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仔ネコ、騎士団長に懐く①





 馬での移動中ずっと目覚めなかった仔ネコだが、森と王都の中間に位置する宿に着くとほどなくして目覚め、俺が用意したミルクを飲みきった。

 そうして今は、短い前足で腹をてんてんと叩きながらふやけた表情を浮かべていた。あんなに弱っていたのが嘘のように寛いだ仔ネコの様子に、俺の胸に安堵が広がる。


《ふみゃ~(ふへぇ~、満腹で大満足♪ お腹がくちいのって、こーんなに満たされて幸せなのね~♪)》


 仔ネコの満足げな鳴き声は、明らかに『満腹だ』と言っているのが丸わかり。しかも、どことなく人間臭い表情をしているようにも見える。

 ……ふむ。腹が膨れると満たされた表情になるのは、人間も動物も同じなのだな。

 俺はそんなふうに納得し、幸せそうに転がる仔ネコを見つめていた。

 すると、突然仔ネコが立ち上がったかと思えば、なにかを探すような素振りをし始めた。

 察した俺は中庭に面した長窓に向かい、ちょうど仔ネコが通り抜けできるくらい開いてから、ちょいちょいと手招きする。〝魔窟の森〟の横断によって、俺たちは道程の遅れを取り戻したばかりか、宿にも予定より早く入れた。そのため、いまだ窓の外には西に傾きかけた太陽が顔を覗かせていた。

 仔ネコは、俺が開けた窓を認めると、これ幸いとばかりに跳んできて、スルリと窓の隙間から外に出ていった。どうやら、ネコというのは存外、意思の疎通が図れるもののようだ。


「やはり客間を一階にしておいたのは正解だったな」


 ちなみにチェックインの際、普段通り上層階の鍵を受け取りかけた俺に『外でないと用を足さないネコもいるから、今夜は一階にしておいた方がいいのでは』と、提案してくれたのはユーグだ。

 多方面に気が回る実に有能な副官である。


「さて、睡眠、食事、排せつとくれば次はなんだ? ……よし、一応水とタオルでも用意しておくか」


 ネコが身繕いになにを使うのかなどとんとわからないが、ひとまずタライに水を張り、タオルとブラシを用意して仔ネコの戻りを待った。




 仔ネコは長窓からスルリと体を滑らせて部屋に戻ってくると、観察するようにキョロキョロと室内を見回した。そうして俺が水を汲み置いたタライに視線を止めると、ピンときた様子で一直線にそちらに向かっていった。

 ……ふむ。やはり、次は身繕いで正解だったようだ。

 俺は仔ネコがタライの水を使い、パシャパシャと身繕いする様子を眺めていた。


 ――コンコン。


「レリウス様、一点ご報告が」


 小さなノックのあと、廊下からユーグの声があがる。


「入れ」


 仔ネコから目線は外さぬまま、短く答える。


「失礼します」


 俺の許可を受けて入室したユーグは、いつも通り部屋の中ほどまでやって来ると足を止める。ところが、しばらく待っていてもユーグは一向に話を切りだそうとしない。

 ふむ、これは……。俺はすぐにピンとくる。

 どうやらユーグは、仔ネコの愛らしさに声も出ないと見える。その気持ちは俺にもよくよくわかるが、このままでは埒が明かない。


「はははっ、かわいいだろう? お前が見惚れるのもわかる。だが、なにか報告があって来たのだろう? 先にそれを聞こう」

「……いやいやいや。レリウス様、そのネコめちゃくちゃおかしいですよね」


 俺が水を向けると、ユーグはわななく指先で仔ネコを示し、こんなふうに口にした。


「なにがおかしい?」

「だって、両手で顔や体に水をパシャパシャかけて洗うネコなんてどう考えてもヘンでしょう」

「そういうものか?」


 俺はあまり動物――特にペットとなるような小動物の生態には精通していない。それというのも小動物は皆、俺を目にするや、この体格にビビってしまうのか、軒並み尻尾を巻いて逃げて行ってしまうからだ。


「……いやいや。普通、ネコは前足でペロペロして顔を洗うものですよ。そもそも水を嫌うネコが多いですから、少なくともこんなふうに自分から水をパシャパシャするネコなんて初めて見ましたよ」

「ほう、そうなのか。ならば、珍しいネコなのだな」


 感心したようにうなずく俺を余所に、ユーグは狐につままれたような顔で仔ネコを凝視していた。

 そうこうしているうちに仔ネコはパシャパシャする手を止め、タライから顔を引くと、畳んで脇に置いてあったタオルにパフッパフッと顔を押し付け始めた。


「ってか、今度はタオルに顔を押し付けてますけど……。あれって、まさか拭いてるんですかね?」

「当然そうだろう」


 ユーグは目でも悪いのか? 当たり前のことを愕然としたように口にするユーグに首をかしげつつ、俺は体の拭き取りに難儀している仔ネコのもとに駆けつけた。


「……おいおい、うまく拭けていないぞ。俺がやってやろう」

《ふみゃっ(わぁっ、助かる。お願い!)》


 仔ネコは俺がタオルを広げると、バフッと飛び込んできた。そのまま、安心しきった様子で俺の手に体を預けてくる。

 俺はタオルで丁寧に水滴を拭ってやりながら、胸がこれまでにない温かな思いで満たされていくのを感じていた。


「さぁ、綺麗に拭けたぞ。どうだ、サッパリできたか?」

《ふみゃ~(めっちゃサッパリしたよ~。森にいた時は岩を伝う水しかなかったから、なかなか体までは洗えなかったの)》


 さすがに仔ネコがなにを言っているかまではわからなかったが、水浴びで満足したらしい様子は十分に伝わった。


「よかったな。そうだ、よかったらブラシをかけてやろう」

《ふみゃっ(えっ、ブラシかけてくれるの!? やったぁ!)》


 俺が用意していたブラシを持って絨毯の上に移動し、胡坐で座りながら言えば、仔ネコはキラーンと目を輝かせて俺の膝の上でコロンッと丸まった。

 俺は仔ネコの皮膚を傷つけぬよう慎重にブラシをあてながら、すっかり艶を取り戻した毛並みに目を細めていた。もとより愛らしいネコだとは思っていたが、土汚れを洗い流したことで、改めて仔ネコの美しさが浮き彫りになった。

 仔ネコの長い毛は月光を紡いだみたいな白銀で、まるで光の粉でも振りまいているかのように輝いている。気持ちよさそうトロンと潤んだ瞳も宝石みたいな紫色で透き通るようだ。

 今はまだ痩せていて小さいが、これからきちんと栄養を取っていけば、ますます美しくなるだろう。


「このくらいで、力加減はどうだ?」

《ふみゃ~(いい気持ち~)》

「そうか、気持ちがいいか」


 仔ネコのとろけた目を見れば聞かずとも知れる。俺はブラシの位置を細かに変えながら、仔ネコの全身を隈なく梳かしていった。


「……ってか、これだけ意思疎通がとれるネコを前にしてなんも思わないって、レリウス様もよっぽどおかしいですけどね」


 ここまで、岩のように無言で立ち尽くしていたユーグが、うしろでポソリとつぶやいた。


「おいユーグ、なにか言ったか?」

「いえ。お似合いだなと思いまして」


 よく聞き取れず、俺が聞き返せば、ユーグが呆れたような口ぶりで告げる。


「そうか、俺たちはお似合いか。だが、この仔ネコの預け先については、もう考えてある」

「え、このままレリウス様が飼うんじゃないんですか?」


 ユーグは意外そうに首をひねり、仔ネコは俺の腕の中でピクンと小さく体を跳ねさせた。


「日頃から騎士宿舎での寝泊まりが多い上、屋敷にも通いの使用人しか置いていない。俺が飼っても、寂しい思いをさせてしまうだろうからな」

「んー、ネコなら散歩もいりませんし、一日、二日の留守番なら問題なくできると思いますけどね。まぁ、もう飼い主にあてがあるのなら、いいですけど」

「名残惜しいが、こいつとはあと数日でお別れだ」

《ふみゃっふみゃーっっ(やだ、やだーっっ! 捨てないで! わたし、青マッチョさんとお別れなんてやだ! 絶対、やだぁっっ!!)》


 突然、腕の中の仔ネコが毛を逆立てて暴れだす。


「お、おい? どうしたんだ?」


 膝の上で必死に鳴きながら、前足を振り回して大暴れをする姿に驚くが、相手は俺の片手でゆうに掴めてしまう小さな仔ネコだ。俺はすぐにブラシを置き、仔ネコを落ち着かせようと両手を伸ばした。


 ――シャッ。


 仔ネコの前足が右手の甲を掠めるが、構わずに小さな体を両手でそっと抱きしめる。


「ほら、大丈夫。大丈夫だ」


 宥めるようにトン、トンと体をさすってやっていると、俺の手の中で仔ネコは徐々に落ち着きを取り戻していった。

 逆立っていた毛もストンと寝て、小さな手の先から顔を出していた爪も引っ込んだ。


「よーし、いい子だ」


 ……もう大丈夫そうだな。

 そのまましばらく背中をなでてやり、仔ネコがすっかり落ち着いたのを見てスッと手を離した。

 仔ネコは離れていく俺の手を追って首を巡らせ、なにかに気づいたようにビクンッと体を跳ねさせた。


《ふみゃあ(右手、怪我してる!)》


 仔ネコが俺の手を注視して叫んでいた。

 ……なんだ? 見れば、右手の甲に引っかき傷が走り、血を滲ませていた。


「ああ、大したことはない」


 こんなのは歴戦の将たる俺にとっては、怪我のうちにも入らない。しかし、仔ネコには流れる血がよほど衝撃的だったのか、憐れなほど体を震わせて泣きだした。

 ……そう。仔ネコは文字通り「鳴く」ではなく、紫の瞳から大粒の涙をポロポロと流して「泣きだした」のだ。

 さすがにこれには小動物の生態に疎い俺でも、驚きが隠せない。

 さらに仔ネコは、まるで許しを乞うように、俺の右手にスルリと頬を寄せてくるではないか。


「お、おい?」


 ネコが泣くというのもさることながら、仔ネコが次に取ったこの行動も、ますます俺を動揺させた。泣いて逃げられるのならいざ知らず、こんなふうに泣きながらすり寄ってこられるというのは、人間、動物問わず初めての経験だった。

 俺はおろおろしながら、泣き濡れた仔ネコの目もとに向かってそっと左手を伸ばすのだった。







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