仔ネコ、騎士団長のペットになる①
わたしがレリウスさまのペットになって三日が経った。
一昨日の夜は宿で一泊し、昨日の午後、初めて王都にあるレリウスさまのお屋敷にやって来た。
バロック様式によく似た建築で統一された王都の街並みを馬上から眺め、わたしはその美しさと行き交う人々の多さに圧倒された。さらに、部隊員らと別れた先で、レリウスさまに『ここがうちだ』と示されたお屋敷はとにかく立派で大きくて、その外観を見た瞬間、わたしは腰を抜かしそうになった。
しかもレリウスさまの案内で通された館内は目玉が飛び出ちゃうくらい、とんでもなく豪華! 野良暮らしだったこれまでとのあまりの差にクラクラして、ついに腰が抜けた。わたしはレリウスさまの抱っこで運ばれる羽目になった。
そんな調子で一夜が明け、お屋敷の豪華さにはやっと少し慣れてきた。だけど、レリウスさまとの暮らしには戸惑うばかり。
……だって、飼い主のレリウスさまは、とにかくわたしに優しいのだ。
こんな甘やかされた暮らし、あっていいのかなぁ……。
わたしがもんもんと考えごとをしていたら、背中を向けてガサガサしていたレリウスさまが、棚の中から細長いなにかを取り出して握りしめ、くるんとこちらを振り返った。
ん? あれは――!
「ほらルーナ、おいで」
レリウスさまに差し出されたソレを目にするや、わたしは目をハートにして飛びついた。
ちなみに、レリウスさまが口にした『ルーナ』というのは、わたしのこと。わたしを飼うことに決めたレリウスさまが『月光を紡いだような毛色だから』と、月を意味するこの名前をつけてくれたのだ。
聞かされた瞬間に、わたしはこの名前が大好きになった。そして『ルーナ』の名前と同じくらい、わたしは目の前のソレが大大、大好きっ!
《ふみゃ~(わぁっ! ペロルだぁ~っ!)》
ペロルというのは、ペロペロしながら食べるスティック状のネコ用おやつ。わたしの大好物で、頬っぺたが落っこちちゃうくらいおいしいのだ♪
《ふみゃぁあ(ペロル、うまうま。うんまぁっ)》
「こーら、ゆっくり食べるんだ」
そう言われたって、ペロルはすっごくおいしくって、ついつい食べるのを急いじゃう。ペロルはきっと魔法のおやつなのだと、わたしは初めてペロルを貰った昨日のうちに確信していた。
あっという間にペロルを一本食べきってしまい、名残惜しく包装紙をペロペロするも、包装紙じゃちっとも満足できない。わたしはペロペロするのを止め、ジーッとレリウスさまを見上げた。
《ふみゅぅ(レリウスさま、足りないよぉ。ペロル、も一個ちょうだい?)》
両足に力を込めて二本足で立つと、両方のおてての肉球部分をちょこんと合わせ、コテンと小首をかしげながら上目遣いでお願いする。
「ヴッ」
レリウスさまはビクンと肩を跳ねさせて、眉間にクッキリ皺を寄せる。そのまましばし逡巡し、スックと立ち上がった。
……ん、これは!? わたしは、うずうずしながら超高速で尻尾を揺らしつつ、レリウスさまの動向を見守った。
わたしの視線の先、レリウスさまはさっきペロルを取り出した棚に向かう。そして中から二本目のペロルを取り出して、わたしのもとに戻ってきた。
《ふみゃーっ(うわぁ、やったーっ!)》
わたしはレリウスさまの足にバフンッと跳びつくと、スリスリ、スンスンしながら喜びを爆発させた。
そのままレリウスさまの足に引っ付いて、大きな手がペリペリと包みを解いてゆくのを、ジーッとジーッと見つめる。見ているだけで、お口の中はもうじゅるじゅる。
わわわっ。
口の端からタランとヨダレが垂れてきて、慌てて拭おうとするが、一瞬早くしがみ付いていたレリウスさまのズボンに吸われてしまう。
……やばっ、ヨダレでレリウスさまのズボンをシミにしちゃった……あれ?
よくよく見ると、レリウスさまのズボンにはシミだけでなく、わたしが爪を引っ掛けてつくったと思しきほつれがいっぱいできていた。膝下を中心に生地がボロボロになってしまったズボンを見つめ、わたしはピキンと固まった。
ありゃ……。
「ルーナ、どうかしたのか? ペロルが剥けたが、食わんのか?」
《ふみゃみゃっ(なんでもないの、食べるよ! 食べますとも~っ!)》
ツイッと差し出されたペロルを視界に捉えると、目がキラリンッと光り、尻尾がピピンッと立ち上がる。ガバッとペロルにかぶりつき、ペロンとひと舐めした瞬間、わたしの中でズボンをボロボロにしちゃった一件は『黒であんまり目立たないし、セーフってことで!』とソッコー折り合いがついた。
《ふみゃぁあ(ペロル、うまうまうま。うまうまっ、うんまぁ~っ)》
「……ふむ」
ゴツゴツした大きな手がそっと頭にのっかって、宝物にでも触れるような丁寧さで頭頂から首裏にかけてを往復する。彼のちょっと不器用で、とっても優しいなで方が、わたしはすごく好きだった。
いつも目を丸くして夢中になって食べちゃうペロルだけれど、今は二本目だからちょっと余裕があった。わたしは一旦ペロペロするのを中断し、チラリとレリウスさまを見上げた。
やわらかな光をたたえたてわたしを見下ろすブルーの瞳とぶつかって、自然と頬に笑みが浮かぶ。
……へへへっ。
レリウスさまは目が合った相手を視線だけで射殺してしまいそうな顔面凶器。しかも、他人の目がある場所では、終始厳しい態度を崩さない。……ユーグさんの前でだけはちょっと例外な雰囲気だけど、まぁそれはそれ。
とにかく、そんな彼が今は目尻を下げ、口もとを緩ませてわたしを見つめている。これは、ペットのわたしだけが知っている彼の顔――。
嬉しい感情に衝き動かされ、ペロルを持つ彼の手とわたしを覗き込む彼の頬をペロン、ペロンと順番に舐めた。
レリウスさまはちょっと驚いたように目を見開いて、次いでふわりと細くした。
「ルーナ、お前はかわいすぎていかんな。俺はお前に乞われたら、どんな願いでも聞き入れてしまいそうだ」
《ふみゃぁあっ(えっ!? それならペロルをもう一個、……いやいや一個と言わずどっさりちょうだいっ!)》
耳にした瞬間、目を輝かせてここぞとばかりにおねだりをしてみせるわたしに、具体的な意味は通じていないはずなのレリウスさまは苦笑してコツンとわたしの頭を優しく小突いた。
アテッ。
「あんまり調子に乗って食べすぎると腹を壊すぞ。ペロルはこれが最後だ」
《ふみゃっ(ちぇっ)》
ま、いいんだけどね。
大好物のペロルだけど、ほんとは二個も食べればお腹がはち切れそうなくらい満腹になってしまうのだ。
食べられる時に食べておこうとついつい欲張ってしまうのは、野良暮らしで染み付いたわたしの悪いくせ。レリウスさまに飼われた今となっては、もう食うに困らないのだから、徐々に直していかなくちゃ。
……よーし。二本目を強請るのは今日を最後にして、これからは一本で我慢するようにしよう!
ところがだ、ペロルをペロペロするのを再開した途端に決意が揺らぐ。
《ふみゃ~っ(ペロルうまうまうま~っ)》
……う~ん、こんなにおいしすぎる魔法のおやつを前にして二本目を強請らないなんて、できるかなぁ……うん、やっぱり無理!
《みゃあっ(レリウスさま、また次も、二本目をちょうだいね!)》
「よしよし、そんなにうまいか。ゆっくり食べるんだぞ」
どこまでわたしの心をわかっているのか、いないのか。とにかく、レリウスさまはペロルにガッつく意思の弱すぎるダメダメなわたしを、とっても優しい眼差しで見つめていた。