウスさまは足もとに引っ付いたわたしの脇腹を左手で掴み、掬うように抱き上げてソファに向かう。


《みゃーっ(そりゃあそうよ。ブラッシングしてもらうのって、とろけちゃうくらいに気持ちいいんだから)》


 その感覚は、前世で受けたマッサージに似ている。しかも、とびきり凄腕の施術師さんに担当してもらえた時の極上のそれだ。

 レリウスさまはソファに辿り着くと深めに腰かけて、わたしを膝の上にのせる。


「最初にスプレーをするから目を瞑っておいてくれ」

《みゃー(はーい)》


 キュッとまぶたを閉じると、首の後ろから背中にグルーミングスプレーが吹き付けられる。このスプレー、とってもいい匂いがして気に入っているのだが、その効果だって抜群だ。なんでも珪藻土から抽出した天然ミネラルがたっぷりなのだとか。このスプレーの後にブラシを通してもらうとツヤツヤになれちゃうのだ。


「よし、このくらいでいいだろう。もう目を開いて大丈夫だぞ」

《みゃー(はーい)》


 レリウスさまはスプレーを置いて、大きな手にブラシを握った。そうして首の後ろの一番もふんっとしたところにブラシをあてると、毛の流れをしっかり見ながら、背中の方に向かって梳かしはじめた。

 ブラシはもつれた毛を優しくキャッチし、そっとほどきながらゆっくりと進んでいく。ブラシが通ったところが、ふんわりとやわらかになっているのが見なくともわかる。

 はわぁ~。これ、めっちゃ気持ちいい~。

 しかもレリウスさまは、力加減がこれまた絶妙。皮膚にかかるほどよい圧が、蕩けちゃいそうに気持ちよかった。

 はひゃ~。もしかして、ここは天国かしら。


「具合はどうだ?」

《ふみぃ~(はい~、そりゃあもう極楽ですとも)》


 レリウスさまの丁寧なブラッシングを受けていると、わたしはあっという間に夢心地になってしまう。

 まぶたがとろんと重くなり、うつらうつらと舟を漕ぎだした。


「ルーナは本当に利口だな。たまに俺の言葉がすべてわかっているんじゃないかと思うことがあるぞ。もしかして、本当はわかっているのか? なぁ、ルーナ?」

《みぃ~(なぁ~に~? ねむねむで、ちょっとよくわかんないよ)》

「はははっ、冗談だ。とにかく俺の人生において、こんなに心満たされて過ごすのは初めてだ。この世にこんなに愛しい存在があるのだと、お前と出会わなければ気づきもしなかったろう。かわいいルーナ、ずっとここにいたらいい。ペロルもやるし、ブラッシングだっていくらだってしてやるぞ」

《みぃ~(え、ペロルいくらだってくれちゃうの? へへへっ~、いくらなんでもそれは太っ腹すぎちゃうよ。それにわたし、ペロルがなくたって、ずーっとここにいるよ。もちろんペロルは、あった方がいいけどさ~)》


 なでなで。さすさす。


 レリウスさまはわたしの全身にブラシをあて終えてからも、ずっと大きな手で首裏から背中にかけてなでてくれていた。

 ふへぇ、いい気持ち~。こっくり、こっくり……。


「俺はたまに、お前がネコでなく人間だったらと頭を過ぎることがある。きっと、俺は人間のお前にも喜んで傅くのだろう」


 うーん、レリウスさまがなにか言っているみたいだけど……ぐぅ。。。


「とはいえ、お前がネコだからこそ、俺は惚れた腫れたの嫉妬や焦燥に悩まされず、純粋に愛おしめるのかもしれんがな。仔ネコの姿ですら、お前はこんなに美しいのだ。もし人間だったら、俺はお前が他の男に横から奪われてしまわないかと気の休まる間がなかっただろう」


 まぶたが完全にくっ付いて、レリウスさまの言葉はわたしにとって明確な意味のない、ただただ心地いい子守歌となったのだった。





 ――カタン。


 振動と小さな物音で、わたしは束の間のうたた寝から目覚めた。


《ふみぃ(あれぇ、わたし寝ちゃってた……?)》


 わたしがパチパチ瞬きしながらヒョコッと体を起こすと、頭上から申し訳なさそうに声をかけられる。


「すまん。起こしてしまったか」


 首を巡らせて見たら、レリウスさまがソファから半分腰を浮かせ、少し先のローテーブルの上に置いてあったブランケットを手に掴んでいた。

 ……あ。もしかして、わたしにそれを掛けてくれようとしたのかな?

 レリウスさまの優しい気遣いに思い至れば、起き抜けでちょっと高めの体温がさらに一、二度上がったように感じた。


「日が暮れて少し気温が下がってきたからな。冷えては可哀想だと思ったんだが、気持ちよさそうに寝ていたのに起こしてしまって逆に悪かったな」


 レリウスさまはちょっとバツが悪そうに言いながら、わたしが起きてしまったために不要になったブランケットをそのままパサッとテーブルに戻した。

 一方のわたしは、レリウスさまが口にした『日が暮れて』という台詞に青くなっていた。バガッと窓を仰ぎ見ると、外は既に日が落ちて、薄っすらと月が空を照らし始めていた。

 うそっ、もう月が出てる! 早くここから離れないと、レリウスさまの目の前で変身しちゃう……!

 ここまでの五晩、わたしは気を張って外に出るタイミングを見計らっていたけれど、レリウスさまともすっかり打ち解けてきて今日は気が緩んでしまっていたらしい。

 それに、今日のレリウスさまは普段よりほんの少し帰宅が早くて、一緒に夕飯を食べた時、外はまだ西に傾いた太陽で明るかったのだ。それもあって、ついつい油断してしまっていた。

 体の中に、着々と月のエネルギーが溜まってきているのを感じた。

 今日はもう、レリウスさまがわたしの側を離れるタイミングを待っている時間はない――!

 もはや一刻の猶予もないわたしはローテーブルにピョンと跳び移ると、レリウスさまが一旦戻したブランケットをガプッと口に銜え、一目散に駆けだした。


「ルーナ、どこに行く!? わざわざ寒い外に行かずとも、ここで俺と一緒に眠ればいい!」


 伸びてきたレリウスさまの腕をタッチの差で躱し、わたしは居間を飛び出した。


《ふみぃっ(ごめんなさい、レリウスさまっ)》

「おい、ルーナ……!」


 背中にかかるレリウスさまの呼び声に、申し訳なさで胸が押し潰されそうになる。

 ……ごめんね、レリウスさま。

 わたしだって本当はそうしたい。だけど、それだけはどうしてもできないの……!

 レリウスさまの前から脱兎のごとく逃げ出したわたしは、一階の廊下の窓から外に出て、いつもの木陰に飛び込んだ。直後、「ぽぽん!」という音とともに、わたしはもふもふのヤマネコから少女へと姿を変えた。

 白銀の長い髪がサラリと肌をなでる。

 大地を踏みしめるのは、スラリとした二本の足。パサッと口から落ちたブランケットは、同じくスラリとした二本の両腕で受け止めた。

 視界が、ネコの姿の時とは段違いに高くなっていた。


「……なんとか間に合った」


 わたしはストンッとしゃがみ込み、すっぽんぽんの体を隠すようにブランケットを胸もとまで引き寄せた。

 人間の姿での野宿は慣れっこ。……というよりも、雨降りなんかを除くほとんどの夜をわたしはこの姿で過ごしているのだ。だから土の上で風に晒されて夜を明かしたからといって、今さら風邪を引くこともない。

 ……でも、どうしてだろう。

 今、ひとりで明かす夜がこんなにも心細い。レリウスさまの温かな腕の中であのまま朝を迎えられたら、それはどんなにか幸せなことだろう。

 ……レリウスさま。あなたの制止を振り切って出てきてしまったわたしを、どうか嫌いにならないで。

 煌々と輝くお月さまを切なく見上げていたら、ホロリとひと滴、涙が頬を伝っていった――。





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