転生ヤマネコ、愛猫から愛妻にジョブチェンジ②
翌朝。
わたしはレリウスさまの胸に抱かれ、征伐成功の報告をしに王宮に向かっていた。
「……セバスチャンの腰は大丈夫だろうか。奴ももういい年だ、大事なければいいが」
わたしがパカパカと心地いい馬脚のリズムを感じながら周囲を見回していたら、頭上でレリウスさまが思い出したようにつぶやいた。
《ふみゃ(あー、家令のおじいちゃんね……。おじいちゃんの腰はさ、あの湿布できっとすぐ治っちゃうよ)》
「それにしても、ルーナは知識が深いのだな。炒った麦ぬかを湿布に混ぜるなど初めて聞いた」
《みゃっみゃ(前世でそういう自然派のグッズが流行ってただけで、医学的な根拠はないよ。でもミネラルいっぱいのぬかは、絶対毒にはならないからさ)》
「ふむ、おそらく謙遜しているのだろうが……。その声の意味、あまさずすべて知りたいものだな。お前が人型を取る夜が待ち遠しいぞ、なぁルーナ?」
同意を求められたが、わたしは即答せず少し考えてみた。
……人型も嫌じゃないけど、なんだか落ち着かないんだよなぁ。昨日の夜もだし、今朝だってドタバタだったし……。
わたしは遠い目をしながら、束の間、ドタバタだった朝の一幕に思いを馳せた――。
あれは、東の空に太陽が顔を出す直前のことだった。
――コンコン。
……う~ん? なぁにぃ?
爆睡していたわたしは、ノックの音で薄っすらと意識を浮上させた。
「……ん、どうした?」
続いてあがったレリウスさまの声は、寝ぼけているのか低く掠れており、普段よりもセクシーに感じた。
……あれぇ、待てよ。どうして隣からレリウスさまの声がするんだっけ?
わたしは起き抜けの鈍い頭に疑問符を浮かべつつ、ゆっくりと瞼を持ち上げていく。すると、いまだピントのぼやけたままの視界に、レリウスさまの寝顔がドアップで飛び込んできた。
えっ!? コレって、いったいどういう状況……って、そっか! 昨日は初めてレリウスさまと一緒に寝たんだった!
わたしが一気に意識を覚醒させ、ガバッと起き上がったのと、廊下側から扉が開けられたのは同時だった。
――ギィイイィ。
「レリウス様、お休みのところ早朝から失礼いたします。今しがた王宮より使者がまいりまして。後にさせていただこうかとも思ったのですが、使者が携えていたのがマリウス王直筆の書面でしたので、一応お伝えをと……ッ!?」
わたしと家令のおじいちゃんの視線が絡み、互いに見つめ合ったまま、しばし岩のように固まる。
するとここで、やっとレリウスさまがもぞもぞと身じろぎながら半身を起こした。
「……ん。セバスチャンか? こんなに早くから何用だ? 昨夜はなかなか寝付けず、やっと寝入ったところで……ん?」
レリウスさまは寝ぼけ眼で、扉に愕然と立ち尽くす家令のおじいちゃんを見て、その視線の先を追うように隣のわたしへと首を巡らせた。その目がわたしを映し、極限まで見開かれた。
「%&#$▼@:□:#$%&――っっ!!」
声にならない叫び声は、果たして誰があげたものだったのか。
直後の動きは三者三様。レリウスさまはガバッと仰け反り、わたしはそのレリウスさまからひったくった掛け布団をかぶって突っ伏す。
「しししし、失礼いたしましたーっっ!! ……アダァッッ!」
家令のおじいちゃんは、裏返った声をあげながら大慌てで出ていこうとして……盛大につっ転んだ。倒れざまに、もれなく飾り棚の上の花瓶を道連れにして。
――ガッシャーンッッ!!
叫び声やなんやに、とどめのこの騒音だ。聞きつけた使用人たちが、一斉に寝室に駆け込んできた。
さらに、不幸というのはチェーンみたいに繋がっているらしく……。
嘘でしょう、今じゃないでしょ!?というこのタイミングで、窓の外に太陽がひょっこりと顔を出す。
……あちゃー。
なんかもう、いいやね。むしろレリウスさま、色々と面倒そうだから後のことはよろしくね?
キラキラとまぶしい太陽を眺めながら、わたしは諦めと丸投げの境地で、ぽぽんっ!という変身音を聞いた。
その後は、当然ながらレリウスさまはみんなへの説明で四苦八苦。対するわたしは、ネコ特権でふぁ~っとあくびしながら、もぞもぞと丸まって事態の終息を見守った――。
――と、これがなんだか目が回りそうな今朝の出来事である。
で、あれからどうなったかといえば、さすがはレリウスさまに長年仕えてきた使用人たち。レリウスさまが不器用に告げた『ルーナは天女で、俺の嫁にした』のひと言でまるっと納得してしまったのだから、彼らの寛容さと柔軟さは伊達ではない。
家令のおじいちゃんも、腰をさすりながら『おぉ! 天女が昼はネコ、夜は人の姿を取るとは存じませんでした! 長生きはしてみるものですなぁ』としみじみこぼしていたっけ……。色々と、ヤレヤレである。
ただし、ここで疑問がひとつ浮かぶ。そもそもわたしは天女ではないのだが、レリウスさまはいったいどこからそんな単語を引っ張り出してきたのか……うーん、謎だ。
《ふみゃあ(ねぇえ、レリウスさま。わたしはやっぱり、ネコの方が楽でいいなぁ。それにね、昨日は流されちゃったけど、夫婦でもふたつの布団を使ったり、別室で眠ったりって、日本ではわりと普通だったよ? うちも別のベッドに――って、レリウスさま聞いてるの!?)》
肝心なところをまるっと無視して余所見しているレリウスさまの胸に、ネコパンチで不満をぶつけた。
「ん? すまんすまん。あののぼりが、面白いなと思ってな」
《みゃあ(え、ど-れ?)》
レリウスさまが指差すカフェの店先に【祝・ワーグナー筆頭大臣失脚記念スイーツ販売中!】と書かれたのぼりが揺れているのを見つけ、わたしはギョッとして身を乗り出した。
《みゃあぁ(もしかしてあれ……!)》
王宮敷地の横手に設えられた守衛門にほど近い立地……あれって、掃除係の女性のお父さんが経営してるカフェじゃない!?
「さっそくワーグナー筆頭大臣の失脚を商売に反映させるとは、王都の民は商魂たくましいな」
レリウスさまが感心したように呟いた。
……っていうか、失脚記念のスイーツってどんなのなんだろう?
「ルーナ。興味があるなら今度一緒に行ってみるか? テラス席があるようだ、あそこならお前と一緒でも入店できるだろう」
興味が湧いてジーッと見つめていたら、レリウスさまからとってもうれしい提案を受けた。
《ふみゃあっ(わぁあ、楽しみっ! 今の、約束だよ?)》
わたしは伸び上がって、スリスリとレリウスさまの胸に頬ずりした。
「ああ、約束だ」
そうこうしているうち、わたしたちはカフェと守衛門の前を通過して、ついに王宮の正門に辿り着いた。
《ふみゃ~っ(わぁ~、白亜のお城だ……!)》
パターン装飾された金の格子門の隙間から覗く豪華なお城に心が踊る。
わたしが王宮に来るのはこれが初めてだけど、その美しさは屋敷の使用人たちの会話で幾度となく耳にしていた。なんでも、カインザー王宮は上宮と下宮のふたつの絢爛な建物からなり、南北に建つふたつの宮に囲まれた噴水庭園が最高に美しいのだとか。
これを聞いてから、わたしはいつか見学に来る日を夢見ていたのだ。
――ギィイイ。
ん? 両開きの門が、わたしたちの到着を待ち構えていたかのように、中から引き開けられる。
「レリウス様、お待ちしておりました。まずは此度の征伐成功、お慶び申し上げます」
中から黒い礼装を品よく着こなした初老の男性が現れて、丁寧に腰を折って出迎えの挨拶を口にした。
「執事長、固い挨拶は抜きで頼む。むず痒くていかん」
「ほほほ、レリウス様は相変わらずでいらっしゃる。……では、馬をこちらでお預かりいたします。レリウス様はどうぞ中に。王は既に応接室に待機されております」
執事長は懐かしむような目でレリウスさまを見つめ、柔和に微笑んだ。
……なんだろう? わたしはふたりの会話に僅かな違和感を覚えていた。
「ああ、馬を頼んだ」
レリウスさまはわたしを抱いたままヒラリと愛馬を降りると手綱を執事長に渡し、案内を待たずにツカツカと王宮の玄関に向かって歩きだす。
……えっ!? 勝手に行っちゃって、怒られちゃわないの?
王宮を訪問しているというのに、あまりにフランクなレリウスさまの態度にわたしは内心でハラハラしていた。
わたしの心配をよそにレリウスさまは慣れた様子で上宮の玄関を入り、廊下をツカツカと進む。行き合う使用人らは怒るどころか、皆、レリウスさまの姿を見るや廊下の端に寄り、丁寧に頭を下げて通り過ぎるのを待った。
ぇええ? どういうこと??
わたしの頭の中には疑問符がいっぱいだった。そうこうしているうち、レリウスさまは両開きの重厚な扉の前で足を止めた。
「俺だ」
ちょっと待って? 中で待ってるのって、王様なんだよね?
そんな、オレオレ詐欺みたいな第一声じゃ、さすがに怒られ――。
「おお、レリウス! やっと来たか、入ってくれ」
中から返ってきたのは、明らかに歓迎モードの弾んだ声。
あれぇえ?
耳にして、わたしはコテンと首を捻った。
レリウスさまは脇に控える近衛たちが両側から扉を開けようとするのを待たず、自らの手で片側の扉を引き、ズカズカと部屋の中へと入っていく。
あ、窓の前に立っているのってきっと王様だ!
光の加減で顔はよく見えないが、広い応接室の奥、庭園に面したガラスの長窓の前に長身のシルエットを認め、緊張で心臓がバクバクした。
レリウスさまはカツカツと長靴の音を響かせて奥まで歩いていく。ついに、王様の顔がクリアに……え?




