騎士団長、少女に再会する②
ナイフの切っ先が少女の首に迫る。刃先が首を貫く直前、俺はふたりの間に飛び込んでいってナイフを弾く。
――カラーンッ。
ナイフは月明かりをキラリと弾き、放物線を描きながら地面に落ちた。
「君、こっちだ!」
少女を庇うように懐に込み抱き、即座に飛び退いてワーグナー筆頭大臣から距離を取る。俺たちが地面に身を伏せたのと同時に、隊員らが一斉に大臣に飛び掛かる。
隊員たちが手際よく捕縛していく一連の様子を横目で確認し、地面から半身を起こして少女に向き直る。
「無事か!?」
「は、はい。わたしは平気……っ、レリウスさま! 手から血が……!!」
少女はコクンと頷いて答え、途中でハッと気づいた様子で俺の右手を注視しながら叫んだ。
……ん?
なるほど。少女に指摘されるまで気づいてすらいなかったが、どうやら弾いた際に切ってしまったらしく、手の甲から血が滴って袖を濡らしていた。さらに、地面に伏せた際に傷口を擦ったようで、土がこびり付いて汚れていた。
「なに、この程度は怪我のうちにも入らん。それより、君の方こそ裸足で血が滲んでいるのでは――」
「わたしのことはいいんです! こんなのはほんの擦り傷で……とにかく、今はあなたの手です! かなり出血しているじゃありませんか!?」
俺がずっと気になっていた足の状態を尋ねようとしたら、少女は俺の言葉を遮り、焦った様子で俺の右手に向かって両手を伸ばした。
「あぁ、こんなに土が付いてしまって……っ!」
少女がキュッと俺の手を握り込む。
少女に触れられた部分がトクントクンと熱を持ち、傷よりもずっとこそばゆく疼いた。
「月の力よ、お願い! レリウスさまの手を綺麗にして……!」
突然、少女が月を見仰いで祈りの声をあげた。直後――。
――フワァアアッ。
少女の手から、交戦中に満月から降り注いだのと同じ光が舞い上がり、俺の手を包み込む。
この光は……!?
やわらかな発光はしばらく続き、やがてキラキラとまばゆい光の残像を残して消えていく。そうして光が消えた後、俺の手と袖にこびり付いていた土と血がすっかり綺麗になり、手の甲に朱色の傷がひと筋走るだけになっていた。
これは、現実か……?
奇跡を目の当たりにして、俺は言葉を失くして立ち尽くした。
もしかして、この少女は天使なのか? ……いや。神秘的な佇まいとこの力……天女かもしれんな。
「あぁ、よかった! 出血こそ多かったけれど、傷自体はそんなに深くなさそうだわ」
少女は俺の手を握ったまま、安堵の表情を浮かべた。
固まっていた俺は、少女の声にハッとして、慌てて周囲を見回した。隊員らは副リーダーの指示の元、剣の回収やワーグナー筆頭大臣を連行する準備にあたっており、幸い俺以外に少女の起こした奇跡を見た者はいないようだった。
俺は隊員らの目から少女を隠すよう、意図的に立ち位置をずらしてから、副リーダーに先にワーグナー筆頭大臣を連れて戻りはじめるように伝えた。
「――すまんな。すぐに合流する」
「承知しました」
副リーダーは承諾し、他の隊員らと共にワーグナー筆頭大臣を引き連れて歩きだした。
俺は、隊員らが完全に会話が聞こえなくなるくらい遠ざかってから、再び少女に向き直った。そうして騒ぐ鼓動を抑え、感謝を伝える。
「驚いたよ、君はこんなことができてしまうんだな。どうもありがとう」
「いえ。こういう使い方は初めてだったんですが、ちゃんと綺麗になってよかった。本当は傷自体を塞げたらいいんですが、わたしにはこれが精一杯で。……それに、わたしこそ助けていただいてありがとうございました!」
はにかんだような笑みで語る少女を見つめながら、俺はこれまでの人生で覚えたことのないときめきを覚えていた。
ずっと、こうして見つめ合っていたい。
少女を放したくない、俺が守ってやりたい。
俺のもとに留め置き、俺だけのものにしたい。
こんな庇護欲とも独占欲ともつかない感情が、とめどなく湧いてきて俺を戸惑わせる。
……不思議なものだ。これまでマリウスのいらぬ気回しで何度か女と引き合わされてきたが、こんな思いを抱くことなど一度たりとなかった。
なぜ、たったひとりの少女が、こんなにも俺の胸を熱く焦がすのだろう。こんな感情は初めて――。
「いや、ルーナか」
この少女を前にして湧き上がる感情は、俺がルーナに抱く親愛の情にとても近いことに気づく。
「えっ!? あの、今『ルーナ』って……!?」
少女がひどく慌てた様子で尋ねてくる。
「いやな、ルーナというのは俺の飼いネコなんだが……君はルーナに似ているんだ。それに君からは、ルーナと同じ匂いがする」
「あっ!?」
少女がずっと握っていた俺の手を解き、離れていこうとするのを目にし、俺は反射的に少女を胸に抱きしめていた。
「……そして君は、やはりとても温かい」
「あ、あの……?」
戸惑いを含んだ少女の声をどこかわふわとした思いで聞きながら、その温もりと香りを感じていたら、まるで人間になったルーナを腕に抱いているような心地がした。
……この少女の行く末をどうするか、俺に決定権はない。だが、あの時満月から降り注いだ光は、間違いなく俺の傷を綺麗にするのに少女が発したものと同じ。それを浴びた直後に戦況が百八十度覆ったことを考えれば、この少女によって俺たち征伐隊が救われたのは瞭然で、身柄も含めすべて王であるマリウスに託すのが筋だ――。
マリウスは、ワーグナー筆頭大臣征伐に甚大な貢献を果たした少女を、けっして悪いようにはしないはず。ひと通りの調査や聞き取りを終えた後は、俺が望めば少女の後見を買って出ることも可能だろう。
しかし、少しの間でも離れることが納得できない。この少女を二度と手放したくないと思う自分がいた。
「このまま君を、俺の屋敷に連れて行ってしまいたい」
「ええっ!?」
「そうして君を……」
……俺だけのものにしたい。
続く想いは、なんとか胸に押しとどめた。
理性と本能がせめぎ合い、俺の心は揺れていた。
「……そういえば、前回聞きそびれたままだったな。君の名前を教えてくれないか?」
俺は一旦、核心部分を脇に置くと、ずっと気になっていたことを尋ねた。
「ん? どうした?」
前回同様、この質問に少女は困った様子で眉をハの字にし、なかなか答えようとしない。
……まさか、天女には名前がないのだろうか?
俺がそんなことを思っていたら、視界の端で東の空が薄っすらと白らみはじめるのに気づく。空の主役が、満月から太陽に変わろうとしていた。
……間もなく夜明けか。いつまでもこうしてはおれんな。
しかたない。今は一旦、ワーグナー筆頭大臣邸に戻るか。
「よし、続きは歩きながら話そう」
徐々に顔を出す朝日をひと睨みし、少女に告げた。
……ん? その時、高くなってきた太陽に照らされて、腕の中の少女が再び淡い光を帯び始めるのに気づく。
まさか、光に包まれてこのまま消えてしまうのではあるまいな!? そんな恐怖に衝き動かされ、咄嗟に少女の腰に回した腕に力を込めた。なぜか少女は、青褪めた顔で俺を仰ぎ見た。
俺と少女の視線がぶつかる。
……ルーナと同じ、宝石みたいな紫色の瞳だ。
少女の目を見つめ、俺がそんな感想を抱いた直後――。
ぽぽんっ!
目の前に光の粉がパッと舞い、なにかが破裂したような音と共に、少女を支えていた手が弾かれた。腹周りにも、空気でボフンと押されたような感覚がした。
なんだ!? 少女は無事か……!?
眩しさに瞬きしながら、なんとか目を開けると。
……なっ!?
俺は、夢でも見ているのか……?
《ふみゃーっ(う、うっ、うわぁああああ~っ! えらいこっちゃーっ!!)》
狐につままれたような思いで、足元で慌てふためくルーナを見下ろしていた。




