仔ネコ、救世主になる
嘘でしょう!? 部隊員の裏切りを伝えられないまま、レリウスさまが行っちゃた……って、こうしちゃいられない! 今からでも後を追って、なんとしても知らせなくっちゃ!
わたしは慌てて、レリウスさまが上っていった階段へと足を踏み出す。なんとか起きて動くことができるようにはなったものの、相変わらず体は怠いままだった。
よろめきながらなんとか上りきり、前足で入口の扉を押す。しかし、重たい金属製の扉はビクともしない。
……ぅううっ、ダメだ。ネコの力じゃ、全然無理だよ。
このままじゃ、レリウスさまたちが大変なことになっちゃうのに……っ!
レリウスさまのピンチを知りながら、なんにも役に立てない。不甲斐なさに涙が滲んだ。
もう、魔物だってバレちゃったっていい。ちゃんと言葉にしてレリウスさまに伝えたい。わたし、人間になりたいよ――!!
《ふみゃああっ(レリウスさまぁ……っ!!)》
祈るような思いで、レリウスさまの名前を叫びながら渾身の力で扉を押した。
すると、わたしの願いが通じたのか、一向に開かなかった扉がほんの一瞬フッと軽くなり、ギィッと音を立てながら三センチほどの隙間ができる。
……あ、開いたぁ!!
同時に薄く開いた隙間からわずかな明るさを感じ、既に月が昇っていることを知った。
――ぽぽん!
直後、気泡が弾けるみたいな小気味いい音と共にわたしは変身していた。
……あれ?
人型に姿を変えて、真っ先に覚えたのは爽快感。これまでの体調不良が嘘のように、宙に浮き上がりそうなくらい体が軽かった。
……今日が満月だから? ううん、違う。
これまでにも満月の夜は何度も経験しているけれど、それだけでは説明がつかないくらい、今は全身にパワーが漲っていた。
なんで……?
「ううん! そんなことより、今はレリウスさまたちの後を追わなくちゃ!」
外に踏み出しかけるが、すぐに思い直して階段を駆け下り、もといた場所に戻る。
……いけないいけない。さすがにこのままじゃ外に出られないよね。それから、満月とはいえ明かりだって必要だ。
わたしはレリウスさまが置いていってくれたマントを拾い上げると、手早く体に巻き付けて、ランプを持った。再び階段を上り、力を込めて扉を押す。
結構な力が必要だったが、ネコの時とは違い扉を開けきることができた。
……レリウスさまは『ワーグナー筆頭大臣の直轄地まで残り三キロ弱』と言っていた。おそらく、コリンは既に狼煙筒を放ってしまっているだろう。もはや、一刻の猶予もない――!
実は、わたしは袋の中で伸びていた間も、レリウスさまに袋から出された後も、必死に意識の糸を繋いでいた。体を起こすのはもとより、まともに目を開けていることもできない状態だったけれど、征伐隊の進捗や位置情報などを聞き逃さないよう、ギリギリのところで踏ん張っていたのだ。
そして、以前レリウスさまの机に置いてあった資料によれば、ワーグナー筆頭大臣の直轄地はおよそ十二平方キロメートル。大臣邸は直轄地の中でも比較的王都に近い場所にあり、ここからならたぶん五キロくらい。休まず走れば、四十分ほどで着けるはずだ。
「どうか、レリウスさまたちが突入する前に合流できますように――!」
祈る思いで、わたしは裸足のまま駆けだした。落ち葉や枯れ枝が素足の肌を容赦なく傷つけるけれど、その痛みすら今はまったく感じなかった。
走りながら、わたしは常に後ろにも注意を向けていた。そうして何度目かに振り返った時、木々の間から立ち昇る煙を確認した。
……コリンの放った狼煙筒だ!
グレス書記官の言葉通り、発煙が始まるタイミングの他、発煙時間や威力までかなり巧妙に作られているらしく、煙はいくらもせずスゥッと消えていった。
意識して森の方を観察していなければ、この煙に気づくことは難しい。おそらく、ワーグナー筆頭大臣邸への突入に集中するレリウスさまたちも、これには気づかないだろう。
「……レリウスさま、すぐに行くから待っていて!」
わたしは限界まで走りのペースをあげた。
現実的に考えたら、馬で先を行くレリウスさまたちにわたしが追いつける可能性など、万にひとつもないだろう。それでも、一縷の望みを懸け、走らずにはいられなかった。
わたしがワーグナー筆頭大臣邸を目前に捉えた時、既にレリウスさまの部隊は突入した後だった。敷地の中では、激しい交戦が繰り広げられているようだった。
「っ、間に合わなかった……!」
高い垣根が邸宅の敷地を囲っていて詳しい状況は窺えないが、漏れてくる声などから、レリウスさまたちの苦戦が想像できた。
「レリウスさまたちは無事なの!?」
戦況が知りたい。けれど、うかうか敷地内に入り込んで敵に見つかるなど論外だし、レリウスさまたちに気づかれてしまった場合も、みんなの集中力を削ぐことになってしまう。
万が一にも、みんなの迷惑になってはいけない。どうしたら……。
「……あ! そう言えば、途中に火の見やぐらがあったはず!」
ここに来る途中、火の見やぐらの横を走ってきたことを思い出し、大急ぎで道を引き返した。
四百メートルほど戻り、火の見やぐらにたどり着くと、わたしはランプを地面に置き、逸る思いで上りだした。
火の見やぐらの高さは八メートルほど。てっぺんには気持ちばかりの雨よけ屋根が取り付けられており、その下に金属製の鐘がぶら下がっている。かなり古い物らしく、素材はまさかの木製。丸太が板梯子ような形状に組まれていて、一段は五十センチほどと高めだ。
今もきちんと点検が行われているのか怪しい代物で、実際、黒く変色した丸太を踏みしめるたび軋むような音がして不安が募る。さらに足の傷から滲んだ血で、何度も滑りそうになった。
それでも、わたしに手と足を止める選択肢はなかった。
……よし。あともう少し!
ついに一番てっぺんまで上りきり、ワーグナー筆頭大臣邸を見下ろす。
この時のわたしは、満月の明るさだけでは説明がつかないくらい、明瞭に敷地内の様子が見えていた。
「なんてこと……! レリウスさまたちが、あんなに大勢の兵士に囲まれてる!」
レリウスさまの部隊は迎え討ちにあって苦しい戦いを強いられていた。なにより、ワーグナー筆頭大臣側の兵士の数が異常だった。
今回、レリウスさまたちは少数精鋭の部隊編成で五十騎ほど。対するワーグナー筆頭大臣の私兵団は騎馬隊が百騎、さらに弓や剣を構えた兵士が百人以上いそうだ。
屋敷に常駐させるには異常な規模の私兵団は、グレス書記官らによって事前に征伐の情報が漏れていたと考えて間違いないだろう。その上、突入のタイミングまで狼煙で筒抜けとあっては、天下無敵のレリウスさまとてひとたまりもない。
レリウスさまはその卓越した剣技で、襲い来る兵士をなぎ倒しているが、圧倒的な数差は確実にレリウスさまの部隊を追い詰めていた。隊員の中には深手を負い、いつ馬上から崩れ落ちてもおかしくない状態の人も数人見受けられた。
……いや。あそこにひとり、落馬している隊員が……え!?
「あれはコリン……!!」
なんとコリンは背中に矢を受け、息も絶え絶えで地面に倒れていた。
コリンが敵に部隊の接近を知らせ、その結果として今の状況がある。だけど、悪いのは彼じゃない。
彼にはやむにやまれぬ事情が――妹さんの存在があった。その妹さんのためにも、コリンは決してこんなところで犠牲になってはいけない――!
グッと噛みしめた奥歯が軋んだ。
……悪事の限りを尽くし、挙句その尻ぬぐいすらしようとせず自分たちは安全な場所に逃げ、代わりに配下の者に血を流させる。ワーグナー筆頭大臣やグレス書記官を絶対に許せない。
わたしに、なにができる……!? レリウスさまたちの窮地を見ているだけなんて、そんなのは嫌!
その時、わたしの思いに応えるように月が発光を強くする。同時に、わたしの体中で月のエネルギーがあふれそうなくらい膨らむのを感じた。
……そうか、わたしには月の魔法があるじゃない!
わたしはこれまで、日常の中で汚れた物を綺麗にする目的でのみ月の魔法を使ってきた。逆にいえば、それ以外の使い道を見いだせなかったのだ。
だけど、月の魔法の本領はそんなものじゃない。今こそ、月の魔法の浄化作用をフルに活用する時だ――!
「月の力よ、どうかお願い! レリウスさまたちを助けたいの! 悪しき心を持つ人たちを正し、綺麗にして!」
祈りと共に、わたしは月の魔法を発動させた。
すると、月からキラキラとした光の粒子が舞い下りて、ワーグナー筆頭大臣邸に降り注ぐ。月の粒子はまばゆく発光しながら、交戦最中のレリウスさまの部隊やワーグナー筆頭大臣の私兵団、すべてを包み込んでいく。
……なんて綺麗なの。
幻想的な光景に、わたしは瞬きも忘れて見入った。
どれくらいそうしていただろう、戦況に目に見える変化が現れた。
「あれ? あの人たち、構えている弓を下ろしてる。……あ、あっちの人たちは剣を引いて馬を下りてる」
なんと、ワーグナー筆頭大臣の私兵たちから次々と投降者が出始めたのだ。
もちろん、月の魔法とて万能ではなく、全員を投降させるには至らない。たとえ改心しても忠義心だったり、コリンのように大切な誰かを守るためだったり、理由があって投降を躊躇う兵士もいるだろう。
それでも最終的には、半数ほどの私兵が戦線を離脱した。さらに残る半数も、戦意の低下は瞭然だった。
当然、レリウスさまはこの好機を逃さなかった。
「レリウスさま、みんな、頑張って……!」
いまだ兵力に差はあるが、もともとの戦闘能力はレリウスさまの部隊が遥かに上だ。形勢は一気に逆転し、レリウスさまはワーグナー筆頭大臣の私兵団を一網打尽にしていく。
ついに部隊は、屋敷内へと突入していった。
屋敷内の状況は見ることがかなわないが、レリウスさまなら必ずワーグナー筆頭大臣を捕らえ、無事に征伐を成功させるだろう。
「もう、大丈夫そうね。……よし、わたしはそろそろ森に戻らなくっちゃ」
レリウスさまの勝利を確信したわたしは、ゆっくりと火の見やぐらを下りはじめる。そうして最後の一段からトンッと地面に足をついた瞬間――。
「ぁあっ!?」
後ろから現れた人物に、突然、ガバッと羽交い絞めにされた。
「大人しくしろ。声をあげたら刺す!」
首にヒヤリと硬質ななにかが押し当てられるのを感じ、喉がヒュッと音を立てた。
……レリウスさまっっ!!
ギュッと目を瞑り、恐怖に身を縮めながら、わたしは心の中で必死にレリウスさまの名前を呼んでいた――。




